2-5:どう見ても大御所
「ホビビッ!?」
「空っ! どうしたのだっ!?」
フクちゃんが驚いて駆け寄ってきたが、空は驚きすぎてそれどころではない。尻餅をつき、あわあわと腕から後退ろうとしていると悲鳴を聞きつけたヤナが駆けつけた。
「ややっ、ヤナちゃ、うううで、うでがっ……!」
ヤナの顔を見た途端に空の涙腺がぶわりと決壊し、驚きと恐怖でボロボロと涙が零れる。
それを見たヤナは慌てて空の体を抱き上げると、何が起きたかと確かめる前にまずその場から大きく跳び退いて距離を取った。
自分が張っている結界の中に害意があるものや脅威になるものがいない事は、ヤナにはわかっている。けれど空を泣くほど驚かせたものがいるのは間違いが無い。
ヤナはまず空を宥めようと青ざめて泣きじゃくる顔を覗き込み、その背を優しく撫でた。
「空、落ち着け。息を吸って、吐いて。大丈夫だぞ、空。ヤナがおるからな!」
「うぇ、ひ、ひっく、うぅ」
ポンポンと背中を叩かれ、空は一生懸命息をする。
「空ーっ!!」
空がなんとか泣き止もうとしゃくり上げていると、ガラガラバンッと音がして、玄関の方から幸生がすごい勢いで駆けてきた。どうやら空の悲鳴が聞こえたらしい。
「じ、じぃじぃ……ふぇ」
「空、何があった! 敵襲か!?」
「これ幸生、落ち着け。大丈夫だ。危ないものが入った気配はないのだぞ。空を脅かしたなんぞがおるようだが……」
何度か息を吸ったり吐いたりしていると少しずつ呼吸が落ち着いてきた。
幸生は袂から手ぬぐいを出してぐしゃぐしゃになった顔を優しく拭ってくれた。
「もう大丈夫かの? 空、何があったのだ?」
「んと……う、うで、うでが、じめんからでてたの! だれか、うまってるから、た、たすけないと……」
腕、と聞いてヤナと幸生が顔を見合わせる。二人は一瞬沈黙し、次いでヤナがカッと目を見開いた。
「もしや今日は啓蟄か!? さては、またアイツか!!」
ヤナはそう叫ぶと抱えていた空を幸生に向かってサッと差し出した。幸生も心得たように素早く受け取る。ヤナはその勢いに目を丸くする空の頭を優しく撫でると、くるりと向きを変えて畑の方に走り出した。
「くぉらぁっ! この馬鹿蛙! ヤナの縄張りで冬越しするなと、何度言えばわかるのだぞっ!?」
「ホビッ!?」
ヤナはさっき空が躓いた場所まで素早く駆け寄ると、見たこともないような剣幕で畑から出ていた腕を蹴り飛ばした。その腕を訝しげにツンツンと突いていたフクちゃんが、その勢いに慌てて飛んで逃げ出す。
「ぴぇっ!?」
空は幸生の腕に抱えられて視界が高くなったせいでそれがよく見え、驚いて思わずビクリと跳ねた。目の前の逞しい胸にギュッと縋り付くと、背中がポンポンと叩かれる。
「空、大丈夫だ。アレは……何というか、丈夫だからな」
「じょ、じょうぶ……?」
幸生の言葉に空は再び恐る恐るヤナの方を見る。すると次の瞬間、地面がぼこりと盛り上がり、にょきりともう一本腕が現れた。それだけで空はまたビクビクしてしまう。
幸生にしがみ付き息を殺して見ていると、二本の腕は辺りを確かめるようにもぞもぞと左右にうごめいた。
「気色悪い動きをするな! さっさと出てくるのだぞ!」
その腕をヤナがまた軽く蹴ると、腕はビクリと震えて動きを止めた。
やがて、その腕の間の地面がぐぐぐっと大きく盛り上がり、何かが姿を現した。
「あ、あわ……」
空はそれに似たものを、前世のテレビの画面で見たことがあった。
生白い腕が体を持ち上げるように折りたたまれ、その根元からズ、ズズズ、と黒い頭が現れる。長く伸びた黒髪が地面にバサリと広がり、それを纏わせた肩や胴体も、地を割るようにゆっくりと這い出てきた。
