107:一方の狩り
一方その頃。
東地区のスイカやトウモロコシ畑だった場所ではそろそろ狩りが始まろうとしていた。
夏の間この畑は、作物の逃亡防止や勝手な飛散防止のために木の板で作った背の高い柵で囲われていた。
今は隣り合わせた広い畑を区切っていた部分と山裾に面した部分の柵が取り払われ、一面のだだっ広い畑となっている。朝から集まった全員で、まずその余分な柵を取り払う作業を行っていたのだ。
柵の板は来年も使うので丁寧に束ねて安全な場所に運ばれた。
がらんとした広い畑には、入り口から手前三分の一ほどの場所にだけ、獣を寄せる餌とする為の作物が植えてある。大根や白菜、菜っ葉など限られた種類の冬野菜だ。
「さて、柵は終わったが……野菜はどうする? 全部はいらねぇだろうし、もったいねぇからある程度抜いちまうか?」
東地区勢として参加している善三が畑の一角を指さして幸生に聞いた。
幸生はその問いに首を横に振った。
「今年は餌を走り大根、跳び白菜、暴れ冬菜に絞ってみた。どれも狩りが始まれば勝手に端に逃げるか、適当に反撃するはずだ」
ここの畑は幸生を始めとした農作業が得意な者たちが共同で管理している。
魔獣をおびき寄せる餌用といえども、育てた野菜を狩りの間に食われたり踏み荒らされたりするのは忍びないと、自力で逃げたり反撃する力を持つものにしておいたらしい。
「走って村の中に逃げねぇか?」
「入り口を閉めてあるし……逃げたら後で野菜も狩れば良い」
周りにいた村の衆もその意見に顔を見合わせ、そうだな、そうするかとそれぞれ頷く。
「じゃあ狩りが終わったら野菜も狩って、鍋にでもするかぁ。幸生さんの育てた野菜は美味いからな!」
「おう、いいな。なら猪肉がいいよな」
「すぐは固ぇだろ」
「うちに食べ頃で冷凍したのがちっと残ってたはずだから、そういうの出し合おうや」
方針が決まるともう狩りが終わった後の話をしながら、幸生たちは畑の奥の方に適当に散らばって間隔を開けて一列に並んだ。幸生はその列の中心辺りに立つ。
村人たちはさらにその後ろにも二本の列を作った。一番前の列の隙間を埋めるように、二列目に経験の浅い若者や、肉弾戦が少し苦手な者たちが並ぶ。
その後ろの三列目に並ぶのは、武志のようなやっと狩りに参加させてもらえるようになった子供たちだ。
前線は幸生や善三、その他の実力者が並んで大物を狩り、その間をすり抜けた若い魔獣を若者らが狩る。さらにその足下をすり抜けてくる小さな野ウサギなどを子供たちが狩るのだ。
「じゃあやるか」
「いや、ちょっと待て。雪乃さんたちの準備が出来たか確認してからだ」
やる気に満ちた幸生を横にいた善三が一旦止め、畑の端の方に視線を向けた。
雪乃は魔法が得意な人と一緒に、畑の塀の傍に氷の山を作っていた。狩った獲物の仮置きの為の場所を作っているのだ。
「このくらいでいいかしらね?」
雪乃たちの魔法によって出来たこぶし大くらいの氷は、塀の脇に積み重なって白い帯を作っている。魔法で出したり井戸から引っ張り上げた水を使って氷を作り、それを手分けして適度に広げたのだ。
狩った獲物はすぐに血抜きをして冷やさねば味が落ちてしまう。その為に、氷や水の魔法が得意な人達が大活躍だ。
「いいんじゃねぇかな。いつも通り血抜きやら水洗いは俺や他の奴がやるから、雪乃さんは解体後の冷凍を頼むよ」
「ええ、わかったわ。あ、でも美味しそうなのがいたら、ちょっと狩りにも参加するわね」
水魔法が得意な者の一人、明良の祖父の矢田秀明が雪乃に頷き、それから前線の方に視線を向けた。
「雪乃さん、善三が手ぇ振ってるぞ」
「あら、あっちも準備できたかしら?」
雪乃が振り向くと、善三がパタパタと手を振り、両手で大きく丸を作った。それを見た雪乃も善三に手を振り返し、同じように丸を作って合図する。それからその片方の手を天に向けた。その手に青白い光を放つ球がフッと現れる。
「よい、しょ」
