2-16:気ままな子供たち
昨晩、子供たちが寝静まった後、紗雪と隆之は居間で雪乃たちから空がこの一年どんな風に過ごしていたのかを詳しく聞いたのだ。
体が成長し、友達ができた事。未知の草や野菜に怯えながらも食欲を支えに慣れていったこと。カブトムシに攫われかけ、フクちゃんという友を得たこと。コケモリ様の森に連れ去られ、村の子供として加護をいただいたこと。トンボが村に襲来したこと……。
そして、ナリソコネに攫われた友達を助けに、山まで一人で行ってしまったことも。
「……ごめんなさいね。空を、危険な目に合わせてしまって」
「すまなかった」
「すまなかった、紗雪。ヤナがもっと気をつけるべきだったのだぞ」
そう言って頭を下げる両親に、紗雪は首を横に振った。
「謝らないで、父さん母さん……ここがそういう場所だってわかっていて、それでも縋る思いで預けたのは私たちだもの……」
「ええ。危険な所だと覚悟して、それでも空が育つ事に願いを託したんです」
そうは言いつつも紗雪たちの顔色は暗かった。空はもっと大人しい子供だという認識しか持っていなかった二人にとって、たった一年の間に自分から外に飛び出すほどに育ったことが嬉しくもあり恐ろしくもあるのだ。
ここで育てばやがては強くなる、という希望もあるが、その前に何かあったらという不安もやはり湧いてしまう。
「……何だか、意外でした。空が自分からそんな風に行動するなんて」
「本当ね。空にそんな自主性があったなんて……」
紗雪たちの驚きに、雪乃たちは顔を見合わせた。確かに魔砕村に来た当初の空は臆病で消極的な子供だった。けれど、それが変わって行くのもあっという間だったのだ。
「体が元気になったし、友達が出来たから変わったのかもしれないわね」
「うむ。それに空は我らが思うよりずっと賢いようなのだぞ。フクがいるから山にまで行けると判断し、子供ながらにちゃんと出来るだけの準備して行ったのだ。幸生が与えた草鞋の守りや、コケモリ様のこともちゃんと頭に入れていたようだしの」
「うん……私たち、空は大人しい子だと思いすぎていたのかも。きっと本当は陸と同じで、とても元気な子だったのね」
魔力が足りず体が成長出来なかったせいで本来の性格が発揮できなかったのだとしたら、きっと苦しかったことだろうと紗雪と隆之は肩を落とす。
実際の空は前世から田舎に憧れるだけの生粋のインドア派だったので、親の認識はそう間違っていないのだが、残念ながらそれは二人の知るところではなかった。
魔砕村に馴染むうちに散歩や外遊びも好きになったので、もうインドア派ではないかもしれないが。
「そうね。そういう事をもっと私たちも考えて、空が危ないことに巻き込まれないよう気をつけていくわ」
「うむ」
「空も保育所に行けば、きっともっと強くなるのだぞ。あまり心配するな」
ヤナの言葉に紗雪は村の保育所を思い出して頷いた。
紗雪が幼い頃はまだただの託児所のような場所だったが、村の第一線を引退したような老人たちがしょっちゅう遊びに来て、子供たちに色々な技術の基礎を教えてくれたのだ。
通っていた頃はただ楽しいとしか思わなかったが、ある程度大きくなると、あそこで学んだのは大事な事ばかりだったと後から気付いたものだ。
空もきっとそんな経験をするに違いない。そうすれば、きっともっと強く逞しくなるはずだ。
「そうね……それならきっと大丈夫ね」
紗雪はそう考え小さく呟いたが、それでもまだ心のどこかに小さな不安を抱えたまま、夜を明かした。
けれど今、空はこうして青空の下で兄弟たちと笑顔で駆け回っている。それを見ていると紗雪は自分が抱いた不安が薄れていくような気がした。
「見ろ、紗雪。空はもうすっかり元気なのだぞ。ここにいれば、ああやって体も心ももっと丈夫になるのだぞ」
「そうね……やっぱり、空にはこの土地が合ってるのね。寂しいけど、こうして会いに来れるものね」
「うん。空が元気に過ごしてるのが一番大事だから、仕方ないな……」
かつての空は子供らしく大きな声ではしゃぐなどという事とは無縁だった。ちょっと息を大きく吸えばすぐに咳き込み、それが止まらなくなればやがて熱を出して寝込んでしまうような子供だったのだ。
「ぱぱ、まま! ほら、きれいないし!」
見つけた身化石を両手で持って走ってきた空は、大きな声でそう言って笑う。
「はい、あげる!」
手にした石を隆之と紗雪の手に一つずつ置いて、空はまた庭を駆けて行く。
「走るのも以前よりずっと得意になったのだぞ。本人は体力などが村の子より幾分か劣るのを気にしておるようだが、ちゃんと日々成長しておる。だから、安心して良いぞ」
「ええ。ありがとうヤナちゃん」
「本当にありがとうございます」
「礼などいらんのだぞ。空が来てこの家が久しぶりに賑やかになって、こっちはむしろ喜んでいるのだからな。紗雪らはこうして、子供たちの絆が切れぬよう努力をしてやればそれでいい」
「そうね……そうするわ」
