「婚約破棄だ!」と叫ぶのは……
「キャロライン・ラザフォード!その卑怯で暴虐な悪行の数々に愛想がつきた!よって婚約を破棄する!」
私の婚約者であるハンスウェル・ザッツザウェイが高らかに宣言をした。
彼は侯爵家の嫡男。私も侯爵家の令嬢。年も同じ。顔面偏差値も二人揃って平均よりは上かなあ、という程度。
婚約は親同士が決めたものだけど、世間ではとてもバランスのとれたカップルと褒めそやされている。
それなのに婚約破棄を突きつけられるなんて!
ハンスウェルの隣には、なぜか私の親友タチアナ・ワレンスキーが立っている。彼女から渡された巻き紙をハンスウェルはハラリと開いた。
「○月✕日。衣服に紅茶をかけて嘲笑う」とハンス。
「嘲笑ってなんかいないわ。慌てぶりがおかしくて、つい笑ってしまっただけよ」
そう答えると彼はきっと私を睨んだ。
「○月✕日。舞踏会でダンスの最中に足を踏む。その凶器のようなピンヒールで!」
「だって下手なんですもの」
また彼は睨んだ。
「○月✕日。庭園の池に突き落とす!」
「わざとではないわ。鯉を怖がって近づこうとしないから、よく見てほしくて押しただけよ」
「なぜ鯉なんかをよく見なくてはいけないのだ!」
「可愛いじゃない」
ハンスはため息をついた。
「なんたる悪行!」
「○月✕日。机の引き出しにカエルを隠す」
「珍しいカエルだったから見せてあげたかったのよ」
「だったら普通に見せればいい。なぜ隠す!」
「演出よ。珍しいカエルには素敵な登場シーンを用意してあげたいじゃない」
「詭弁だ!」
ハンスは決めつける。
「○月✕日。教科書にイタズラ書きをする」
「それは授業中にあくびばかりしていたから、少しでも目が覚めるといいなと思って……」
「嘘をつけ!どう見ても悪意あるイタズラ書きだ。どれも君がやった悪行の絵ではないか!」
「私は悪行をしたつもりはないわ」
「全く……」とハンスウェルは呆れたように首を左右に振った。「この期に及んでまだしらを切るのか。情けない」
それからも彼は私と『悪行』とやらをいくつも上げていった。
「さあ、分かったか!君はこれだけのことをしてきたのだ!僕の婚約者にはふさわしくない!よって婚約は破棄する!」
真っ赤になったハンスウェル。怒りのせいなのだろうか。
私はタチアナを見た。私とは全く違うタイプで優しくて可愛らしい。その可愛い顔に、嫌な感じの笑みが浮かぶ。
「……分かりました。婚約破棄を受け入れましょう。帰宅したら両親に伝えます。長い間、ありがとうございました」
私は諦めてそう言い、頭を下げた。
到底納得できないけれど、自分のしたことの報いなのだ。観念して引き下がるしかないだろう。
「え……」
頭を上げると、ハンスウェルは何故か呆然としていた。
「……いいのか?破棄で?」
「お互いの両親がどう話し合うかは分かりませんが、私は了承します」
親が決めた婚約なのだ。彼と私の意見だけで破棄することは不可能だ。けれどこれだけハンスウェルが嫌がっているのだ。きっと認めてくれるだろう。
「破棄には大賛成だ」
突如、凛とした声が響き渡り、どこから来たのかハンスウェルの叔父レーヴェンが私のそばに立った。
そしてさっと私の手をとると、指に口づけた。
「これでようやくキャロラインを口説ける」
「やめて下さい。遊び人」
氷点下の声と眼差しをレーヴェンに向けるが彼は気にせず、都中の女性が腰砕けになるという噂の妖艶な笑みを浮かべた。
「確かに僕は遊び人だったけれど、君にだけは本気だよ」
「ふざけんなー!!!」
その叫び声と共に猪が突撃してきた。レーヴェンと私はひらりとよける。
目標を見失った猪は勢い余って植え込みに頭から飛び込んだ。
慌ててタチアナが駆け寄る。
ここはザッツザウェイ侯爵邸の庭園。私は週一回の婚約者とのお茶の時間を過ごしに来ているところなのだ。
だというのにお茶が運ばれるより前に、ハンスウェルに婚約破棄を突きつけられた。なんてひどいのだろう。
しばらく猪、ではなかった、ハンスウェルは無様にじたばたとしていたが、なんとか植え込みから脱出した。すっかり葉っぱまみれだ。
