132:新しい友達
ゆあん、と空間が大きく揺れ、たわみ、弾ける。
その揺れに空は一瞬気を取られ、ハッと気付けば目の前から青年の姿は消えていた。
周囲の景色はもうオフィスの一室ではなく、途中で見た森の中だ。
そこにいたのは、あの暗い谷間で見たものだった。黒い棒のような姿に、大きすぎる白と黄色の一つ目。
空は彼の姿を、まじまじと見つめた。もうちっとも怖いとは思わない。
ここにいるのはただ生きたいという当たり前の願いを抱き、自分をこの世にとどめる縁を求める、寂しい命だ。
彼は大きな瞳で空を見下ろし、それからポロリと涙をこぼした。
『……モウスコシダッタ』
「うん」
『モウスコシデ、チガウモノニナレタ』
「ちがうものになったら、なにしたかった?」
『イツカ、ヤマ、アルキタカッタ。イロンナモノ、アウ、マッテタ』
「ぼくもおさんぽすきだよ。いっしょに、いろんなとこいこうね」
『ズット、イッショ?』
「うん! いっしょに、つよく、おおきくなろう!」
『ウレシイ……ウレシイ』
大きな目を細めて喜ぶ姿に、空もまた嬉しくなる。
しかし次の言葉を聞いて、空は動きを止めた。
『ナマエ、ナマエトカタチ、ホシイ』
「なまえ? え、なまえ、ないの?」
『ナイ。ナマエ、ナイカラ、カタチ、ナイ』
空はその言葉に、元旦に弥生と交わした会話を思い出した。
それがあるから私たちは自分として存在していられる、と弥生は言っていた。
じゃあ、普通に精霊になる時は名前はどうするのだろう?
(逆かな……すごい大木とか大きな岩とかそういうのが目印や名物になったりして、存在が広く知られて、誰かが呼び名を付けたりするのが先なのかも)
となると、名を付ければそれだけで存在が確立するのだろうか。
(そうすると……名付けって、相当重要なんじゃない?)
空は真剣な表情で目の前の彼をじっと見上げる。しかしその姿は見れば見るほどシンプルで若干不気味で、良いアイデアが浮かばない。
(フクちゃんはふくふくしてたからだったけど……黒いからクロちゃんとか、大きい目玉のタマちゃんってわけにはいかないよね? 元は、木なんだっけ? モリちゃん? いやいや……)
ううんううん、と悩んで唸っていると、不安になったのか白い目の縁に再びじわりと涙が浮かぶ。
「あっ、まってまって! いまかんがえてるから! すごくかっこいいのかんがえてるから!」
空は慌てて手を振り、それから一歩、二歩と下がって全体像をじっくりと見た。
黒い棒のような体の上に、球体を乗せたような頭。巨大すぎる白い一つ目に、黄色い瞳。
その姿をじっと見つめているうちに、空の脳裏をふと過ったものがあった。
(何かに似てる……ああ、あれかも。今日ずっと楽しみにしてた……)
空はお腹をきゅっと押さえた。
一度似てると思うと、段々とそう見えてくる。
「はんばーぐ……きょう、むりかなぁ……」
思わずぼそりと呟くと、その言葉にきょろりと目玉が動いた。
『ハンバァグ?』
「あ、ちがうちがう! そうじゃなくて! それじゃなくて、えっと」
(夕飯はてりたまマヨハンバーグだった……じゃなくて! もっと精霊とか、神様っぽい名前とか、照り……てりたままよ……これ、男の子? 女の子? ひめとひこ、どっち? いやもうどっちでもいいや! お腹空いた!)
