2-96:口先なら自信がある
ひとしきり圭人と遊んで葡萄たちの気が済むと、今度はいよいよ子供たちの出番だ。
空はしゃがみ込んでゼエゼエ言っている圭人の横に進むと、葡萄の木に向かってぺこりと頭を下げてから声を掛けた。
「ぶどうさんたち、こんにちは! ことしも、みがすっごくきれい! キラキラしてて、ほうせきみたいだねぇ」
そうやって褒めると、葡萄の蔓や葉がさわさわと揺れる。まんざらでもない、といった雰囲気だ。やはり葡萄には子供の褒めと泣き落としがよく効く。
空は去年何回か手伝いをし、その加減をかなり把握していた。褒めならトマトとの毎日のやりとりで慣れている。
「きっとたべたら、ほっぺがおちそうなくらいおいしいんだろうな……シャクってして、じゅわってみずみずしくて、うんとあまくて、いいかおりで……」
呟きながら想像しただけで空の口の中に涎が溢れそうだ。うっとりした表情で葡萄の実を見つめていると、木々はますますソワソワと蔓を揺らし、葉をざわめかせた。
「ぼくもいっぱいたべたいけど……でもよそのむらのこどもたちも、ぜったいたのしみにしてるとおもうんだよね。ここのぶどう、すっごくすっごくおいしいもん! ぼくも、とおくまではこべるなら、とうきょうのかぞくにおくってあげたいな……」
最後はちょっとしょんぼり呟くのがポイントだ。
空が少しだけ肩を落として視線を下げると、突然視界に薄緑色の物が割って入った。
「あ、キラキラのぶどう!」
掛かった、という言葉を内心に隠し、空は目の前にぶら下げられたガラス細工のように美しい葡萄に目を輝かせた。両手を伸ばして蔓から実を受け取ると、ずしりと重い。
「わ、おもたい! そんでいいにおい……」
スンスンと甘い香りを嗅いで嬉しそうに笑うと、空の周りに次々と葡萄の実が差し出される。側で準備し構えていた圭人が、その下に収穫用の籠をすばやく滑り込ませた。
「わあぁ、すごいいっぱい! ありがとう! これなら、みんなにもたべてもらえるね!」
空がはしゃいだ声でそう言うと、トントン、と背中が叩かれた。
振り向けばすぐ後ろに隣にあった葡萄の蔓が伸びていて、その蔓には大粒の巨峰の房がぶら下げられていた。
「あっ、くろいぶどう! ぼく、くろいのもだいすき! あまくて、やわらかくて、じゅーすみたいなの!」
マスカットの隣に植えられていた巨峰たちが、空の言葉を聞いて嬉しそうにさわさわと揺れる。そして今度は空の元に巨峰の房がどんどん届けられ始めた。
「あわわ、ちょ、待った待った! 今籠を追加するから! 地面に置かないで!」
「沢田さん、私が籠を魔法で並べるから、新しいのをどんどん出してちょうだい」
「は、はい、すぐに!」
続々と勝手に収穫されて差し出される葡萄に圭人は大慌てだ。用意していた籠だけではすぐに足りなくなり、側に置いてあった魔法鞄から予備の籠を取り出していく。
それを雪乃が魔法で並べ、勇馬と共に収穫された葡萄を丁寧に並べていく。空も次々貢がれる葡萄を受け取っては足元の籠に出来るだけ優しく並べていった。
「空って、ぶどうほめるの、すっごい上手いなー!」
「ぶどういっぱい、すごい……あ、ぼくも? ありがと……」
隣に立つ翔馬は空の口の上手さと葡萄の反応の良さに目を丸くしつつ、房を受け取っては籠に下ろしている。
「くろいのもおおつぶで、つやつやでおいしそう……ありがとう! これ、ぼくのおとうとも、きっとだいすきだとおもう!」
空は合間合間に褒めたり、兄弟や他の皆もきっと喜ぶと言いながら葡萄を受け取っていく。これをしておくと、外に出荷されることに葡萄たちも納得してくれるらしいのだ。
