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タビドリ  作者: 月白鳥
Book-1 『鍛冶と細工の守神(Tubal-cain)』
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Page1-2

 白い巨鳥の姿が消え去り、観衆の塊が解れて大分経った後で、俺とラミーはそそくさと街を出た。


「…………」


 一度関わった以上ことの顛末は見届けろ――と。あれから何度か会った中で、ロレンゾとベルダンが何度も念押ししていたことを、ぼんやりと思い返す。約束は守ると言ったのだから今更言われなくても分かっているのだが、信用が無いのだろうか。そう考えるとちょっと寂しい。

 なんて、何やかやと頭の中で展開していた考え事は、少し後ろからの声で暫し畳むことになった。


「と言うことでだ」

「何が「と言うことでだ」だよ。何してるんだあんたは」

「見ての通りだ。貴様禿泣きの隧道を通るのだろう?」


 ネフラ隧道をもう少し先に控えた、ネフラ山麓の陰樹林。俺とラミーはもう何度も通った、薄暗さの目立つ森の中には、偉そうな猫の声と俺の溜息ばかりがよく響く。

 本来ならローザ夫人に「無事に出立した」と報告の一つでもしてから隧道に向かうのだが、アエローが一体どれだけ早く向こうに付けるか分からない以上、とにかく道を急がなきゃならない。下手に街をぶらついて商人の口上に引っ掛かるのも面倒だし、変な奴に絡まれるのも嫌だから、海岸からそのまま山に走った。

 ……はずなのに、付いてきてしまったのだ。変なのが。


「それと俺の後ろにくっ付いてくることに因果はないと思うんだけど」

「ある。禿泣きの隧道ほど良質の宝石が採れる場所はない。だが、あの場所ほど入り組んだ場所もそうはない。吾輩も禿泣き隧道は全容を知らず、確実に抜け道を知るはすでに何もかも採り尽くされた枯れ道ばかり――だぁがぁ!」


 りんりんと忙しない尻尾の先の鈴、何処となく成金臭漂うヒゲ先のカール、ぽんと頭に乗っけたフェルトの中折れ帽。樫製の細い杖を手に持って、身に纏うのは上等な洋服と蝶ネクタイ。俺の胸くらいまでしか背のない、だかやけに矍鑠とした、毛並み艶やかな老白猫。

 さっきから俺の後ろに堂々と付きまとい、当然とばかり胸を張っているこの彼こそは、あのリブラベッサーの船長。その名もエシラ。

 まあ、船長と言っても、彼が持っているのは船酔い耐性と船の所有権だけだ。何処に行くかとか何時出航するとかは船頭が管理しているらしいから、船に彼が乗っていようと乗っていまいと船は出航する。けど、俺が言いたいのはそうじゃない。

 ……何でこいつ、ちゃっかり俺に便乗しているのだろうか。俺の知る限りエシラはロレンゾの雑貨屋には来てないはずなのだけど、何処かで話を盗み聞きでもされたのか。


「かの宝石商の曰く、貴様は禿泣き隧道で金貨六百枚分ものエメラルドを拾ったと。質にしろ量にしろ、貴様のようなただの旅鳥(たびどり)にそれほどのものが拾える場所がある。興味深い! 実に興味深いぞ!」


 と思ったら、あっさりエシラ本人からネタばらしされた。どうやら、ネフラ山麓駅に来た時に宝石を売った、あのアホ狸からのリークらしい。

 宝石屋にとって鉱脈は生命線、その場所を突き止めるのに必死なのも分かるが……


「ほっほぉん」

「な、何だその顔と声は。隣の人魚も変な顔は止めんか」

「あんたみたいなご老体がヒョイヒョイ付いていけるようなルートじゃーねぇぞ、エシラ。旧ネフラ隧道経由『龍の頸』越えルート、あんた知ってるかい?」

「ランタン持ってないと越えられないとこばっかだよ!」


 金にがめつい商人の手先が入り込めるほど、俺は生易しい道を通っちゃいない。最短経路と言うからにはそれなりのリスクが付きまとう。他方、エシラは海でこそ滅法強いが、陸でそんな道を通る根性のある男だとは聞いていない。付いていける奴だとは思えなかった。

 だがしかし。


「舐めるな小僧」


 エシラは自信満々だ。かん、と杖の先を少し強めに地面へ打ち付け、彼はにやりとばかり口角を上げる。


「たかだか龍の頸が何だ。鳥落としの渓の底を通るより百倍簡単だ」

「そらー商人にあの急流は厳しいだろうが、鳥落としの渓は空路以外特にリスクもリターンもない易所でね。俺だって鼻歌歌いながら通れる。けど、龍の頸は『龍の峠』の次に旅人の死ぬ難所だぜ」

