婚なはずでは!
俺は魔王軍四天王が一柱、幻影団将軍、闇夜のザギラス。
軍内では主に諜報や暗殺等といった裏方役を担っているが、他の三将軍と比べ実力が劣っているということはない。
単純に適材適所の話である。
力こそ正義を地でゆく魔族は、それ故か脳筋の割合が非常に多い。
幸い、今代の魔王様は圧倒的な実力もさることながら、聡明で、気品のある、仕えがいのある御方だ。
そんな魔王様のために、今日はとある情報の真相を掴むため、俺自ら人間の帝国に潜入を果たしていた。
脳筋とはいえ、強さを追い求め続ける魔族という種に対し、多少の策を講じたところで身体能力や魔力量で大きく劣る人間がそう易々と抵抗できるものではない。
そんな事実に危機感を抱いたのか、彼らは彼らの信仰する神に助力を乞い、異世界より我らの多くが苦手とする聖属性の魔力を持つ者を……聖女を召喚したのである。
此度、約百六十年ぶり、計七度目となるそれは見事に成功した。
調子に乗った人間どもは、女の力を当てに、まさかの魔王様討伐まで視野に入れているという。
どれ程優秀な聖魔法の使い手だったとしても、我らの頂点に立つあの御方を害せるなどとは露程も思わないが、だからと放置して徒に仲間が葬られても忍びない。
まずは間諜を放ち彼の者の実力を探らせようと考えるも、場合によっては部下では荷が重い可能性もあるだろうと、俺自らが出向くこととした。
ちなみに、魔王様が御自ら戦争を人間に仕掛けたことはない。
ただ、単純な強さこそを正義とする脳筋魔族は、同種も異種も関係なく、とにかく弱者を軽んじる傾向にあり、やれ技の練習台だ、鬱憤晴らしだ、お遊びだと、虫けら同然に彼らの命を散らしてしまうのだ。
中には武者修行の旅などと称して大陸各地で暴れまわる迷惑極まりない存在もいる。
その結果、他種族は揃って魔族全体を敵視するようになり、いつしか魔王様が諸悪の根源であるという誤解が蔓延して、特に縄張りの近接する人間たちが我らを打倒しようと徒党を組んで攻め入ってくるようになったのだ。
さすがにこれに個で対応するわけにもいかないので、魔王様の号令の下、軍隊を形成し、防衛戦にあたっている。
そのせいでますます誤解が深まっているのだが、放置して同種の大量死を見逃す選択肢も有り得ない。
頭の痛い問題である。
さて、俺お得意の幻影魔法で人間に化ければ、潜伏させていた部下の手引きもあり、帝都には簡単に侵入することができた。
ただし、目的の王城は当然だが、帝王が住まう場所であり、また、現在は聖女を匿っているため、厳重な警戒態勢が敷かれている。
結論、俺は漆黒の外殻を活かし、夜の闇に紛れて活動することに決めた。
魔法は城を覆う多重結界の反応を誤魔化すことに使い、自前の身体能力だけで堀を飛び越え分厚い防壁を登っていく。
幸い、聖女は授かった力に未だ不慣れという話で、明日にでも討伐の旅へ出立などと切羽詰まった状況でもない。
なので、強引な手法は取らず、慎重に時間をかけて情報を集めていく所存であった。
初回の今日は、せいぜい彼の者に与えられた区画の予想でも立てられれば、それで十分だろう。
身柄の重要性を考えれば、王の居住区からそう離れた場所は与えられていないはずだ。
そんなことを考えながら、城の中心へ向かい、庭園の影を進んでいく。
結界は超えたので、人間に化けて堂々と表を移動しても良いのだが、下手に目敏い者に捉まり誰何されでもしたら、誤魔化せるかは運次第だ。