だがその葉っぱを取りもせず、ハンスウェルは私たちを睨み付けた。
「いつまで手を繋いでいる!叔父上!キャロラインは僕の婚約者だ!」
「だってお前、婚約は破棄すると言ったじゃないか。それならさっさと口説かないと。キャロラインは人気だからな」
ハンスウェルはずかずかとやって来て、無理やりレーヴェンの手から私の手をもぎ取った。
「キャロライン。本当に破棄でいいのか?」
「ええ。だってハンスはそうしたいのでしょう?」
目を伏せる。
「キャロライン!」
ハンスウェルは悲鳴を上げるかのように私の名前を叫んだ。そして手を強く握りしめたまま、
「違うじゃないか!」
と再び声を上げた。
そっと上目遣いをすると、彼はタチアナを見ていた。
「全然違う!」とハンスウェル。
タチアナは、
「残念!」
と可愛く言った。
「安心して、ハンス」と私は再び伏し目にして弱々しく呼び掛けた。「ちゃんとあなたとタチアナを祝福するわ」
「違う!違うんだ!」悲痛な叫び。「僕はただ、君の過激なイタズラをやめてもらいたかっただけなんだ!イタズラが酷すぎるから婚約破棄をすると言えば、きっと君は改めてくれるとタチアナが言うから!」
タチアナめ。親友を裏切ってハンスウェルの味方につくなんて。
ちらりと彼女を見ると、気づいた彼女は肩をすくめた。
でも許してあげよう。このシチュエーションはなかなか美味しい。
私の趣味はハンスウェルにイタズラを仕掛けること。さっき彼が読み上げたのが、最近の私の成果だ。
「キャロライン!許してくれ、本気じゃない、破棄なんてしない!」
焦りまくるハンスウェルは、めちゃくちゃかわいい。眉を下げ情けない顔をして、私の手を握る彼の手は汗でぐっしょりだ。
ああ。いじめっこの血が騒ぐ。
「……だって。本気にしか見えなかったわ」再び弱々しい演技。「レーヴェン様が出てきたから、急に惜しくなったのでしょう。大モテのレーヴェン様に比べてハンスは全然ですものね」
「違う!そうじゃないんだ!キャロライン、本当に済まない、考えなしなことをしてしまった。僕は破棄なんてしない。君を失うなんて考えられない!」
「だけど私の『悪行』が嫌なのでしょう?私はそんなつもりはないのに」
「そりゃ嫌だよ!」
ハンスウェルの口調が強くて、思わず目を上げた。彼は変わらず情けない顔で頬を紅潮させている。
だけど彼がこんなに語気強く、嫌だと主張するのは初めてのことだ。
「僕たちは18だよ。もう子供じゃない。過激なイタズラをする年頃だと思うかい?」
ぷふっとレーヴェンが吹き出した。
「……だって。焦っているハンスも怒っているハンスも、とても可愛いのだもの」
「ありがとう。君に褒めてもらえるのは嬉しい。だけど僕は18。可愛いよりも格好いいがいい」
「お前のキャラじゃ無理がある」
とレーヴェン。うなずくタチアナ。
「ほら、世間一般のご意見的にも……」
「叔父上は黙って」
ハンスウェルがピシャリと言った。
珍しい。今日のハンスウェルはいつもと違うようだ。よほど『婚約破棄作戦』に賭けていたのだろうか。
「僕はね、もう可愛い少年じゃない」
「ハンスはいつまでも可愛いわ」
「残念ながら違う。僕は本気で君との関係を変えたいんだ!」
きょとん……となる。
関係を変える、とはどういうことだろう。
「それは婚約破棄?」
「違うって!僕は!」ハンスの手に力が入る。「年相応に君とイチャイチャしたいんだ!!」
ブフーと、いつの間にかテーブルについていたレーヴェンがお茶を吹き出した。
「そうよキャロライン」
とレーヴェンの隣に座るタチアナがしたり顔でうなずく。
「ハンスウェルはこんなにあなたが好きなのにキスもまだなんて、気の毒すぎるわ」
レーヴェンがお腹を抱えて笑っている。
「いい加減、大人になりなさい、キャロライン」
「タチアナ、援護をありがとう」とハンスウェル。「キャロライン。君の過激なイタズラが愛情だとはよぉく分かっている。だけれど僕は、愛情はもっと別の形で表してほしいんだ」
……。
何も答えられなくなって、うつむく。
ハンスウェルとの付き合いは、ゼロ歳からだ。