「テルちゃん! てるたままよひこで、テルちゃん!」
「テル……テルタママヨヒコ?」
「えっとえっと、ま、まよえるたましいをてらす、とかそんないみ! それで、テルちゃんだよ!」
「テルチャン……テル、テルタママヨヒコ!」
空命名、テルちゃんは、貰ったばかりの名を嬉しそうに繰り返した。
空は腹ぺこに負けてやらかした気持ちでいっぱいだが、本人はすこぶる嬉しそうだ。
「テルハ、テルチャン!」
喜ぶテルちゃんの姿がゆらりと揺らぎ、どんどんと小さくなる。
形、と言っていたのを空は思い出して、急いで付け加えた。
「め! めはふたつのほうが、いいとおもう! あと、ええとはなとかくちは……どっちでもいいかな。くちがあると、ごはんたべられる? ちいさい、きのようせいみたいなかんじとか……あ、でもひとみたいじゃないとふべんかなぁ」
空はぼんやりと、頭に葉っぱや花がついていそうな木の妖精の姿を思い浮かべた。それから、人の形をしていないと不便だろうかとつい何となくヤナを思い浮かべる。
(ああでもヤナちゃんは同じ姿にしたらすごい怒りそう。ちょっと違うのが良いと思うけど、どう違うのが良いんだろう。顔を隠す……? いや、なんか変かな)
お腹がすごく空いてきたせいか、空の考えは一向にまとまらない。
そうこうしているうちにテルちゃんはどんどん小さくなり、やがて目の前にちんまりとした可愛い生き物が現れた。
「あ、きの……ようせい? なんか、いや、うん。い、いいとおもう。めもふたつあるし」
小さくなったテルちゃんは、全体的に木の幹のような薄茶色をしていた。
頭には大きな葉を逆さまにしたような帽子を被っていて、すぼまった天辺には小さな葉っぱが一枚ちょこんとついている。
深く被ったその帽子の下には黄色い宝石のような瞳が見えた。目は無事に二つに増えたようだ。その瞳の少し下に切れ込みのような小さな口が一つあって、鼻はなかった。
体はちょっと丸っこくて何だか少々歪で、手足の形に根っこが分かれた大根に少し似ている。
短い足がちょこちょこ前後に動いて、空の元に歩いてくる。その姿は何だか愛らしく思えて、空はテルちゃんを抱き上げて微笑んだ。
「テルちゃん。ぼくは、そらだよ。すぎやま、そら。よろしくね」
『ソラ! ソラ、ヨロシク!』
テルちゃんに名付け、空が名乗ったことで、二人の間に流れる魔力の糸が、太くしっかりと繋がったような気がする。
『ソラ、ソラ。テルハ、ヨリシロホシイ』
「よりしろ? えっと……どんなの?」
『ソラノモノ、ダイジナモノ。コワレナイモノ』
「ぼくの、だいじな……こわれないもの?」
空は少し考え、その答えをすぐに思いついた。
ポケットに入れていた、空の一番大事な宝物。
取り出したそれはただの丸い石だ。光っても透き通ってもいない。でも、空にとっては他のどんな石よりも大切だった。
「これ……ぼくのたからもの。これをテルちゃんにあげても、なくならない?」
『ナクナラナイ。テルガヤドルダケ。ソレ、ソラノモノ』
「ならいいよ。じゃあこれがテルちゃんのよりしろね!」
空が差し出した石にテルの根っこのような手が触れる。その途端、石が強く光り輝いた。
「わっ」
空は一瞬目を閉じ、それから慌てて石を見た。
「わぁ……半分だけ緑になったね」
「テルノイロ!」
石は真ん中で割ってくっつけたかのように、半分だけ透明で深い緑色に変わっていた。
「……もりのいろだね」
その言葉に、テルちゃんが嬉しそうに体を揺らす。
空は石を大切にポケットにしまい、それからテルちゃんを抱いたまま疲れたようにその場にぺたりと座り込み、さらにごろりと寝転がった。
「はぁ……おなかすいた。あと、ねむいや」
お腹が空いているせいか、魔力を沢山使ったせいか、どちらかはわからないがひどく眠い。
けれどここで眠ってしまっても、きっと大丈夫だと空には何となくわかっていた。
少しずつ森の景色が薄れ、全てが幻のように消えていく。
空は薄れる意識の端で、自分が沢山の人に囲まれ、見守られているように感じて微笑んだ。
傍にはきっとフクちゃんと、幸生もいる気がする。
だから眠っても大丈夫。
空はそう呟いて、安心して意識を手放した。
最後に感じたのは、大きな手に優しく抱え上げられる、そんな感触だった。
名付けの才能には恵まれなかった。