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タビドリ  作者: 月白鳥
Book-1 『鍛冶と細工の守神(Tubal-cain)』
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Page-1 『翠龍線上の機銃(The Ace on the battlefield)』 -1

「お、らっしゃい。――久方振りだな」

「嗚呼、大体一年だ」


 ネフラ山麓駅。

 プレシャ大陸のど真ん中を南北に横切る大山脈、ネフラ山系――通称『翠龍線(すいりゅうせん)』――の山麓、その西側に広がる、鍛冶と細工の一大拠点。同時に、旅人と根無し草のための宿場町。

 冬の寒さが一足先に山から下りてくるこの街では、晩夏の辺りから翠龍線を越えて東側へ行こうとする旅人が増えてくる。かく言う俺も、同じ目的を抱えて此処へ来た。

 此処には俺の知り合いが数人居る。その内の一人がこの、街外れの雑貨屋を営むトカゲの店主。その名も、ロレンゾだ。


「手前が此処に来たってこた、今日は山登りの装備でも探しに来たか?」

「いや……まあ、それもあるけど。ベルトの替えが欲しい」

「ベルト? 何でェ、一年前頑丈なのに取り換えてやっただろがい。俺ァ手前に一年で壊れる不良品をやった覚えはねェぞ」


 ロレンゾの雑貨屋は、家と家の間に挟まるように建っている。

 店の中は窮屈で狭い。決して小さな店ではないのだが、品揃えがちょっと豊富に過ぎるのだ。布製品、陶磁器、金物に宝飾品と、おおよそ思いつく限りのジャンルと量の商品に対して、店の面積は圧倒的に足りていなかった。店主たるロレンゾとその奥方、それに客が五人入ればもうぎゅうぎゅう詰めだ。

 物干し竿を蹴倒さないように注意して客とすれ違いながら、ロレンゾの居るカウンターの前に立つ。はめ込んだモノクルの奥、金貨の色にも似た、左だけしかない瞳が、俺を睨むように見つめていた。

 ――今でこそ場末の一雑貨屋だが、四十年前のロレンゾと言えば、巷を騒がせた一角の軍人。もしそんなことを知らない子供でも、隻眼に隻腕で傷痕だらけの彼の姿を見れば、凄絶な修羅場を潜ってきたことくらいは伺い知れるだろう。

 そして彼自身、そうした戦場の臭いには敏感な性質だ。首を傾げ、じぃっと俺の眼を覗き込んでいたかと思うと、彼は平生でも険しい表情に一層深い影を落とした。


「血生臭ぇぞ、手前。何してやがった」

「ちょいと手違いでね、紛争地帯に行ってた。ベルトもその時に流れ弾の盾になっちまったよ」

「はっ! 最初からそう言いなィ」


 ロレンゾに嘘は付けない。素直に事情を話すと、彼は面白くなさそうに吐き捨てて椅子に体重を掛けた。ぎぃっと古い木が軋んでもお構いなし、軍靴を履いた足を組んで、カウンターに肘をつく。はぁー、と店中に聞こえるほどの大きな溜息で、品物を見ていた別の客数人がこっちを見てきた。

 客の前でその態度はどうよ……と、言った所で多分聞かないだろう。


「よく生きて帰ってこれたな。手前みたいなトーシロが潜れる場所じゃねェぞ、普通は」

「ん……ラミーの力を借りたよ。土砂降りにして火薬が湿気てる内に抜け出してきた」


 そこまで言って、湿気たはないなと思わず苦笑いした。

 ラミーは俺達のような知性ある動物――学問的に定義されるところの『智獣(ちじゅう)』とは一線を画した、特別な存在。『守神(もりがみ)』と呼ばれ、神なる概念の代行者として崇め称えられている中の、人魚と呼ばれているものだ。

 けれども、人魚だと言う以前に彼女は俺の従者。ラミー自身も自分が特別凄い存在と思っているわけではない……のだが、本来なら神様のように称えられてしかるべき力を持っているのは間違いないだろう。

 一度火のついた火薬が水浸しになるほど雨を塹壕に降らせ、三時間だけとは言え戦争を雨で止めてみせたのは、他ならぬ彼女なのだから。


「ほーん、相変わらず人魚ッコは器用だな。んで、その人魚ッコは?」

「里帰りさせてるよ」


 そんな人魚のラミーだが、今此処には居ない。

 根無し草の俺と違って、彼女には帰る家がある。泉や池や湖と言った、とかく水が一所に留まっている場所がその玄関口だ。このネフラ山麓駅へ来る前、彼女には街外れの塩湖から家に帰ってもらっていた。

 それにも理由がある。そしてそれを、ロレンゾは見透かしていた。


「スカした顔しやがって。手前等みたいな小僧に何が出来る?」

「約束しちまったもんはしょーがないだろ。破るのは俺の流儀じゃない」

「ジジィみたいなこと抜かすんじゃねぇ青二才。約束を必ず果たすのは俺達老境の役目だ、二十歳の鼻垂れ小僧がした約束なんざ破るもんだろがい」

「あのな。何の為に翠龍線の根元まで来たと思ってるんだ」


 ばしっ、と歯切れのいい音。きっとロレンゾが尻尾を床に叩き付けたせいだろう。

 呆れたように息を吐き出して、彼はやおら席を立った。乾いた木の床と椅子の足が擦れ合ってがたがたと大きな音が鳴る。その音に客の数名がこっちへ顔を向けたものの、俺がその方へ目を向けると、慌てたように商品選びへ戻っていった。

