2-12:待ちわびた時
長い一日がようやく過ぎた、次の日の朝。
空は起き抜けに縁側の窓から外を見て天気を確かめ、大きなあくびを一つこぼした。服はまだパジャマのままだし、朝の光が眩しい以外の理由で目も半分閉じている。
ぼんやり廊下に立ち尽くしていると、そこにヤナがパタパタとやって来た。
「空、もう起きたのか? まだ早いぞ?」
「ん……ヤナちゃん、おはよ……なんか、あんまりねむれなくて」
そういう割には顔はとても眠そうだ。
ヤナはその顔を覗き込み、動きの鈍い体をひょいと抱き上げた。
「まだ眠いのであろ? 昨日はよく眠れなかったか?」
「うん……たのしみで、どきどきして……おきちゃった」
抱っこされてゆらゆらと揺すられると、空の口からまたあくびが零れる。
ヤナはそのまま空をまた寝室に運び、渋る空を布団に寝かせるとトントンと優しく胸を叩いた。
フクちゃんもやってきて、空の耳元でピ、ピ、と規則正しく小さな声で鳴いている。
「紗雪たちが来るのは昼頃だ。もう少し寝ると良い。まだ朝食にも早いのだぞ」
「でも……じゅんびとか」
「昨日のうちに幸生たちがちゃんと済ませておるぞ」
そもそも空に出来る準備など特にないのだが、それでも何かしていないと落ち着かないのだ。
「空に出来る準備は、よく寝てゆっくり休んで、久方ぶりに会う兄弟たちと元気に遊ぶことだぞ?」
「そっかぁ……うん……」
もにょもにょ言いながら空はことんと眠りに落ちた。すーすーと穏やかな寝息が聞こえてくる。
ヤナはその様子をしばらく眺めたあと、枕元にちょこんと座るフクちゃんに後を頼んで台所へと向かった。
「ヤナ、空はどうしたの?」
ヤナが台所に入ると、雪乃が振り返って問いかけた。さっきまで二人で朝食の支度などをしていたのだが、空が起きたことにヤナが気付き様子を見に行ったのだ。
「まだ眠そうだったので寝かしつけてきたのだぞ」
「起きる時間には早いものね。目が覚めたのかしら」
「家族が来るのが楽しみで、あまり良く眠れなかったようだ。大あくびを何度もしていたぞ」
その言葉に雪乃は納得して、ふふ、と嬉しそうに笑う。
「気持ちはわかるわ。私もとっても楽しみだもの」
「ヤナもだぞ!」
「幸生さんもね、昨日はよく寝られなくて、いつもよりずっと早く起きて周辺の見回りに行ったのよ」
「そういえば、幸生も随分早起きだったな。皆一緒か」
「ええ」
雪乃もヤナも、ここ数日は普段使っていない二階の部屋を掃除したり、客用の布団を干したりと忙しくしてきた。
幸生もこまめに家の周辺を見回って、危険な植物の一本も見逃さないように安全点検をしていた。
誰もが、紗雪たちが来るのを心待ちにしている。
「朝ご飯、少し遅くしようかしらね」
「そうだな。もう少し空を寝かせておこう」
今朝は大きな釜いっぱいにご飯を炊いたのだが、二人は炊きたての米を手早くおにぎりにし始めた。朝食用のご飯は別にして、おにぎりは紗雪たちを迎えてからの昼ご飯にする予定なのだ。
「皆、どのくらい食べるかしら?」
「空ほどは食べぬだろうと思うが……後で大鍋をもう一つ出しておくか?」
今日から人数が増えるからと、昨日倉から出してきた大鍋や大釜が台所で存在を主張している。
お昼の汁物は豚汁にしよう、と準備にも余念がない。
「楽しみすぎて、作り過ぎちゃいそうね」
「そうしたら、きっと空が食べるのだぞ!」
やがて山ほどのおにぎりが食卓にずらりと並び、お腹が空いたと空が起き出すまで、二人のお喋りと料理は楽しく続いたのだった。
そして、昼の少し前。
空は幸生と雪乃に連れられてバスに乗り、隣の魔狩村の外れにある駅に来ていた。
最寄りの小さな駅は無人で、電車に乗る時はあらかじめ役場で切符を買う方式だ。なので駅舎も改札も通り抜けは自由で、客人を迎えに来た者はホームに入っても良い事になっている。
空は駅に着いてからずっと落ち着かず、ホームと駅舎、そして駅前で待ってくれているキヨと田亀のところを行ったり来たりしていた。
「まだかなぁ……」
「もうすぐよ」
このやり取りももう飽きるほどしている。空は心を落ち着かせようとキヨの所までまた走ると、その大きな顔をさりさりと撫でた。
「ピ、ピピピ!」
フクちゃんが空の首元で自分も撫でろと自己主張を繰り返すくらいには、もうかなり何回もキヨを撫でているのだが、空はちっとも落ち着かなかった。
「空くん、楽しみすぎて気もそぞろって感じだな」
「うん……ごめんねキヨちゃん」
空がそう言うと、キヨはグルルと低い声で鳴いた。
