117:年神の言祝ぎ
「年神様方、今年もお越しいただき、真にありがとうございます」
幸生と一緒に雪乃も頭を下げたので、空も真似をしてぺたりと正座すると頭を下げた。
「うむ。米田家は今年も息災なようで何よりだ」
「良い年だったかー?」
老人はおっとりとしゃべり、少年は元気が良くて気安い感じだ。
空が顔を上げると、少年と目が合ってにこりと微笑まれた。
「孫が来たって聞いたから早く来たんだけど、その子?」
「あ、えっと、はじめまして、そらです!」
慌てて挨拶をすると、老人も少年も目を細めて頷いた。
「空か。良い名だの。我らは年神なのだが……わしのことは大じいとでも呼ぶと良い」
「俺は若で良いぞ!」
「おおじいと、わか……?」
年神と名乗られても空にはピンと来ない。二人は神様なのだろうかと説明を求めて空は雪乃やヤナの方を見た。
「大じい様と若様とお呼びすると良いわ。このお二方は年神様と仰って、新年に来てくださる神様なのよ」
「本当なら深夜から元旦にかけて眠らずにお迎えするのだが、小さな子がいる家にはこうして早めに来てくれるのだぞ!」
位としては家守よりは遙かに格上なのだが、ヤナは頭も下げず気さくに紹介してくれた。神としての系統が違うし眷属でもない限りはさほど謙る事はないのだ。
空にはそんな事はわからないので、訪ねてきた見知らぬ神様にどんな態度を取って良いのかと悩んでしまう。そもそも神様が家を訪ねてくるというこの状況がいつもながら想像を超えている。
雪乃は安心させるように空の頭を撫で、それから年神様たちに向き直った。
幸生も真面目な態度でもう一度頭を下げ、目の前に置いていた供物を恭しく差し出す。
「どうぞこちらをお納めください。また一年、米田家を見守ってくださいますようお願い申し上げます」
「うむ。万事安心して天命に委ね、日々変わらず励むが良い」
「五穀豊穣も任しとけ!」
重々しい大じい様の言葉とは裏腹に、若様は明るく自分の胸を叩く。そして並んだ供物をちらりと見ると雪乃に声をかけた。
「あのさ雪乃ちゃん、出来てるハムとかない? もしあったら一塊分けてくれない?」
「これ若年、お前はまたそんな事を! 供え物の追加を強請るなどはしたない!」
「いいじゃんちょっとくらい、代わりに祝福サービスするし! 俺はまだ肉が食べたいお年頃なの!」
「神が正月から肉を食うなど示しが付かぬではないか!」
「そういうイメージ今時流行んないってー。俺は命を差別しない主義なの! ちゃんと食った後は酒で禊ぎすっからさ!」
二人が言い合うと杖と腰の鈴がシャンシャンと音高く鳴り響く。
賑やかなやり取りに空が目をぱちくりさせている間に、雪乃は一旦席を外して氷室から大きな猪ハムの塊を持ってきた。先日出来上がったばかりの物だ。
「よろしければこちらをどうぞ。今年は沢山作ったのですが、出来も良いですよ」
「やった、ありがとう! 雪乃ちゃんのハムが美味いって聞いてたから食べてみたかったんだよね!」
大喜びした若様は止められる前にとハムにちょんと指先で触れた。すると雪乃の手の上からそれがフッと消え失せる。
「全くしょうのない……すまんなぁ、米田の」
「いえ、お気になさらず。喜んでいただけて光栄です」
幸生がそう答えると、大じい様はため息を一つ吐いて盆の上の供物に手をかざし軽く振った。するとそれらもまた、お盆や三方を残して一瞬でどこかに消え失せた。
「では、これを」
全ての供物を受け取った後、大じい様は自分の手の上に鏡餅を一つ取りだした。さっきまで三方に載っていた二段の鏡餅のうちの、下段の大きな方だ。
それを大じい様が両手で持つと、若様がそこに手を乗せた。
「これを食す者らが、一年息災であるように」
「家内安全、無病息災……商売繁盛、はあんまいらないかな? じゃあ孫もいるし、前途有望とかで!」
そう告げる二人の手の間に光が生まれ、鏡餅を包み込んだ。その眩しさに空は思わず目を瞑る。閉じた瞼の裏で光を感じなくなってから目を開けると、年神様二人が自分たちの手元に視線を落とし、困ったような顔をしているのが見えた。
「お主……やりすぎじゃろこれは」
「あ~……ごめん、ハムが嬉しかったからお礼にと思ったらつい」
バツの悪そうな顔をする若様にため息を吐き、大じい様は手の上の餅であった物を諦めたように空に差し出した。
空は差し出されたそれをじっと見つめ、受け取っていいのか困ったように幸生を見る。
数日前に幸生が餅つきをして作った白く大きな鏡餅が、今や何故か金色に光り輝いているのだ。
幸生はそれを見てしばらく考えた後、空に頷いた。
「お年玉だ……頂きなさい。大丈夫だ、多分」
「うむ、ちと祝福を込めすぎたが……まぁ問題無いじゃろう。雑煮にでも混ぜて少しずつ食べるように。くれぐれも、なるべく多くの家族で分け合って、日を置いて少しずつ、な」
「一人で一度にいっぱい食ったらうっかり人間止めちまうかもしれないから、気をつけろよ!」
「あ、ありがとう、ございます……?」
そんな怖い物をお年玉にしないでほしい、と思いながら空は金の鏡餅を恐る恐る受け取った。受け取ってみればずしりと重いがそれはあくまで餅の重さで、本当に金になったわけではないようでほっとする。
(これがお年玉って……田舎はやっぱり何かすごく違う……)
神様のお下がりの鏡餅がお年玉の由来だという事は空の知識にはなかった。
そもそも神様が本当に家に来るなどという事も当然なかったのだが。
「それでは、わしらはこれで。良い年を」
「またなー!」
「どうもありがとうございました」
「ありがとうございましたー!」
頭を下げ声を揃える幸生たちと一緒に、気を取り直して空も元気よくお礼をいって頭を下げた。
手の中の餅が重たくて体が前に傾きかけたが、ヤナが背中を掴んで引き戻してくれたので玄関に転がり落ちずにすんだ。
そんな空の頭を大じい様が優しく撫で、二人はまた玄関を開けて鈴の音を残して去って行った。
あまりに普通な訪問と去り際に、空は何となく玄関の戸と手の中の餅を交互に見てしまう。
本当に今のは神様だったのだろうか、空の知らない村人が扮していただけではないのだろうか、と少しだけ思う。けれど、手の中の金色の餅は何だかとても神々しく存在を主張している。
「さ、空。もう寝てもいいわよ。そのお餅は神棚に上げておくから。後で頂きましょうね」
「うん……」
若干物騒な金の餅を雪乃に渡して空はほっとため息を吐き、歯を磨くために洗面所に向かった。
(いつもながら田舎って……謎だ)
空はそんな感想を抱きながら、フクちゃんを連れて布団に入り、一足先に眠りにつく。
眠りに入る寸前、どこか遠くで、シャラン、シャランと鈴の音が聞こえた気がした。