2-23:迷子のご案内
布団を被ったままじっとしていた陸は、いつの間にか寝てしまったらしい。
しばらく眠って目が覚めた陸は、布団の隙間からそっと顔を出した。
時間は結構経っているようで、周囲に雪乃や紗雪はいなかった。その代わりすぐ隣を見て陸は目を見開いた。
陸の隣には空が布団を敷いて眠っていた。空は昼寝の時間を陸の隣で過ごすことにしたのだ。
すぅすぅと小さな寝息が聞こえて、それを聞いた陸はまた出そうになった涙をギュッと堪えた。
「そら……」
小さく呟いて俯くと、不意にその視界に緑色のものがぴょこりと割り込んだ。
小さな葉っぱが付いた緑の帽子を被った妖精のような――テルちゃんだった。テルちゃんはいつの間にか起きてきて、眠る二人の周りをうろうろしていたらしい。
テルちゃんはとことこと近寄ってきて、ぎゅっと顰めたままの陸の顔を覗き込むと可愛い声で話しかけた。
「リク、リク、マヨッテル?」
陸はその言葉の意味がわからず、きょとんと目を見開く。
「リク、マイゴ?」
「……ぼく、まいごじゃないよ?」
家にいるのに迷子だなんて、と陸はちょっと唇を尖らせた。
しかしテルちゃんは悪びれず、体を捻るように首を傾げた。
「デモ、リク、マイゴ。リクノココロ、マヨッテル」
「こころ……? こころがまいごって、どういうの?」
「リク、ココログチャグチャ。ココニイタイノニミチガナイ。マヨッテルノ、チガウ?」
陸は言われた言葉についてゆっくりと考えて、それからうん、と頷いた。
確かに陸の心の中は、色々な思いをため込んでもうぐちゃぐちゃなのだ。少しでも外に吐き出せれば良いのだろうが、幼い陸はまだそれらを表現するだけの言葉を持っていない。
空と再会できた喜びや、一緒に遊ぶ楽しさがその心の多くを占めているのは間違いない。けれど一緒にいればいるほど、色んな事が少しずつ気になってしまう。
同じ物を食べられないこと。フクちゃんやテルちゃんという、陸の知らない存在が傍にいること。
ここで出来た友達や幸生の友人たちに空が構われ、可愛がられていること。
ずっと一緒だったはずの空の周りには陸が知らない色んな事が増えていて、それが陸の中に少しずつ寂しさや不安になって降り積もる。
保育園も小学校も一緒に行くことが出来ないのだと思うと、陸は地面に転がって嫌だと駄々をこねたい気持ちになるのだ。
けれど、東京にいた頃のように元気のない、痩せて小さいままの空をもう見たくない気持ちも確かにあって。
「ぼくも、ここにいたいのに……そらといっしょに、いたいのに」
同じ物を食べたなら少しは近くなるだろうかと思ったけれど、それは陸のお腹を痛くしただけだった。
それが悔しくて、そして空にまで否定された事が悲しくて、けれどこうして隣にいてくれる事が嬉しい。
陸は涙が零れないように必死で顔に力を入れた。するとテルちゃんが小さな手を伸ばし、俯く陸の膝をポンポンと叩いた。
「テル、マイゴミチビク、トクイ! リクニミチ、ミツケル!」
「みち……そんなの、あるの?」
「アル! カモ?」
テルちゃんはきゅっと体を捻って傾げると、ぴょんと布団から飛び降りて陸の傍でくるりと回った。
「テル、シッテル! ヒトモ、キノエダイッパイモッテル。ソノサキ、キットイキタイトコ、ツナガッテル!」
そう言ってテルちゃんはくるりくるりと踊るように回る。やがてその体が少しずつ光を帯びて、陸は布団から出てテルちゃんを不思議そうに見つめた。
テルちゃんはチカチカと明滅を繰り返し、そして急にピタリと動きを止めると、ぴょんと跳ねて陸の胸に飛び込んだ。