「ええ、必ず」
ヤナの言葉に二人は力強く頷き、こうして定期的に空に会いに来ることが出来るよう、それぞれに努力をしようと決意を新たにした。
大人たちが見守る先では、畑に近づきすぎた樹が謎の菜っ葉に足を絡め取られて転び、それを空が慌てて救出しようとしている。
「うわ、何だこれ! 何で絡んでるんだよ!?」
自分の足に絡みつく菜っ葉を解きながら、樹は不思議そうに首を傾げた。空はそれに頷き、まだ絡んでいる葉っぱをぺしりと軽く叩く。
「おにいちゃんひっぱっちゃだめ!」
空にメッと叱られて、葉っぱがシオシオと樹の足を離した。
「……この葉っぱ、今一人で動いたよな?」
「これね、ひまだといたずらするって、じぃじがいってたよ」
「いたずら……?」
樹がその言葉に混乱しているところに、今度は小雪がやって来て手に持った何かを空に見せた。
「ね、そら。これもみけいし? なんかまっくろくてまんまるなの」
空が振り返って小雪の方を見ると、手の上には五センチくらいの大きさの黒い球が載っている。
「あ、それはだ」
と空が口を開いた瞬間、黒い球がパカリと真ん中から割れ、細い触角と何本もの足がちらりと現れた。
「っ!? キ、キャアァァ! なにこれイヤー!!」
「……んごむし、ああ……」
空の言葉が届くより早く、小雪は手にしたダンゴムシを慌てて遠くに投げ捨てた。ダンゴムシはポーンと勢い良く飛んでいって、近くの塀に当たってカコンと硬質な音を立てて跳ね返った。
魔砕村のダンゴムシは小さいものから大きいものまで色々いて、この家や周辺にいるのは一センチから五センチくらいまでの小さなものが多い。山奥に行くともっと巨大なものもいるらしいが、空は幸いまだ見たことがない。
魔砕村周辺のダンゴムシは危険を感じると丸まって灰色の石になる。その状態だとものすごく硬く、投げられても踏まれても全然平気らしい。
なので、小雪に投げ捨てられて塀に当たったくらいなら、ダンゴムシたちは気にしない。
ポンポンと弾んで地に落ちたダンゴムシはしばらく丸まったまま転がっていたが、やがてパカリと体を開いてそそくさと草陰に逃げて行った。
小雪は嫌そうに手をハンカチで拭き、樹と陸はぽかんとダンゴムシが消えていくのを見送った。そしてハッと気がつくと空に駆け寄る。
「空、何あれほんとにダンゴムシ!? すっげぇでかかった! 俺も探したいんだけどかんだりする?」
「そら! そら、りくもあれさがしてみたい!」
「え、えっと、あれはそのへんにいっぱいいるし、かまないし、いじめなきゃだいじょうぶだよ」
初めて空がダンゴムシを見た時はその大きさを不気味に思ったのだが、樹と陸はそうは思わないらしい。
空は、それならここは一つ自分がかっこいいところを見せようと、むんと気合いを入れ口を開いた。
「だんごむしさん、しゅうごー!」
両手を口の脇に添え、大きな声で庭に向かって呼びかける。
するとしばらくしてから、カサコソとそこかしこで小さな音が聞こえ始めた。
「やだぁ、私見ないから!」
何が起こるかを察した小雪が一目散に逃げ出し、庭の入り口辺りにいた両親たちのところに駆けて行く。
小雪が離れた途端、草むらや木の陰、畑の作物の合間からごそごそと大小様々なダンゴムシが現れた。
「うっわ、いっぱい来た! すげぇ!」
「すごいすごい! そらがよんだの!?」
「ここのだんごむしさんたちはかしこいから、よぶとくるよ」
呼ばなくても遊んでほしくて、時々空の前に姿を現す事があるくらいだ。
足元に集まってきたダンゴムシたちの前でしゃがみこみ、空はそのうちの一匹を指先でつんと突いた。するとダンゴムシはくるりと丸まり、ころころと転がって行く。
しばらく転がったのち、またパカリと開いて空の方に歩いてくる。
「だんごむしさんたち、こうやってころがしてもらうのすきなんだよ。りくもやさしくつついてみて」
「うん!」
「面白そう! 俺もやる!」
陸と樹もその場にしゃがみ込み、這い寄るダンゴムシたちをツンツンと次々突いた。
その度にダンゴムシたちはころころと転がっては、また戻ってくる。キャーキャーと嬉しそうな可愛い声が聞こえそうな姿だと慣れた空は思うのだが、それを遠くから見ていた小雪は嫌そうにぶるぶると頭を振った。
「いっぱいいすぎ! 何かイヤー!」
その気持ちは空にもわかる。
慣れるまでは空も遠巻きにし、近づきたい気分にはならなかったものだと懐かしく思う。
そう考えると自分もかなりここに馴染んだのだな、と空はちょっと嬉しい気持ちになった。
「どれが遠くまで転がるか試したい!」
「もっとおおきいこ、いないのかな?」
樹と陸の方が馴染むのが早い、という現実はひとまず見ないフリをして、空は二人に微笑んだ。
石を集めていたかと思えば今度はダンゴムシを転がし始め、集めた石はその辺に小山にされて忘れられている。
そんな気まぐれな子供たちを、ヤナと大人たちは目を細めて眺めていたのだった。