119:初詣
空にとって夢のような朝食を終えた後。
三人と一羽はヤナを留守番に置いて初詣に行く事にした。
やはりこれも慣習なので、神棚でお参りしていようが御祭神が眠っていようが、神社にも皆お参りに行くらしい。
ヤナはフクちゃんを置いていったらどうだとごねていたが、当のフクちゃんが絶対に嫌だと走り回ってヤナを振り落としたため、結局諦めて囲炉裏の傍で温まっている。
今日は空がよく晴れていて、その分空気が冷たい。しかし空は靴下の上から草鞋を履いているのであまり寒さを感じなかった。幸生に肩車してもらって、ピッタリとくっついているとさらに暖かい。
空は高い場所から村をキョロキョロと見回した。
「なんか……おしょうがつっぽい?」
村は一見いつも通り静かでのんびりとして見えるが、今日はそれとは別にどこかピンと空気が澄み、厳かな雰囲気に満ちている気がした。
「ふふ、何となくわかる気がするわねぇ」
「うむ」
「ピッ!」
周囲には同じように家族で初詣に向かう人々がポツポツと見える。大晦日に出かけて夜中にお参りする人もいれば、のんびりと元日に出かける家族もいるようで、その辺は自由らしい。
アオギリ様も神社の神主一家も、参拝の仕方に拘る方ではないようだ。
空がお正月の空気を楽しんでいる間に、気付けばもう神社の前の広場が目前だ。
初詣の人出は少し落ち着いたらしく、行列が出来るほどではない。ゆっくりと参道を歩き、神社の境内に入ると中はまた賑やかだった。
どうやら参拝客に御神酒や甘酒、お汁粉などを振る舞っているらしく、良い匂いが漂ってくる。空はそちらが気になって仕方なかったが、幸生に下ろしてもらって先に拝殿へと向かった。
拝殿の中には当然ながらもうアオギリ様の姿はない。幸生たちと並んでお参りしながら、空はそれを少し寂しく思った。
「空、お汁粉貰いに行く?」
「うん!」
お参りを済ませた後、さっそく皆でお汁粉を貰いに境内に立てられたテントに向かった。テントの下には御神酒の樽や大きな鍋が幾つも並び、子供には酒精のない甘酒と豚汁、お汁粉を配っていた。
「一度に全部は無理だから、一つずつ頂きましょうか。空、どれがいい?」
「とんじる!」
具沢山の豚汁は空の好物だ。境内の端には小さな子供のために横長のテーブルと椅子が置いてある。空はそこに座って、雪乃が持ってきてくれた豚汁を大喜びで受け取った。
「あ、空くんだ。あけまひておめでとうございますー」
豚汁を啜っていると横からちょっと呂律が怪しい声が掛けられた。見ればテントの方から巫女姿の弥生が手を振って、豚汁のお椀を片手にふらりとやってくる。
「弥生ちゃん、もう飲んでるの? ちょっと足もとが怪しいわよ、ほらこっち座って」
雪乃に手招かれ、弥生は空の隣の空いた椅子にへたり込むように座り込んだ。
「まだ一杯しか飲んでませんよ! 私はこれでやっと交代だからいいんですー。もう昨日からずっと徹夜ですよ徹夜!」
ヘロヘロと力ない様子なのは酔っている訳ではなく、巫女として徹夜で働いていたかららしい。
弥生は豚汁をずず、と啜って、ハー、と疲れ切ったようなため息を吐いた。
「あー、沁みる……」
「毎年お疲れ様。あと、あけましておめでとう」
「あけましておめでとう」
「あけましておめでとーございます!」
「ホピピピ!」
皆で挨拶をすると、弥生はちょっと回復したのか嬉しそうに顔を綻ばせる。
「そういえば、空くん昨日は大祓に来なかったね? せっかく私が大祓の前にそりゃもう美しく舞ったのにぃ」
「空はまだ小さいもの。夜遅くは連れてこれないわ。もう少し大きくなってからね」
「ちぇー」
弥生が子供っぽく口を尖らせたので、空はそれを見て思わず笑ってしまった。弥生のこの顔と仕草で、母の紗雪と同じ歳だとは到底思えない。