「わっ!?」
「ミチ、ミニイク!」
「えっ、え、ええ?」
次の瞬間、テルちゃんは一際強い光を発し、その白い光は陸の体も諸共に呑み込む。
そしてその光が消えた後には、陸の姿もテルちゃんの姿もなくなっていたのだった。
ちょうどその頃。
南地区の外れにある田亀家では、田亀が客を迎えたところだった。
「お邪魔するよ」
「お、猫宮ちゃん。いらっしゃい」
獣舎で動物の様子を見ていた田亀を訪ねてきたのは、村で冬を越している猫たちの長老、猫又の猫宮だった。今日もフクフクとした毛並みが美しい。猫宮は田亀の傍まで歩いてくると、行儀良くちょこんと座り込んだ。
「どうしたんだい? あ、猫たちもそろそろ帰るのかな」
「そうなんだよ。まぁもう何日かはいるけれど、今のうちに挨拶をと思ってね」
猫宮はこの冬を矢田家で過ごしたが、矢田家では家守のウメが復活したのでもう守りは必要無い。それでも春までゆっくりしていってと言われたのでそのままのんびり過ごしていたが、そろそろ猫たちも山に帰る時期が近づいていた。
田亀の獣舎では、人間の傍をあまり好まない猫が何匹か世話になっていた。その様子見も兼ねて猫宮は挨拶に来たのだ。
「今年の冬はどうだった?」
「いつも通りだよ。まあまあ良い冬だったんじゃないかね?」
「なら良かった。猫居村の小屋の様子は後で見に行ってくるよ」
「いつも悪いねぇ」
猫居村には猫たちが雨風をしのぐための小屋が幾つも建っている。その手入れは村の人間が手分けして行っているのだ。
猫宮のような年経た猫は、魔法でそれなりに何でもこなすが、建物の修復などの大がかりな事は人間の手を借りた方が断然効率が良い。
山での案内や珍しい山の幸などと引き換えに、猫たちは時折そうした手伝いを人間に依頼していた。
「そういや、そろそろ村の若いのも連れてっていいかな? 小屋の修理とか周囲の点検とか、若いのにも憶えてもらわないと」
「あんまりうるさくないのなら構わないよ。ここの跡継ぎでも決めたのかい?」
猫宮の問いに田亀は困ったように笑い、首を横に振った。
「いや、そういうんじゃないよ。それとは無関係さ。うちの跡継ぎはなぁ……魔狩村に親戚はいるんだが」
「跡継ぎにはならないのかい?」
「魔狩のはあっちに移ってもう結構になるからな。魔砕で暮らして、山にも入るってのはちと荷が重いって言ってなぁ」
「そうかい……残念だねぇ」
田亀に子供でもいれば、と猫宮は口には出さなかった。長い付き合いで、田亀の事情ももちろん知っているからだ。
「俺の後は、うちの村で継いでもいいって子がいないかのんびり探してみるつもりだよ。俺も引退するにはまだ大分早いからな」
「そうだね。それが良いさね」
そう言って二人で頷き合った時、ふと猫宮はその細いヒゲをぴくりと震わせた。
すっと立ち上がり、きょろりと辺りを見回して半歩下がる。
「どうしたね?」
その声には応えず、猫宮は宙の一点を見つめる。
何かが来る、と身構えた次の瞬間、空気が音を立てて揺れ、パッと白い光が弾けた。
「ニャッ!」
「うわ、何だっ!?」
強い光に目が眩み、二人は声を上げつつも反射的に身を低くして構える。
しかしその光はわずかな時間で消え失せた。二人は目に残った残像を消そうと瞬きをしながら光った場所を見て、そして目を見開いた。
光が消えた場所にいたのは、緑色の丸っこいものを胸に抱いた、パジャマ姿で裸足の子供だった。
遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。