「ははぁ、諦めさせたいのか貴様? だがその程度の脅迫には屈さんぞ! 揺れもしない陸路など、晴れた『南海迂路(ヴェパルディター)』に入り込むときを思えばマシだ!」

「…………」


 全く埒が明かない。本当に諦める気はないようだ。

 俺の早足にも何気にぴったり付いてくるし、微妙に治安の悪い山中にエシラ一人放り出すわけにもいかない。だからと言って、龍の頸までの道でこれに手を貸せば俺が死にかねない。

 悶々と考えて、結局俺が出した結論は一つ。


「付いてくるのは勝手だけど、自分の身は自分で守れよ」

「んな!?」

「当たり前だろそんなの。俺、そんなに器用じゃないし」


 自立自衛は旅人の基本だろう。

 旅人が当たり前に守っている了解を言い捨て、言い返そうとしたエシラを置いてさっさと森の獣道を小走りする。待て、とか、殺す気か、とか何だかんだ叫んでいるのは聞かないふり、隣で面白がったラミーが耳まで押さえているのを横目にしつつ、俺は乱立する白樺の木の間を通り抜けた。

 これで諦めてくれればいいなぁ、と、ほんのり淡い期待などしながら。


***


 ジンベエザメを縦に押し込んでもまだ余裕があるであろう天井の高さに、水牛の群れが三列で通れるくらいの横幅。ちょろちょろと坑道を横切って走るのは膝丈くらいのネズミ達、頭上高くをぱさぱさ飛んでいるのは耳の大きなコウモリの群れ。水をたっぷり湛えた苔はまるで絨毯のよう、そこかしこに群生するキノコが暗がりを薄ぼんやりと照らし、同時に魔燈鉱(まとうこう)が辺りに白く明るい光を撒く。

 ――旧ネフラ隧道、本道。

 かつてこの龍の頸を貫かんとして掘削され始めたものの、何やら諸々の事情で放棄された、公式には未完成のトンネルだ。実際には放棄された後に宝石の採掘屋やトレジャーハンターが坑道を何百と掘りまくっているから、本当に山体をぶち抜いて向こう側に抜けている道はいくつかある。その内の一つが、俺達が渾名するところの『禿泣き隧道』と言うワケだ。

 その禿泣き隧道に至るまでは、まず本道の端まで行き当たらないといけない。


「ふむ、魔燈鉱が山のように群れているが、これは手を出さんのか?」

「前は採ってたけど、今は採ったら捕まる。地質屋が鉱脈分布の調査中なんだと」

「何ィ? そんな規則今の今まで無かったではないか!」

「俺も一昨日聞いた。一年くらい前からやってんだとさ」


 ――と言うか、その辺りの事情はむしろエシラの方が詳しそうだけど。

 素朴な疑問を投げかけてみると、彼は若干バツが悪そうに口の端をひん曲げながら、親指と人差し指でヒゲをちょいちょいと抓んだ。


「ネフラ山系の鉱石と金属の情報は錯綜している癖に廻りが遅すぎるのだ。何処か一つの鉱脈が枯れたところで、吾輩の耳に入るまでの間にそんな些末なものは埋もれてしまう。少し掘ればまた鉱脈が見つかるからな」

「……旧道なら尚更分かんないだろーな、盗掘屋も多いし」

「そう言うことだ。吾輩のような商人は情報の被供給者としては末端に過ぎん」


 しゃん、しゃりん、と甲高い音。苛立ったように、エシラは鈴の付いた長い尻尾を左右に振りたくっていた。

 歯痒い話ではあるだろう。宝の山を前にしてそれが一欠けらたりと採れないのも、そう言う情報が即座に自分の手元へ入ってこないことも。商人にとって需要と供給の確保は死活問題だろうし、何処で何が採れて何が採れなくなったとか言う情報はいち早く確保したいはずだ。

