2-92:母のカニ漁
今年はカニが多いという翠の言葉通り、岩を一つ叩いただけで六匹のカニが捕れた。どれもよく育って食べ甲斐がありそうな大きなカニだ。
獲ったカニはまだ生きているので、武志や明良が手早く紐で縛って逃げられなくする。
それを幸生が川原に掘ってくれた生け簀に放り込むと、樹や小雪は怖々と、陸はうきうきと覗き込んだ。
空は生け簀に入ったカニの数を数え、昼ご飯に一人一匹食べるにはまだ足りないなと考える。米田家関係者だけでも幸生と雪乃に紗雪、子供が四人。武志、結衣、明良を入れれば十人だ。
もしかしたら翠も一緒に食べるかもしれない。そうするとあと五匹は欲しい。
(出来れば、二匹食べたいな。いや、三匹……あ、でもスイちゃんが魚を持ってきてくれそうだし、やっぱり二匹で!)
際限のない希望を抱きながら、空はまた川の中へとザブザブ踏み込む。
皆と一緒に水鉄砲を置いてあるところまでまた戻ると、紗雪がいない。さっきまで岩の上にいたのにと見回すと、大きな岩の陰にその姿があった。
「まま……」
声を掛けようとすると紗雪が振り向き、口の前に人差し指を立てた。空が口を閉じ足を止めると、紗雪は頷いてまた後ろを向き、気配を消して側の岩にそっと近づいてゆく。
何をしているのか気になった空たちは、皆でそっと近づいて様子を窺った。
紗雪は川の中に立って、すぐ前にある岩の下を静かに見つめているようだった。
気配を殺しているのか、そこにいるとわかっていても何故か存在感が薄く、目を離したら見失いそうだ。
それを不思議に思いながら空たちがじっと見つめていると、紗雪は足を少し開き、腰を落として両手を腰の脇にピタリと付けた。
何をするのかと誰もが息を詰めてじっと見つめた、その刹那――ズバンッ、と突然大量の水が天高く吹き上がった。
「ぴえっ!?」
空は何が起こったのかわからず、激しい音と上がった水柱に驚いてビクリと跳ねた。
水は高く昇ってキラキラと夏の日差しを弾いて煌めく。空はそれを呆然と見上げ、大量の水と一緒にカニも打ち上げられ、キラキラと煌めいていることに気がついた。
「かに……きれい」
空が小さく呟くと、紗雪が体を起こして上を見る。その手には既にカニが左手に二匹、右手に一匹掴まれていたが、紗雪はそれをパッと左手に抱え直すと落ちてくる三匹ほどのカニを素早く受け止めた。
バシャバシャと水が上から振ってきてたちまちびしょ濡れになるが、慣れているのか気にした様子もない。
紗雪はびしょ濡れのままわしゃわしゃと暴れる六匹のカニを抱え、笑顔を見せて子供たちの所へ戻ってきた。腕や指を大きなカニたちにわしわし挟まれているが、痛くないのか気にする様子もない。
「お待たせ! お昼に食べるカニ、これで足りるかしら?」
いち、に、さん、し、ご、ろくと空は呆然としたまま半ば無意識で差し出されたカニを数えた。さっきの六匹に、今ので六匹追加だ。いきなり倍になった。
「まま……ぼく、にひきたべてもいい?」
空は呆然としていても、食い意地だけは忘れないのだ。
「相変わらず紗雪ちゃんのカニ漁は豪快だね……」
離れた所から見ていたらしい翠は、魚を持って戻ってきてそう呟いた。空たち兄弟も全く同じ感想だ。
しかし武志や明良の心には刺さったらしく、どうやったの!? と紗雪は質問攻めにあっている。
「そうかなぁ? でも、数を取るにはあの方法が楽でいいのよね。方法はね、こう……逃げそうなとこにいるのを先に両手で掴むついでに、残りのカニのいる辺りの川底に魔力をかるーくたたき込んで、水ごと高く打ち上げる感じ……かしら?」
完全なる脳筋の答えだ……と空は内心でちょっと震える。
「いやぁ、それが出来る人は結構限られてそうだよね。まぁ、岩に魔力を軽く通しただけで、辺りの魚もカニも僕も失神させる親を思えば可愛いほうかも……いや、どうだろ」
「じぃじ、そんなことしたんだ……」
空が思わず呟くと翠は頷き、真剣な顔で空たちを見回した。
「今回は君らがいたから紗雪ちゃんを見逃したけど、基本的にガチンコ漁は、子供のうちだけだからね? 大人は禁止! あと、出来れば君たちはもう少し大人しい漁の仕方を考えてね? 力で何でも解決しないでね! ね、頼むよ?」
子供たちは翠があまりに真剣で可哀想だったので、とりあえず皆で大人しく頷く。幸生は木陰に座りながら、そのやり取りからそっと目を逸らしていた。
さて、カニも数が揃い、翠が大きな岩魚を二匹獲ってきてくれたので、お楽しみのお昼ご飯だ。
雪乃はカニや魚を器用に空中で蒸し焼きにすると、幸生が採ってきた大きな葉っぱに載せて出してくれた。醤油や塩も準備してあり、持ってきたおにぎりや漬物を添えれば立派なご馳走だ。