井戸やテレビ画面から出てきたわけではないが、見た目は完全にアレなソレだ。
空が恐怖で青ざめた顔で、けれど逆に視線を外せず見つめていると……不意にどこかから明るい声が上がった。
「んもぅ、いったぁい! ひどいじゃない、ヤナちゃぁん」
ちょっとハスキーさが残るその裏声に、空は思わず耳を疑いキョロキョロと周囲を見回した。どこか違う場所から聞こえたのかと思ったのだ。
「やかましいわ! 気安く呼ぶな! 貴様、一体どうやって忍び込んだのだぞ!?」
憤懣やるかたない様子のヤナは一切気にせず、どう見てもホラー界の大御所に見えるその人(?)に対して更に怒鳴りつけた。
「え~、そりゃあほら、ちょっとこう……バレないようにうんと小さくなって?」
「っかー! もとの図体はでかいくせに、そんなことばっかり小器用にこなしよってからに!」
未だに顔が見えない頭をヤナがパシンと平手で叩くと、黒髪がバサリと揺れた。
「うふ、褒められちゃった!」
「褒めとらんのだぞ!」
怒鳴られても叩かれても悪びれもせず、黒い頭がどことなく嬉しそうに小刻みに揺れる。
上半身だけが出ていた体が少し前に屈み、ぐっと力が入って今度は足が出てきた。
「よいっしょっと」
軽い掛け声と共に、ようやく全身が土の中から現れる。現れた体は、袖なしのぴっちりとしたツナギのような服を纏っていた。映画などに出てきそうな、女性用の色っぽいライダースーツといった雰囲気の服装で、どことなくコスプレめいている。
空がじっと見ていると、肩からむき出しの二本の腕が持ち上がり、パタパタと体に付いた土を叩き落とした。
それから顔の下に手が差し入れられたと思うと、重く垂れていた黒い髪の毛がバサリと持ち上がって後ろに流される。
「はー、よく寝た。ううん、もう春ねぇ!」
長い黒髪を手で梳きながらそう言って笑った白い顔は、空でも思わず目を見張ってしまうほどの美しさを湛えていた。
「春ねじゃないわこの曲者め! 我の結界をどこから抜けたのだぞ!?」
「うふふ、それは内緒!」
さっきの恐ろしげな姿とは一転、にこやかに笑う淑やかな美人がそこに立っている。
ただし、すごく背が高くて、首から下は何だかかなり逞しい。
紺色の革のような質感のライダースーツは、前面にあるジッパーが大胆にも胸の下まで開いている。そこから盛り上がった胸筋が覗いて谷間を作っていて、その筋肉質な体つきがよくわかった。空はその姿を見て目を見開き、ぽかんと口を開けた。
「お前がおかしな姿で這い出てくるから、空が驚いて泣いてしまっただろうが! 毎年毎年、うちで寝るなと何度言えばわかるのだぞ!」
「えー、だって幸生ちゃんの魔力がたっぷり染み込んだ土って寝心地良いんだもの。いいじゃない、ちょっとぐらい。減るものじゃなし」
「その魔力が減っておるわ!」
二人のそんな言い合いの最中、バサバサバサ、と羽音がしてフクちゃんが飛び立った。フクちゃんは黒髪美人の頭の上に降り立つと、ビシ、ビシ、とその頭を突く。
どうやらフクちゃんなりに空を驚かせたことを怒っているらしい。
「あら、なぁに? 小鳥ちゃん? 何だか美味しそうだけど食べて良いの?」
「ホビビッ!?」
「食うな! それは守護鳥なのだぞ! 主を驚かせた不審者に怒っておるのだ!」
「えー、何それ健気で可愛い。主って誰……あら」
突然白い顔がくるりとこちらを向き、不思議な色の瞳がきょろりと動いて幸生と幸生に抱かれた空を捉えた。空は思わず身を固くしたが、幸生は特に動じなかった。