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2-85:カブトムシ再び

 少しばかりしんみりした気分を余韻に残し、お盆は明けてまた騒がしい夏が戻ってきた。

 空はその日、ある決意を固めて目を覚ました。

 ハッと起き上がって周りを見れば、紗雪以外はまだ眠りの中だ。まだ時間は早いらしい。

 空は一足先に布団から出ると、階段を下りて台所を覗いた。

「おはよー!」

「あら、空。おはよう、早いわね」

「空、おはよう!」

 台所には雪乃と紗雪がいて、二人で楽しそうに料理をしていた。幸生とヤナの姿はないので、畑にでも出ているようだ。

「空、顔洗っておいで」

「うん」

 紗雪に促され、空は顔を洗いに洗面所へ向かう。洗面台の脇に置いてある踏み台をよいしょと引っ張り、水を出して顔を洗ってタオルで拭くと目の前の鏡に目を留めた。

「……よし!」

 気合いを入れて、空は走って幸生たちの寝室に駆け込む。空は普段一階で寝起きしているので、服や道具は大体その部屋に置いてあるのだ。

「ホピピッ!」

「あ、フクちゃんおはよう!」

 寝室へ入った途端、置かれたタオルの上でうとうとしていたフクちゃんがパッと目を開き、嬉しそうにさえずった。家族が帰省している間、二階で一緒に寝ると子供たちの寝相がひどくて危ないので、フクちゃんは雪乃の枕元で寝ているのだ。

 足元に纏わり付くフクちゃんをよしよしと撫でてから、空は部屋の端にある背の低い棚の引き出しをぐいと開け、お気に入りの甚平を引っ張り出した。雪乃が少し前にあつらえてくれた新しいものだ。

 大好きな空色の甚平に袖を通し、空はまた台所に駆け戻った。フクちゃんも後を付いていく。

「まま、ひもむすんで!」

「はいはい」

 甚平の紐を結んでもらい、支度が出来た空は庭に出ようかと少し迷う。そこに雪乃が声を掛けた。

「空、おにぎり一つ食べる?」

「たべる! ちょうだい!」

 おにぎりの誘惑には勝てない。雪乃は空の返事を聞き、炊きたてのご飯で手早くおにぎりを握って出してくれた。

「はいどうぞ。中身は梅干しよ」

「いただきまっす!」

 海苔も巻いていない、塩水を手に付けて握っただけの簡単な物だが空にとっては何でもご馳走だ。パクリと齧り付くと、ちょうどいい塩加減のご飯がほろりと崩れて、空は思わず笑み崩れた。

「おいしい……」

「なら良かったわ。二つくらいで、朝ご飯までの足しになるかしら?」

「うん!」

 もう一つの中身は味噌漬けの大根を細かく刻んだ物だ。空はそれも大喜びで平らげ、ご馳走様と手を合わせた。

「空、今日は何だか張り切ってるのね?」

「うん! きょうはぼく……か、かぶとむしに、りべんじするの!」

 そう、今日はついに、カブトムシを狩りに行く約束の日なのだ。空は去年の恐怖を払拭ふっしょくしようと密かに心に決めていた。

「空はカブトムシ獲りに行くの、本当は嫌なんじゃなかったの? お盆前は嫌そうだったのに」

 空が本当はカブトムシなど見たくもないと思っていたことは、母である紗雪にはバレていたらしい。確かに、カブトムシは食べられないので本当は特に興味もないし、積極的に近づきたくもないのだが、そうも言っていられない事情がある。

「テルちゃんにたいくつさせないために、かぶとむしくらい、かってみせるんだもんね!」

 そう、空はそのために、七代と色々訓練していたのだから。

 今日の自分はひと味違うのだという気持ちだけは強く保ち、空はカブトムシに挑むつもりなのだ。

「空、何だか頼もしいね!」

「えへへ、ありがと……あ、でもきょうはままもいっしょなんだよね?」

 そこはできればぜひ一緒にいてほしいのだが。


 しばらくすると兄弟たちも次々に起きてきて、洗顔や着替えを賑やかに済ませ、一緒に裏の畑に向かった。

「じぃじ、おはよー!」

「うむ、おはよう。よく眠れたか」

「うん! ヤナちゃんもおはよう!」

「ああ、皆おはよう。空、今日もトマトをいくらか赤くしてほしいのだぞ」

「はーい!」

 裏庭にいた幸生とヤナに口々に朝の挨拶を済ませると、空はさっそく大きくなったトマトたちに声を掛けに行った。樹たちも付いてきて、今日は皆でまずトマトを褒めることになった。

 その合間に、どことなくそわそわしている樹が空に話しかけた。

「なぁ、空。今日、カブトムシ捕まえにいくんだよな?」

「うん。タケちゃんたちやアキちゃんも、きょうでいいよっていってたよ」

「すっげーたのしみ! おおきいんだよな? アレって捕まえたらどうやって飼うの?」

「え……!? か、かわない、かな」

 空は樹がカブトムシに対して何か勘違いしていることに気がついた。慌てて思い返してみれば、春に初めて村を訪れたとき樹が見たのは、村の子供たちがカブトムシを木から引きずり下ろそうとしているシーンだけだったような気がする。

(アレを捕まえた後どうするのかは、あの時誰も話題にしなかったような……?)