それなら、最初からこの黒い体を利用して、松明の光の当たらぬ場所を行った方が安全に違いない。
順調に警備兵の目を掻い潜り、再び壁登りに勤しんで中心区画に辿り着いたところで、俺はようやく建物の内部へと足を踏み入れる。
人間は基本的に感覚も鈍いので、存在感を極限まで薄くすれば早々見つかるものではないのだが、外と違い咄嗟に隠れる場所にも乏しい城内での活動は、やはりそれなりの緊張を伴うものだった。
道中、いくつかの噂話を仕入れつつ、奥へ奥へと歩を進める。
ことが起こったのは、正面からやって来る巡回兵二名をやり過ごすべく、細い通路を曲がった時だった。
角からすぐの明かりの届かぬ柱の陰の中に、怪しげな黒髪黒目の女が身を潜めていたのだ。
互いに視線が合い、時が凍る。
僅か刹那が永遠にも感じられた。
やがて、兵の近付く足音に、同時に正気を取り戻す。
俺は女を無視し、そのまま廊下の先へと静かに駆け出した。
相手の様子からして、少なくとも今すぐ警備を呼ばれる事態にはならないだろうと結論付けたからだ。
すると、どうしたことか、そのすぐ後を女がついて走ってくるではないか。
これには酷く困惑した。
魔族を無言で追いかける人間の意図が分からなすぎて、いっそ恐怖さえ感じた。
行く手に気配がないのを確認しつつ、突き当りを左折する。
そこから数歩で立ち止まり、俺は気味の悪い女をやり過ごす小細工として、青年侍従に化け、何食わぬ顔で踵を返した。
間もなく現れたソイツは、人間姿の俺を視界に入れると、必死の形相で辺りを見回してから、大股でこちらに寄ってくる。
もしや正体がバレているのかと内心冷や汗を流しつつ女の動向を観察していると、ソイツは今にも胸倉を掴んできそうなギラついた眼をして、小声で叫ぶなどという器用な方法で、こう尋ねてきた。
「ねえ、今ここをスゴいイケメンが通らなかった!?」
は?
「……いけめん?」
「そうよ!
ヴェノ○の中の人じゃなくて外皮の方みたいな!」
「ヴェ○ム? なかのひと?」
いかん。何を言われているのかサッパリ理解できん。
「黒くて硬そうで逞しい外殻に、淡いオレンジ色に濁った大きくてつり上がった目、首筋近くまで裂けた口に、ギッシリと生えた鋭い牙、その隙間から伸びる厚くて長くて紫の二つの舌!
もぉ、すっごくカッコ良かったんだから!」
そう力説しながら、女はウットリと頬を紅潮させ両手を強く握り込んでいる。
カッコイイ? なんだそりゃ? 魔族のこの俺が?
ほとんどの人間は出会った瞬間に悲鳴を上げるか敵意むき出しで襲いかかってくる、そんな異形の俺が?
まさか。
有り得んだろう。
「ええと、貴女のおっしゃる通りの人物を見かけていたら、もっと騒いでいるというか……普通に化け物なのでは」
怪訝な目を向けてやれば、変人はいたく心外そうに睨みつけてきた。
「バカ言わないで!
あんなステキな人、他にいないわよ!」
「ええ……?」
本気か、コイツ。
頭がおかしい子なの?
「ああ、まさか見失ってしまうだなんて……。
いったい彼はどこの誰なのかしら。
ぜひ、仲良くなりたいわ」
熱い吐息を溢しながらそう独り言ちる女は、もう目の前の俺には興味がないように、頬に手を添え虚空に視線を漂わせている。
正直、状況には違和感しかない。
普通に話しかけてきたが、コイツ、発見時はコソコソと隠れていたじゃあないか。
なぜ、従者姿の俺を前に慌てもせずにいられるんだ?
そもそも、初対面の相手にこうまで明け透けに心情を語って聞かせるか?
