2-59:不思議な招待
おやつを食べ終わり、皆で庭にでも出ようかと話をしていると、ふとヤナが顔を上げた。
「……何か来たようだぞ」
「おきゃくさん?」
「ちと違うが……悪いものではないな。どれ」
ヤナはそう言うと立ち上がり、パタパタと玄関から出て行った。
皆はその後ろ姿を見送り、しばらくそのまま外には出ずに待つことにした。
「ウメちゃん、なんだろ?」
明良がウメに問うと、ウメはにこりと微笑んだ。
「多分アレだよぅ。この季節に来る、お楽しみのやつ!」
「あ、もしかして!」
明良は何か心当たりがあったらしく、パッと顔を輝かせる。空が首を傾げているとヤナが戻ってきて、皆に声を掛けた。
「皆、外に出るのだぞ。駄菓子屋の使いが来ておるぞ」
「やっぱり!」
「だがしやさん? やったぁ!」
「行こう!」
子供たちは大喜びで立ち上がり、我先にと玄関に向かって駆けだした。空が戸惑っていると、ウメがそんな空の手を引いて立ち上がらせる。
「さ、空くんも一緒に行こうよぅ。楽しいから!」
「うん!」
空は急いで玄関に行き、ウメに草鞋を履かせてもらって外に出た。
外では、門の傍に明良たちが集まり、何故か皆で下を向いている。不思議に思いながら空も近づくと、ヤナが手招きをしてくれた。
「ほら、空。これが駄菓子屋の使いなのだぞ」
ヤナにそう言われて、空は門の外を見る。そこにあったのは何とも不自然な、綺麗に丸い水たまりと、そこから顔を出す奇妙なものだった。
いつか空が落っこちたものよりも大きく丸い水たまりが、午後の日差しと青空を映して煌めく。
その端っこから、水まんじゅうに目を描いたようなそんな謎の生き物(?)が顔を出しているのだ。
空が目を丸くしてそれを見つめると、それも空に気付いてこちらをキョロリと向いた。
「初めまして、米田の坊ちゃん」
「は、はじめまして……ええと、そらです」
しゃべった! という驚きをどうにか内心で納め、空が頭を軽く下げるとその生き物ももにょりと頭を下げた。
「これはどうも、ご丁寧に」
スライムのような見た目なのに、言葉は流暢で丁寧だ。
空がそれにも驚いていると、その謎の生き物は水まんじゅうからにゅるっと手のようなものを伸ばして、その先にくっついた紙をスッと差し出した。
そこには可愛らしい文字で、『駄菓子屋 狐狸庵陀亜 開店のお知らせ』と書いてあった。
「今年も、駄菓子屋コリアンダーが開店致しております。どうぞ皆様ご一緒にお越しください」
「うむ。去年の今頃は、まだ空は連れて行けなかったからの。今年は良かろう。ちと待っておるのだぞ」
ヤナはそう言って頷くと傍にいたフクちゃんとテルちゃんをさっと掬い上げ、両手に抱えた。
「ホピッ!?」
「キャー」
ジタバタと暴れる一羽と一匹を連れて、ヤナは裏庭に向かって走って行く。
裏庭の畑では、幸生と雪乃が野菜に支柱を立てたり紐を張ったりといった作業をしている。しばらくしてヤナはまた駆け戻ってくると、空に笑顔で頷いた。
「空、行って良いそうだぞ。あそこなら危険はないし、ヤナも付いていくからの!」
「えっと……フクちゃんとテルちゃんは?」
「あれらは留守番だ。あそこは子供が大勢来ておるはずだから、連れて行ったらきっともみくちゃにされるのだぞ」
空には危険はないが、フクちゃんたちは危険なので留守番ということになったらしい。
「ウメも明良と行くよぅ」
「やったぁ! そら、いっしょにいこう!」
「おにいちゃん、わたしたちもいいよね?」
「うん、皆一緒だし、コリアンダーなら、もう何度も行ってるから大丈夫!」
皆は大喜びだが、空は一体どこに行くのかわからずちょっと戸惑いつつ、頷いた。そんな空をヤナが抱き上げ、大丈夫だと微笑む。
「駄菓子屋と言って、色々な菓子を売る楽しい店に行くのだ。危険はないのだぞ」
「ええ、ええ。危ないことはございません。さ、皆様どうぞこちらに」