 だが、プレシャ大陸の鉱脈の情報は宝石屋と、下請けの採掘屋が占有している。俺達旅人の噂と銘打った情報網ですら、プレシャ大陸の宝石商には敵わない。

 商人は、ヒエラルキーの底辺でしかないのだろう。


「なあ、エシラ。あんた口は堅いか?」

「……どんな状況だろうと守秘義務は守る。それが掟だ」


 考えれば考えるほど商人が不憫に思えてくる。脅しに脅しを重ね、突っぱねて尚ついてきたこの老商を、「仕方ないね」と手ぶらで帰すのは、どうも可哀想だ。

 ちょっと寄り道になってしまうが、教えとくのも面白いだろう。


「件のエメラルド鉱床、教えてやるよ」

「ほほう? 貴様が見つけたのか」

「と言うよりは、ラミーの功績だよ。なぁ?」

「そーんなご大層な~……えへへ、えへへへ~」


 まあ、ふらふら放浪した挙句迷子になったラミーを探してる内に偶然見つけただけだけども。その鉱床の価値をいち早く見出したのは彼女だし、そこでの収入が何かと役に立ってるのは事実だから、立てといて損はないと思う。実際、俺の傍でラミーがニヘニヘと目尻と眉尻を下げて笑いながら、魚の尻尾をぴちぴち忙しなく振り回していた。

 変なものを見るようなエシラの視線が、ちょっぴり痛い。けれどもラミーはそんなことお構いなし、俺さえ置いてどんどん先に行こうと空を泳ぐ。

 ちょっと待て、と言ってもまるで聞く耳持たず。下手に先へ行かせてまた迷子になるのも大変だし、少し足を速めて彼女の背を追った。


「何とか追いつけよー!」

「なっ、何だとぅ!? このダチョウめ、年寄りを置いていく気かーっ!」


 まあ、こんだけ元気なら大丈夫だろう。


***


「くそっ、貴様等が走るせいで地図が作れんかったではないか! 少しは老体を気遣え二人とも!」

「だけどお年寄りって言ったら「年寄り扱いするなー!」なーんて言って怒るんでしょー? だったら私、あなたのことお年寄りだなんて言わないし思わないよ!」

「むぐっ……ぅぐぐ、いけ好かない人魚だ!」


 勝手に先へ先へと這入ってしまったラミーを追い、本道の突き当りまで走って、いくつも穿たれた坑道の一番小さい中にその身を押し込め。

 禿泣き隧道の名の通り、そこは前屈みにならないと頭を削って禿を作りそうな、とても狭い洞穴だ。エシラやラミーは俺より頭一個分以上背が小さい――それもあるし、特にラミーは宙に浮いている――から普通に通れるが、わりかし標準的な体高の俺だともう頭がつっかえてしまう。

 禿泣き隧道を掘ったのは、この辺りに住み着いているハタネズミだったか。先程本道を通った時にも作業着姿なのをちらと見かけたが、どうせならもうちょっと頑張って、後頭半分くらい天井を高くしてくれたらよかったのにと思う。

 うだうだ考えながら歩いていたら、背後からよく通る声が投げつけられた。


「しかし、暗い場所だな。魔燈鉱の一欠けらもないではないか」

「この辺りのは全部採られてるからなぁ。禿泣き隧道は色々通るし仕方ない」

「規則が無ければやりたい放題か。……分からんではないがな」


 自分も似たようにして金を得ているのだから是非もない。

 呟くようにそう言って、エシラは目をすっと細める。そして、手にした万年筆の先を一舐めすると、藁で出来たざらざらの紙を蛇腹に折って、分厚い本を下敷き代わりに何やら書き始めた。多分、さっき言っていた地図とやらを書いているのだろう。

 六十年近いキャリアの中で、世界中の商船が使う様々な航路を切り拓いてきた、その実力は伊達ではない。ロレンゾだって多少は息を切らすほどの速度で今まで走っておきながら、それまでの道を全て覚えていると言うのだから。

 しかしながら、周囲は本当に真っ暗闇だ。ともすれば、ちょっと翼を伸ばした先にいるラミーの姿さえ覚束ない。当然だが、俺にはエシラが何を書いているかなんて見えたもんじゃないのだ。猫は夜目が利くとは言え、ちゃんと見えているのだろうか。


「こんなトコで字なんか書けるのか?」

「当たり前だ、吾輩は猫であるぞ。鳥目に心配されるような目はしとらん」

「へーへーそーですか。ま、どちらにしろ灯りは点けるけどさ」


 自信満々の態度に違わず、エシラはさらさらと藁紙に何やら書き連ねていく。その姿にちょこっと悪態なぞつきながら、俺は新調したランタンを鞄から引っ張り出した。

 それを目聡く見つけて、今まで虚空を暇そうに飛んでいたラミーが、出番だ仕事だと勇んで近寄ってくる。まあ待て待てと押し留め、ランタンを仕舞っていたのと同じ鞄から魔燈鉱の欠片を出した。