空がそんな事を考えていると、遠くからおおい、と手を振る人がいた。
「幸生、ちょうどいいところにいたな。おめでとうさん」
「おめでとう」
「和義さん、あけましておめでとうございます」
「かずおじちゃん、あけましておめでとーございます!」
和義は皆に挨拶をすると幸生と雪乃にちょっと顔を貸してくれと言って、社務所の向こうを指さした。
「ちっと相談事があるんだ。他にも何人か来てるから、頼む」
「空がいるから、幸生さん行ってきてくれる?」
「あ、ちょっとの時間なら私が空くんと一緒にいますよー。これ食べたら後は帰って寝るだけだし」
「そう? じゃあちょっとだけお願いしても良いかしら」
雪乃は弥生に空の事を頼むと、お汁粉を持ってきて空に渡してから幸生と一緒に社務所の方へ歩いて行った。
残された空は温かいお汁粉をありがたく頂く。
「む……これ、ばぁばのとおなじくらいおいしい……!」
空は美味しいお汁粉にふにゃりと笑顔を浮かべた。
雪乃が作るお汁粉よりもこちらの方が少し甘みが強い気がしたが、どちらもとても美味しい。寒空の下で食べるとまた格別だ。
空の感想を聞いて、弥生が嬉しそうに顔を綻ばせた。
「美味しい? それうちのお祖母ちゃんが作るのよ。私も手伝わされるんだけど、なかなかその味出ないんだよねぇ。やっぱ年季が足りないのかな-」
「あ、ぼくのままも、ばぁばとおなじあじにならないっていってた」
去年の正月が開けた頃、紗雪がお汁粉を作って鏡開きしたお餅を入れてくれた事を空は思いだし、そう呟いた。
すると弥生がちょっと目を見開き、そして何故か少し肩を落とした。
弥生はそのまましばらく沈黙し、それからもじもじと落ち着かない様子でチラチラと空を見る。
空が不思議そうに弥生を見上げると、やがて意を決したように口を開いた。
「……空くん。あのさ、その……紗雪、元気かな」
「まま? まま、げんきだよ!」
「連絡とか取ってる?」
「うん。ばぁばがおてがみかいてくれるし、ままからもくるよ!」
田舎の物を送る時もそうでない時も、雪乃はこまめに空の様子を手紙に書いて紗雪に出している。紗雪の方も家族の近況を手紙に書いてよく送ってくれていた。
「そっか……紗雪、いつ空くんに会いに来るのかな」
それは空も知りたい事だ。
「わかんない……はるにはきっとって、ばぁばはいってた……ぼくも、あいたいな」
ちょっとシュンとしながら空が答えると、さすがにマズイ質問をしたと気付いた弥生が慌てて立ち上がる。
「ご、ごめん! お汁粉のお代わり持ってくるから元気出して!」
「うん!」
お代わりを貰った空は一瞬で元気を取り戻し弥生を許した。
空がお代わりを食べるその横で、弥生がほっとしたような、疲れたようなため息をまた一つ吐いた。
「紗雪……もう私の事なんて、忘れちゃったよね」
ぼそりと呟かれた言葉に空が顔を上げる。
「ううん、まま、やよいちゃんにあいたいって、おてがみにかいてたよ」
「えっ!? ホントに?」
「うん。ばぁばがよんでくれたの。えっとたしか……やよいちゃんげんきかな、もうアオギリさまとけっこんした? あったらあやまりたい、って」
「紗雪……結婚……してないわよぅ」
空が手紙の内容を思い出しながら教えると、弥生は嘆くように呟きテーブルに突っ伏した。そのままブツブツと何事か呟き呻いている。
フクちゃんがその怪しい姿にトコトコと近づいて、クチバシでちょんちょんとつついたが弥生は起き上がらない。
ずず……とお代わりのお汁粉を残さず飲み干してお椀を置くと、空は弥生をつんと小さな指でつついた。
何かお正月って独特の空気がありますよね。