106:おやつは必須
「アキちゃん……ぼく、ちょっときゅーけーするね……」
しばらく遊んだあと、空は足を止めて明良に休憩を申し出た。
少し疲れたなと思った頃にお腹が鳴り、肩に乗っていたフクちゃんが空の頬をツンツンと突いて休もうと促してくれたのだ。
空はまだ他の子供たちよりも体力がない。明良や結衣は空より年上だし、同じ歳の他の子も田舎育ち故に空よりずっと体力がある。そんな子たちと一緒に駆け回っていたのだから、疲れるのも当然だった。
「そらちゃん、つかれちゃった? だいじょうぶ?」
「うん。ぼく、なかでちょっとおやすみして、おやつたべてくる」
「わかった、じゃあまたあとでな!」
時刻はちょうど十時頃だ。燃費の悪い空の体はそろそろ燃料を必要とする。
空は明良たちに手を振って拝殿に入ると、子供たちの荷物が置いてある場所から雪乃が置いていった風呂敷包みを探して手に取った。
中身はおやつのおにぎりや水筒だ。それからどこかそれを食べるのにちょうどいい場所はないかと辺りを見回した。すると拝殿の奥の方でアオギリ様が空の方に手を振り、手招いてくれたのが見えた。
「空、一休みか?」
「うん。おなかすいたから、ひとやすみ、です!」
空が風呂敷包みを掲げて嬉しそうに報告すると、アオギリ様はにこりと笑って拝殿の脇にある小さな出口の方を指さした。
「ならばあちらの建物で食べたら良い。ここは開け放しておって寒いからの。あちらにはちょっとした作業や休憩をするのにちょうど良い部屋があるのだ」
「いいの?」
「うむ。空はまだちと村の子より弱かろう。休みを挟むのは良いことだ。我と一緒にお茶を飲もう」
空は傍で小さな子をあやしていた美枝に手を振り、アオギリ様と連れだって拝殿を出た。
屋根付きの渡り廊下で繋がった建物は、社務所や神主の龍花家の住居となっているらしい。
渡り廊下のすぐ先にあった戸をアオギリ様が開けると、そこは囲炉裏のある畳の間になっていた。
「あら、アオギリ様。どうされました?」
「うむ、澄子か。ちと茶でも飲もうかと思うてな。空を誘ってきたのだ」
囲炉裏の傍には繕い物をしている巫女姿の女性が一人座っていた。白く長い髪を後ろできちんと結んだ、上品で穏やかそうな雰囲気の老婦人だ。
澄子、と呼ばれたその人はアオギリ様の後ろにいる空を見て微笑み、どうぞと中へ誘ってくれた。
「こんにちは、そらです!」
「あら、元気ねぇ。私は龍花澄子ですよ。ここの神社の神主の奥さんなの」
「かんぬしさんのおくさん……やよいおねーちゃんたちの、おばあちゃん?」
「ええ、そうよ。どうぞよろしくね」
そう言って澄子は優しい笑顔を見せた。澄子はこの神社の仕事を手伝っているが、もう年なので裏方に回ると言って表の仕事は全て弥生に任せて滅多に顔を出さない。
今日も弥生は子守に参加して子供たちと追いかけっこしていたが、澄子は裏で片付けものなどをしていた。辰巳や大和は村のどこかで狩りに参加している。
「お茶を入れますね。空くんも何か飲むかしら?」
「ぼく、ばぁばのおちゃがあるから、だいじょうぶ! アオギリさま、ここでたべていい?」
「うむ。囲炉裏の傍に来るとよい。暖かいからの」
「ありがとう!」
手招きされたので、空は囲炉裏の傍に腰を下ろした。暖かな空気が心地いい。
皆と一緒に走り回っているときは気にしなかったが、一度休むとやはり空気の冷たさを感じてしまう。
空はさっそく風呂敷包みを丁寧に開いた。中身はおにぎりの包みと竹筒の水筒だ。一緒におしぼりも入っていて、空はまずそれで手を丁寧に拭いた。
「いただきます!」
空のおにぎりは竹の皮で包まれて紐で結ばれていた。空はお弁当箱よりもこの包み方が気に入っていて、それを知っている雪乃が毎回こうして包んでくれるのだ。
この古めかしさが空には逆に新鮮で、物語に出てくるアイテムのようで何だかうきうきして、おにぎりがより美味しい気がして嬉しい。
今日のおやつのおにぎりは、漬物にした大きな葉っぱで包んで鮭を入れたものと、炒めた大根の葉の混ぜご飯だ。大きなおにぎりはどちらも二つずつ入っていた。
空はさっそく菜っ葉のおにぎりを手に取って大きく口を開けて齧り付いた。その間に澄子がお茶を入れ、アオギリ様に差し出す。
空が大きなおにぎりを両手で持ってリスのように頬を膨らませ、時折頬についた米粒をフクちゃんに取ってもらっている様を面白そうに眺めながら、アオギリ様もお茶を飲み少しばかり干菓子を口に運ぶ。
アオギリ様は金色の瞳で空を見つめながら、それでいてどこか遠くを見ているようでもあった。