 大体エシラの掌と同じくらいの、相場では結構大きい部類に入る純度の高い結晶だ。だが自然に光る期間はとうの昔に過ぎ、今は手を加えないと光らない。そうと知ってか知らずか、少し後ろの方でエシラの驚きと羨望と時々嫉妬の視線を感じるが、気づかないふりしてランタンの中にそれを転がし、手渡した。

 ――魔燈鉱は、ある種の超常的な力と呼応する。そして幻獣たる彼女は、それが他より多い。

 することと言ったら、もう一つしかない。取っ手の部分をちょっと差し出すと、彼女はそれをほとんどひったくるように受け取った。


「うぇー眩しい眩しい。ちょっと抑えろ」

「はぁーい……んむー、最近暇だよー」

「あーあーはいはい分かった分かった」

「二つ返事しかないよエディ!?」


 ラミーがランタンの取っ手に手を触れた途端、鉄製のランタンの中で、魔燈鉱が真っ白に光った。

 狭苦しい坑道の隅々、ちょっと後ろでビックリしたように耳を立てているエシラの毛の一本一本まで、どこか冷たいものを帯びた光が照らし出す。

 彼女の力を借りると、どんなに小さくて純度の低い結晶でもこれくらいの光を出すようになるのだ。彼女が調子に乗った時など、ややもすれば小さい石は粉々に弾けてしまう。人魚姫が一体どれほど強い力を持っているものか、それだけでも察せられると言うものだろう。

 けれども、それをエシラが知るはずもなく。チリチリとひっきりなしに鈴の音を響かせながら、老猫は驚きと興奮に尻尾を目一杯膨らませていた。


「き、貴様……っ!」

「あややや、そんな怖い顔しないで! 傷付けないよ!」

「そっ、そ、そんな力を持った奴が、何故こんなダチョウ風情と……!?」

「うぅ、嫉妬はやだなぁ」


 竹軸の万年筆を圧し折らんばかりに握り締めたエシラと、ランタンを提げて困ったような顔のラミーと。全然会話が噛み合ってない。

 そうして「何で」「どうして」の呪詛を背中で聞きつつも、俺達は早足。そして、愕然とした表情のまま、ぽてぽてと間抜けた足音をさせてエシラもついてくる。その姿は中々滑稽だ。

 ――それにしても、首が痛い。ずっと頭を下げているのもあるが、今日はことにエシラがぎゃんぎゃん煩いから精神的に凝り疲れた。


「首痛ぇ……でもまだだよなー……」

「そうかな? 半分くらい走ってたし、いつもよりすごく早いと思うよ」


 ほら、もう天井が高い。

 楽しそうなソプラノと、しゃりん、と一度響く銀鎖の音。同時に、ラミーが手にしたランタンの灯りが、今までの何倍も広い洞穴を照らし出した。そろりと首を上げてみれば、もうヘルメットが天井で削れることもない。ちょっと気張って翼を目一杯広げても、ぶつかることはなかった。

 ラミーにしてみれば随分早い到着だったようだが、俺には割と長い道行きだったように思う。

 けれども着いたのは着いたのだ。思わず溜息を一つついていると、またエシラの声が投げられる。


「どうした?」

「嗚呼、そう言えばあんた知らないんだったな。……着いたぜ、例の」


 ぐるりと見回す。それに釣られたかのように、のそのそ坑道から出てきたエシラも首を思い切り巡らせて、ほぉ、と嘆息していた。同時に、演出とでも言うのか、ラミーが手にしたランタンの光量を下げる。

 途端にものの輪郭すら曖昧になっていく中で、半円状に掘られた壁の形を浮かび上がらせる、青緑色の淡い光たち。石の壁に埋もれ、それでも尚存在を主張する六角柱の石は、俺が資金稼ぎに拾い集めてきたエメラルドだ。

 しかし、普通の光らないものとは違う。


「魔燈鉱入りエメラルドの鉱床だよ」


***


 魔燈鉱入り貴石。

 宝石商、特に魔法使い相手に商売している商人にとっては、喉から手が出るほどに需要の高い、だが目ん玉が飛び出すほどの希少品だ。

 魔法は全くのからっきしだから原理は良く分からないが、とにかく魔燈鉱と普通の宝石が一緒になると、光るしか能のない魔燈鉱が色々な魔法の媒体になるのだと言う。例えば、ラミーが水を呼び寄せて雨を降らすようなことを、魔法使いは魔燈鉱入りの宝石を媒体にして起こすのだとか。

 ――そう言えばあの老白猫も、魔法で雷を落とす時には、黄色く光る石の嵌った杖を掲げていた。杖の先に全身の羽毛が逆立つほどの稲妻を溜め込んでいたのは、どうやら光る石の力だったらしい。

