121:鏡開き
楽しく美味しかったお正月も終わりを迎えた。
空は少し緊張した面持ちで囲炉裏の傍に座っていた。
ついにこの日が来たのだ。
空の傍に雪乃がまな板を持ってきて、その上にタオル、綺麗な布巾と重ねて置いていく。
幸生は小さな木槌を道具入れから出してコトリと置き、それから神棚のある部屋へ入っていった。
パンパンと手を叩く音が聞こえ、やがて幸生が戻ってくる。
手には大晦日に神様から下げ渡された、あの鏡餅がある。
(ついに……金色の鏡餅を食べる日がきちゃった!)
空は頂いた日からちっとも変わらないその輝きに、思わずゴクリと喉を鳴らした。
美味しさへの期待ではなく、食べるのが怖いという方への緊張だ。さすがに金色に輝く鏡餅は、空の目にも食べ物には映らない。
幸生が鏡餅を布巾の上に載せると、雪乃がそれを見下ろして困ったように首を傾げた。
「ヒビが入ってないわね……これ、割れるのかしら?」
「うむ……わからん」
鏡開きの頃になれば、普通なら乾燥した鏡餅の表面に無数のヒビが入っているものなのだ。しかしこの金の鏡餅はつるりと美しい肌のままで、叩いたら割れるのかどうかも見当が付かない。
雪乃と幸生は顔を見合わせ、とりあえず一度叩いてみるかという結論を出した。
「幸生さんが叩いて飛び散ったら危ないから、私がやるわね」
雪乃は用意してあったもう一枚の綺麗な布巾を鏡餅にかぶせ、木槌を手に取る。
そして軽く振りかぶり、まずは様子見、とばかりにパカン、と弱めに餅を叩いた。
「あら?」
「む……?」
叩いた瞬間の感触の奇妙さに雪乃が木槌を上げて首を傾げ、叩かれた布巾が一瞬でベコリとへこんだ事に幸生が首を捻る。
「どうなったの?」
元の高さの半分くらいにぺしゃりと潰れた布巾を、空も不思議そうに見つめた。
木槌を置いた雪乃がそうっと布巾を持ち上げる。するとその下にあった丸い鏡餅は、何故か既にバラバラになっていた。布に引っかかった欠片が一つ、ころころと空の傍に転がってくる。
「……しかくい」
空はその転がってきた欠片を手に取った。餅の欠片は奇妙なことに、定規で測って切ったような美しい立方体だった。一センチ角ほどの大きさで、割れ口(?)はつるりと美しく、割ってみてわかったが、なんと中まで金色だ。
「これ、ほんとにおもち?」
「だと思うんだけど……ええと、とりあえずいくつか食べてみましょうか」
「えええ……」
見れば見るほど不安が募る見た目だ。少なくとも餅どころか、食べ物にも見えないのだ。
皆で悩んでいると、囲炉裏端に置いたマフラーからちょろりと顔を出したヤナが、謎の餅を見て頷いた。
「多分火を通せば大丈夫だぞ。ただ、一度に食べるのは一人……三つくらいまでにしておくのが良いのだぞ。うっかり食べ過ぎぬよう年神様が配慮してくれたのだろ」
「配慮……それなら助かるけれど、日持ちはどうなのかしら?」
「その辺に置いておいても絶対カビたりせぬから、大事に取っておいて少しずつ食べるが良い」
そう言うとヤナはするすると出てきて、ポフンと人形になった。
「ヤナも一つ貰うぞ」
そう言ってヤナは金色の立方体を一つ手に取ると、そのままひょいと口に運んでしまった。
「あっ、ヤナちゃん!?」
空がビックリして目を丸くするが、ヤナは気にした様子もなくもごもごと口を動かす。
「んむ……なんというか……神気が強すぎてパチパチするのだぞ。刺激的な味だな」
「ぱちぱち……だいじょうぶ? おなかこわさない?」
「ヤナは大丈夫だ。むしろ少々力が増す感じだな。空は雑煮に入れてもらえ。熱を与えれば自然と柔らかくなると思うのだぞ」
「う、うん」
ヤナの説明に安心したのか、雪乃は四角い餅の欠片をひょいひょいと三人分で九個拾うと上にかぶせていた布巾に包んだ。残りは下に置いてあった布巾の端を結んで、ひとまとめにしてしまう。
「カビないならこのまま棚にしまっておくわね」
そう言って雪乃が包みを持ち上げた時、端からポトリと小さな金の欠片が転がり落ちた。落ちた欠片は餅の端っこの部分だったらしく、四角になりそこねて細くて小さな三角形に近い形をしていた。
拾おうと誰かが手を伸ばすよりも早く、トトト、とフクちゃんが近寄りそれをサッと口にくわえる。
「あっ、フクちゃん!?」
空が止める間もなくフクちゃんは首を上に向けると、それをゴクリと飲み込んだ。
「あーっ、フクちゃん、たべちゃった!」
「ケピッ」
欠片が少々大きかったらしく、フクちゃんはしゃっくりのような音を立てて体をぶるっと震わせる。
大丈夫だろうかと空がハラハラと見つめていると、フクちゃんは松ぼっくりのように全身の羽毛をふわりと逆立て、ブルブルとまた体を震わせた。
「ふ、フクちゃん? だめならぺっして、ぺっ!」
「ふむ。フクにはちと大きかったかの?」
固唾を呑んで見守っていると、やがてフクちゃんの逆立った羽根が静かに下りて収まる。
大丈夫かな、と空が思った次の瞬間――
「ピキュルルルッ!」
――突然、フクちゃんが高らかに一声鳴いて、カッと金色の光を放った。