「ちぇー、飼わないのかぁ。まぁあんなおっきかったらエサとか大変だもんなぁ」

「ぼくもかいたいなぁ」

「あんなのうちでかうなんて言ったら、私、家出するんだから!」

 どのみち東京のマンションでは無理な話だ。

 樹の疑問を聞いていたヤナと幸生は顔を見合わせて、それから少し離れた場所に静かに移動した。

「幸生、アレを捕まえたら解体して、子供用の武器とか防具にすると教えたほうがいいのではないか?」

「都会の子だからどうだろう……飼いたいと言うほどなら、殺すのは嫌がるだろうか?」

 この村の大人にとってはカブトムシは、大きくて邪魔くさくて、時に樹液を求めて木を傷つけ林を荒らす害虫扱いだ。年中そこらにいて珍しくもない。

 生態系の一部なので全滅させるようなことはしないが、村で管理する林などに出たものを子供たちが狩るのは応援されている。

 だが都会の子供たちがあれを飼いたいと言い出すのは、二人にも予想外だった。

「そもそも、飼えるものなのか?」

「うむ……恐らく無理だろう」

 二人はしばらく考え、黙っておくかと結論を出した。

「まぁ、武志辺りは慣れておるし、上手いこと説明してくれるのだぞ……多分」

「都会の子には刺激が強すぎないだろうか……」


 そんな二人の心配を余所に、朝食を終えた頃に明良たちが米田家を元気良く訪ねて来た。

「おはよー、そら!」

「おはよー、アキちゃん!」

 子供たちが顔を合わせるとたちまち家は賑やかになる。

「空、ひさしぶり!」

「あ、ユウちゃん!」

 訪ねて来た顔ぶれの中には久しぶりに会う勇馬もいた。勇馬は実は明良より一つ年上で、今年から小学校に通っている。そのため空とは春先の卒園前に保育所で顔を合わせたっきりだったのだ。

「ユウちゃん、しょうがっこうどう?」

「えー、べつに今までと友だちは変わんないし、ふつうだよ。アキラとかいないからつまんねぇかも?」

 勇馬にとって一番大事な友達は相変わらず明良のようだ。歳が一つ二つ違っていても、この村の子供たちは特に気にしない。明良も久しぶりに勇馬と遊べて嬉しいと笑って言った。

「それより、オレにも空のきょうだい、しょうかいしてよ!」

「うん!」

 空は勇馬に自分の兄弟を順番に紹介していった。陸を見た勇馬は空の顔と見比べ、おんなじだ、と面白そうに笑顔を見せた。

「俺、樹。よろしくな。俺たち、カブトムシとったことないから、やり方教えてほしいんだ」

 樹がそう言うと、勇馬は驚いたのか目を見開いた。

「そうなの? え、とうきょうって、カブトムシいないの?」

「ぼく、みたことないよ!」

「俺は友達が飼ってるの見せてもらったことあるけど、あんなでっかくなかったんだよな」

「かう!?」

 早くも都会の子と田舎の子の会話が噛み合っていない。

 空がどうフォローしようかとオロオロしていると、雪乃と紗雪が顔を出した。

「おはよう皆、今日は私たちも付いていくからよろしくね!」

「はい、これカブトムシ採りの道具。こういうのでいいと思うんだけど……武志くん、どうかしら?」

 雪乃はそう言ってかぎ縄の束や棍棒のようなものをごとりと玄関に置いた。それを見て今度は樹や小雪が目を丸くする。

「え、何これ。これどうやって使うの……? いや、でもそういえば春に見た時、皆、カブトムシをひもで引っ張ってたっけ?」

「なんか私、行きたくないかも……」

「なにこれ! すごいかっこいい!」

 樹は謎の道具を前にして、困惑した表情を浮かべた。

 小雪は行くのを迷うようなそぶりを見せる。元からあまり行きたくなさそうだったが、結衣が行くならと参加を決めたのだ。しかし物々しい道具を見てさらに気力が減ったらしい。

 陸だけは変わらずわくわくしているようだった。

 空は皆のその反応を見て、田舎の現実にドン引きするのが自分だけでなくて良かった、と心からの笑顔を浮かべた。

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― 新着の感想 ―
田舎の村は狩るものがいっぱい(≧▽≦)
ムシ◯ングでは無く、モン◯ンだというだけの事。 子供ならすぐに慣れるであろうさ。
そういえば虫を飼うなんて発想、ここではあり得ないよなあ、トンボなんか来た日には阿鼻叫喚だわな。
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