 そしてエシラは腐っても商人、一帯に埋もれた魔燈鉱入りエメラルドを目にして、ヒゲをビヨビヨと震わせている。


「なな、何だこれは。そこら中が、嗚呼っ、どこもかしこも!」

「そんなに興奮することなの? 海の底なら沢山あるよ!」

「馬鹿者ッ、ここは地上だ馬鹿め! こ、こんな、エメラルドと言うだけで珍しいと言うに……魔燈鉱入りなどと、そんな馬鹿な!」


 馬鹿と二回も言われてラミーがしょげた。が、すぐにエシラを見て機嫌を直した。

 何しろ物凄い興奮っぷりだ。さっきまでの比ではないほど尻尾をモコモコに膨らませ、鈴が千切れ飛びそうな勢いでぶん回して、大きな耳はピコピコとやかましいほど動いている。瞳孔開きっぱなしでクリンクリンの真ん丸なのが何とも猫らしい。

 ステッキを突いていることなんかすっかり忘れ、へぇーほぉーと感嘆を入れつつ、何処か幽鬼じみた覚束ない足取りで老猫は洞穴を歩き回る。てっきり有り余る商人根性のままに、手当たり次第毟り取るのかと思いきや、今はもう感極まってそれどころじゃないらしい。そして、そんな有様が何とも微笑ましいというか、最早面白い。

 思わずラミーと顔を見合わせて、肩を竦めあう。もう少し好きに歩かせておこうか、と目配せして意見を一致させた。

 その直後。


「フギャァアァア――……ッ!!」


 そこら中の石の一つ一つさえ震わさんばかりの悲鳴が、脳味噌までガンと揺さぶった。


「どうした?」

「あ、あれっ、あれはッ――!」


 何事かと駆けつければ、面白いくらいに膝を笑わせながら、坑道の突き当りを指さして首をぶんぶん左右に振っている。そこら中で光る魔燈鉱入りエメラルドの光に照らされた白猫の横顔は、薄暗い中でもはっきり分かるほど強張っていた。

 目を凝らしても、岩の壁があるばかりで異常は見当たらない。ランタンで壁を照らして見ても、つるりとした岩が積み上がっているばかりだ。確かに他の壁とはちょっと岩の質が違うし、やけに整然と積み上がっているようだが、触ってみても石以外のものとは思えなかった。

 お化けでも見たのか、と茶化して問えば、そんな生易しいものじゃなかった、とエシラは力一杯叫ぶ。


「あ、ありゃあそんなものではない! あれは、わ、わがっ、吾輩を……!」

「ビビりだなおい。船長のくせに」

「だっ、黙れ! 今のは本当だ、ほれェ!」

「うぐぐッ!?」


 よっぽど恐ろしいものを見たらしい、クチバシを両手で引っ掴まれ、ぐいぐいと強引に壁の方へ顔を向けさせられた。

 俺には相変わらず壁にしか見えないが、この偉そうな老猫が実力行使までして怖がるのだから、まあオバケ以上に物凄いものをこの壁の向こうに見たのだろう。分かったから掴むな、と白猫の手を引き剥がして、俺はエシラからそっちに身体を向けた。

 そこまでして、エシラは恐怖と怯えのピークを振り切ったらしい、今だ、今こそ、とうわ言のようにぶつぶつ呟きながら、壁を指さして固まってしまった。

 一秒。二秒。三秒。俺の耳に届くのは、ぼそぼそとした声と、時たま頭上から降ってくる銀鎖の涼しい音。壁はいつまでも静かなままだ。


「やっぱり」


 ただの見間違いだったんじゃあ、と言いかけた口を塞ぐように。

 ぐらり、と、洞穴全体が、微かに揺れた。


「!」


 一瞬、壁が蠢いた気がして、微震に逸れかけた気が再び壁に向く。気になって横目に見れば、エシラなどは端から壁以外興味がないらしい、眼をかっ開いて立ち尽くすばかりだ。

 ぐらぐら、と少し大きな揺れ。

 同時に、俺の目は確かに――壁が生き物のように動いたのを見た。

 ぎょっとして、思わず隣のエシラを睨む。肝心の彼は俺を一顧だにしない。


「エシラ」

「だから、だから言ったであろう。これは、これは……」


 半分魂の抜けたみたいになって、壊れた人形みたいに首を振り続けるエシラ。その口から呪詛のように漏れる、掠れながらも芯の通ったその声を、再びの蠢きが遮る。

 ごぉん、と、何処か遠くで地鳴りの音。がらがら、と何処かの崩れる音も聞こえる。けれど、そんな不安を煽るようなものさえ、次の瞬間脳裏にまで焼き付いた翡翠色の光に、意識の何処か遠くに追いやられてしまった。


