109:いつかの宿題
「とにかくまあ、あれだ。良いか、空」
「はい?」
「この世は、生きている人間が一番強いのだ。お前たちの思いは、時に我らのようなものを生み出し、あるいは討ち果たすこともあるほどの可能性を秘めておる」
アオギリ様は空の目を真っ直ぐに見て、そう告げた。
「だからこそ、我らの様なものの中には、人を求めるものがおる。手っ取り早く己の存在を安定させる為に、人を必要とするものが」
「……それ、こわいはなし?」
「怖いかどうかはわからぬ。力あるものと寄り添うのは、悪いばかりではない。だが、悪いこともある」
悪いことと言うのがどういうものか、空には具体的にはわからない。
けれどアオギリ様も隣の澄子も真剣な顔をしていて、空は姿勢を少し正してその顔を見返し、耳を澄ませた。
「良いか、空。我はもうすぐ眠る。我が眠れば動くものがあるかもしれぬ。前にも言うたが、どこか遠くから呼び声が聞こえても、耳を傾けず、知らぬ振りをしなさい。決して答えてはならぬ。七つになるまでは、決して」
「ななつ……」
「お主はちと珍しい魂の色をしておるから、もしかしたら大丈夫かもしれぬ。だが、子供は守られてしかるべきもの。そのもしかに頼る必要はないのだ」
魂の色、という言葉に空はドキリとして思わず胸を押さえた。すると微かに空が震えたことを感じたのか、膝の上からフクちゃんがぴょんと飛び降りてアオギリ様の前に進み出て、ぐいと首を反らして胸を張った。
「ホピピッ、ホピ!」
「何だ、フクが守るのか? うむうむ、それは良い心意気だ」
「ふふ、可愛いわね」
「えへへ、ありがと、フクちゃん」
空がお礼を言うと、フクちゃんは嬉しそうに羽をふわりと膨らませてくるくるとその場で回る。
皆がフクちゃんを見て和んでいると、不意に部屋にあった時計がポーンと一つ音を立てた。
それを見上げた澄子が慌てたように立ち上がる。
「あら、やだ。もう十一時。お昼に子供たちに出すお味噌汁の準備をしなきゃ!」
「おみそしる?」
今日神社で過ごす子供たちはそれぞれおにぎりなどのお昼ご飯を持ってきている。留守番の大人たちがお昼前に温かい汁物などを用意し、それを振る舞う予定でいたのだ。
「ええ。もう誰か準備を始めてるはずだわ。私も手伝ってきますね、アオギリ様」
「うむ、ご苦労だの」
傍にあった畳んだエプロンを手に取り、澄子はパタパタと部屋の入り口へと向かい、戸を開けて振り向いた。
「お昼になったら空くんも貰いに来てね」
「うん!」
絶対行くという決意を込めて、空は元気よく頷いて澄子に手を振った。
空がおやつに持ってきた風呂敷包みの中はもう空っぽだ。しかしお昼の分はちゃんと別に用意して持ってきていた。
「空は、昼にも握り飯を持ってきたのか?」
「うん! えっとねー、おひるのはろっこなの!」
「ほう、よう食べてえらいのう」
好きなだけ食べているだけなのに褒められて、空はえへへ、と笑う。
それから、そろそろまた明良たちとの遊びに戻ろうかと風呂敷や竹の皮を手に取り、なるべく丁寧にひとまとめに畳んだ。
「……ね、アオギリさま」
「ん? どうした?」
「ぼくのたましいって、なんかへんなの?」
さっきのアオギリ様が言った一言が空にはどうしても気になって、風呂敷を畳みながら顔を上げずに問いかける。
自分に残るうっすらとした前世の記憶や、それに影響を受けた心がおかしいのだと言われたらどうしようと思いつつ、それでも聞かずにはいられなかった。
アオギリ様はそんな空のつむじをしばし眺め、それからううむ、と一つ唸った。
「どう言えばいいのかの……空は賢いから、わかるかもしれんが」
空が顔を上げれば、アオギリ様はむぅと口をへの字にして悩んでいた。
「わかんなくてもいい……です」
「そうかの? ふむ……空の魂にはの、何というかちと影のようなものが差しておるのだ」
「かげ?」
「そう……影は印象が悪いかの? 少しばかり色がついておると言った方が良いかもしれん。その色が、空に影響を与えておるように見える」
空は何となく自分の体を見下ろした。けれど自分では何も見えない。毎日顔を洗う時に鏡を見ているが、特に気になることもない。アオギリ様のような存在にしか見えないのだろうかと思いながら、空は言葉の続きを待った。
「輪廻……生まれ変わりというのは、空にわかるかの? それは確かにあるし、魔法学とやらで実証もされておる、らしい」
「うまれかわり……」
その言葉に空の胸がまた跳ねる。それと同時に、実証されているのなら空のように前世の記憶が消えない事も不思議では無いと言う事なのかと、少しホッとしたような気持ちも湧く。
「人は生まれ変わるときに皆真っ新な魂で生まれてくるが、たまに生来不思議な色を纏う者がわずかだがおる。わしが見たところ空のような状態は……アレは何と言うたかな、ほらあの、学校で子供がもらってくる家での勉学の」
「しゅくだい?」
「おう、それそれ。それだと思うのだ」
空が言い当てると、ポンと手を叩いてアオギリ様はスッキリした顔で笑った。
「ぼく、しゅくだいがあるの?」
「うむ、恐らくな。生まれ変わる前に何か心に残した事があって、それが今の空にぺたりと貼り付いておるのよ」
空は自分の前世の記憶について考えてみたが、よくわからなかった。そんな風に宿題と思えるような心残りを特に感じないのだ。
強いて言うなら田舎で過ごしたことがなかったという記憶からくる、田舎でスローライフをしてみたいという願いくらいじゃないかと思う。
それならば、ここに来たことで既にかなり叶っている気がするのだが。
空が考え込んでいると、アオギリ様がそういえばと小さく呟いた。
「この間、トンボが来たときな。わしに手を振って名を呼んでくれたろう」
「うん」
「あの時、空の声は何故か不思議とよう聞こえたのだよ」
「ぼくのこえが……なんで?」
上空にいたアオギリ様に届くかどうかなど考えもしなかった。ただお礼が言いたくて大きな声を出し、手を振った。あの時アオギリ様の名を呼んだのは自分だけではなかったはずだ。
「さて、何故かの……魂に残した宿題というのはな、今の生にも影響を残すことが多い。それは苦手なものや得意なものとして現れたり、魔法や能力などにも関わる事がある。もしかしたら空は、誰かに声を届けたいと願ったことがあったのかもしれぬな」
「こえ……」
やはり心当たりがなく、困ったような顔をした空の頭をアオギリ様は優しく撫でた。
「まあ要するに……わしには魂の様子から、空が少し普通の子より少々賢そうだとか能力が面白そうだとか、そういう事が多少わかるというだけだ。宿題やら何やらはわからずともあまり気にするな。そういうのは大人になる頃には消えていることも多い」
「じゃあぼく、へんじゃないの?」
「変か? いやいや、もっと変なものはこの村の周辺には溢れかえっておる。米田の夫婦のように人間か疑うくらい強い者もおるしな。人ではないという意味では我だって十分変であろう」
アオギリ様は首を横に振り、ケラケラと笑った。
空はその言葉に自分の祖父母を思い浮かべ、確かにそうだな、と思わず納得してしまった。
「誰もが、誰とも真に同じではないのだ。ならば変でない者などおらぬようなものよ。そんな事は気にせず、好きなように過ごすがよい」
「……うん!」