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「おーい、佑斗ー、いい加減ご飯だからおりてきなさーい!」
階下からおかんの呼び声がする。
「・・・・ここは」
「ゆうとー!ご飯よー!」
意識を呼び覚ますいつもの小うるさい声に、俺が渋り声を上げていると、扉の向こうから「全くいつまで寝てるんだか」とぷんすか気を荒げている聞きなれた声がした。
どうやら階段を上がってきて扉の前に来たようだ。バン、と扉が開けられて扉前に花柄エプロンの仁王が立っていた。
「佑斗!もういい加減おきなさい!! 夕ご飯食べ損ねるわよ!」
言い捨ててさっさと部屋を出て行き、階段を降りていく音がする。
耳を澄ませば、階下から弟がお気に入りのレンジャーものの主題歌が流れ、調子外れの武の声と父親の声が重なる。
「なんだ・・・?」
記憶を甦らせようとしても、途中で真っ白になってしまい思い出せない。
友人3人と歩いて返っている途中、溝口かなでと合流し。
「・・・・?一緒に帰ったんだっけ?」
納得しようとしたのだが、なんだか合点がいかない。首をかしげていると腹が鳴り、いつの間にか自分がパジャマ姿でベットに寝ているのに気づいてぎょっとする。
思わず上半身を急に動かせば、腹部に走る激痛。
俺は自分のパジャマをたくしあげ、腹部を見て唖然とした。
「なんだ・・・これは」
真っ赤な拳の痕が腹部に刻印されているのを目に納めた時、全てが記憶の縁から甦り、黒髪の美少女の笑顔が脳裏によぎった。
「!」
俺はベットから急いで立ち上がり、状況の説明を求めて転ぶように部屋を飛び出した瞬間、廊下に転がっているものを見て我目を疑った。
「これ・・・は!」
廊下の端っこに武の車のおもちゃと重なるような格好で青いリボンの宝石のようなブローチが転がっていた。
しゃがみこんで手に触れようとした時、慌てたような足音が階段をかけ上がってくる気配を感じ、俺は急いで左隣のトイレに息を殺して閉じ籠った。
「あ、あったあった」
近くで誰かがなにかを拾い上げる声がした。俺は本能のままに、わずかに隙間を残したままのトイレのドアからその様子を確認しようと神経を尖らせた、が。
「ゆうと」
にやぁああああああ。
目の前に母親の顔があった。
笑っているのに般若のように恐ろしい顔である。
「ぎゃぁあああああああああ!!」
思わず悲鳴を上げた俺に詰め寄り、おかんはにっこりと極上の笑顔を向けて先程拾ったのであろう青いリボンのハート型の宝石のようなものを息子である俺にちらつかせる。
「おかあさんの言いつけは守りましょう」
地獄の底から響いてくるような母親の笑顔の恫喝に、俺はただただ涙目で頷くしかなかったのである。
この日を境に、俺は母親に対する態度を180度変えた、訳ではなかった。
うちではいつも通り、口うるさい母親が一人いて、のんびり屋の父とわんぱくな弟が一人いる。
俺は相変わらずダルイとか、ウザイとしか言わないし、母親との会話は大体平均3語で終了する。
ただひとつ、変わったことがあるとすればー、それは。
「いただきまーす」
毎朝必ず朝食が食卓に上り、弁当の残り物の真っ赤なタコさんウィンナーと卵焼きが置かれている。
子供番組を見ながら、大好きな戦隊ものの歌を調子外れに歌う弟の横でもくもくと朝食を食べ、いつもののように慌てて家を出る父親と母親のやり取りを耳に入れながら、朝食を完食する。
ペチャンコになっている通学カバンに「進路希望調査書」のペラい紙を1枚ポケットに突っ込んで、いつも通り、用意された弁当を突っ込んで玄関に向かう。
母親は脱衣所で洗濯物を回しているのか出てこない。
泥がすっかり落とされたスニーカーを履いて、気配に振り返ると花柄のエプロンを着た化粧っ気のない中年の女が笑って黒い折り畳み傘を差し出している。
「今日は午後から雨だから持っていきなさい」
俺は抵抗せず、素直に浮けとり小さく「行ってきます」と呟いて玄関の扉を開けた。
「行ってらっしゃい」
扉を後ろ手で閉めて空を見上げればカラッと晴れた冬の空だ。雨が降る気配はどこにもない。
俺はポケットから紙を取り出し、じっと見下ろした。
進路志望調査書には大きな文字でこうある。
曰く。
ー人の役に立てる仕事。
未来の詳しいことなんて今はわからない。ただ、全力で今を生きる。それだけだ。
願わくは、母親のように人を助ける仕事にー。
お読みいただきまして、
ありがとうございました。
これにて完結です。
母になってわかるのは、
おかあさんに休みがないと言うこと。
今年のバレンタインデー
母にチョコレートを贈ってみてはいかがでしょうか??
感想などもお待ち申し上げておりますー!