2-78:ちょっとした肝試し
「行ってきまーす!」
「うう、お兄ちゃん、手つなご!」
「そら、いこ!」
「う、うん……」
元気な二人と、ちょっと行きたくない二人がばらけて手を繋ぎ、空たちはお堂の中に足を踏み入れた。
提灯の灯りを頼りにお堂の入り口を潜る瞬間、空はフッと薄い膜を通り抜けたような感覚を覚えた。結界とかそういうものだろうか、と考えながら前を見る。
しかし前方は依然暗闇のままだ。
自分たちが持つ提灯のほのかな灯りが周りを僅かに照らすが、それをそっと持ち上げてみても周りには何も見えない。
ここが本当にお堂の中なら壁があっても良さそうなものだが、それもないのだ。それどころか、前方から僅かに風が吹いている気がする。
(ここ、外? でも、なんか違うような……とりあえず、安全って言ってたのを信じるしかない……)
さすがにこれだけ暗いと、元気だった樹や陸も進むのに躊躇いを覚えたらしい。二人の足も止まっている。
どうするかと空が迷いながら下を見ると、ふと足元に薄らと道のようものが見えた。
「あ、あしもと、ちょっとだけしろい……ちょうちんのあかりで、ひかってるのかな」
空の呟きに皆も視線を下げる。確かによく見れば、足元にうっすらと周囲の暗闇と分かれた部分が見える。
提灯を翳して確かめると、道幅は一メートル半ほどあるように見えた。提灯の灯りを僅かに反射して、ほの白い道は先へと続いている。
これなら進めるかなと空が樹の方を見ると、樹は提灯と道を見比べ、面白そうに瞳をキラキラさせていた。
「え……おにいちゃん?」
「うん、行こう! やっぱ何かこれ、完全に肝試しってヤツじゃね? 俺、一度やってみたかったんだ!」
(えええ、つよぉい……子供ってこういうものなの?)
空は樹の様子に何だかちょっと救われるような、でも遠い目でどこかを見つめたいような、そんな気分になった。
「きもだめし! やる!」
勢いのある兄の言葉に触発されたのか、陸もやる気を取り戻したようだ。
「うう、私こういうのちょっとやだぁ……」
そうは言いつつも、小雪もここで一人引き返す気はないらしい。樹の手をしっかりと握りしめ、身を寄せて渋々歩き始めた。
「そら、いこ!」
「う、うん……」
陸に手を引かれ、空も嫌々ながら樹たちの後ろについて足を踏み出す。
「ね、そら。きもだってなに? なにごはん?」
とりあえず、肝試しという言葉を陸が理解していないことは良くわかった。
その説明はとりあえず後にしようと提案し、空は樹の背中をじっと見て足を進める。
空は歩き出してすぐ、この道は多分お堂の中でも、その後ろにあった林の中でもない場所にあるらしいことに気がついた。
草鞋越しに感じる地面の感触は固く、床板のような軋む感じはない。かといって砂利道やコンクリートのような道の感触ともまた違う気がする。固いけれど、障害物のない、ただただ平坦に続くどこかの道だ。
頬に僅かに風は感じるけれど、さっきまで外で聞いていたような虫の声も聞こえてこない。聞こえるのは自分たちが立てる声や足音だけだった。
これでひんやりした空気とか、生臭い風、みたいな典型的なものを感じたらもっと怖くなったかもしれないが、空気の温度は外とほとんど変わらない気がする。
空は気を紛らわせるためにそんなことを分析しつつ、ふと上を向いた。
「あ、ほし……」
「え、どこ? あ、ホントだ! すごいいっぱいある……やっぱここって外なのかな」
見上げた先には、いつの間にか無数の星が天を埋め尽くすように瞬いていた。暗いことに目が慣れたのかと思うが、それでも今まで気がつかなかったのが不思議なくらいの星空だ。
「きれーだねぇ」
「そうだね! 星があると、何か怖くないかも!」
空も小雪と同じ気持ちだ。星々を見上げていると心が何だか軽くなる。目的の灯りはまだちっとも見えないけれど、先に進む元気が少し出た気がした。
星明かりに元気をもらって子供たちは少しばかり足取りを速め、時折提灯を斜めや横に突き出して道から外れていないことを確かめながらさらに進む。しかしなかなかあるはずの灯りは見えてこない。
「うーん、何にも見えないなぁ。提灯みたいな灯りがあるって言ってたのに」
「もう帰りたいかも~」
「ずっとまっくら!」
陸は暗いことは特にどうとも思っていないようだ。弟の肝の太さに感心しながら空が陸の方を見ると、なんと陸の頭に犬耳がニョキリと出ていることに気がついた。
「りく、みみどうしたの!?」