行くことが決まると、水まんじゅうはぽよんと揺れながら皆を手招き、そしてぽちゃんと水たまりに吸い込まれるように消えてしまった。
「おれ、いちばんのり!」
明良はそう言って笑って門から駆けだし、水まんじゅうの後を追って水たまりに飛び込む。
「アキちゃんっ!?」
空は驚いて思わず叫んだが、明良の姿は水も跳ねさせず水たまりにスッと消えていった。そのすぐ後をウメが追い、同じように水たまりに消えていく。
「ほら、結衣」
「うん!」
武志は結衣に手を差し出すと、結衣は嬉しそうにその手をしっかりと握った。
「空、先行ってるな!」
「そらちゃん、こわくないよ!」
武志と結衣は並んで水たまりに足を進め、するりと沈んで消えて行く。
「わぁ……いっちゃった?」
「うむ。大丈夫だぞ。ここを潜ればすぐだ」
そう言ってヤナは空を抱いたまま、水たまりへと足を出した。そして二人もまた水たまりへと吸い込まれるように落ちてゆく。
空は水面が迫ってきた瞬間、反射的にきゅっと目を瞑った。しかし水に落ちたような感じはせず、薄い膜を潜ったような微かな感触だけが頬を撫でた。
「空、もう良いぞ」
優しいヤナの声にそう促され、空はパチリと目を開いた。
「ほら、ここが駄菓子屋だ」
「ここが……」
空の目の前には、これぞ駄菓子屋とでもいうような、良い感じに古びたお店があった。店先では明良たちや、それ以外にも何人もの子供たちがわいわいと楽しそうに騒いでいる。
空はそれをしばし眺めて、それから周りを見回し、ここが森の中である事に気がついた。ここにあるのは木漏れ日を浴びた店と、その周りを囲む木々だけだ。
コケモリ様の山に飛ばされたときのように、どうやら空たちはあの水たまりで、どこか遠い場所に移動したたらしい。
ヤナは空を下ろすと、その手を引いて店ののれんを潜った。
「邪魔するぞ」
「はい、いらっしゃい。おや、ヤナ殿、お久しゅう」
「うむ。久しいの」
ヤナが声を掛けると、店の中で子供たちの相手をしていた妙齢の女性が振り返って軽く頭を下げた。
着物に前掛け姿で長い髪を一つに結んだ、切れ長の目が美しい女性だ。ただし、その頭の天辺には三角の獣耳がぴょこりと立っている。女性はヤナと手を繋いだ空に目を留めるとにこりと微笑んだ。
「いらっしゃい、米田の坊ちゃん。お使いはちゃんと仕事をしたようですね」
「うむ。久方ぶりの招きだったぞ。この子は紗雪の子で、空というのだ」
「ええと……そ、そらです、はじめまして!」
彼女の頭の上の耳に心を奪われながらも、空はきちんと挨拶をした。
「初めまして、私は狐夜乃と申します。この駄菓子屋、狐狸庵陀亜の店主ですよ。ご来店、どうもありがとうございます」
狐夜乃は微笑むと、店に並んだ沢山の棚を手を広げて指し示した。
「さぁ、ここにあるのは全て、我ら狐狸族自慢の美味しく楽しい駄菓子です。ぜひ、お買い物を楽しんでいってくださいな」
棚には色々なものが所狭しと並んでいた。
色とりどりの大粒の飴が詰まった瓶、棒のようなお菓子が綺麗に並んだ箱、串に刺さっただんごのようなものから、袋に入った綿菓子や、平たい紙のようなお菓子もある。
お菓子以外にも、笛やメンコ、コマ、狐のお面、木製の刀や手裏剣のような玩具もあった。
空がそれを眺めていると狐夜乃は店にいた子供たちに呼ばれ、ぺこりと頭を下げてそちらに歩いて行った。
空はその背中を見送り、それから色々な物が溢れた空間を物珍しく眺める。そうしてしばらく考えてから、ヤナの着物の袖をくいと引っ張った。
「どうした、空?」
「ね、ヤナちゃん……さっきのおねえさん、きつねさん? ここって、きつねさんのおみせ?」
「うむ、そうだぞ。ここは狐族と狸族が昔から共同経営している店なのだ」
「きつねぞくとたぬきぞく……あのね、ばかされたりしない?」
