2-57:騒動の後始末
「だいぶ傷んだなぁ……」
善三は折れた竹を見上げてそう呟いた。
昼食後、竹林の後始末や点検のため、善三と息子たち、雪乃と美枝、泰造、そして怪異当番から良夫が残り、再び竹林に足を運んだ。
佳乃子はそろそろ家のことをしなければと家に帰り、千里と菫は村の警戒に当たるためまた詰め所に戻っている。空はお昼寝の時間なので、幸生と共に竹川家で場所を借りて留守番だ。
美枝がいるため竹林は至極大人しく静かだ。もっとも、なよ竹の姫に操られていた半分ほどは動く元気もない様子だった。栄養不足や過労、皆に襲いかかったことによって切られたり、折られたりしてしまった竹も多い。
善三はそんな竹を切なそうな顔でしばらく見上げ、それから鉈を取り出して傷んだ竹を根元に近い場所でカコンと切り揃えた。
そうしながら奥に進むと、竹林が姫によって集められ、そしてテルちゃんによって二つに分けられて道が出来た場所まで戻ってきた。
竹たちは元の場所に戻ろうとして力尽きたのか、中心はまだ密集しているし端の部分は中途半端な間隔で離れている。善三はそれを見てため息を一つ吐いた。
「善三さん、この辺は私が動かすわ」
美枝はそう言って前に出るとしゃがみ込み、地面にそっと両手の平をつけた。そしてそこからじわりと魔力を流す。
「さぁさ、皆、元気を分けてあげるから、もう少しだけ頑張ってちょうだい。こんなに固まってたら、息苦しくて枯れちゃうわ」
美枝の魔力が竹の根を通してゆっくりと広がり、竹たちが目を覚ましたようにガサリと枝葉を揺らす。
「端っこの子たちから順番に動いてね。ゆっくりでいいわ。自分がいた大体の場所に戻りましょうね」
優しい言葉に導かれ、ガサ、ガサガサ、と葉を揺らして、少しずつ竹が移動して行く。
「ありがてぇ。美枝さん、ここは頼んでいいか?」
「ええ、任せてちょうだい」
その場を美枝に任せ、善三は頭を下げて奥へと進んだ。
奥はもっとひどい有様だった。襲いかかられたので適当に切った竹や、姫に押されて折れた竹。そして溶けかけた姫の残骸が、山となって積もっている。
善三たちはまず、慎重に姫の残骸に近づいた。
「泰造、どうだ?」
「あー……多分、完全に死んでる、かな。詳細はこれから見るけど、大丈夫だと思いますよ」
泰造はそう言うと長い前髪を上げ、髪留めでパチンと留める。
細かく砕けた氷の破片は無数にあるが、泰造はその中でできるだけ大きめのものを選んでふわりと浮かせ、手元に引き寄せた。そして自分の目に、意識して魔力を流す。
「開け、『森羅万象』」
短く紡がれたのは、泰造が己の意識を切り替えるための言葉だ。能力や作った技に名を付けて定義したり呪文を設定するというのは、使いやすくする為によく行われる。泰造の場合はそれによって普段はあまり細かい事を見ないように掛けている制御が外れるのだ。
『なよ竹の姫(残骸):裸殻翼足類の一種。主に海中に生息し海を漂う生物だが、稀に他の生物に寄生する個体がおり、さらにごく稀にその宿主が捕食されることで陸上に移動することがある。寄生種の場合、宿主を比較的頻繁に変えるが、陸上では大規模な群体と地下茎を形成する竹などを好んで最終宿主とすることが多い。その場合はかなり巨大化することが知られている。歌に似た音波で宿主を操り、栄養を提供させ自身を守らせる――』
細かく見えた情報を、泰造はさらに精査する。必要な項目を探し、わかりにくい言葉をさらに検索していく。
残骸を見つめる泰造の瞳は不思議な色合いをしていた。本来の金茶色の中に様々な色の光が次々生まれては消えてゆくのだ。光を当てたプリズムのようにキラキラと煌めく瞳は、目の前のものを通り越し、どこか見知らぬ遠い場所を映しているかのように不思議な色をしている。
善三たちはそれを物珍しく眺めながら、結果が出るのを静かに待った。
「――大体わかりました。コイツは本来は海に住む、殻のない貝の一種みたいですね……元々は寄生種じゃないらしいです」
しばらくして泰造は残骸から顔を上げると、善三を見上げてそう告げた。
「海の……貝? これが? じゃあ何だって陸にいたんだ?」
「成長過程で稀に寄生種に変化した個体のうち、さらにごく稀に宿主を変えるうちに陸に運ばれるものがいるようで。多分、寄生してた魚が鳥に食われたとか、そういうのかと」
「そりゃあ……じゃあ、ものすごく運が悪かったってやつか」
そうとしか言えない事象に泰造は頷き、善三はため息を吐いた。
「突然変異で寄生種に変化したものは繁殖能力を失うそうです。だから、コイツは卵や子供は産んでいない。この破片も無害ですが、かなり栄養があるらしいからこの竹林に埋め戻したらいいかと」
泰造がそう言うと、善三は一転してホッとした表情を浮かべた。
「そうか……それは不幸中の幸いって奴だな。ありがとうな、泰造。本当に助かった」
そう言って善三は深々と頭を下げた。それに慌てたのは泰造の方だ。
「いや、あの、ほんと見ただけなんで……俺は他には何も大したことしてないし」
