2-73:苔山登り
「皆、帽子被った? 草鞋の紐は大丈夫?」
「ヤナちゃんがむすんでくれたよー」
「だいじょーぶ!」
「ホピッ!」
紗雪の問いに玄関に並んだ空と陸が元気良く手を挙げる。空の肩の上ではフクちゃんも一緒になって返事をした。
雪乃はその横でナップサックの口を開けると、玄関先に転がしてあった巨大なスイカをぎゅっと詰め込んだ。
「ばあちゃんの魔法カバンいいなぁ。俺もそういうの欲しいな」
「私もー!」
大して大きくもないナップサックにスイカが魔法のように吸い込まれたのを見て、樹と小雪が羨ましそうな声を出す。
雪乃は子供たちの要望について少し考えたが、難しい顔で首を横に振った。
「東京だと、こういう魔法鞄は多分すぐダメになっちゃうと思うのよね。掛かっている魔法を支えるのに魔素が沢山必要だから」
「ちぇー、残念。そういうのって、どうやって魔素を足すの?」
「自然魔素が豊富な場所なら勝手に周囲の魔素を吸い込むようになっているのよ。魔素が少ない所へ持って行くと、持ち主が身に付けていればその魔力を吸うんですって」
持ち主の魔力が十分多いなら周りの魔素が少なくても魔法は維持できる。
しかしそれなりの量を必要とするので魔力が少ない人は大変だし、常に身に付けていなければいけないので邪魔なのだと雪乃は子供たちに説明してくれた。
「この村で使われている物は沢山入るから尚更ね。確か県城のある辺りなら、もっと容量が少なくて維持が楽なのが流通していたはずだけど」
「それなら、いつか皆でこの県に引っ越せたら買ってやれるかもしれませんね」
雪乃の言葉を側で聞いていた隆之がそう言って考え込む。いずれ来る引っ越しの際に魔法鞄があれば楽だろうな、と考えていたので気になったらしい。今はまだ隆之は移住のための様々な手続きや準備について調べている段階だ。
「そうね。そういえば、移住の目処は立ちそう?」
「まだまだです。今回は僕だけ一足先に帰りますが、そのついでに県城にある移住に関する窓口で相談してくるつもりです。それから具体的な計画を立てようかと」
「何か手伝えることがあったら何でも言ってちょうだいね。身元引受人とか推薦人が必要だったら任せてね」
「その時はお願いします」
移住の話が出ると、それを漏れ聞いている空はちょっとそわそわする。
転職や転校、引っ越しはどれも皆にとって一大事だから、すぐに決められるものではないとわかっている。けれど早く家族がもっと近くに引っ越してこれるといいなと、つい思ってしまうのだ。
とりあえず今日のところは、家族と一緒にコケモリ様に会いに行くのだし、と空はそんな気持ちを一先ず忘れることにして、肩に乗っているフクちゃんの方を見た。
「フクちゃん、きょうは、ぼくとかりくがつかれたら、よろしくね!」
「ホピッ、ホピピピピ!」
フクちゃんは空の言葉に任せておけとばかりに胸を張った。するとまだ朝も早いというのに、空の胸の守り袋がピカリと光る。そこからシュルリと姿を現したテルちゃんは、スタッと玄関の上がり框に降り立つと、パタパタと両手を振った。
「テルモ! テルモイッショニイクヨ!」
「あれ、テルちゃん、あさからおきるの、めずらしいね」
「ミンナ、テルガネテルトキニ、タノシイコトシテバッカリデ、ズルイヨ! テルモツイテク!」
テルちゃんはそう言って空の腹に飛びつくと、しっかりとしがみ付いた。
夏になって気温が上がってからというもの、空が外に出て野菜を採ったり散歩したりするのはまた早朝に変わっている。
家族が帰ってきてからも、暑い時間を避けて野菜を採ったりスイカを採りに行ったりしていたので、テルちゃんは寝ていたのだ。
午後からはテルちゃんも起きていたが、その頃には遊び疲れた子供たちは昼寝をしたり、おやつを食べたりと家の中でのんびりしていた。
テルちゃんはそれをつまらなく思っていたらしい。プンプンしながら空にしがみ付いて離れない。
「おいていかないよ、テルちゃん。ほら、ええと……ぼくだとあるきづらいから、じぃじにのせてもらう?」
テルちゃんは見た目の割に体重がとても軽いが、葉っぱの帽子などがちょっと幅を取るので空の肩や背中に乗られるとちょっと邪魔になってしまう。だが自分で歩けと言うには歩幅が小さいし可哀想で、空はそう提案してみた。
テルちゃんは空から顔を離し、玄関に立つ幸生を見て、それからその周りにいる家族全員をぐるりと見回した。
「ンー……パパニスルヨ!」
「えっ!?」
突然指名を受けた隆之が驚いて声を上げる。テルちゃんはパッと空から離れるとそんな隆之の前まで走り、そのズボンにパッと飛びついた。そして器用にひょいひょいとよじ登って、隆之の肩に乗っかった。
「なんで僕に? 空、そういうのいいの? 精霊って、離れても大丈夫なものなのかい!?」
テルちゃんにぐいぐいと乗られて、隆之は戸惑った顔で空を見た。
「パパハ、アツガヨワクテ、イゴコチイイヨ! セガタカイノモイイヨ!」