不用心だろ。
やはりコレは罠で、油断させて正体を暴こうとしているのかもしれない。
ここはトボケておくのがいいだろう。
というか、今更ながら、帝国の民とは異なる色を纏った、城の中心区画にいる女など、一人しか心当たる者がいないのだが。
試しにカマをかけてみるか。
「その黒髪……もしかして、聖女様ですか?」
「っげ、バレた」
途端、女は顔面を盛大に歪めて足を一歩後退させる。
本物かよ、コレ。
やだなぁ。
「ええと、あのですね。
大変申し上げにくいのですが、聖女様のおっしゃるイケメンとやらは、十中八九、敵の、魔王の手下だと思うので……あまり大っぴらに口にしない方がよろしいのではないかと……」
「そんなっ!?
あんまりだわっ、ようやく理想の殿方に出会えたというのに!」
「うわぁ……」
神妙に忠告してやれば、悲愴な表情を浮かべ嘆きだす聖女。
諜報担当として多くの表裏を経験した俺の目にも、彼女の姿に嘘は見つけられない。
だからこそ、混乱も大きかった。
「どうしても敵対することしか許されないというのなら、いっそ彼に食べられて永遠にひとつになりたい」
「こわい」
えっ、こわい。
どこからそんな発想が出てくるの。
聖女の住んでた異界の倫理どうなってるの。
魔族は脳筋なだけで、そんな食人とかするヤバい生物じゃねぇよ。
うわ、こわい。
「なにさ!
私だっていきなりそんな極端な方法取りたくないけど、仲良くなれないなら仕方ないじゃない!」
ドン引きしていると、聖女がそんな風に逆ギレしてきた。
いきなり食われたいだのと狂気的なことを言われて、叫び出したいのはこちらの方だろうと思う。
というか、何も仕方なくねぇよ。
どんな恋愛観してたら、そんな結論に達するんだよ。
ひたすら恐ろしいよ。
いや、そもそもの話……。
「聖女としての使命感とか、ないんですか……?」
あと、命って、そんな簡単に投げ捨てられるものなの?
「はぁ?
好きで召喚されたワケでもないのに、あるはずないでしょ。
確かにソレらしい力は授かったけど、この心にあるのは突然誘拐された恨みくらいで、聖女なんてやる柄でもなければ、この世界の人間に対して義理も義務もありゃしないわよ。
今だって逃走ルートの情報集めに部屋を抜け出して来たぐらいなのに。
いやぁ、疑心暗鬼で最初から従順で大人しい女のフリしてたら、皆ホイホイ騙されてくれちゃって、部屋に一人でこもると思わせて出し抜く程度ならもう楽勝だったよねー。
ていうか、彼に出会えた事実で攫われた恨みは相殺してあげてもいいから、とにかく今はもう放っておいてくれないかなぁって感じ?」
無茶苦茶な女だ。
おそらく、コイツを異界から選別した神は、聖魔法との相性だけを重視して、性格までは考慮していなかったのだろう。
これが、掛け値なしの本音なら、扱い次第では恨みつらみで世界全体の脅威にすらなり得る可能性を秘めているのでは?
当初危惧していたような、魔族を屠るだけの殺戮人形と化すことはなかろうが、さりとて、放置を決め込むには、この聖女は未知数すぎる。
魔王軍四天王幻影団将軍として、俺は一体どう動くのが正解だ?
考えに耽り無言でいると、問題の聖女が至近距離まで体を寄せて、俺の耳のすぐ傍に唇を添え、不穏に囁いてくる。
「ちなみに、こんな正直に何でもかんでもペラペラしゃべってるの、何でだと思う?」
「は?」
「私だって、バカじゃないし。
自分が今、どれだけヤバいこと言ってるかくらい分かってるわけ。
だとしたら、さ……ホラ、何でだろうね?」
っえ……?
ゾッと背筋に冷たいものが走る。
思わず後ろに飛び退けば、彼女はその場に立ったまま仄暗い含み笑いと共に俺を見つめていた。
「そんなに怖がらないでよ。
貴方がただの善良な人間でも、よくあるトリックで消えたように見せかけた魔族でも、どっちに転んでも私は構わないってだけなんだから」
つまり、俺の正体を疑ってはいるが、確信があるわけではない、と。
しかし、どちらに転んでも構わないとは?
