115:小さな憂い
師走の日々は足早に過ぎ、年末がもう目前に迫ってきた。
最近幸生と雪乃は毎日忙しそうに出かけている。
雪乃は正月料理の下準備に大忙しらしい。手の掛かるものや一度に沢山作ると美味しい料理は、村の女性達が一緒に作業をして分け合うようだ。
その上、先日紗雪が東京から荷物を送ってきたので、ちょうどいい頃合いになった肉を加工する仕事も平行して行っているらしい。
紗雪の荷物の中身はかなり大量の塩や香辛料、田舎では手に入りにくい空の好きな調味料などだった。玩具と絵本も入っていて、空も大喜びだ。
雪乃はその塩や香辛料を使ってハムやベーコン、鹿肉の燻製などをせっせと仕込んでいるのだ。
その間、幸生もまた新年を迎えるための様々な仕事に駆り出されている。
例えば村での共同作業なら、神社の注連縄を張り替えたり、参道の整備をしたり、提灯を飾ったりなどの手伝い。
個別の家の準備というのなら、門松にする竹を分けてもらいに善三の所へ行ったり、家の周りの掃除や補修などをしているらしい。
ちなみに門松は、幸生が集めた材料を使って雪乃が作っていた。
積雪はあれからあまり増えていないので、雪かきが仕事に入らないのは助かっているようだ。
そんな風に忙しい二人の傍らで、空は最近少し退屈していた。
日課の散歩をしたり雪遊びをしたくても、天候によっては外に出られないからだ。
しかし今日は同じように家で退屈していた明良がまた遊びに来てくれている。それだけで飽きかけていたはずの絵本も玩具もまた楽しくなるから不思議だ。
「このほん、おもしろいな」
「うん、ぼくもそれすき!」
二人で最近のお気に入りの子供向け図鑑を見て感想を言い合う。見ているのは紗雪が送ってくれた、都会で働く魔力機関に関する本だ。
最新版らしく、空が田舎に来るときに乗った新しい列車も描かれている。
「まそう、そーこーれっしゃ? かっこいいな! そら、これのった?」
「うん! かっこよかった……よ?」
乗った時はそれどころじゃなかった気がするが、空は一応そう答えておいた。
そんな風にしばらく遊んでいると、今日は人形になっているヤナがおやつを持ってきてくれた。
「二人共、おやつなのだぞ」
解放されたフクちゃんも空の膝の上にちょんと乗って嬉しそうにしている。
「きょうのおやつ、なぁに?」
「今日は肉まんだぞ。雪乃が作っていってくれたから、ヤナが蒸かしたのだぞ」
皿の上にはふかふかの肉まんが幾つも載っていて、ほわほわと湯気を立てている。
「うわ、うまそう! ヤナちゃんありがとー!」
「ふかふかだぁ……いただきます!」
明良も空も大喜びで受け取って、さっそく大きな口を開けて齧りついた。
「はっふ、あふ、おいひ……」
「あちち……うん、おいしい!」
ふかふかに蒸し上がった柔らかな皮はほのかに甘い。その中から出てきたのは甘辛く、やわらかく煮たたっぷりのゴロゴロお肉と、少しばかりの野菜だった。肉汁たっぷりで濃いめの味がほのかに甘い皮と良く合って本当に美味しい。
「ハムやベーコンに肉を加工していると、屑肉が沢山出るのだぞ。それを煮たのだな」
つまりは猪肉の肉まんということらしい。
空は肉を味わいながら、この田舎に来て良かった……と食事の度に思う事を今日もしみじみと噛みしめる。
「ヤナちゃん、おかわりちょうだい!」
「ああ、どうぞ」
「ヤナちゃん、おれもおかわりしていい?」
美味しかったのか、珍しく明良がお代わりを欲しがった。ヤナはもちろんと頷き、皿を勧める。
「沢山食べるが良いぞ。足りなければ他にも食べる物はあるからの」
「うん、ありがと……おいしいな、そら」
「うん!」
空も二つ目の肉まんを手に取って囓り、幾つ食べてもやはり美味しいと顔を綻ばせる。
明良もまた二個目を美味しそうに食べていたが、半分くらい食べたところで少し速度が遅くなった。それなりに大きめの肉まんだったので、お腹がいっぱいになってきたらしい。
「お腹いっぱいなら残しても良いぞ?」
「ん、だいじょぶ、ゆっくりたべるし」
空が三個目を食べている間に、明良は休み休み二つ目を食べきった。しかしやはり明良には少し多かったらしい。空はそのあともう二個食べて皿をすっかり空にした。
「ふあ、おなかいっぱい……ゆうごはん、はいらないかなぁ」
「少し外で遊んできたらどうだ? 敷地から出ず、裏で遊ぶなら二人だけでも構わぬぞ。フクも連れて行くと良い」
「そっか。そら、そといってもいい?」
「うん!」
「ホピッ!」
二人は暖かい格好をしてフクちゃんをお供に外に出た。フクちゃんは空のコートのフードの中だ。
フクちゃんは外の寒さは平気なのだが、歩くと足が冷たいのがちょっと嫌いらしい。
裏庭に回って、まだしっかりと固いカマクラを覗き、それから庭の中を歩く。
今日は朝から晴れていて、その分空気がうんと冷たい。そのせいか足の下の雪は固くなって歩きやすい気がした。
このところ、雪が降る日と降らずに少し溶けるような日が繰り返されている。その間に、何日も掛けて少しずつ積もっては溶け、また積もりを繰り返した雪は固く締まって半ば氷のようになっていた。
そんな雪をザクザクと踏みしめながら、空と明良は畑の周りをうろうろと歩く。