(何か……ファンからプレゼントを受け取ってるみたいだな、僕)
空はそんなことを考えながら、プレゼントへのせめてものお返しとばかりにがんばってファンサをし続けたのだった。
「ごめんくださーい。沢田さん、いますかー?」
「ちわー」
葡萄棚の下を少しずつ移動しながらの収穫(?)が、そろそろ一段落しようかという頃。
不意に畑の入り口の方から呼びかけが聞こえてきた。その声に圭人が顔を上げ、はーいと答えてそちらへ向かう。圭人は畑の入り口で訪問者としばらく話をし、それから彼らを連れてまた戻ってきた。
「う、枝低いな」
「悪いね、頭に気をつけて」
「はい」
そんな声が聞こえて空はそちらに顔を向ける。するとそこには空もよく知る顔が二つ並んでいた。
「あれ、よしおおにいちゃんと、たいぞうにいちゃん?」
「ああ、こんちは」
「よ、空!」
「あ、タイゾーだ! 久しぶりー!」
「おう、勇馬も翔馬も久しぶり。つーか、勇馬、俺のことは先生って呼べっての」
沢田家を訪れた客は、良夫と泰造だった。空は珍しい二人連れに目を見開いた。勇馬は小学校に上がって以来の泰造との再会に喜び、人懐っこく手を振っている。翔馬は控えめに少しだけ手を振っていた。
二人は枝や葉に頭が当たらないよう身を屈め、側まで来ると雪乃に軽く頭を下げた。
「ふたりできたの? ぶどうばたけにようじ?」
「いや、泰造とはここで一緒になっただけ。俺は店の仕入だな」
「良夫なんかと一緒に来るかっての! 俺は外に出荷する葡萄の査定を頼まれたんだよ」
相変わらず良夫は淡々としているが、泰造は子供っぽく口を曲げて嫌そうな顔をして見せた。双方とも本日の仕事先で顔を合わせる羽目になるとは思っていなかったらしい。
「さてい……たいぞうにいちゃん、ぶどうのこと、かんていするの?」
「ああ。収穫した葡萄の熟度とか日持ちとか調べて、仕分けるのが俺の仕事だな……しかしすげぇ量だな。これ全部空たちが採ったのか?」
畑の地面にはあちこちに籠が置かれ、どれも葡萄でいっぱいになりつつある。
圭人はせっせと新しい籠を追加しているが、空の周りでは既に地面にも葡萄が置かれていた。
「うん、いっぱいもらったの! ぶどうさんたち、やさしいんだよ!」
空はそう言って手に持っていた葡萄の房を側に来た泰造に差し出した。泰造がそれを受け取ろうとすると、不意に伸びてきた蔓がその手を叩こうと振るわれた。
「おっと、あぶねーな」
泰造は蔓に叩かれる寸前でスッと手を引っ込め、反対側の手を素早く出して空から葡萄を受け取った。それに憤慨したのか蔓がまた向かってくるが、今度は足を半歩引いてその攻撃を躱す。
「どれどれ……シャイニンググレートマスカット(秀)っと。熟度はまぁまぁかな。これは日持ちしそうだな」
「そんななまえなんだ……」
空の前世で名の知れたマスカットに似ているようで、何だか違う。長くて言いづらいなと思うが、透き通って美しい見た目やその気の強さにはまぁまぁ合っている気もした。
「空くん、ちょっと葡萄を褒めるのはお休みにしてくれるかな。採れたのを分けて運ばないとだから」
「はーい!」
空が元気良く返事をすると、圭人は良く熟していそうな見た目の葡萄を一房手に取り手渡してくれた。
「はい、どうぞ。良かったらこれ食べながらあっちで勇馬たちと休んでてね」
「ありがとう!」
葡萄を食べていいというのなら何も文句はない。
空は大人たちの作業の邪魔をしないよう、勇馬や翔馬と共に葡萄の山の真ん中から移動して少し離れた場所に座り込む。三人で葡萄を摘まみながらの見学だ。
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