「いただきまっす!」
空はさっそく雪乃が解してくれたカニの身を口に運んだ。
「んん……おいひぃ……」
久しぶりに食べるカニの身はホクホクして甘くて、醤油を少し垂らすと絶品だ。カニ味噌と絡めるのもまた良い。
「そら、おいしい?」
「すっごくおいしいよ! りくもたべて! あ、フクちゃんもたべる?」
「うん!」
「ホピピッ!」
空が食べる様子に誘われて陸もカニに手を伸ばす。一口食べると美味しかったのか、陸はパッと笑顔を浮かべて次々口に運んだ。
川遊びの間は雪乃と共に留守番をしていたフクちゃんも、解したカニの身をちょっぴり貰って啄む。フクちゃんはどうやら細い繊維がつるつると食べやすくて気に入ったらしい。ピルピル囀りながら貰った一欠片を綺麗に食べ尽くした。
羽根のあるカニという謎の存在に躊躇っていた樹や小雪も、それを見て恐る恐るカニに挑戦してみた。
「あ、これうま! カニだ!」
「ホントだ、カニだ……おいしい」
(良かった。羽根があって飛んで逃げるものをカニだと認識するのが難しいのは、僕だけじゃないんだな……)
去年の空と同じ反応を兄や姉がしているのを、空は微笑ましく見守った。
「おさかなもおいしいよ!」
鮭のような大きさの岩魚もとても美味しい、と空は皆に勧める。
夏の木漏れ日の中、川のせせらぎを聞きながら食べる昼ご飯は、どれもとびきり美味しかった。
昼ご飯を食べ終え、もう少しだけ遊んでから帰ろうということになった。
家に持ち帰る分のカニは雪乃と幸生が二人で獲ってくれるというので、皆で水の中で遊ぼうとぞろぞろとまた川に向かう。
空も行こうとすると、不意に胸元のお守り袋が光ってテルちゃんが現れた。
「あ、テルちゃん。おはよう!」
「オハヨー、ソラ! アレ? ココ、ドコ?」
「ここはかわらだよ。きょうはみんなでかわあそびなんだ」
空がそう言うと、テルちゃんは周りをキョロキョロ見回してピョンと跳び上がった。
「マタテルヌキデ、タノシイコトシテル! テルモアソブヨ!」
「えー、だってテルちゃんねてたんだもん。じゃあいっしょにみずあそびする?」
「スルヨー!」
「ホピッ」
テルちゃんがピッと手を上げると、空の足元にいたフクちゃんも片羽を上げた。
「フクちゃんもいくの? じゃあみんなとあそぼうか」
「ワーイ!」
「ホピピッ!」
空は付いていくと主張する二人を連れて、川の中へと踏み込んだ。ザブザブと浅瀬を歩いて皆のいる場所を目指す。テルちゃんとフクちゃんもその後に付いて水の中に足を踏み入れたのだが。
「ム? アレ? アワ、アワワ!?」
「ピ? ピピ? ホビ、ホビビビビッ!」
空は後ろから響いた高い鳴き声に驚いて足を止め振り向き、目を見開いた。後を付いてきていたフクちゃんとテルちゃんが、いつの間にかいなくなっている。
「えっ!? どこいったの? フクちゃん、テルちゃ……あっ!」
空は慌てて周囲を見回し、そして下流の方に緑と白を見つけて思わず声を上げた。
「アバ、ソラ、タス……アバ、アババ……」
「ホピ、ホピピピピッ」
テルちゃんはその手足の短さのせいか、それとも丸くバランスが悪い体のせいか、どんぶらこどんぶらこと水に流されてしまっていた。起き上がろうともがいているが、軽い体はぷかぷか浮いて横になった樽のようにくるくると回ってしまっている。
フクちゃんはそれを止めようと追いかけたようだが、こちらも小さく軽い体は水に浮いてしまい、水に浮かべたアヒルの玩具のようにくるくる回りながら流されていた。
フクちゃんの場合は体を大きくすれば足が川底に着くだろうに、慌てすぎて思いつかないらしい。
「フクちゃん、テルちゃーん!」
空は慌てて追いかけたが、軽い二人はどんどん流されていく。浅瀬であっても水があるだけで空には走りにくく速度が出ないため、とても追いつけそうにない。
このままではすぐに赤い印の向こうまで流されて見失ってしまう、と気付いた空は焦り、大きな声で叫んだ。
「す、スイちゃん! スイちゃーん!」
「はいよー!」
バシャン、と下流の方で水飛沫が上がり、翠がザバリと現れる。その手にはずぶ濡れで目を回したテルちゃんとフクちゃんが抱えられていて、空はホッと息を吐いた。
「ウウ、テル、モウカワデハアソバナイヨ……カワコワイヨ……」
「ホピ……ピ……ピ……」
テルちゃんとフクちゃんは、すっかり川に懲りたらしい。
帰りのバスの中でもしょんぼりしたままで、空は二人を抱っこして何度も慰める羽目になったのだった。
「かわ、たのしいしおいしいんだけどなぁ」
「ね! またいこうね!」
「うん!」
それ以外の皆は、川が大いに気に入ったようだ。
皆で川遊び、というのがやりたい事の一つだった空も、もちろん大満足だった。