空が小さな声でそう聞くと、後ろからブハッと吹き出す音がした。空が驚いて振り向くと、そこには人の良さそうな顔をした青年が一人立っていた。
狐夜乃と同じく着物に前掛けという古風な格好で、頭の上には茶色く丸い耳がぴょこりと生えている。見ただけでこちらは狸族と分かる姿だ。
「あっははは、ごめんよ。いやぁ、化かすなんて懐かしい言葉を聞いたもんだから、つい」
「うちの空はなかなか博識なのだぞ」
ヤナがそう言って胸を張ると、青年はうんうんと頷いて、しゃがみ込んで空に笑顔を向けた。
「いらっしゃい。僕はここのもう一人の店主で、狸緒だよ」
「そらです……あの、へんなこといって、ごめんなさい」
空がしょんぼりと謝ると、狸緒は首を横に振って空の頭を撫でた。
「気にしないで。昔はそういうこともあったから、人の間ではまだそう言い伝えられている地方も多いしねぇ。今はそんな事はないよ。この店の商品は、信頼と実績ある狐狸族の清潔な工場で大量生さ……いや、ええと、丁寧に手作りされているからね! どれも美味しくて面白いよ!」
何故言い直したのかが少々気になったが、狸緒はそれを誤魔化すかのように傍にあった箱のガラス蓋をサッと開け、中から丸いものを一つ取りだして空に見せた。
「例えばこれ! 妖精笛飴! 口で挟んで、ふーっと吹くと……」
妖精笛飴、というのは平たい円筒状の飴の真ん中に、丸い穴が空いたものだった。狸緒はそれを唇に挟み息を吹き込む。すると穴からピーッと甲高い音がして、それと同時に狸緒の周囲にチカチカと小さな光が現れた。
光は笛が鳴る度に少しずつ形がはっきりしてゆく。どれも色とりどりの丸い球状で、大きさは様々だがチカチカキラキラと瞬いている。
妖精というには形がはっきりしないが、それでもなかなか綺麗だった。きっと夜に見たらもっと綺麗だろう。
「どうかな、綺麗だろ?」
「うん!」
「これは吹くのを止めると消えるからね」
その言葉通り、狸緒が飴を口に放り込むと光は段々薄くなる。狸緒は頬を飴で膨らませながら、お菓子が並んだ平置きの箱の蓋を、トントンと叩いた。
「こういう面白いものがこの店には沢山あるんだ。魔力一回分で、お菓子なら五個まで買えるからね」
「え……おかねじゃないの?」
魔力一回分、と言う言葉に空は驚いて目を見開く。狸緒はそんな空に頷くと奥のレジ台のような場所まで歩き、その台に載っていた大きな瓶の蓋を開けた。
瓶の中には親指と人差し指で輪を作ったくらいの大きさのガラス玉のようなものが沢山入っている。狸緒はそれを一つ取り出すと、空のところに戻り、手の平に載せて見せた。
「これは仔守玉といって、魔力を入れられる道具だよ。この店は何でも魔力払いなんだ。この玉を指で摘まむと、君の魔力がちょっとだけ入る。これ一個分で、お菓子なら五個まで、玩具なら種類によって変わるかな。玩具一つとお菓子二つか三つっていう風に組み合わせてもいいよ。あ、空くんは今、何歳かな?」
「よんさいだよ!」
「じゃあ空くんから一日に受け取れる魔力は、この玉一個分までだね」
「空、試してみると良いのだぞ。その玉一個なら、空にとってはどうということもない量だ。おやつのどら焼き一口分になるかどうかだの」
「そんなちょっとなんだ……」
空はそれならばと安心して手を伸ばした。落とさないように玉を摘まみ、透明なその中を覗き込む。すると摘まんだ指先から少しだけ魔力が玉に流れたのがわかった。確かにその量は大したこともなく、空が保育所で動かした風車や鶴に使った程度のような気がした。
空の魔力が流れた玉は、キラキラと中に小さな光を灯す。
「わあ、ひかった!」
「うん、もういいよ。毎度あり!」
狸緒は魔力が入った玉を空から受け取ると、大切そうに別の瓶にしまい込んだ。
「さ、菓子でも玩具でも、何でも好きな物を選んでどうぞ! 何かわからない物は何でも聞いてね」
「うん!」