19:祖父母の心
山菜取りからの帰り道。空は雪乃の背に揺られてウトウトとしていた。
途中までは頑張って歩いていたのだが、手を繋いでいた明良と結衣にカクリと寄り掛かりかけたので、雪乃がナップサックを前に回しておんぶすることにしたのだ。
あっという間に三歳相当の大きさに育ったとはいえ、空の体はまだ軽く雪乃にとっては負担でもなんでもない。背中で聞こえ始めた寝息に微笑みながら、雪乃は子供達に合わせてのんびりと歩く。
楽しそうな雪乃を隣で見上げていた明良が、おばちゃん、と声を掛けた。
「またそら、あそびにさそってもいい?」
「いいわよ。ぜひ誘ってあげて。私やおじさんが仕事で家にいないことも多いし、いつもヤナとしか遊んでないから」
雪乃がそう言うと明良は不思議そうに首を傾げた。
「そらの、とーちゃんとかかーちゃんは?」
明良の疑問に雪乃は少し考え、それから正直に話しておこうと決めて口を開いた。
「あのね、空は、ついこの前まで魔力が全然足りてない病気で体が大きくなれなくて、すごく小さくてひ弱だったの。それでその病気を治すためにお父さんやお母さんと離れて、空だけこの村に来たのよ」
「そうなの? かわいそう……」
結衣が足を止めて小さく呟いた。
「でもこの村に来てからやっと三歳の普通の子くらいになれたの。ただ、まだ体が本当に出来上がったわけじゃないから、この村の他の三歳くらいの子と比べたら多分すぐ疲れちゃうのよね」
「そっか……こごみ、やめとけば良かったかなぁ」
武志のすまなそうな言葉に、雪乃は首を横に振った。
「空も楽しかったみたいだからいいのよ。私がもう少し手を貸してあげれば良かったんだわ、きっと。だから武志くんも気にしないで、今日みたいな危なくない近いところで遊ぶ時は良かったらまた誘ってあげて」
「良いの? 大丈夫かなぁ」
村の子供達は皆面倒見がとても良い。何せ危険の多い村なので住民の結束は強く、子供のうちから助け合って生きることを教えられるからだ。大人が面倒を見てやれない時は近所の子供同士で集まって皆で遊ぶのがこの村では当たり前で、その中で大きい子供は小さい子達に様々な事を遊びを通して教えていく。
武志も、遊びも危険な事もそれを避ける方法も、兄貴分の大きい子達から順番に教わっている。明良や結衣は武志に多くを教わって来た。
だから自分より小さい新しい子が来たことを、明良や結衣はあれほど喜んだのだ。今度は自分たちが手を引いて面倒をみて、いろんな事を教えてやれる番が回って来たのだと。
「……空ね、双子の弟がいるのよ。武志くんくらいのお兄ちゃんも、明良くん達と同い年のお姉ちゃんもいるの。でも、体が弱くて兄弟ともほとんど一緒に遊べなかったみたいなのよね。だから、田舎に来たら友達が欲しい、一緒に外で遊びたいってずっと言ってたの」
「きょうだい、そんなにいるの? いっしょにすまないの?」
明良が聞くと、雪乃は悲しげに目を伏せて首を横に振った。
「空の兄弟は、皆普通の都会の子で……この村には住めないし、まだ遊びにも来れないの」
「そらちゃん……さみしいね」
「ええ。だから良かったら、空と友達になってあげて欲しいの。空が付いていけない遊びには誘わなくて良いから、たまにこうして遊んであげてくれないかしら。これから空もどんどん丈夫になるし、皆について行けるようにいつかはなると思うんだけどね」
雪乃の言葉に、武志も明良も結衣も、皆強く頷いた。
「じゃあ、俺空の兄貴になるよ! そんで、一緒に色々して遊ぶ!」
「おれも! おれもあにきがいい!」
「わたしはおねえちゃんがいいな。そらちゃんのおねえちゃん、どんなこかなぁ」
三人の返事に雪乃は嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「ありがとう。きっと空も喜ぶわ。空の姉は、小雪っていう子で、元気のいいところがきっと結衣ちゃんと気が合うわよ」
「ほんと? えへへ、じゃあやっぱりそらちゃんのおねえちゃんやる!」
子供達は雪乃の背中で眠る空を見てニコニコと笑う。
集落の子供は皆兄弟みたいなものだ。本人が眠っている間に、空にもこの村での兄弟ができたのだった。
「ただいま」
なるべく静かに玄関の戸を開け、小声でそう呟いて雪乃は家に入った。
背中の空はまだ眠ったままだ。子供達と別れの挨拶をしてもまだ目を覚まさなかったから、やはりかなり疲れていたのだろう。雪乃が廊下を歩いて行くとヤナが奥から顔を出した。
「おかえり……空は寝ておるのか? 布団敷こうか」
「お願いできる? だいぶよく寝てるみたい」
ヤナは夫婦と空がいっしょに使っている寝室に引っ込むと、子供用の布団をさっと出してきて敷いてくれた。
「ありがとう」
ヤナに手を貸してもらって空を布団に下ろし、上掛けをそっと掛ける。時計を見上げれば昼を少し過ぎた辺りで、目を覚ましたらお腹を空かせているだろうと雪乃はヤナに空を任せて台所へと向かった。台所に入ると幸生が冷蔵庫から作り置きのおかずを取り出しているところだった。
「おう、おかえり」
「ただいま。ごめんなさいね、遅くなって」
「構わん。お前も食べるだろう」
