3ー2
俺の脳裏に朝の出来事が甦る。
いつでも365日休むことなく、朝食が生前と用意された食卓。ぶつぶつ文句を言いながら欠かさず作ってくれているタコさんウィンナー入りの茶色い弁当。
きれいにアイロンのかけられたワイシャツに、いつの間にかクリーニングに出されている制服。
泥がつけば自然と洗われているスニーカーに、臭いからとベチャベチャになるまでかけられているファフリーミングのスプレー。
言わなくても用意されている洗い立ての下着に、なぜサイズが分かるのか全く不可解なセンスのおかしい洋服。
やんちゃ盛りの武の着替えや父親の支度にも気を配り、自分はいつでも後回しの人間。
砂煙など問題ではない。
俺は拡大鏡のようにはっきりとおかんを視界に捉え、一目散に駆け寄った。
「うわぁああああ、おばさん、おばさーーん」
声を上げて泣いている方を見れば、触手に捕まっている俺のおかんの近くに、弟と同じ保育園の園児服を着た子供が泣きわめいている。
なんてことだ。
どういう状況か全く一切合切てんで検討もつかんが、恐らく俺のおかんはー。
「う、うう・・・。」
「おかん!」
5メートルほどの距離まで近づいた時、中年女の聞き苦しい呻き声が耳に届いた。
「おかん!生きているのか!!」
はっとして顔を向ければ、燃え尽きたボクサーのような表情をした母親が、こちらを認め優しく微笑んだ。
小さい頃、どんな時でもどんなことをしていても優しく微笑んでくれた表情そのままに。
「ゆう・・・と」
弱々しく笑った母親の頭や頬には気色の悪い透明な液体がこびりついている。
「おかん、おかん、大丈夫か!まってろ!今助けてー」
「私はいいの、佑斗」
「おかん、何を言って!?」
おかんはふ、と笑い震える左手をなんとか動かすと一人の少年を指差した。
「石崎さんちの和之くん・・・、熱が出たから、石崎さんのかわりに病院に連れていってたの・・・。特売もあったし、夕食の材料を」
「わかった。わかったから、何も言うな!待ってろおかん、今すぐに助けー」
「ー私は大丈夫。和之くんをお願い。それから、縁側に干してある洗濯物を取り込んで畳んで、いい加減自分でしまってね」
「わかった!わかったから!!」
「ついでに家に帰ったらお米を4合炊いて、お風呂を入れておいてちょうだい。武はお父さんがお迎えに行くから」
「おかん、おかん!」
「だから、あとは、たのんー」
頼んだわよ、とかすれた母親の声がした。
「おばさん、おばさんー!」
「おかん!!!」
地面から10cm浮いているだけのおかんの体がぐったりと動かなくなった。
耳鳴りと同時に身体中の血液が沸騰するような衝撃を覚える。遠くで小さな子供が泣き叫ぶ声が耳に届く。
悲鳴だったのか絶叫だったのか、俺にはわからない。
ただ、喉の奥で心から叫んだことはただひとつ。
ー誰かおかんを助けてくれ。
願いが通じたのかどうか。
俺が気づいたときには全てが終わっていた。