城の人間に弱みを握られるのも、魔族の前に無防備にその身を晒すのも、聖女の立場からすれば都合の悪い、危険なことのはず。
だというのに、勝利を確信しているような、この余裕の笑みは何だ?
「……どういう意味です、それは」
「ふふ。自分じゃ気付かないかな。
貴方、すっごく真面目で優しくて苦労性な人でしょ」
「はい?」
なんの話?
「まず、貴重な魔法士を大勢犠牲にして召喚した聖女が、突然、敵の魔族に惚れたような発言なんか始めちゃったら、大体の人間は困惑程度じゃ収まらない、もっと大騒ぎするものよ。
ついでに、さっきみたいに忠告で済まさないで、強引にでも止めさせようとするでしょうね」
む……言われてみれば確かに、その通りだ。
下手を打ったか。
「だから、世界の問題より私個人を見て慮るような態度で接してくれる貴方が人間なら、きっと、脅して賺して、あの手この手で迫れば良い協力者になってくれそうだなって思うし」
「なんて?」
あまりにも埒外すぎる言葉を聞かされ、思考が急停止してしまった。
だが、聖女の非常識さは留まるところを知らず、ここからまだ更に加速していく。
「魔族だったとしても、天敵である聖女を問答無用で殺さずに、のん気に会話なんかしちゃってる時点で、血も涙もない残酷な怪物だなんてアレコレ吹き込まれた話と違って、理性も情けもある存在なんだってことで、ワンチャン告白イケるわけでしょ?」
「なんて?」
ワンチャンコクハクってなぁに?
ネコチャンコクハクもあるの?
ボクはウサチャンがスキ!
っは! いかん!
話の展開が意味不明すぎて、脳が幼児返りを起こしてやがった!
「お付き合いはダメでも、この時期にわざわざ危険を冒してこんなお城の奥深くまで侵入して来てるなんて、確実に聖女の私狙いだろうし?
本気で頼み込めば、誘拐ぐらいはしてくれるかもしれないじゃない」
「なんて?」
被害者から頼み込む誘拐とは……?
異世界の人間はこんな訳の分からん奴ばかりなのか?
だとしたら、間違っても行きたくはないな。
聖女のように一方通行で召喚されでもしたらと思うとゾッとする。
「ついでに、このまま逃げられたところで、誰も今日の邂逅のことなんか知らないんだから、私の立場は何も変わらないし。
むしろ、従順に討伐の旅に向かうフリして押しかけ女房でもしにいっちゃうかー、みたいな良い選択肢が増えるだけなのよね」
「なんて?」
…………アレ?
ちょっと、これ、えっ、待って、もしかして、俺……詰んでない?
「やぁねぇ、貴方。天丼は三回までよ?」
知らねぇよ。
本っっっ当に、何だこの聖女。
もうやだ、帰りたい。
今すぐ暖かい布団に包まって安らかに眠りたい。
「もっとジブンにワかるコトバでしゃべってクダさい、おネガいします……」
「ん? 私、何か難しいこと言った?」
そうだね!
頭のおかしい変なことはいっぱい言ったけど、難しいことは言ってないね!
ごめんね!
しかし、本気でどうしたらいいんだ。
人間のフリを続けても、聖女の言うあの手この手とやらを使われたら、おそらく最後まで姿を保つのは難しい。
いや、たとえこの場を誤魔化し切ったとしても、幻影団将軍という立場を抜けられない以上、いつかまた会うことは必至。
かといって、正体を明かし脅してみたところで、この女にはおそらく効くまい。
祝言一直線になってしまう。
俺には理解る、嫁ぐと決めたらコイツは絶対にヤる女だッ。
って、ホラ見ろ畜生、やっぱり詰んでるじゃねぇか。
くそっ、なんてぇ悪夢だよ。
ただ、魔王様の、ひいては魔族全体を守るための諜報活動で、まさか……こんな……。
「妙に悩んでいるようだけれども、運命だと思って潔く諦めたらいいんじゃないかしら」
「元凶は黙っててくれませんかねぇ!?」
いけしゃあしゃあと貴様っ!