 ――何時の間にか、俺は見つめられていた。


***


 立ちはだかる石の壁は、瞼。

 夜闇の星にも似た玉は、瞳。


 この坑道を作っている石と鉱石に埋もれ、それでも“それ”は生きていた。蛍の光より尚青く、陽に透かした新緑より尚鮮やかに、緑色の目は爛々と輝いている。その真ん中に細長く見える黒目の洞々さは、まるで緑の紗幕(しゃまく)を縦に引き裂いたかのようだ。

 特定の意志や意図を含まず、ただ焦点だけを定めてくるその目に、直感する。

 ――この“眼”はラミーと同じだ。

 ヒトでも、獣でもない、より上位の存在なのだと。


「も、守神……」


 エシラの呟きは、ほとんど息のようだった。

 そしてその呟きと、少し後に零れたラミーの静かな声が、俺の直感を確信に変える。


「――お詫び申し上げます、『鍛冶と細工の守神(トバルカイン)』。此処にて不要に騒ぎ立て、眠りを妨げてしまいましたのは、貴方の此処に御座しますことを知らぬ者です故」

「? 人魚よ、貴様……」

「『泡沫の歌うたい(メロウ)』の名に免じて、どうか御赦しを」

「!!」


 狼狽えるエシラには敢えて目を向けず。

 深々と頭を垂れ、いつもの無邪気で朗々とした声を静々としたものに変えて、淡々と謝罪の文言を述べるラミー。それに対し、“眼”は何の意志を語りかけてくるわけでもない。だが、見定めるように俺達三人を順繰りに見たかと思うと、何処か楽しそうに少し目を細めた。

 引き続いて、瞬きを一つ。一旦大きく瞳を見開き、黒々と冴える瞳孔を針のように細めて、それはゆっくりと瞼を半分降ろす。

 瞬きをして、見開いて、半目になる。意識してすることもない、あまりにも些細な一挙一動にさえ、全身を縛り付けるほどの重圧と威圧がまとわりついていた。守神のお姫様と接し続けている俺がこうなのだから、エシラなどは魂が半分抜けちまっているだろう。

 ちらり、と横目に見ると、エシラは指をさした体勢のまま、石のように固まっていた。


「エシラ、おい。戻ってこい」

「……ダメだよエディ、すっかり石になっちゃってるよ」


 耳をもしゃもしゃとくすぐったり、鼻をつんつん突いたり、軽く往復ビンタしてみたり。ラミーが努力と言う名の悪気ない意地悪を繰り返しても、エシラは固まったきりだ。多分、興奮しすぎて色々と振り切れてしまったのだろう。こうなったらもう、放置して戻ってくるのを待つしかない。

 零れ出る溜息に声を乗せて、まだぺちぺちエシラの頬を叩いているラミーに問いかけた。


「たまにゃ自分用に石拾うか? ラミー」

「良いの!? ほんと!?」

「まあ、此処に来るまでに雨降らせたり何たりしたしな。ちょっと持って行っても怒られたりしないだろ」


 戦場で何かと水を呼んだり退けたりしてくれたご褒美。お小遣いって奴だ。

 とは言っても、彼女は拾った宝石を全部自分用のアクセサリーにしてしまうから、此処で何十個石を拾っても金にはならない。現物支給のお小遣いって言うのも何だか変な気がするけど、当人はそれで満足そうだから、好きにさせておけばいいと思う。

 ラミーが拾う石の大きさなんてたかが知れてるし、坑道の奥に埋もれた“眼”も、俺達を妨害する意志はなさそうだし。俺が口出しするようなことはないだろう。


「ほれ、このバケツ一杯。それ以上は持って帰るなよ」

「分かってるよぅ、ありがとー!」


 釣り人がよく後片付けに使っている、折り畳み式の小さいバケツを貸してやると、ラミーは大喜びで洞窟の天井高くまで飛び上がって行った。興奮して無意識の内に魔力でも発散しているのだろうか、今まで周囲をぼんやりと照らすだけだった魔燈鉱が、足元に影を落とせるほどの強さで輝いている。

 こんなんで十六歳の女の子、しかも王位継承権を持っているお姫様だって言うんだから、人魚の世界はよく分からない。


「おーい、あんま飛び回るなー。また迷うぞー」

「はぁい」


 調子に乗って何処までも飛んでいきそうなラミーを眼で追いかけ、たまの声でそれとなく制しつつ。ぼんやりと頭の片隅で考え事をしていた俺の耳に、奇妙な奴等だ、と掠れた声が届く。目と意識をそちらに向けてみれば、エシラは相変わらず身体を“眼”に向けて立ち尽くしつつ、口の端に引きつった笑みを浮かべていた。