「馬鹿言え! お前が見つけてくれなきゃ本体がどれかわからず、結局残らず焼くか切り倒すしかなかったんだぞ! その後もちゃんとここで踏ん張ってくれたじゃねぇか! おまけに、卵がいないとか栄養があるとか、そんな事までちゃんと教えてくれて……これで竹林は、また安心して再生できる。全部お前のお陰だ」
「父さんの言う通りだ。本当に助かった。どうもありがとう」
「本当にありがとう」
正竹や芳竹にも深々と頭を下げられ、泰造はますますうろたえた。仕事で普段から査定や鑑定はしている泰造だが、それはあくまで仕事なので、誰かからこんなふうに頭を下げられる事など滅多になかったのだ。
「いや、何かほんと……その、役に立ったならそれで……」
もごもごと呟くと、傍で見ていた雪乃が微笑み、その背をポンと叩いた。
「頑張ったんだから、もっと胸を張っていいのよ。さ、そうとわかればこの氷が溶けきらないうちに周辺に分けて埋めちゃいましょ。皆で手分けして、穴を掘らないと」
雪乃の言葉に皆が頷き、竹の間に散ってゆく。雪乃は残骸を宙に持ち上げると、移動しやすいよう小分けにして、まとめてまたきちんと凍らせた。
善三の指示で地面のあちこちに穴が空けられ、そこに今度は小分けにした残骸が埋められていく。
泰造はついでに周囲の竹を点検しては、枯死してしまったものに紐で印を付けていった。それは後で切り倒すのだ。幸生が地面に打ち込んだ竹も引っこ抜けなかったので後回しだ。
「結構枯れたなぁ……」
善三は寂しそうに呟き、折れたり切られて散らばったりした竹は端にまとめておいた。これは乾燥させて、後でちゃんと何かに使うつもりだった。
やがて竹林はざっとではあるが、それなりに綺麗に整えられた。
最後に善三は、竹林を囲む塀を点検し、結界用竹簡の傷んだものを見つけ出し、新しいものと交換を済ませる。
「こんなもんか……後は様子を見て、美枝さんに少し魔力を注いでもらうか」
「それが良いわね。じゃあ、帰りましょうか」
全員でぞろぞろと入り口の方へと歩くと、美枝もちょうど竹を移動させ終えたところだった。
「あら、終わった?」
「ええ、大体ね。美枝ちゃんもお疲れ様」
「美枝さん、また少ししたら竹の様子を見に来てくれないか?」
「構わないわ。竹たちが元気を取り戻すには、もう少し手入れがいるでしょうし、お手伝いするわね」
「ああ、よろしく頼む」
やっと終わった騒動に一安心しながら、皆で帰路につく。泰造と良夫はその一番後ろを、何となく並んで歩いた。
まだ泰造は髪を上に上げたままで、その顔がよく見える。良夫は歩きながら、時折珍しそうにその横顔に視線を向けた。
「なんだよ、チラチラ見んな」
「いや……お前の顔久しぶりに見たと思って。お前ってそんな顔してたっけ?」
「んな変わってたまるか! 昔からこの顔だっての!」
「そうか? うーん……お前、髪切ったらモテそうだぞ」
あと、黙ってたら、という言葉を良夫はかろうじて呑み込んだ。
「うっせえの! この顔がモテるのは知ってるんだよ! そりゃもう何かすげー怖ぇ女達に群がられたんだからな!?」
泰造は以前少しだけ都会に行ったときに、自分の顔がモテるという事実を理解したのだ。しかしながら目を顕わにして歩くと視界に入る情報が多すぎて具合が悪くなってしまう。
それでもモテるために頑張ろうかと思ったこともあったが、結局それも泰造の望む形ではなかったので、諦めたという経験があった。
「怖い女……いやでも、お前モテたいとか言ってなかったっけ?」
「そりゃモテたいけど、何でもいいって訳じゃねぇだろ! お前にわかるか!? 俺の顔をべた褒めして胸を当ててくっついてくる美人が、現在進行形で四股掛けてるって見ただけでわかっちまう気持ちが!」
「……それはすげぇやだな」
それでこんなに捻くれたのか、と良夫は泰造に同情するような視線を向けた。しかし、ならばどういう相手にモテたいというのかは気になる。
「どういうのにモテたいんだ?」
魔砕村周辺の男女の出会い方はそう種類が多くない。幼馴染みや同級生だった、縁故を頼って紹介してもらった、近隣の祭りで出会った、などと大体相場が決まっている。
いっそ具体的な希望や好みのタイプがあるなら、こまめに知り合いに伝えておくと良いと言われているのだ。なので良夫も軽い気持ちで聞いてみたのだが。
「そりゃお前、決まってんだろ。俺がかっこいい忍者っぽい活躍して、それを認められて、素敵! とか言われたいわけで……いや言わせんなよ恥ずかしい!」
「……」
良夫はどこから突っ込んだらいいのかわからず沈黙を選んだ。
忍者っぽい活躍っていつするんだ、あとそれはそもそも人に知られずに行うものでは? と思ったが、言うのも面倒くさい。
「……つまりお前は、やっぱり面倒くさい奴なんだな」
「はぁ!? どこがだよ!」
そこだけ自覚がない男がモテる日は遠そうだ、と良夫はため息を吐いて天を仰ぐ。
竹林の隙間から覗く青空は少しばかり狭く、けれど緑との対比が美しい。さわさわと風に踊る竹の葉の葉ずれの音が、ようやく帰ってきた平穏を歓迎しているように竹林に響いていた。