21:田植え祭りの朝
空は朝からもりもりとおにぎりを食べていた。
中身は雪乃特製の梅干しとか細かく刻んだ味噌漬けとかだ。ちょっと子供の舌には酸っぱかったりしょっぱかったりするが、お米の甘みとよく合う。
「ばぁば、もいっこ、たべていい?」
「いいわよ。沢山作ってるから、好きなだけ食べてね。今日は忙しいから、今のうちにお腹いっぱいにしておいてね」
五個目のおにぎりを食べ終えお代わりを要求した空に、雪乃は優しくそう言った。雪乃のおにぎりは一個がかなり大きいが、空のお腹には六個くらいは余裕で入る。多分まだまだいける。
「ありがとー!」
空はちゃんとお礼を言って、今雪乃が握ったばかりのおにぎりを手に取った。空がもぐもぐしている間に、雪乃はすごいスピードでおにぎりを量産してゆく。
魔法の鞄から一升炊きの釜が次々取り出され、それを雪乃と、朝早くから訪ねてきた隣の家の美枝がすごい勢いでどんどんおにぎりにしていくのだ。釜の蓋に名前が書いてあるところを見ると、近所のそれぞれの家で炊いた米を釜ごと預かってきたらしい。
台所の大きなテーブルの上には大きなお重がずらりと並べられ、握られたおにぎりはごまをまぶしたり漬物の葉で巻いたりされて、綺麗にそこに並べられていく。今日は黒毛魔牛握りはないようで空にはそれが少し残念だったが、どのおにぎりもとても美味しかった。
「あ、これで味噌漬けが終わりね。後はどうしようかしら?」
「今何組できた? 私しぐれ煮持ってきたけど、それも入れる?」
「ひぃ、ふぅ、みぃ、よ……しぐれ煮も握っちゃうけど、まだ足りないかも。氷室に去年の鮭の冷凍したのがあるから、焼いてほぐしましょうか」
雪乃の言う氷室とは、家の地下にある広い保存庫のことだ。雪乃の魔法で凍らせたそこは年中氷点下で、様々な食品が保存してあるらしい。
(しぐれ煮も鮭も美味しそう……あとで一個貰おう)
鮭を取りに行った雪乃を見送り、空はそんなことを考えつつ味噌汁を飲む。おにぎりを握る前に雪乃に作って貰った味噌汁もこれで四杯目だが、何杯飲んでも飽きが来なくて美味しい。
「みえおばちゃん、おにぎり、いっぱいだね」
「そうねー、今日は田植え祭りだからね。これはあとで地区の皆で食べるのよ。あ、空ちゃんしぐれ煮のおにぎり食べる?」
「たべる! おにぎりだけ?」
「おかずとか汁物は別のおうちの人が作ってくれてるわよ。楽しみにしててね」
「うん!」
料理はどうやら分担制らしい。田舎のご飯は空にはいつもどれも美味しいので、他の家の味が食べられるというのも今からとても楽しみだった。美枝のしぐれ煮入りおにぎりもすごく美味しい。
「たうえまつりって、なにするの?」
「そうねぇ、まずえーと、祭壇を作って神様にお参りして、それから舞を奉納して、そのあとは賭けをして、それからまず田起しね」
「……かけ?」
何か急に変な単語が挿入された。しかし空がそれに突っ込む前に、雪乃が戻ってきた。
「お待たせ。すぐ焼いちゃうわね」
雪乃はそう言うと手にした二匹の鮭を片手で持ったまま魔法を展開して急速解凍し、そのまま宙に浮かせて焼き始めた。うろこや内臓は処理済みで、軽い塩引きにして冷凍してあったらしい。
鮭はあっという間に中まで火を通され、美味しそうな焼き鮭になった。それを巻き起こった風が取り囲み、ミキサーに入れたかのように身をほぐして骨と分離していく。ほぐされた身は美枝が用意したどんぶりにどんどん入っていった。
「ばぁば、まほうすごい」
「ふふ、ありがとう」
空がパチパチと手を叩くと、雪乃が嬉しそうに笑う。
最近空は雪乃の魔法に驚かなくなった。
雪乃の魔法は日常的に掃除や洗濯、料理などによく使われている。空のイメージするところの魔法と違い、詠唱とか魔法陣とか、そう言う魔法っぽいものは特にない。だから見た感じは結構地味なのだが、それは逆に実はかなりすごかったりするパターンなんじゃないかと空は予想している。しかしどのくらいすごいのかはまだ全然わからなかった。でも見せて貰うと楽しいから、魔法は好きだなと思っているのだが。
「ぼくも、まほうやってみたいなぁ」
そう空が呟くと、雪乃はにこりと笑ってまだ駄目よ、といつもの言葉を口にした。
「空はまだ魔力がやっと全身に回るようになったところだから、もう少し経たないとだめよ。その魔力が今空の体をちょっとずつ丈夫にしてくれてるのよ。それが終わらないとね」
「はぁい」
空は残念に思いつつも聞き分けよく返事をした。雪乃は空の体のことを空より良く知っている。その雪乃が駄目と言うからには駄目なのだろう。まぁそれはわかっていても早くやってみたいので、空も毎回つい聞いてしまうのだが。