誰のせいだと思ってるんだ!
「ふふ」
「……何が可笑しいんです」
こちらを面白そうに観察し、あまつさえ小さく吹き出す無礼な女。
胡乱な目を向けてやれば、ソイツはニヤけ顔を隠すように口元に手を添え語り出した。
「んー、いや、ね?
人間だったら悩むのも分かるけど、貴方が魔族だったとしたら、あんまり優しすぎるなぁと思って」
は?
「人と魔族で敵対してるのは事実っぽいし?
だったら、サクっと消しちゃえば済む話じゃない。
聖女なんて、そっちにとって百害あって一利なしの存在でしょう?」
はぁ?
「……ねぇ。もし、貴方が本当に魔族だったら、教えてよ。
たとえ人間でも、自分に好意を向けてくる女は手にかけにくいですか?」
はぁぁ?
「……なぁんて、ごめんごめん。
これは私の願望かな」
はぁぁぁ?
己の吐いたセリフが恥ずかしかったのか、聖女は微妙に頬を朱に染め、目を泳がせながら苦笑している。
その表情を受けて、様々な柵が一気にバカらしくなってしまった俺は、ついに擬装を解いて、女の前に真の姿を現してやった。
「あぁ、あぁ、もういい、分かった、降参だ」
深くため息を吐く。
自慢じゃないが、俺はモテないのだ。
人間は言わずもがな、脳筋魔族にしては小賢しいこの性質がどうにも受け付けないとかで、同種の女にも敬遠されている。
その上で、可憐な容姿の異性に、こんな真っ直ぐにカッコイイだの理想だの優しいだのと褒めそやされて……これで嬉しくならん男がいるか!?
いいや、いるわけがない。断言するね。
立場もあって抑えていたが、もはや我慢も充分だろう。
俺は頑張ったぞ! 頑張ったからな!
「罠なら嗤え。愚かな魔族がいたものだと。
その可能性を知りながら、敵に惚れた哀れな男を」
「……え?」
突然のことに呆ける聖女へ、ゆっくりと体の距離を近付けていく。
「この闇夜のザギラスと並び立つに遜色のない、美しい濡れ羽色など纏いおって。
そんなに攫われたいなら、攫ってやる」
腰まで届く聖女の艶やかな髪を一掬いし、己の口先に押し当てれば、彼女は途端に絶句し、顔と言わず肌全てを真っ赤に染め上げていた。
なんだ。
どこまでも食えない女かと思えば、そんな可愛らしい反応も出来るんじゃないか。
つまり、見た目が好みだ何だというのも、全て真実の話なわけだ。
これはいい。
調子に乗り、驚きすぎて呼吸もままならぬ様子の彼女を、赤子さながらに両腕で抱き上げてみる。
目を見開きはしたが、抵抗はなかった。
「告白なら、もう聞いた。
そちらの望み通り、俺の嫁にでも何でもしてやろうじゃないか」
「ひょめぇッ!?」
小さな耳に囁けば、聖女が奇妙な声で鳴く。
俺の腕という囲いの中、瞳を潤ませ震える姿は、ウサギのように愛くるしい。
って、これ、怯えてるんじゃないよな?
違うよな?
「よもや、今更になって、否とは言うまいな」
不安になって、思わず尋ねてみれば、彼女は幾度と首を縦に振っていた。
緊張で声が出ないのか、それでも何とか必死で伝えようとする姿はいかにも健気で、かなり胸にくるものがある。
「ふ……いい子だ」
自然と笑みを浮かべれば、聖女は両手を祈るように組んで、ボウっと俺に見惚れていた。
くぅーっ、かわいい。
もう、絶対絶対、人間にも魔族にも誰にも渡さない。
俺の嫁だ、俺だけの女だ。
引き離そうというなら、魔王様にだって神にだって逆らってやる!