「気にしてないってよ」
「ありがとう、たがめさん……」
空は田亀とキヨに礼を言い、振り向いてまた駅舎に向かって歩き出す。フクちゃんを撫でても、キヨちゃんを撫でても、空の気分は落ち着かないままだ。
(皆……変わってたりするのかなぁ)
父である隆之や、母の紗雪は一年くらいでは変わったりしないだろう。けれど兄弟たちはどうかわからない。
空は時折鏡を見て自分の伸びた背を確かめては、今の陸もこんなだろうかと考えてきた。
ならば兄の樹や、姉の小雪はどうだろう。
(一年って……長いなぁ)
魔砕村は何もかもが驚きに満ち、空がここで過ごした時間はあっという間だった気がする。
けれどこうして家族の姿を思い浮かべてみると、当然ながら一年前に別れた姿しか思い出せないし、気付けばそれも何だかおぼろげなのだ。今の皆がどんな風に成長しているのか、空には想像がつかなかった。
早く皆の姿が見たいと思いながら、空はとぼとぼと駅舎の中を歩く。すると、不意にホームから名を呼ばれ、空はパッと顔を上げた。
「空、来たわよ!」
「ほんとっ!?」
空はタッと走り出し、急いでホームにいる幸生たちのところへ走った。
「ほら、見えたわ!」
「わっ、ほんとだ……! ままたち、あれにのってる!?」
「ええ、きっと。さ、ちょっと下がって待ちましょうね」
まだ遠い列車を見ようとピョンピョン跳ねる空を捕まえ、雪乃はホームから少し下がった。
空は少しずつ近づいてくる列車を食い入るように見つめている。
列車は、空がここに来たときに乗ったのと同じ装甲列車だ。そのせいか空が知る前世の電車よりも速度は遅いように見え、列車がホームに入ってくるまでの時間が空にはひどく長く感じた。
やがて列車は静かにホームに滑り込んだ。
以前乗った時は気付かなかったが、魔力機関で動く列車は、止まる時にもほとんど音が立たないのだ。空はそれにようやく気付いたが、今は驚くどころではない。さっきから、自分の鼓動のほうがうるさくて仕方がないのだ。
雪乃に下ろされ、空は少し離れた場所から列車の扉が開くのを固唾を呑んで見守った。
プシュ、と小さな音がして、扉がゆっくりと開く。その途端、そこから小さな影が一つ飛び出した。
「そらっ!!」
「あ……りく!」
誰よりも早くホームに降り立ったのは、弟の陸だった。ずっとずっと会いたかった姿を見て、空も思わず駆け出した。
「陸、待ってったら!」
後から慌てて紗雪が顔を出したが、二人共もはやお互いしか見ていない。
空と陸はお互いが出せる最高速度で真っ直ぐ駆け寄り――そして正面からゴチンとぶつかった。
「うひゃっ!?」
「わきゃっ!!」
そっくり同じ声の悲鳴は、どちらが上げたものだったのか。
以前よりずっと力も強くなり、足も速くなった二人は真正面からぶつかり、尻餅をついて後ろにころりと転がった。ちなみにフクちゃんは駆け出した空に置いて行かれて肩から落っこち、慌てて飛んで地面に下りていた。
「いったたた……」
「うう、いたぁい、そらぁ」
「二人共、大丈夫!?」
慌てて雪乃と紗雪が駆け寄り、転がった二人をそれぞれに起こす。空と陸は赤くなった額を抑えながら起き上がり、そしてやっと間近で顔を合わせた。
「そら……そらだ!」
「りくだ! りく、あいたかった!」
二人は少しだけ髪の長さが違うだけで、他はそっくり同じに見えた。背丈も、体つきも、頬の丸さも。もう空は陸の弟のようには到底見えない。どこから見ても、二人は双子にしか見えなくなっていた。
「そら……ぼくと、おんなじになった?」
「うん! ぼく、げんきになって、りくとおなじに、おっきくなったよ!」
「げんき……よか、った、そら、も、しんじゃわない……う、ふえぇぇ……」
「……りく、りくぅ……うぅうぇぇぇん!」
陸は空が元気になったという手紙を読んでもらっても、心のどこかでずっと心配していたのだろう。保育園で死んでしまったウサギのように、空がいつか冷たく動かなくなってしまったらという不安が陸の心の奥底にあったのだ。
顔を合わせて、その姿を見て、やっとその不安が涙と共に溶けて消えてゆく。
泣き出した陸に釣られて、空も声を上げてボロボロと涙をこぼした。
同じ姿で、同じ顔で泣いている二人に紗雪が歩み寄り、二人ごと抱き上げてギュッと抱きしめる。
良かった、と呟いた紗雪も涙を流していた。
列車から下りてきた隆之も目尻を拭い、樹や小雪もぐすぐすと鼻を鳴らしている。
雪乃も涙を拭きながら微笑み、幸生は少し後ろで天を仰いでいた。