大きなおにぎりを三つ食べ終えたところでやっとお腹が落ち着き、空は満足そうにお茶を飲んだ。
竹筒の中の麦茶は何故か温かく、ちょうど飲み頃の優しい温度なのが嬉しい。
ふはぁと満足そうな息を吐くと、それを聞いていたアオギリ様がくすくすと笑う。
「空は、よう食べるのう。しかも美味そうに食うなぁ」
「だって、ばぁばのおにぎり、おいしいから!」
「そうかそうか。飯が美味いのは良いことだな」
「ばぁばのごはん、いっつもおいしいよ! きょうもね、じぃじとばぁばが、おにくいっぱいとってきてくれるって!」
空が期待に目を輝かせてそう言うと、アオギリ様はさらに面白そうに笑った。
「わはは、米田のが行く場所は、穴の周りの結界を厚くしてくれと頼まれておるぞ! 幸生が張り切りすぎて穴をでかくするかもしれんとな」
「アオギリさま、そういうのできるの?」
「うむ、出来るぞ。まぁちょいちょいとな」
「すごーい!」
空が素直に尊敬の眼差しを向けると、アオギリ様は笑って空の頭を撫でた。
アオギリ様の大きな手は、実は少しだけ爪が細長く尖っている。けれどその爪が幼子を傷つけぬよう、注意深く優しく手が動く。
空はその優しさを感じながら、アオギリ様の顔をふと見上げた。アオギリ様に聞いてみたい事があったのを思い出したのだ。
「ねえアオギリさま……あんね、アオギリさまは、どうしてねちゃうの?」
「うん? 冬になるとか?」
「うん。うちのヤナちゃんは、さむいのきらいだっていうけど、ふゆもねむらないよ?」
「ふむ……」
空の問いにアオギリ様は少し首を傾げる。それから言おうかどうしようかと少し悩むような顔をした。
「ううむ……空は賢いようだから、わかるだろうかの? 我らのような人でないものはな、存在するのに様々な制約がある場合が多いのだ」
「せーやく?」
(漢字で書くと何だろ……制約、かな?)
頭の中で漢字を想像しながら、空はアオギリ様の言葉にじっと耳を傾けた。
「そう。何と言えばいいのかの……そも、我らのようなものが意思を持ち姿を持ち、人の隣人になるには、それまでの間に色々な過程があり、色々な要素が必要なのだ……そしてその色々なものが、我らの習性を決めてしまう」
「よくわかんない……」
空が首を傾げるとアオギリ様も困ったように首を傾げる。すると傍にいた澄子がくすくすと小さく笑った。
「そうですねぇ……ね、空くん。空くんの傍にいるその子は、どうやって生まれたの?」
「フクちゃん? フクちゃんは……ぼくがたすけてほしいって、おねがいしたから?」
「ホピピッ!」
「その姿も空くんが願ったもの?」
「うん。ぼく、こわくない、ことりみたいなこがいいなって」
膝の上のフクちゃんを撫でながら空がそう言うと、澄子はそれを見ながら頷いた。
「その子は空くんの願いから生まれて、空くんを助けてくれるのね。けれど小鳥の姿を得たから、小鳥のような習性に縛られ、喋ることができないのかもしれないわ」
「あ……」
「わかった? アオギリ様が仰っているのは、それと同じような事なの」
その説明に空は納得してアオギリ様をまた見上げた。
「うむ。我には、我がこの姿を得て今に至るまでの年月に応じたそれなりの歴史……物語がある。それ故、我は年の半分を眠りと共に過ごすという制約を受けておるのだ」
「ものがたりって、どんなの?」
空の素直な問いに、アオギリ様は少しだけ寂しそうな、困ったような顔をした。
「それは、空にはまだちと早い話であるからな……もう少し大きくなったら聞かせてやろう」
「えー、いまききたい、です」
空が残念そうにそう呟くと、澄子がアオギリ様の横で手をひらひらと横に振った。
「恋物語だから、自分から言うのが恥ずかしいのよ」
「これ、澄子!」
慌てるアオギリ様の姿に澄子はまたくすりと笑い、なら今日は別の物語を聞かせてあげると微笑んだ。
「べつのものがたり?」
「そう、この村の子供たちが大好きな、オコモリ様のお話。空くんはもうオコモリ様には会ったかしら?」
「オコモリさま!? あったよ! とんぼがきたとき、たすけてくれたの!」
空が嬉しそうに頷くと、澄子はオコモリ様を思わせるような優しい笑顔を見せた。
「オコモリ様はね、昔々、この村に住む普通のお婆さんだったの」
「そうなの? おじぞうさまなのに?」
「ええ。オコモリ様はごく普通に生まれてこの村で育ち、働いて、結婚して、子供を産み育てて、孫が生まれて……そんな、よく働く普通のお婆さんだったのよ。もちろん、ちゃんと名前も別にあったの」
空はオコモリ様の昔話に目を丸くして聞き入った。