99:冬来たりなば鍋遠からじ
山々を赤く染めた木々も気付けば葉を落とし、やがて景色はすっかり茶色く寒々しくなった。
そんな秋と冬の境目のとある日。
空は温かな囲炉裏の傍で絵本を開きながら、そわそわちらちらと目の前の自在鉤に掛かった鍋を眺めていた。
鍋の中身は色々な野菜と肉を沢山入れた汁物だ。雪乃が作る汁物は大体味噌味で、それがいつもとても美味しい。
お昼ご飯に食べましょうねと言われたものの、煮えるごとに良い匂いが漂ってきて、空は全く絵本に集中出来なかった。
(ご飯……合わせるなら何が良いかな。白米にお漬物? おにぎりも良いな……)
まだお昼には早い時間だというのにお腹がきゅうきゅうと音を立てる。魔力が足りるようになっても、相変わらず空の体は燃費が悪い。
けれど最近の空は、自分の体の燃費の悪さが意外と良い物だと思い始めていた。
何と言っても、美味しいご飯を沢山食べることが出来るのだ。小さな体のどこに消えていくのか不安になるような量を食べられてしまうのだが、いくら食べても最後までちゃんと美味しく感じられる。
朝ご飯も十時のおやつも、お昼ご飯も三時のおやつも、夕ご飯も、いつだって美味しい。
美味しいご飯が沢山食べられるというだけで、空はとても幸せだった。
(エンゲル係数っていうやつが怖い気がするけど……大きくなったら恩返しするから、今は甘えるのだ!)
空はついには絵本を放り出して囲炉裏の前にごろりと腹ばいになり、目を瞑って静かに鍋の音を聞く。鍋はくつくつと良い音を立て始め、蓋の隙間から漏れた湯気が良い香りを振りまく。
「はぁ……いいにおい」
「ピッ」
空がうっとりと呟くと、隣から小さな返事が返ってきた。
「フクちゃんもそうおもう?」
目を開け、顔を横に向けて隣にいる小さな相棒に問いかける。空の守護鳥のフクちゃんは、今日はいつもより少し大きく、ニワトリくらいの大きさで空の隣に座っていた。
「ピピピ……ホピ……」
思うからこれを取ってほしい。
フクちゃんの小さな声からそんな気持ちを何となく読み取り、空はフクちゃんの背に視線を向けた。
ニワトリくらいの大きさのその背には、ふわふわの羽毛に埋もれるように何かが貼り付いているのが見える。
空は手を伸ばしてその羽毛をちょっと持ち上げ、埋もれるものに声を掛けた。
「ヤナちゃん、まださむい?」
フクちゃんの背に貼り付いているのは、本性であるヤモリの姿をしたヤナであった。
今朝は天気が悪く、朝から冷たい木枯らしが吹いて時折雨も降っている。
そのせいで、寒さが苦手で辛いというヤナは朝から体温の高いフクちゃんにぴったりとはり付き離れないのだ。
小さなヤモリは空の言葉に寝かせていた首をちょっと持ち上げると金色の瞳を煌めかせ、細い尻尾をちょろりと動かした。
「もう寒くないのだぞ! しかしフクの羽は思いのほか心地良くて離れがたくてな……」
小さなヤモリの姿から、いつもと変わらぬヤナの声がする事に空はまだ少し慣れない。けれどもう寒くないということにはホッとした。
「よかったぁ。フクちゃんあったかいもんね」
「ホピピッ!?」
朝顔を合わせるなり、寒い! と叫んでヤモリの姿になったヤナに貼り付かれ、温まるまでだからと言われて我慢していたフクちゃんが驚いたように背の方を振り返る。
羽繕いしたいのもずっと我慢していたのに心外だ、と言わんばかりに、フクちゃんは羽をぶわりと膨らませてブルブルと身を震わせた。
「あっ、こらフク! 落ちるだろうが!」
「ホピッ!」
落ちれば良いのにと言いたげに、フクちゃんはタッと走り出し、囲炉裏と空の周りをぐるぐると回った。
「わっ、こら、走る、なっ!」
走り回るフクちゃんとその背で跳ねながらも必死でしがみつくヤナを眺めながら、空はくすくすと笑う。
囲炉裏のある部屋は暖かく、鍋の良い匂いが広がって幸せな気持ちにさせてくれる。
きっともうすぐ雪乃がやってきて、出来上がった鍋と山盛りのご飯を用意してくれるだろう。
冬の田舎も美味しい予感がいっぱいで、空は幸せそうに笑った。
大変お待たせいたしました。
冬編始まります。