同じ侯爵家、ということを抜きにしても、親たちは仲良しだった。ふだんの交流はもちろんのこと、旅行も一緒に行くほどだ。
だからハンスウェルとはほとんど姉弟のような関係だ。私の方が誕生日は先だし、女の子のほうが成長も早い。子供のころは、完全に私がボスでハンスが手下だった。
それが13歳で婚約したころから、身長を抜かれ、足のサイズを抜かれと差が逆転し始めた。それが悔しくて。余計にボスとして意気込み、がんばってきた。
……今さらイチャイチャなんて。
無理だよ。
どんな顔をすればいいか、分からないもの。
「……私、可愛いハンスウェルがいい」
「分かった。可愛いでもいい。でもイチャイチャはさせてくれ!僕はずっと我慢してきたんだ!」
「そんなにイタズラが嫌だったの?」
「違う、我慢をしてたのはイチャイチャ!ようやく婚約しても、君は一向に僕を意識してくれなかったし、もう待ち疲れた」
「ようやく婚約?」ハンスウェルの顔を見る。「父様たちが決めたのよね?」
「そりゃ決めるのは当主だからね。君の父上にどれほど頼み込んだことか!3年もかけてようやく婚約できたのに、僕はずっと君の手下のまま!」
「3年?父様に頼んだの?ハンスが?」
全くの初耳だ。
ハンスウェルは目をぱちくりさせた。
「……キャロライン、知らなかったのか?」
「ええ」
とたんにハンスの顔が険しくなる。
「プロポーズは!?まさか覚えていない!?」
プロポーズ?なんだそれは……と言える雰囲気ではない。背中を嫌な汗が流れ落ちる。
「君が言ったんだぞ!『ずっとハンスと一緒にいたい』って」
「ええ?」
それはプロポーズではないような……。
「だから僕が『僕と結婚してくれるならいいよ』って言ったら君は『うん』と答えてくれたんだ」
「それ、何歳の話だ」とレーヴェンが問いかける。
「10歳」とハンスウェル。
「そりゃプロポーズのうちには入らないな。子供じゃないか」
レーヴェンの言葉にタチアナがうなずく。ハンスウェルの顔から血の気が引いた。
「まさか……キャロライン、本当に婚約破棄になっても構わないのか?僕へのイタズラはただのイタズラ?僕を好きな訳ではないのか?」
な、なんだろうこの展開は。
なんて返答してよいのか分からなくておろおろしていると、ハンスが突然ひざまづいた。
「キャロライン!君を愛してる。僕と結婚してくれ。そしてイチャイチャしてくれ!」
「イチャイチャ必須!?」
「そこは譲れない!」
ハンスの顔は真剣で。さすがに適当に流す場面じゃない。
ひどく鼓動が速まる。
「……イタズラを続けてもいいのなら……」
ハンスが私の手に口づける。
なぜかレーヴェンとタチアナがスタンディングオベーションだ。
顔が熱い。
「ただひとつだけ訂正していいかしら」
「なんだい?」とハンスウェル。
「ダンスで足を踏んだのはイタズラじゃないわ」
「お前は下手だからなあ」とレーヴェン。
ハンスウェルは立ち上がると
「すまない、もっと練習するよ」
と言った。それから。
「僕も努力するから、君も努力してくれよ。約束だからな、イチャイチャ」
と真面目な顔でのたまったのだった。
◇◇
仕方がないのでザッツザウェイ邸からの帰る馬車の中で、タチアナに『イチャイチャ』の心構えについてを教えてもらった。
ハンスウェルが手下なのは今日まで。
明日からは頑張って婚約者らしく……できるといいな。
とりあえずイタズラはソフト路線に変更しよう。
お読み下さりありがとうございます。
ものすごくコメディを書きたい衝動に駆られました。
だけどコメディは難しいです。
◇◇
キャロライン・・・侯爵令嬢だけど中身は小学三年男子レベル。
ハンスウェル・・・好きな子と婚約して5年も経つのに、いまだに手下のままの超ヘタレ。もしかしたら永遠に手下のままかも。
タチアナ・・・親友がいつまで経っても、愛情表現=イタズラ、のままなので心配している。
レーヴェン・・・三十路の遊び人。でも悪い奴ではない。可愛い甥が面白そうなことをしていたから、ちょっと乗っかってみた。
◇◇
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