と、まぁ、そんな経緯で電撃結婚を果たした俺と聖女は、周囲の喧騒を余所に、甘く充実した蜜月を送った。
ちなみに、魔族側の反対の声は、愛しき新妻による「文句がある奴ぁ全員まとめてかかって来いオラァ!」という啖呵と共に空に放たれた怒りの極大聖魔法により一掃されている。
種族に関係なく強い者が偉いという単純脳筋思考なので、勝てないと悟った瞬間、奴らは驚くほど従順になるのだ。
逆に、帝国では、突然消失した上で後日に届いた結婚の報をどう曲解したのか、はたまた政治上の都合なのか、聖女は人質を取られて無理やり魔族の妻に、手籠めにさせられたのだと認識されている。
また、その事実を大陸中に広く知らしめて、国を超えた大規模な聖女救出隊を編制。
一年も経つ頃には、本格的に魔族の縄張りへと侵攻してくる流れとなった。
聖女は、妊娠中なのだから止めてくれと必死に懇願する俺を振り切って戦場へ向かい、高笑いを上げながら召喚の恨みを晴らすべく大暴れしていた。
当然、人間たちは大混乱。
救出すべきはずの者から大打撃を食らったとあって、這う這うの体で逃げ帰った後は、二度と再び同様の組織が立ち上がることはなかったという。
その事実について、戦後から魔族による犠牲者が激減したのも、理由のひとつに数えられるだろう。
原因は、我が妻の教育的指導によるものだ。
彼女は「素人さんに迷惑かけてんじゃあねぇーッ!」と、比較的ヤンチャな魔族を訪ねていっては、半殺し、いや、ボコボコ、いやいや、痛めつけ、いやいやいや、少々強めの躾を施して回ったのである。
知らぬ間に妻の信者と化していた一部魔族も使って、かなり厳しく取り締まりが行われ、いつしか鉄の掟として、脳筋たちの身に深く深く刻まれていた。
本人曰く、ちょっと昔の血が騒いだという話だが、それが何の血なのかは未だに分かっていない。
ついでに、頭脳派の圧倒的少なさのせいで日々執務に追われ宮殿に縛られがちな魔王様からは、抱える難題をひとつ解決したとして大仰に感謝された。
とにかく、そういった事情で、人間の想定とは随分違う形ではあるが、妻は魔族の脅威から大陸に住まう善良な人々を守るという、聖女の名に相応しき偉業を成し遂げたのである。
ただ、彼女の素晴らしさは当の人間側には一切伝わっておらず、魔族に寝返った稀代の悪女として、今も恐れ疎まれているのだという。
妻に対する誤解は残念でならないが、本人が、そんなどうでもいいことを何とかしようとする時間があるなら自分を構ってくれなどと、また大層可愛らしいお願いをしてくるものだから、彼女第一の夫の俺としてはどうにもしようがない。
最初の問題自体は解決したのだから、まぁ、それでいいのだろう。
「ザギラス様、あのね、あの……だ、大好きっですっ」
「ふはっ。
なんでいつまでもそんな緊張するかな、俺の奥方様は。
もう子供だって二人も産んでいるだろう?」
「だっ、だって、ザギラス様が!
かっ、格好良すぎるから、そんっ、全然っ、慣れるとか無理だしっ」
「そうかそうか、ありがとう。俺も愛してるよ」
「ひぁぁっ!?
ちょっ待っ、そういうとこやぞぉ!」
はてさて、聖女を選別した神が、こんな奇天烈な結末まで全て見通していたのかどうか。
それはやはり、我ら地を這う生き物如きでは、永遠に与り知らぬことなのだろう。
おわり