 今の今まで腕にぶら下げていたステッキを突き、ややぎこちない動きで顎を擦り擦り。彼の興奮はいくらか収まったようだ。ずっと忘れていた瞬きを一つ、じっと見つめてくる“眼”を真正面から見つめ返しながら、芯のある声で問うてきた。


「守神の一員、それも王族の係累と旅が出来るのか?」

「当人もそれが良いっつってるしね。王族だからって崇めてもしゃーないだろ」

「阿呆め、そんなことは聞いとらん。あれがメロウだと言うのなら、彼女は深海の底にしか居られないのではないか? 守神は支配圏より外に出られる存在ではないはずだぞ」

「あぁ……それか」


 エシラの言うことは至極尤もだ。

 守神とは、端的に言えば管理人みたいなもの。色んな所に沢山いて、場所や事象の秩序を構築・維持する。そして、その為の特別な力と権限を持った、俺達知性ある獣とは共存しながらも一線を画した存在だ。何しろ物事の根っこを管理する存在、その力は絶大だが、それだけに制限も多い。

 その一つが、エシラの指摘した行動範囲――支配圏の話。彼等、それも場所や地形を掌る守神は、一度そこの管理を始めたらもう、その役目を終えて命尽きるまで、二度とその場所を離れることが出来ないのだ。もし無理やり外へ出ようとすれば、守神は存在する意味を失って消えてしまう。

 ――そうだ。俺は、見たことがある。子供らしい好奇心の強さのあまり、俺の頭にへばり付いたまま花畑の外へ出ようとして、笑いながら散華した森の妖精を。ラミーが俺の旅に同行する二年前のことだった。

 ふっ、と頭から重みの消えた、あの時の怖気と虚無感。思い出すと背筋に悪寒が走る。

 けれど、そんな様子は見せないようにしながら、エシラの問いに適当な言葉を返した。


「……水は何処にでもあるからな」

「それはそうだが、それは関係あるのか?」

「俺にもよく分からん。聞いていいことかもよく分かんないし、ラミーが自分から言うまで聞かないことにしてる」


 本当は、聞いたことがある。けれど、ラミーは茶を濁し、最後まで明確なことは一言も口に出さなかった。ただ分かるのは、メロウを含め、多くの人魚は地上でも活動出来る権限があると言うことだけだ。それでも彼女ほど自由に動けて、その力まで行使できるのはかなり珍しいのだが。

 きゃらきゃらと楽しそうな人魚の笑声が、広い坑道に響く。

 その声に、いつの日にか消えてしまった妖精の面影を聞いた気がした。


「…………」


 ぞっ、とした。


***


「エディ、どうしたの? 顔色悪いよ」

「ん、嗚呼……疲れてるのかもな」


 本当にバケツ目一杯の魔燈鉱入りエメラルドを拾い集め、ほくほく顔で戻ってきたラミーに、なるべく平静を装えたと思ったら顔が引きつっていたらしい。首を傾げ、心配そうに近寄ってきた彼女に、今度こそは自然体で笑いかけた。

 好奇心猫をも殺す。そんな過去の格言通り、好奇心に身を滅ぼした妖精のことは彼女に伝えていない。あの恐ろしい思いを誰かと共有するに、俺はまだ、整理が付けられていないのだ。心の中で言葉を選ぶだけでも支離滅裂になるのだから、口に出せば真実は捻じ曲げられるだろう。

 ちゃんとした言葉に出来るまで、俺は隠すしかなかった。


「確かに、最近色々あったもんねー。大丈夫、エディ?」

「大丈夫じゃねぇよ全然。でも、多少無茶してても今は進むしかない」

「んぅー……私、危なくなっても今度は雨呼べないよ」


 眉尻を下げ、何故か不満そうに尻尾をぱたぱたさせながら、ラミーは口を尖らせる。

 分かっている。いくらラミーが例外的に権限が広い守神だとは言え、此処は海でも、水場ですらないのだ。地上で行使できる力には限界があるし、おまけに彼女は子供で、その上この間火薬が水浸しになるほどの豪雨を呼んだばかり。魔法を使うのはかなりの負担だと聞いているし、今回ばかりはどんなに不味い状況でも頼るわけにはいかない。

