116:大晦日のお客様
時は過ぎて、大晦日。
空は綺麗に磨かれた窓を眺めながら、年の瀬の独特な空気を吸ってどこかわくわくとしていた。
二、三日前から家族みんなで片付けや掃除をして、家中どこもピカピカだ。
もちろん、米田家はわざわざ大掃除をしなくても毎日雪乃やヤナが綺麗にしている。けれどやはり大掃除は必要だと言って高いところの煤払いをしたり、囲炉裏の灰を掃除したり、窓を拭いたりと、普段あまり手の回らない所を中心にすっかり磨き上げられた。
空も低い位置にある窓を拭いたり、廊下に雑巾を掛けたりして一生懸命お手伝いをした。
今日は大掃除をしたからと空は夕方早くに幸生と風呂に入り、綺麗な服に着替えを済ませている。
雪乃もその後風呂を使い、今日はいつもと違うちょっと格式の高そうな着物を身につけている。
幸生の着流しも今日はいつもの物と少し色合いが違っていた。
「空、そろそろご飯よ」
「はーい!」
皆で神棚にお参りをして一年のお礼を唱え、やっと夕ご飯だ。
「さ、食べましょ」
お参りを済ませた三人は台所に移動した。台所は良い匂いがして、空が急いでテーブルの傍に寄ると、幸生が椅子を引いて座らせてくれた。テーブルの上を覗き込むと、真ん中に大きな木桶が置いてある。
「わぁ……すごいごちそう!」
木桶の中には色鮮やかなちらし寿司が入っていた。
その隣の大皿には唐揚げやコロッケ、肉団子にフライドポテトと、子供が好きそうな料理がオードブルのように盛り合わせてある。
「今年は空がいるから、ちょっと華やかにしてみたのよ」
「おいしそう……ありがと、ばぁば!」
空はちらし寿司を、お皿にたっぷり取り分けてもらった。
「じゃあ、いただきますしましょうか」
「うむ……ヤナ、雪乃。今年も一年、世話になった。来年もよろしく頼む。無論、空もな」
「私からも。ヤナと幸生さん、そして空にもお世話になりました。来年もよろしくね」
「うむ、ヤナが来年もしっかりこの家を守ってやるのだぞ!」
米田家では食卓でこうして挨拶をするのか、と空は何だか新鮮な気持ちで皆を見回した。
それから、慌てて自分もぺこりと頭を下げた。
「ぼくも! ぼくもえっと、いちねん、いっぱいおせわに、なりました! らいねんもよろしくおねがいします!」
「ホピピッ、ホピピピピ!」
空とフクちゃんの一生懸命な可愛い挨拶に、雪乃は微笑み、ヤナは空の頭を撫でた。幸生は一人天を仰いでいた。
「いただきまっす!」
挨拶が済むとお待ちかねの夕食だ。空はさっそくちらし寿司に手を伸ばした。
ちらし寿司の具は、凍らせて保存してあった鮭といくら、沢ガニの身などだ。それに錦糸卵や、飾り切りして梅酢に漬けたレンコンや小カブを飾り切りしたもの。
山奥の村でも比較的手に入りやすい食材ばかり使われているが、それでも十分美味しそうだ。綺麗に飾り付けられたそれらを空は遠慮せずどんどん口に運ぶ。
「おすし……おいしい」
そういえば東京では寿司らしい寿司を食べた記憶が無い。幼児だから仕方ないのだが、久しぶりのお寿司は一際美味しく感じた。
「もうちょっと海が近ければ、他にお刺身も手に入ったかもしれないんだけど……」
雪乃は残念そうにそう言うが、空は美味しければなんでも良いのだ。海の魚はいつか大きくなってから食べに行ったって構わない。今お腹に入る物が正義だ。
「ぼく、これすきだよ!」
「そう? 良かったわ」
ここにある色々な料理は、全て雪乃が一生懸命考えて用意してくれたものだ。それだけでもう何でも美味しく感じてしまう。実際、とても美味しいのだし。
空はテーブルに置かれた全ての料理を少しずつ順番に取り分けてもらい、どれも美味しく食べた。
揚げ物だけではなく、幸生のために用意された根菜の煮物や漬物も好き嫌い無く食べる。
そしてそれを三周してから、ようやくごちそうさまを告げたのだった。
「空、年越しソバも用意してあるけど、食べる?」
「にはいたべる!」
なんと追加オーダーもあった。
大晦日と言えば、空の前世で定番だったのは歌合戦や年越し番組、除夜の鐘などだった。
けれどこの村にはなんとお寺がないし、テレビも存在しない。神社に年越しのお参りに行く人はいるのだが、今年は空がいるので幸生たちは年が明けて朝になってから行く事にしていた。
食事を取った後は皆で囲炉裏を囲んでお喋りしながらお茶を飲むだけだ。空はホットミルクとお菓子を貰ったが、今日はお手伝いを頑張ったせいかもう何となく眠たい。
フクちゃんはもう半ば寝ているらしく、囲炉裏の傍に座りこんで動かない。寝る時間が早いのも鳥らしいところだ。
丸くなるフクちゃんを見ながらあくびを一つすると、雪乃が空の顔を覗き込んだ。
「空、眠たい?」
「ん、ちょっと……」
「もう少し待つのだぞ。今晩は客が来るのだ」
目を擦る空にヤナが頑張って起きているようにと声をかけた。
「おきゃくさん? よるなのに?」
「ええ、本当はもっと遅くに来るんだけど……今年は空がいるから、早く来てくれると思うのよ」
「ぼくに、おきゃくさん?」
空が首を傾げると、カラカラと玄関の戸が開く音がして、ごめんください、と声が聞こえた。
「あ、いらっしゃったわ」
「む、お供えを取ってくる」
雪乃が立ち上がってパタパタと玄関に出ていき、幸生が隣の部屋へと入っていく。空がその双方をキョロキョロと見ていると、ヤナが空の手を引いて玄関へと誘った。
「空、行くぞ」
「う、うん」
ヤナに手を引かれて囲炉裏の間から外に出る。玄関では雪乃が廊下に正座して、訪ねてきた客と挨拶をしていた。
「空、こっちへ来てちょうだい」
手招かれて空は雪乃の隣に並び、客の姿を見た。
玄関に立っていたのは二人。
一人は白い髪と長い髭、白い着物と袴、その上に金糸で刺繍がされた豪奢な羽織を着た穏やかな風貌の老人だった。手には鈴が沢山付いた長い杖を持っている。老人が前に出ると、シャラン、と美しい音が響いた。
もう一人はほぼ同じ服装だが年齢が違う。白にも見える銀糸の髪に金色の瞳の、十五、六歳ほどの少年だ。こちらは杖は持っていなかったが、腰に鈴が沢山付いた飾り紐を結んでいる。
どちらも村では見たことのない人達だった。
空が挨拶をしようかと考えていると、幸生が大きなお盆を持って玄関にやってきた。黒塗りのお盆には三方に飾られた鏡餅と酒の入った一升瓶、野菜や干物のイカ、紙の紐でまとめられた昆布などが乗せられている。
幸生は玄関まで来るとそれを手前に置き、きちんと正座をして客に頭を下げた。
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