「え? あ、でちゃった? ほし、よくみたいなっておもったからかなぁ」
「みみがあると、よくみえるの?」
それは空も初耳だ。陸はうんと頷いて一瞬上を見たが、そんなことをしても自分の耳が見えるわけではないのですぐに視線をもどした。
「みみがでてると、とおくとかくらいとことか、よくみえるんだよ!」
犬の耳が出ていると陸の能力も高くなる、ということらしい。それはちょっと羨ましいなと空は思う。
「いいなぁ。陸の耳可愛いよねー。私もそういうのほしいなぁ」
小雪も空と同じく、少々羨ましいと思うらしい。
樹も頷きつつ、陸に声を掛けた。
「な、陸。遠くに光とか見えない?」
「んー……うーん、ほししかみえないよ?」
陸は道の先をじっと見つめて、首を傾げてそう言った。目が良くなったという陸に見えないのなら、先が思いやられる。
「えー、遠いのかな。っていうか、ホントにここってどこなんだろうな? 星以外真っ暗だけど何かあんまり怖い感じ、しなくない?」
「確かにもうあんまり怖い感じはしないけど……でも暗いってだけでなんかやなの!」
大物なのか危機感が薄いのかわからないことを言いながら、樹はあまり気にせずまた歩き出した。ブツブツと文句を言いつつ小雪もその隣を歩く。
確かに空も、思ったより周りの雰囲気が怖くないことを不思議に思っていた。何というか、周りの空気が温かいというか、雰囲気が軽いのだ。暗闇なのに軽いというのはおかしな表現かもしれないが、空はそう感じた。
(そうは言っても、どこまで歩けばいいのか、先が見えないのは嫌なんだけど!)
それでも、灯りが見えてくるという紗雪の言葉を信じて進むしかない。
そのまま何となく無言でしばらく歩いていると、空はふと何かが聞こえたような気がして顔を上げた。
葉ずれのような、さわさわとした音だ。しかし風は相変わらず頬に当たるかどうかというくらいの弱さで、周りの景色も変わらない。木があるのだろうかと上を見ても、星空を遮るようなものは何も見えなかった。
空は何となく意識をして周りの音に耳を澄ませた。
(……だ、もう……きか)
(……いこ……だ)
耳を澄ませていると、それは何だか段々人の声のように聞こえてくる気がした。空は思わず頭をぶるりと振ったが、音は消えるどころか少しずつはっきりしてくる。
「ね、ねぇりく、なんかきこえない?」
空がこそりと陸に聞くと、陸は耳を澄ましてから首を振った。
「きこえないよ?」
「そ、そう……」
空は怖々と周りを見回し、ゴクリと唾を飲み込む。
(――もう盆か)
突然どこからかはっきりとした声が聞こえて、空はビクリと肩を上げた。
「そら?」
「な、なんでもないよ!」
怖がらせるといけない、と空は首を横に振り、そして自分も何事もないかのように足を進める。少しばかり歩くのが速くなってしまいそうだが、それもどうにか堪えて素知らぬふりをした。
(そんな時期か……誰が帰る?)
(愛い子らだの。だが数が多い……誰の子だ?)
(さて、当代は誰だったか)
(幸生だったかね?)
何か誰かが喋ってるー!! と空は頭の中で一人叫んだ。
もうこれは絶対に気のせいじゃないだろう。しかし、聞こえているのは空だけのようで、兄弟たちの様子は変わらない。
(誰が行く?)
(会いたいな。わしは行こう)
(ああ、私も)
(俺も久々に行くか)
(やれ楽しみだね)
(さ、急げ急げ)
ぼそりぼそりと静かな会話は続いている。空はその辺りでようやく気がついた。
(これ……もしかして、ご先祖様!? え、怖……くないんだけど、何か謎で怖い!)
こんな風に先祖の声がはっきり聞こえるなど、空は想像もしていなかった。
迎えに行くというのも単純に、お墓にお参りして戻ってくる程度のことだと思っていたのだ。
(僕、幽霊とか見たことないんだけど……うう)
空は前世も含めて心霊現象には無縁だった記憶しかない。それはテレビや物語の中のもので、自分に関係があると思った事もなかったのだ。
「そら、どうかした? おといれ? それとも、フクちゃんたちにあいたくなっちゃった?」
空がどうにもそわそわしている雰囲気を感じ取り、陸が空の顔を覗きこんだ。フクちゃんたちに会いたくなったかと問われて、空はハッと我に返った。
「う、ううん、だいじょぶ!」
(そうだよ、フクちゃんとテルちゃんみたいなのだって沢山いるんだし……だ、大丈夫!)
神様や精霊が普通にいる世界なのだ。幽霊がいたところで全く不思議ではない。
ただ、もし現れるならせめて怖くない姿だといいなぁと空はそれだけを願った。