「フクちゃーん!?」
フクちゃんの全身が輝き、キラキラと光を纏う。白い羽毛に金の光がよく映える。その光は強くなったり弱くなったりと緩急を付けて瞬き、まるで電飾のようだ。
空があわあわしていると、フクちゃんは今度は上を向いて羽を広げ、急に飛び立った。
「あっ、フクちゃん!? わわっ、あぶないっ!」
真っ直ぐ上に飛び立ったフクちゃんはコントロールをあまり考えていなかったようで、ゴン、と梁にぶつかってふらふらと落ちてくる。空が立ち上がるより早く、幸生がその体を大きな手のひらで受け止めてくれた。
「じぃじ、フクちゃんだいじょぶ!?」
「うむ、これは……怪我はないが、どうも酔っ払っているようだ」
フクちゃんは幸生の手の中でキュルキュルと賑やかに囀りながら暴れている。羽を広げてバタバタ羽ばたき、小さな足で幸生の手をガシガシと蹴っている。
幸生が捕まえていてくれなかったら、また天井目指して飛び立ちそうな暴れっぷりだ。
「どうしよう……おもち、わるかった?」
「どれ。幸生、ちょっと貸すのだ」
「うむ」
幸生がフクちゃんを閉じ込めた手を下ろすと、ヤナが光り輝くフクちゃんの体にちょんと触った。
すると途端にフクちゃんが目をパチパチさせ、正気に戻ったように大人しくなってキョロキョロと辺りを見回す。
空はその姿にホッと息を吐いた。
「よかったぁ……フクちゃん、もどった……」
「やはりフクにはちと欠片が大きかったようだ。余分は抜いたが……次にやる時は、もう少し小さい欠片にすると良いぞ」
「もうたべさせない!」
「ホピッ!?」
空がきっぱりと宣言して首を振ると、フクちゃんが驚いて慌てて飛び立ち、空の肩に降り立った。
「ホピッ、ホピホピッ!」
「次は量に気をつけるからと訴えているようだぞ」
「だめ! なんかひかってたし、あぶなそうだし!」
一欠片食べただけで、うっかり進化でもしそうな勢いで光っていたのだ。あの餅はやはり危険な代物に違いないのだ。
「ホピ……」
フクちゃんはシュン、と身を縮め、残念そうに小さく鳴いた。その姿を見ると空の心も思わず揺れる。
「なんでたべたいの? おいしかった?」
そう問うと、フクちゃんは首を横に振った。別にさほど美味しくはなかったらしい。
「フクは力を付けたいのだろ。身化石から孵ったようなものは、普通はもっと儚く弱いのだぞ。数年で消えてしまうものもいるのだ」
「そうなの!?」
「そうね……最初に得た魔力が多かったからか、フクちゃんはそれに比べれば大分強いけど……空とずっと一緒にいるために、フクちゃんももっと強くなりたいのかもね」
「むぅ……」
空としてもフクちゃんとは末永く一緒にいたいともちろん思っている。フクフクの可愛い守護鳥は空の心強い相棒であり、遊び相手であり癒やしだ。
ずっと一緒にいるためには、時々光り輝いてちょっと酔っ払うくらいなら我慢するべきかと悩んでしまう。
「一度に食べる量を加減するか、フクを予め少し大きくさせてから食べさせるが良いぞ」
「フクちゃんがおおきかったらいいの?」
「うむ。そうすれば多分問題はないのだぞ」
「わかった……。じゃあフクちゃん、ちゃんとからだにあってるやつ、たべてね?」
「ピ!」
「じゃあ、やくそくね!」
「ホピピッ!」
フクちゃんは嬉しそうに空の頬に体を擦り付けて囀った。
さて。一件落着して、あと思う事は自分たちが食べる分の鏡餅だ。
「……ぼくも、おぞうにたべてひかったりするかなぁ」
空は今日の分として取り分けられた餅に怖々と視線を落とす。雪乃はそんな空の頭を優しく撫で、餅を手に立ち上がった。
「大丈夫よ、光ったらちょっと余分はまたヤナに抜いてもらえばいいから」
「ぼく、ひかりたくないの!」
「光り輝く空か……可愛いのではないか?」
「うむ」
「やだー!」
結局その後、金色の鏡餅の欠片は昼食に作られたお雑煮に三つずつ落とされ、空はそれを恐る恐る口に運んだ。
味はお雑煮に紛れて美味しかったし、パチパチする感覚も空にはわからなかった。その時は体も光り輝かず、ホッと安心したのだが。
「ひかってる……」
「光ってるわね。でも、髪の毛がちょっとだけだし……」
夜、布団に横になって明かりを消した途端、空は自分の髪の毛がほのかな光を帯びている事に気がついてしまった。
光としてはほんのりしたもので、昼間のフクちゃんのようにピカピカしてはいないのだが、目を瞑っても瞼を通して前髪のほのかな光が感じられてとても気になる。
「もう何回か食べて体が慣れると、多分光らなくなるわよ」
「いまひかってるのがやだー!」
布団の上でジタバタしても、光は消えて無くならない。
空はその日、タオルを目にかぶせてもらい、眠りにつくまで目隠しして眠ったのだった。
(来年は年神様にハムをあげるの止めにしてもらおう……)
眠りにつくまで、空はそんな事をぼんやりと考えていた。
鏡餅を三分の一ほどお裾分けした東京の家族から、子供たちが光って困ったという手紙が届いたのはそのしばらく後の事だった。
朝食べたら夜には光がおさまっていたかもしれない。