畑の中で苗や野菜が残っている場所には幸生が棒を立てて紐を張り、間違って入らないようにしてくれている。それ以外の場所はもう作物がないので、二人は安心してまだ入っていない場所にも踏み込めるのだ。
明良は畑に残った畝が作るなだらかな山に足を乗せ、空を手招く。
「そら、ほら。ここのひかげなら、ゆきのうえ、そーっとあるけばわたれるよ」
「しずまない?」
「かたいからだいじょうぶ!」
固く締まった雪は、空と明良くらいの体重なら容易く支えてくれる。
そうっと足を出して体重をかけてみたが、確かに雪の山は沈まなかった。かつかつと足踏みしてみても、空の軽さでは軽くへこむだけだ。
「ふわ……ゆきのうえに、のれるんだ」
「うん! こういうの、えーっと……しみわたり? だったかな。どっかで、なんかそんなこというって、じーちゃんがいってた!」
(しみわたり……凍み渡り? 聞いたことがあるような……綺麗な言葉だなぁ)
固い雪の上を歩いて行くだけのことが、何だかとても新鮮で面白い。
時々ズボッと潜ってびっくりして、明良と顔を見合わせて笑い、引っ張り上げてもらったりもした。
「そういえば、ぼく、まえにアキちゃんがすきそうなみけいし、みつけたんだけど……うもれちゃったね」
「うん。でもまたはるになったらいっしょに……いっしょに、さがせるかなぁ」
雪に埋もれた庭を見回してそう言いかけ、明良は不意に肩を落として呟いた。
「アキちゃん? どうしたの?」
明良は何でもないと笑おうとして失敗して、おかしな顔をしてぎゅっと口を引き結んだ。
「なんかあったの?」
空が聞くと、しばらく黙り込んだ後、明良は視線を下に落としたままゆっくりと口を開いた。
「おれ……おとうとか、いもうとができたって」
「おとうと……あかちゃん?」
「うん」
「わぁ、おめでとう!」
明良は以前から時々兄弟が欲しいと言っていた。空と仲良くしてくれるのも、弟のように思ってくれているからだ。
けれど念願の弟妹が出来るかもしれないというのに、明良の表情は冴えなかった。
「……アキちゃん、やなの?」
「ううん、うれしい。すごくうれしい……でも」
嬉しいと言いながら、明良はぎゅっと顔をしかめる。
「とうちゃんとかあちゃんが……もしかしたら、ひっこすかもって」
「え……」
「うちのまもりがみの、ウメちゃん……もうずっとでてこないんだ。としよりだからって。だからことしは、ねこをよんだって」
明良は途切れ途切れに、順序もなく辿々しく理由を話す。空はそれを必死で追い、何となくだが事情を理解することができた。
(うーん……アキちゃんちの両親が、あんまり強くないっていうのが問題なのか)
ウメちゃんというのは矢田家を守る家守で、梅の木の精霊だという話だった。しかしその梅の木が年を取り、最近ウメちゃんが表に出てくる事がほとんどないのだという。
家守のウメちゃんがもしかしたらこのまま消えてしまうかもしれない、そうなるとこの家で赤ちゃんを産んで育てるのに不安が残る、とそういう話を両親がしていたのを、明良は聞いてしまったらしい。
明良の祖父母の美枝と秀明は十分に強いが、二人もまた年を取りつつある。家や家族を守る強さに自信がない明良の両親が子供を安全に産み育てるために、もう少し危険度の低い地域に引っ越してはどうかと検討していたというのだ。
田舎の生き物にいちいち驚きびくつきながら日々を過ごしている空には、その気持ちが十分わかる気がした。
そして、明良の気持ちも。
「おれ、やだ……おれ、ここにいたい……きょうだいはうれしいけど、おれ、ここがすきだ」
「うん……」
「おれがもっとおおきかったら、かあちゃんもきょうだいもまもってやれるのに……おれがもっとおとなで、つよかったらよかったのに」
だから今日はいつもより沢山食べたのか。そう納得して、空は目元を拭う明良にそっと寄り添った。
「きっと、だいじょぶだよ……だって、いっきゅう? からにきゅうになるって、じぃじいってたもん。ひっこさなくてもよくなるよ!」
「そうなのかな……」
空は明良の手を取り、ぎゅっと握って頷いた。
「うん! そしたら、ぼくのままもかぞくも、あそびにきてくれるんだよ! とうきょうのひとがこれるくらいだから、きっとだいじょうぶだよ!」
「とーきょーのひとって、すごくよわいんだっけ? そっか……」
空の言葉に明良は少し元気を取り戻した顔になった。東京の家族を引き合いに出して少し罪悪感があったが、嘘ではない。
「これから、アキちゃんだってどんどんつよくなるし! あ、ねこさんにおねがいして、もうちょっといてもらうとかどうかな?」
「もうちょっとって、はるがおわっても?」
「うん! そしたら、ぼくもあいにいけるし……」
「ホピッ、ホピピピ!」
下心が若干滲んだ空の提案に、フードの中で大人しくぬくぬくしていたフクちゃんが急に声を上げた。もちろん、その提案を非難しているのだ。
「あはは、フクちゃんがやきもちやいてる!」
パタパタ羽ばたきながら空に抗議するフクちゃんを見て、明良はようやく笑顔を見せた。
それを見て、空もほっとして一緒に笑う。
新しい年も、そのあとに来る春も、こうしてずっと一緒に笑っていられますように。
空と明良は、同じ願いを抱えて雪の上で笑い合った。