「ええ……そうね、空が寝てるうちに先に食べちゃいましょうか。あ、お櫃ちょうだい」
幸生から受け取ったお櫃の蓋を開け、雪乃はご飯に手を翳す。しばらくするとご飯からゆらりと湯気が立ち上り、まるで炊き立てのようにホカホカと温かくなった。それを茶碗についで幸生に渡す。
「はい、どうぞ」
「ああ」
二人で食卓につき、いただきますと言って食事を始めた。
作り置きばかりとはいえ、田舎の食卓は品数が多い。それなりに賑やかなおかずをご飯と一緒に口に運びながら、幸生がぽつりと呟いた。
「……どうだった、空は」
「とっても頑張ってたわ。でも、やっぱり大分無理してるみたい。まだ外に連れ出したのは早かったかもしれないわ……」
「そうか……辛そうなのか?」
幸生の少ない言葉に、雪乃は首を横に振った。
「辛いっていう感じじゃないんだけどね……楽しそうだった時もあったし。でも何ていうか、見ていると、空にはまだ田舎の色んな事全部が怖いみたいだってわかるのよ。でも歳のわりにすごく賢いから、ここじゃなきゃ自分は大きくなれない、生きていけないんだってきっと理解してる……だから、すごくすごく怖いのをずっと我慢してるみたいで、心配なの」
東京とここでは、様々な事が違うことを二人はもちろん理解している。
一攫千金を夢見て、都会のダンジョンで実力をつけてライセンスを取り、田舎にやってくる若者達がつまづくのも大体が同じところなのだ。
この田舎の自然や生き物が、都会のそれと違い過ぎて馴染めない。周りを取り巻く環境自体が自分の知る法則と大きく違う。それは都会の人間にとって想像以上に恐ろしい事らしいと幸生達も何度も見聞きしてきた。
けれどそれは二人には決してわからない感覚なのだ。この場所で生まれ育った幸生にも、雪乃にも、空が感じている困惑や恐怖は本当の意味ではわからない。二人にとっては意識にも上らないごく些細な日常の一欠片が空を戸惑わせているなどと、気づかなくてもそれは仕方の無いことだった。
「空はまだ小さいから大丈夫かと思ったんだけど、すごく賢い子なのが逆に良くないみたいで……可哀想で」
せめて空に前世のうっすらとした記憶がなく、まっさらの子供だったなら恐らくもっと素直に色々な事を受け止め、はしゃいだりできたのかも知れない。しかしながらそれは雪乃らの知るところではなかった。
幸生はしばらく黙っていたが、ゆっくりと首を横に振った。
「まだ、来たばかりだ。心配ばかりしても仕方ない。ゆっくり見守ってやれ」
「そうね……」
「どんな風に育つかもわからんのだ。恐れを克服してここに馴染むかもわからんし、強くなるかどうかも、その方向も……いずれ空が自分で決めねばならん。その時まで、わしらに出来るのは側にいて守ってやることだけだ」
「ヤナもそう思うぞ」
不意に台所の戸口から声がして、二人は振り向いた。
そこにはヤナが立っていて、そして笑っていた。
「らしくないな、雪乃。孫の面倒は初めてだからって、心配しすぎだ」
「ヤナ……やっぱりらしくないかしらね?」
雪乃がそう呟くとヤナは大きく頷いた。
「空はそんなに弱くないぞ。怖いことは多いようだが、それはまだ知らぬからだ。空はそれもちゃんとわかっていて、知らぬことを知ろうと毎日一生懸命だぞ。空はきっとこの村が好きになる。そう信じてやれ」
そう言ってヤナは幸生の側まで来ると手を伸ばしてその頭を撫でた。
「ヤナ……わしはもう子供じゃないぞ」
「知っておるとも。だが、幸生もヤナに育てられた米田の子よ。あの手のつけられない癇癪持ちだった子が、こんなに立派な大人になったのだ。空の未来など、今から誰がわかる?」
「そう、そうよね……まだ、ちっともわからないわね。空がいっぱい頑張ってるなら、見守って、応援してあげないとよね」
雪乃が顔を上げると、幸生もヤナも頷いた。
「紗雪がここを出て行ったことは、お前達にも辛かったからな。だが、空の未来はまだ真っ白だ。楽しみだな」
「うむ」
「ええ、本当に」
一人娘の紗雪が田舎を捨てた時、もう米田の家で子の面倒を見ることはないのかもしれないと、ヤナもまた一度は覚悟したのだ。けれどどういう運命か、こうしてここに戻ってくる子供がいてくれた。それは三人にとって本当に思いがけない喜びだった。
「だが差し当たってすぐわかる未来もあるぞ。空はあと少しで目を覚ます。おにぎりとか用意してやると良いと思うのだがな、雪乃」
「あら、大変。急いで作るわ。今日はいっぱい動いたけど、残りご飯で足りるかしら」
「足りなければ麺でも茹でたら良いぞ。空は麺も好きだ。今日取ってきた山菜はどうしたのだ?」
「リュックに入れたままだわ。夕飯に空にこごみを出してあげなきゃね。そうだ、ツクシのハカマも取らなくちゃ」
「手伝おう」
昼食の残りを慌てて掻き込んで、三人はパタパタと動き出す。
もうすぐ起きてくるお腹を空かせた孫のための準備は手間でもなんでもなく、ただただ嬉しく、とても楽しい。
それができればずっと続くよう、出来る限りのことをしようと誰もが考えていた。
連休向け連続投稿はこれにて一区切り。
楽しんで頂けてたら嬉しいです。
そういえば田舎の人が誰も訛ってないのは物語上の仕様です。
訛ってたら空はきっともっと馴染めないし仕方ない。