129:弥生の奮闘
一方その頃、村の神社では弥生が夕飯の支度をしていた。
龍花家の家事は弥生と大和の当番制で、そこに祖母である澄子の助けがちょくちょく入る。
両親が隣村に出向してからもう数年経つので、弥生の手つきは慣れたものだ。
「ったく、大和ったら、急に変わってくれって何なのよ……」
弥生はブツブツと呟きながら味噌が溶けきった事を確かめ、ぐるりと鍋をかき回して小皿を手に取る。お玉で味噌汁を少し注ぐと、その出来映えを確かめた。
「うん、美味しい。こんなもんでしょ」
頷いて鍋を火から下ろすと、弥生は窓の外をちらりと見た。
外はもうとっくに真っ暗だというのに、大和はどこへ行ったのか。
夕方の少し前に、村で何かあったらしいから出かけてくると言ったきり、未だに戻らないのだ。
お陰で今日の夕食は弥生が作る羽目になってしまった。
料理は別に嫌いではないのだが、帰ってこない大和のことは気に掛かる。
「お祖父ちゃん、何か知らないかしらね」
弥生はそう思いつき、社務所にいるはずの祖父を探そうと台所を後にする。
しかし戸口を出たところで、突然頭に走った刺すような痛みに思わず足を止め、その場にうずくまった。
「いった!? いた、いたたたたた! 何これ、誰!?」
『――い、――!』
弥生の頭に誰かが直接思念を飛ばしているのだ。だが焦っているのか上手く届いていない。
「痛い、痛いって! ちょっと待ってよ!」
弥生は頭痛を振り払うように頭を横に振り、急いで走り出した。
行く先は、境内にある手水場だ。
弥生は急いでそこに走り寄ると置いてある柄杓を手に取って水を汲み、くるりと回って自分の周りに水を撒いて円を描いた。
それから柄杓を置いて、場を清める為に高らかに柏手を打つ。
パン、パン、と大きな音が響く度、頭痛が少し減っていく。
四度ほど打ったところで、波長が合ったのかいきなり聞こえが良くなった。
『弥生! 弥生、聞こえぬか!?』
「うるっさい! 聞こえた、聞こえたからちょっと声落として! ってか誰!? コケモリ様?」
『我だ、コケモリだ! 弥生、急ぎ村から人を寄こせ! 今すぐだ!』
コケモリ様のいつになく切羽詰まった必死な声に、弥生の表情がスッと真剣なものになる。
「コケモリ様、何があったの?」
『ナリソコネだ! 子供が二人、ナリソコネのところにおる! 矢田の明良と、米田の空だ!』
「はぁ!? 何それなんで!?」
『明良がナリソコネに呼ばれ、消える寸前だ! 空はそれを助けに行き、呼びかけると言っておった!』
「やっば! どこ! 遠いの!?」
『我の領域と隣との狭間だ! そこで空が何かしたらしく、狭間に住む化生の者どもが子らに気付いた気配がしておる! 村人を、早く! 一番近いところまでの座標を送るゆえ急げ!』
「すぐ送る! ちょっと待ってて!」
弥生は大急ぎで自分の着物の袂を探った。そこに緊急用の術符が何枚も入れてある。
その中でも一際大きく複雑なものを二枚選び出し、そしてもう一つ、首に掛けたお守り袋を引っ張り出した。
きつく封印してある袋の紐を引きちぎり、口を開けて手の上で逆さまにする。
お守り袋の中から転がり出てきたのは、青く透き通る、小さな鱗だった。
弥生はそれを迷わず己の額にぺたりと当てた。鱗は弥生の額に吸い付くように貼り付き、ほんのりと光を帯びる。
弥生はそれを確かめもせず、手にした術符のうちの一枚を手に取り、力を込めた。思い切り、その符の限界ギリギリまで。
そして、大きく息を吸った。
『緊急事態発生! 緊急事態発生! 龍花弥生より、急ぎ告げる!』
その声は村にいる全ての人間のもとに即座に届いた。誰もが手を止め、足を止め、表情を変えてその声に耳を傾ける。
『苔山近くの領域境にて、ナリソコネと子供が二人立ち往生中! 一人は既に取り込まれかけている模様!』
その言葉に、東地区で明良を探していた美枝が息を呑んで立ち尽くした。
傍にいた雪乃も顔色を変える。
『狭間に住む化生の者が動いているとの報あり! これより戦闘員及びそれに準ずる必要と思われる者を座標近くに送る! 全ての者は装備を確認、陣が前に出た者は現場に急行! それ以外は手薄になる村の防備を担当せよ!』
明良を探して村に散っていた大人たちが、表情を引き締めてその指示を聞いた。
そして誰もが即座に自分が今身につけている装備を確認し、固唾を呑んでその時を待つ。
緊急の通信を終えた弥生は役目を終えた符を投げ捨て、もう一枚を手に取って自分の額に当てた。
そして、額の鱗を通して、身のうちにあるアオギリ様の力の欠片に手を伸ばす。
アオギリ様は全ての村人のことを知っている。誰がどんな力を持ち、どれだけ戦えるかも。
その知識を通して、弥生は村に意識を向けた。
弥生の頭の中に村の地図が描かれる。そしてそこに光点のように映る、全ての村人たち。
さっき去ったはずの頭痛がまたぶり返すが、気にしている暇などない。
その光点の中から、弥生は幾つもの強い光を次々選び出した。
山奥の領域の境目で行動出来る者、その暗闇の中でも十全に戦える者、結界や治療など、必要と思われる力に秀でた者。
それらを選び終えると、今度はそれぞれの前に転送の為の陣を飛ばす。
もちろん座標は、コケモリ様が教えてくれた場所だ。
「くぅ……きっつ!」
使う術の難しさに、数の多さと掛かる負荷に、弥生は低く呻いた。しかし術を止めることはしない。
選んだ全ての村人の前に次々に転送陣が現れ、準備が出来た者がそこにどんどんと飛び込んで行くのが伝わる。
選ばれた者たちは一切のためらいもなく、その陣に真っ直ぐ飛び込んだ。
全ての陣が正しく役割を果たしたことを確認した途端、弥生はふらふらとその場に崩れ落ち、そしてぱたりと倒れた。
遠くで、祖父母が弥生を呼ぶ声が聞こえた気がした。