 だが、俺だって十歳の時から旅をしている身の上だ。危機をどうやって切り抜けるか、その方策はいくつだって考えてある。


「とにかく、翠龍線越えだ。そろそろ太陽が南中するし」

「ん、おっけー。でもエシラさんは?」

「吾輩は山麓駅に戻る。端から道を知りたかっただけに過ぎんしな」


 散々驚いたり怯えたり興奮したり、老体に堪えることをして疲れたのだろうか、エシラの返事は随分と素っ気ない。目深に被った中折れ帽の奥、広げた地図をぼんやりと眺める碧眼にも、疲弊の色が濃く出ていた。その様子を更に心配してか、傍に寄ったラミーがちょっと下から覗き込んで、止せとばかり視線をそらしたエシラに、何処か楽しそうな笑みを向ける。

 そして、その場で手にぶら下げたバケツを抱え込み、ウズラの卵みたいな大きさの石を漁り始めた。がらがらごとごとと忙しい音をさせ始めた彼女に、エシラは一体何だと少し苛立たし気だ。

 エシラのイライラが叫び声になる直前になって、ラミーは目的のものを探し当てた。


「はい、これ!」

「おう?……おぉ!?」


 まるで誕生日プレゼントのような気軽さで取り出されるのは、深い青緑色の光を強く放つ、曇りの一点もない、魔燈鉱入りエメラルドの結晶。バケツの中に放り込まれた石の中でも特に上質な、普段なら絶対に自分の手元に秘めておくであろう代物だ。しかも大きさはニワトリの卵くらいある。

 多分、宝石商に売り払ったら荷馬車に山盛りの金貨に化けるだろう。そのくらい価値のあるものだってことは、その道の専門家でない俺にだって分かる。ましてやエシラなどは、畏怖めいた感情さえ顔に浮かべながら、おずおずとそれを両手に押し頂くばかりだ。


「な、何故これを」

「やっぱり迷惑かなぁ」

「そうではない! そうではないが、本当に良いのか?」

「勿論っ! 私居なくても光るから便利だと思うよー!」

「は?」

「え?」


 硬直。沈黙。理解。

 どうやら彼女、これをランタンの代わりに出来れば良い、と思ったらしい。夜になったり洞窟を抜けたりする時に俺が魔燈鉱の結晶を使っているから、魔力の補助なしで光るこれなら灯りに出来ると思ったんだろう。

 だが、魔燈鉱入りエメラルドの最上級品を「光るから」ってだけでランタンに使うとか、どんなに馬鹿な貴族だってそんなアホなことするまいて。そりゃまあ確かに光るけど、主立った用途は魔力から魔法への変換用の触媒であって、灯りとしての用途は二の次だ。そもそも、これは純粋な魔燈鉱に比べると鈍くしか光らない。

 エシラの方も俺と大体同意見だったようだ。はぁあ、と力の抜けた溜息を一つ、両手に握り込んだごつい結晶を、彼女の下げたバケツに戻した。


「猫の目に明り取りは要らん。それに、こんな高価で使い勝手の悪いランタン恐ろしゅうて持っておられんわ。貴様が好きに使え」

「でも――」

「よく考えろ阿呆、光らなくなった後の用途が吾輩にはないのだ、これは。加工するにも原石のまま売り払うにも、これは高価すぎて誰も手を付けん。吾輩は魔法を使えんから、魔法の媒体として再利用も出来ん」


 宝の持ち腐れになるから要らない。そうきっぱりと言い切って、しかし老商は少し考え込んだかと思うと、バケツの中から小指の先ほどの小さな結晶を抓み取った。ほぇ、と素っ頓狂な声を上げて首を傾げる人魚姫をよそに、彼はベストのポケットから薄べったい財布を出して、金貨を一枚バケツの中に落とす。

 ちゃりん、と涼やかな金属の音。洞窟の中でそれは良く響いた。


「エシラさん?」

「……狸への手土産代と案内料だ。受け取れ」


 老猫の声は低く、余計な詮索を許さない。思わずラミーと顔を見合わせた隙に、彼はふいっと禿泣き隧道に続く出入り口へ足の先を向けた。そのまま、一言の挨拶もなく、ステッキをついて出ていこうとする背に、声を投げつける。


「価値はあったかい、此処は」

「――“ありすぎる”。我々商人やその係累が、金儲けの為に掘り返して良い場所ではなかった。だがな旅鳥、吾輩は此処へ来たことを後悔はしておらん。……聖地が聖地としてまだ残っていた。それを知れただけでも十分だ」


 先程までの大騒ぎが嘘のように、エシラはあくまで静かに呟いた。

 そして今度こそ、小さな後ろ姿は暗闇に溶けていった。

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