(アツ……圧かな? 確かに、じぃじとかは圧が強そう)
小さなテルちゃんにとっては高い場所というのは嬉しいらしい。さらに幸生と違って魔力量も少なく、何となく居心地が良いようだ。空はそう納得すると、隆之に笑顔を向けて頷いた。
「うん。ぱぱ、よろしく!」
「えっ、いいのかい? いや、テルちゃんは可愛いし、僕は構わないけど……体重も軽いんだね?」
「テルハ、リンゴイッコブンダヨ!」
「りんご一個分……」
テルちゃんは帽子の天辺まで入れると、四十センチくらいの大きさがある。それなのにりんご一個分なのか……と隆之は困惑した顔で考えた。
そんな一幕がありつつも、出かける準備が出来たので全員でぞろぞろと外に出る。
「気をつけて行ってくるのだぞ」
「ええ、留守番をお願いね」
「ヤナちゃん、いってきまーす!」
留守番のヤナに見送られ、一行はコケモリ様に会うべく、苔山に向かって歩き出した。子供たちや隆之の安全を考えて雪乃が先頭を歩いて引率し、幸生が皆を見守りながら一番後ろを行く。
「コケモリ様、皆で行ったらびっくりするかな」
「ちゃんと連絡しておいたから大丈夫よ」
「こころのじゅんび、できてるといいね!」
空は圧の強い夫婦に訪問されるコケモリ様のことを思い、少しばかり同情を感じつつ素知らぬ顔で歩いた。
皆でお出かけとあって隣にいる陸も、樹や小雪も楽しそうだ。
春と違って青々とした稲が並ぶ景色を物珍しそうに眺め、大きな蝉の声にうるさいと言い、遠くをバイクか自動車並みの速度で走って行く見知らぬ村人に目を丸くして。
「まさいむらって、やっぱりなんかすごいね!」
そう言って楽しそうに笑う陸を見ていると、空も何だか楽しくなって、つい同じように笑ってしまう。二人でスキップをするような足取りで歩いていると、陸がふと空に問いかけた。
「コケモリさまって、どんなかみさま?」
「え……し、ええと、それはあってからの、おたのしみ?」
椎茸だ、と言いそうになって、空はハッと言葉を止めて誤魔化した。あの椎茸そのままの姿を神様だと言って果たして信じてもらえるかどうか悩んだのと、内緒にしておいて皆の反応が見たかったという気持ちからだ。
「ないしょなの? じゃあ、たのしみにしてる!」
陸は不思議そうに首を傾げながらも、とりあえず気にしないことにしたようだ。
たとえ内緒にしておいても、初手で椎茸をむしられるような事はないだろう。多分。
遠足のような雰囲気で村の中を歩くことしばらく。やがて一行は村の北側の山裾へと辿り着き、そこから山の中へと続く細い道を登って行く。
山裾の林はやがて鬱蒼とした森になり、蝉の声がさらに大きくなった。うるさい、と子供たちが顔をしかめるので、雪乃が音を和らげる結界を張ってくれた。
「ねぇ、ばあちゃん……あそこに見えるの、ホントにセミ? なんか大きさがおかしくない?」
高い木の上で大きな声で鳴いている蝉を見上げ、樹が何度も首を傾げる。かなり高い場所で木にしがみ付いているのに、ものすごくはっきりその姿が見えるのだ。空は樹が訝しむ気持ちがとても良くわかった。
「おにいちゃん。このむらのせみって、おおきいのだと、おとなのねこくらいあるよ」
「え、猫!? 猫って……嘘だろ!」
残念ながら本当だ。当然その大きさならパワーもあるので、村の子供たちは大きな蝉が地面でひっくり返っていたら迂闊に近づかないようにと保育所できちんと教えられている。村の子供たちは丈夫だが、それでもぶつかられるとそれなりに痛いらしい。もちろん空は人一倍気をつけている。
「ちいさいのもいるけど、あそこにいるのは、たぶんねこくらいあるよ!」
大きさは種類によって色々と違うようでもっと小さい蝉もいるのだが、とりあえず今見えているアブラゼミに似た蝉は猫ぐらいあるのだ。
「うえぇ、俺、蝉は捕らないことにする……」
樹は嫌そうにそう言うと、足を速めて前を行く雪乃の後ろにピタリと付いた。誰の側が安全なのか、良くわかっているようだ。
巨大なカブトムシは捕ってみたいと言っていたのに、猫サイズの蝉は何故かだめらしい。
「私、虫いや! あんなおっきいの、飛んできたりしないよね? ね?」
「大丈夫よ。飛んで来たらママが叩き落としてあげるから」
小雪は嫌そうな表情で蝉を見ながら、隣を歩く紗雪の手をぎゅっと握る。その少し後ろを歩いていた隆之はといえば、信じられないような表情でしばらく蝉を見つめた後、紗雪との距離を少し詰めて歩き出した。
(良かった……蝉が嫌なの、僕だけじゃなくて)
猫サイズの蝉を未だ受け入れられていない空は、皆の反応にホッと胸を撫で下ろす。
しかし陸だけは大きな蝉をじっと見上げ、それからキラキラした瞳で空の方を向いた。
「そら、むしとりあみないの? あれ、とれない?」
「む、むしとりあみはないよ! ない!」
蟹やトウモロコシを獲った網の存在が空の脳裏を過ったが、アレは虫用ではない……ということにしておきたい。
ブンブンと首を横に振る空に、陸はちぇー、と残念そうに唇を尖らせたのだった。