そんな話をしている内に鮭はすっかり骨だけになり、雪乃はそれに調味料を少し足して味を調えると、大きなおにぎりを一つ握って空に手渡した。
「はい、空。味見してちょうだいね」
「あい!」
鮭ほぐし入りのおにぎりも、もちろん文句なく美味しかった。
おにぎりを作り終わった雪乃らに連れられて、空は草鞋を履いて外に出た。道を歩いて行くと、矢田家の前に明良とその家族が見える。
「そら、おはよー!」
「あきちゃんおはよ!」
明良は嬉しそうに空に挨拶し、走ってきて手を繋いでくれた。
「そら、たうえまつりはじめてだろ? いっしょにじんじゃいこ!」
「じんじゃ?」
「そう、むらのまんなかにあるんだ。りゅうじんさまのいけがあるとこ!」
首を傾げる空に、雪乃が村の真ん中の方角を指さして教えてくれた。
「あっちにあるのよ。この東山地区は、東の一番端っこなの。ちょっと歩くから、疲れたらおんぶするわね」
「うん。そこでなにするの?」
「今日はお祭りだから皆集まって色々するのよ。さ、行きましょうか」
矢田家と合流して歩き出すと、近所からもぞろぞろと家族連れが出てきて集団は少しずつ大きくなった。もちろん武志と結衣も一緒だ。
やがて一行は東山地区の住宅街を抜け、両側が田んぼや畑ばかりの大きめの道へと入る。この道は村の中心の鎮守の森へとほぼまっすぐ通じている道で、その森を中心に東西南北に伸び、村の各集落をぐるりと繋ぐ外側の村道とそれぞれ繋がっているらしい。
(田の字っぽい感じに道が広がってるのかな)
空は武志や明良に村の大体の道について聞きながら、そんな想像をした。どうやら田の字の中心に神社があり、その側に役場や学校があるらしい。その周囲は大体田んぼや畑で、集落は東西南北に適度に分散し村を囲む山の麓に近い場所にある。中心地の田畑はそれぞれの地区ごとに場所を決めて管理をしているのだという。
空はそれらを頭の中でぼんやり想像しながら、ふと疑問に思って雪乃を見上げた。
「ねぇ、ばぁば。なんで、まんなかがおうちじゃないの?」
「うん? 家が端っこにあるのが不思議ってこと?」
「ここにくるときみたとこ、みんな、おうちのまわりがたんぼだったよ?」
「ああ。よく覚えてたわね。そうね、他のところは大抵、お家をぎゅっと集めて、塀とかで囲んでたわね。その周りが田畑で……」
そこまで言うと雪乃はふふ、と面白そうに笑った。そしてしゃがみ込んで空の顔を覗く。
「あのね、この村の人は皆すごーく強いから、お家を高い塀で囲む必要が無いのよ。あと、ヤナみたいな守り神があちこちにいらっしゃるしね」
「……そんなにつよいの?」
予想外の返事に空の目が丸くなる。武志がそんな空を見て笑って頷いた。
「村の人はすごい強いし自分で逃げられるから、田んぼとか畑の方が大事なんだよ! だからここでは家で田んぼとか囲んであるんだってさ。ご飯がなかったら、空も困るだろ?」
「うん! ごはん、だいじだもんね!」
空はすぐに納得した。
田んぼの中を突っ切る道をお喋りしながら歩いていると、遠く南と北からも列を成した人々が同じように集団で歩いてくるのが見える。皆中心の森を目指しているのだ。空のいる方からでは見えないが、西の方にも同じような人の列があるのだろう。
途中で雪乃に負ぶって貰い、空は見慣れぬ風景をきょろきょろしながら楽しんだ。
田舎の道は目的地が見えてからが遠い。森はずっと見えているのになかなか近づかず、だいぶ歩いてからようやく森の南側に作られた大きな広場に到着した。広場には東西南からの道が真っ直ぐつながり、北からの道は森の東側に添うように大きく曲がって広場へと向かっている。
西の道の途中には役場や学校、病院などの主要な施設が建っている。お店などもいくつかあるらしい。
「はい、到着。ほら、じぃじ達はあそこにいるわよ」
「じぃじ、なにしてたの?」
「皆でお祭りの準備してたんだよ! ほら、こういうの」
武志が指さす先を見れば、広場を囲むように提灯や灯籠が飾られている。広場の真ん中の飾り付けをした舞台のようなものも、男衆が皆で用意した物らしい。
「もうこの時間だと、龍神様への挨拶は済んでるわね。これから巫女さんの奉納舞よ。最初と最後に踊るの」
龍神様への挨拶は男衆が中心になってするものらしい。見られなかったのはちょっと残念だった。だが残念そうにする空に、明良がにこやかに教えてくれた。
「りゅうじんさまは、はるはまだねてるんだ。いってもなんにもないんだってさ」
「そっか……おねぼうなんだね」
(いや、逆に寝てないと何かあるの?)
また村の謎が増えたが、きっといつかはわかるはずだ。
謎の答えを一度に聞くと祭りが始まる前から疲れそうなので、空はそう考えてそっとスルーした。
田植え話、ちょっとだけ長くなりそうかな。