小さな掛け声と共にその手が軽く振られると、光の球は真っ直ぐ天に向かって飛んでいった。
やがて見上げるほどの上空にまで昇った球が、一際強い光を放ってパァンと大きな音と共に弾ける。すると、それを合図にしたのか不意に空気がざわりと動いた。
辺りを包んでいた何かが少し遠ざかり、代わりに山からヒヤリとした風に似た不穏な気配が流れてくる。
それに気付いた子供たちが不安げに辺りを見回した。
するとその前にいた若者たちが振り向いて、大丈夫だと彼らを宥めた。
「アオギリ様が結界に穴を開けてくれただけだ。近くにいるやつから気付いてどんどんこっちに来るから、準備しとけよ!」
兄貴分たちに言われて、子供たちがハイ! と元気に返事をする。
それらを前の方の大人たちが微笑ましく見守り、同時に自分たちも近づいてくる地響きに気合いを入れた。
「来るぞぉ!」
誰かが大きな声で叫ぶ。畑の柵を取り払えば目の前は山へと続く緩やかな傾斜地だ。下草が綺麗に刈られて手入れをされた林が広がっている。
その向こうからドドドドド、という地響きと振動が徐々に近づいてくるのがそこにいる全員に伝わっている。
しかし一番後ろの子供たちが少し緊張しているくらいで、悲壮な空気は誰にもない。前に立つ大人たちは冬の肉がどのくらい欲しいだの、今年の脂のノリはどうだろうなだのと暢気な話をしていた。
一番危険な場所に立つ幸生はといえば、空はどのくらい食べるだろうか、美味しいと喜ぶだろうか、またじぃじすごいと目を輝かせてくれるだろうかと、その頭の中は孫で一杯だ。
「おう、幸生。孫可愛さに狩りすぎるなよ? おい、聞いてるか? おい!」
微動だにしない幸生に、隣にいた善三が心配して声を掛けた。幸生はそちらをちらりと見て、うむ、と頷く。
「聞いてる……雪乃にも大物は五匹くらいで我慢しろと言われている。だが少なくないか? せめて十……二十……いや、五十くらいはいいんじゃ……」
「やめろ! 狩り尽くすな!」
「空ならきっと食う」
「さすがに無理だっつーの! いや……無理だろ? 無理だと言え!」
空の底なしの胃袋をふと思い出し善三は不安に駆られ、ブルブルと頭を横に振った。
その時、森の木々がざざっと大きく揺れ、その向こうからついに魔獣の群れが姿を現した。ドッと森が溢れるように、木々の合間から無数の獣が列を成して凄まじい勢いでなだれ込む。
その先頭にいるのは見上げるほど巨大な猪だった。それが細い木をなぎ倒しながら幸生に真っ直ぐ迫る。幸生は顔を上げてフン、と鼻をならすと、足を軽く上げて勢い良く地を蹴った。
「ピギィィィッ!?」
次の瞬間、大猪が突然地に沈んだ。ドゴンと大きな音を立ててその巨体が転げ、下半分が土に隠れる。幸生は自分が作った落とし穴に落ちた猪に僅か一歩で近づくと、その巨体の脳天を振り上げた拳で思い切り叩く。
「ギュアアアアアッ!」
ゴッ! と鈍い音が辺りに響き、大猪の悲鳴が再び上がった。そしてそれっきり大猪は沈黙し、力を失って穴の中にへたり込むように絶命した。
「あのデカブツが一撃かよ。気合い入りすぎじゃねぇか?」
それを横目に善三が呆れたため息を吐く。善三は小さくぼやきながら、右手の指に挟んだ細長い竹串をくるくると遊ぶように回して出番を待つ。
だが待つまでもなく、倒れた大猪の横を抜けて一匹の牡鹿が善三の方に真っ直ぐ向かってやって来た。
跳ねるように軽快に走ってきた鹿は善三の少し手前で速度を落とすと、その立派な角の間に炎を灯した。どうやら魔法が得意な個体だったらしい。
真っ赤な炎は角の間で凝縮され、見る間に燃えさかる火の玉となる。
そしてそれが善三に向かって勢い良く撃ち出され――る直前に、しかし唐突に牡鹿は急にふらりと体を傾け、ドッと倒れた。
口からは泡を吹き、何度か足が宙を掻いたが、やはりそれっきり牡鹿はピクリとも動かなくなった。
牡鹿の眉間には、さっきまで善三の手にあった竹串がいつの間にか深々と突き刺さっていた。




