113:初めての雪遊び
「うわぁ、ゆき! さくさくする!」
暖かい格好をして外に出た空は、地面を踏みしめて歓声を上げた。
雪は空がご飯を食べている間も降り続いていたようで、朝一番に見た時よりさらに増えている。
空は十センチくらい積もった雪の上に長靴で踏み出し、人生で初めての感触に感動を覚えた。
「ゆきって、こんななんだ……!」
さく、と踏むとぎゅっと足の下で音がする。そうっと足を持ち上げると、空の小さな足形がくっきりと残って白い地面に影を作った。
「ほわあ……なんか、すごい!」
何がすごいのかはわからないが、空にとってはとにかく何かがすごいという気がする。
空の今世では体が弱くて冬に外遊びなどしたことがないし、前世では親も含めて完全なインドア派で、スキーの授業があるような地域にも住んでいなかった。
雪と言えばたまに東京でも積もるほど降った気がするが、べしゃべしゃと水っぽくて遊ぶほどの量もなく、大騒ぎした割にすぐ消えてしまった記憶しかない。靴やコートが濡れて、払ってもじっとりと冷たくて鬱陶しく、時に電車を止める厄介者という意識しかなかったように思う。
空は手袋をした手で雪をそっと掬い、ふわふわしたそれに顔を近づけ、何となく匂いを嗅いでみた。
「においしない……」
「ふふ、したら困るわ。こんなにあるのに」
(そうだよね、元は水だもんね。でも、水がこんなにふわふわになるの、すごいなぁ)
上を向けば、雪がひらひらと降ってくる様が目に入る。
あとからあとから、羽毛か花びらのように灰色の空から白い物が降り注ぐ。
触れれば消えてしまうような儚いものなのに、辺りを白く染めるほど降るということが空には何だかとても不思議だった。
空は両手を合わせて、手の中の雪をぎゅっと握ってみた。それから手を開くと、雪は圧縮されて歪な塊になっていた。
「ふしぎ……」
「そうね。空、雪だるまでも作ってみる?」
「ゆきだるま! しってる!」
パッと顔を上げて空が頷く。雪だるまなら空でも知っている。一度も作ったことがなくても、そのモチーフはあまりにも有名だ。
空はさっそく手の中の塊にさらに雪を追加し、ぎゅっぎゅっと握りこんで丸い玉を作ろうとした。
「んん……? まるくならないよ?」
手でぎゅっとしただけでは手の形におかしなでこぼこが出来てしまう。へこんだ部分に雪を追加してみたが、今度はそこだけぽこりと膨らんでしまった。
削ろうとしてみたが、固まった雪は小さな手では上手く削れない。空はもうちょっと、もうちょっとと雪を足し、けれど一向に丸くならない塊に首を傾げた。
「む、むずかしい!」
「空の手はまだちっちゃいものね。じゃあ、仕上げはばぁばがしましょうか?」
「ううう……も、もうちょっとがんばる!」
雪乃にしてもらえば綺麗な玉になるのはわかりきっているが、せっかくなので自分でやってみたかった。空はペタペタと少しずつ雪を足し、出来る限り球体に近づけようと奮闘した。
「こんなでどうかな……」
空は地面に置いた雪玉を前後左右から真剣に見つめて頷いた。
雪を足し続け、最終的には持てない大きさになったため、地面に下ろしてさらに雪を足したり手で削ったりして、どうにかそれなりに球体っぽい雪玉が出来たような気がする。
初めてにしては上出来ではないだろうかと評価し、顔を上げるとそんな空を楽しげに見つめる雪乃と目が合う。
空はまだ見慣れぬ若い雪乃にちょっと戸惑いつつも、その評価を待った。
「とっても良く出来てると思うわ! それは体にする?」
「からだ……そうだ、あたまがいるんだ!」
球体を作る事に必死で、雪だるまというのは頭と体がセットである事を空はすっかり忘れていた。
「頭は体より少し小さくね」
「うん!」
空はまたせっせと雪を集める。最初の玉をさっきよりも丸くなるよう意識して気をつけて作り、そこに雪を足していく。
「うーん、やっぱりむずかしい……」
それでもさっきの物よりは大分短い時間である程度の形になった。少し小さめに作ったので、どうにか頭になりそうだ。
「くっつけてみる?」
「うん!」
傍で根気よく見守ってくれていた雪乃に促され、置いてあった雪玉に、今作った物をそっと乗せてみる。
「どうかな……ちょうどいい、かも?」
「ええ、良いんじゃないかしら。上手に出来ていると思うわ」
出来上がった雪だるまを見て空は首を傾げつつ、ひとまずこれで良しとした。
考えてみれば、そもそも雪だるまの適正なバランスというものを空は知らないのだ。雪乃が上手だというのならまぁいいかと妥協し、それからキョロキョロと辺りを見回した。
「空、どうしたの?」
「んと……かおになるもの、なにかないかなぁ」
雪だるまの顔には黒い目に鼻があったような気がする。口はあったりなかったりだろうか。あとはバケツの帽子や、木の枝の手などが定番だと考え、空は何かないかと雪乃に問いかけた。
しかし雪乃は急に真剣な顔になると、ダメよ、と首を横に振った。
「空、この村では、雪だるまには顔は付けちゃいけない事になってるのよ」
「え? なんで?」
顔のない雪だるまなんて何だか寂しい気がすると空は思う。しかし雪乃は続けた。
「絶対に名前も付けちゃだめよ。そうじゃないと命が吹き込まれて……夜中に動き出して仲間を増やしたりして、悪さをするからね」
「なにそれ!? こわい!」
空はぎょっとして足下の小さな雪だるまを見た。何の変哲もない、大きさの違う雪玉を二つ重ねただけのただの雪だるまだ。それが急に不気味に思えて少しだけ後退った。
「怖いっていうか……すごく害があるわけじゃないんだけど、いたずら好きで鬱陶しいのよ。徒党を組んで村人に雪玉を投げてきたり、家の前に雪の壁を作ったりするし」
「じみにやだ!」
「嫌でしょう? 一度増えると雪がある間はなかなか全滅させられなくて大変なの。だから、この雪だるまはこのまま玄関に飾っておきましょうね」
空は初めて作った雪だるまが、急に見知らぬ妖怪に変わってしまったように感じた。
そんな雪だるまを雪乃はそっと持つと、壊さないように気をつけながら玄関の屋根の下に置く。
「この辺でいいかしら……あ、手くらいなら大丈夫だから、付けましょうか」
雪乃はそう言うと、庭の方に歩いて行き、どこかから細い棒を拾ってきて二本に折ってくれた。
それを雪だるまの体に上向きにぷすりと刺すと、それだけで何となく可愛さが増す。
「……かわいいね」
「ええ。可愛い雪だるまだわ。動かないしね」
初めての雪だるまを可愛いと思うと同時に、不気味にも思う。自分の中の相反する気持ちに整理が付かず、空は雪が降り続ける曇り空を仰ぎ見た。
(雪だるまでもダメって事は、ひょっとして雪像を作るお祭りとか存在しないのかな……)
有名人や名のあるキャラクターを模した雪像が作られたら、動き出したりするんだろうか。
(まだ怖いから聞かないでおこう)
聞かずに先送りしている事案が段々と降り積もっていることには目を瞑り、空は動かない雪だるまの頭をそっと撫でる。
どうやら世の中には、動くと可愛いものと可愛くないものがあるようだ。
空はまた一つ賢くなった……ことにした。