 別に睨んだつもりはないんだけど……なんて思う隙に、ロレンゾはガラス玉を繋げて作った暖簾をかき分け、ずかずか店の奥へ入っていく。何にも言わないから何がしたいかよく分からない。突っ立つばかりの俺に、もう一度暖簾の向こうから顔を出したロレンゾは、黙って手招きした。


「会計の前で突っ立ってるのもアレだ。委細は書斎で聞く」

「その会計はどうすんだよ。俺達が話し終わるまでほっぽらかすつもりか?」

「ローザが代わる。三時間だ、さっさとせんかい」


 言うだけ言ってロレンゾは顔を引っ込めた。そして、そのタイミングを計っていたかのように、アルビノのトカゲ――彼があだ名するところのローザが店の奥から出てくる。やたら筋肉質な旦那とは対照的に、奥さんの方は掴めば折れてしまいそうなほど線が細い。

 そんなローザ夫人は、当たり前のように今までロレンゾが座っていた椅子に腰かけて、静かに店の奥を手で指した。そして、アルト調の声が後から付いてくる。


「私のことはお気になさらず。話して来て下さい」

「ん、ありがとう。三時間だけロレンゾ借りるよ」

「ええ、夫の返却を御待ちしておりますわ」

「おっけ」


 くすくすと小さく笑うローザ夫人に短く返して、ロレンゾの後を追った。


***



 店の奥に併設されたロレンゾ夫妻の自宅、その一室で、ロレンゾはがちゃがちゃと机の上に広げ散らかしていたものを片付けていた。あまり詳しく検分する気はないが、ペンチだのドライバーだのと言った工具類がどうしても目につく。

 大方、翠龍線で掘り起こされた『遺物』を弄っていたのだろう。街外れの泉の底に沈んでいた『遺物』――大昔にこの星の頂点に立っていた種族の残した、技術や悲劇の痕と聞いている――空飛ぶ金属の船を引き揚げ、修理し、あまつさえそれを乗りこなして、空の覇者たる猛禽から空の半分を強奪した“伝説の馬鹿”は今も健在と言うわけだ。


「また機械でも弄ってたのか?」

「ま、そんな所だ」


 俺の質問には上の空、子供がおもちゃを片付けるかのように、工具箱へ工具を流し込んでいく。乱暴に扱って壊れたらどうするんだと思うが、当人がそれで顔色を変えないから多分大丈夫なんだろう。

 とりあえず本が二冊広げられる程度の小さな空きスペースを机の上に作って、近くの古い椅子に腰かけたロレンゾは、ドンッと勢いよく頬杖をついた。鈍い金色の瞳が鋭く睨みつけてくる。ただでさえ表情が読みにくいのに、彼はただの一言も喋らない。僅かに細められた眼だけが感情を語る。

 世間話も茶番も要らないからさっさと話せ――と、多分彼はそう言いたいのだろう。


「前提の話になるが、ロレンゾ。翠龍線の向こう側がどんな状況かは大体知ってるよな? 犬と猫が戦争起こしてるって」

「嗚呼、枯れ野のど真ん中で『遺物』が掘り起こされたってんで大騒ぎしてやがるな。随分派手に戦争やらかしてるようだが、そいつがどうかしたかい」

「その最前線でな、ド級の魔法使いを見た。結構年取った白猫だ」


 ギロリとロレンゾが俺を睨んだ。

 彼にはすぐ分かっただろう。その年老いた猫の魔法使いが、自分の友人だということくらいは。

 けれども、彼は俺を睨む以上のリアクションはせずに、ただ疲れたような声で問いを投げかけた。


「その魔法使いが、どうしたってんだい」

「死んだよ。魔法の使い過ぎで、心臓が止まった」


 なるべく情感の響きは籠めずに言い放った。

 戦場とはいつでも紙一重だ。俺だって誰だって、自分の命を護ることで手一杯になってしまう。誰かの命を護ろうとするのなら、それはもう自分の生命を削って盾にするしかない。そして白猫の魔導師は、そうするしかなかったのだ。彼は自分の命と自分に下された命令を天秤にかけて、後者を取ってしまった。ただそれだけのこと。それ以上語るべきことは、語っていいことは、俺には何もない。

 それに、幾らロレンゾが六十年の時を重ねていても、古い友人の訃報なんて突然聞かされるのは大変な衝撃のはずだ。そこに情報を上塗りして、思考回路を無闇と混乱させることは、恐らく愚かしいことだろう。


「――何で、それを俺に伝えた」


 長い、長い沈黙の後。

 紡がれたロレンゾの声は、掠れていた。頬杖をつき、じっと虚空の一点を眺めるその表情は無表情で、俺の目に感情は読み取れない。だが、酷く苦しげなことだけは、雰囲気からひしひしと伝わってくる。

 問いへの返答の言葉を選ぶのに、俺はたっぷり時間を使った。


「約束は守るもんだと思う。だからあんたに伝えた」

「そうか……」


 絞り出すように呟いて、彼の手が一瞬虚空を彷徨った。そして、何かを振り切るようにぐっと拳を握って、机に叩きつける。ドン、と鈍い音がして、山積みになった本が微かに揺れた。

 そうか、とまた一言。握り締めた手を解いて、ロレンゾは引き出しの取っ手に指を引っ掛けたかと思うと、のろのろと緩慢にそれを引っ張った。がらがらがら、と、部屋に響く音はやけに虚しい。


「…………」


 開け広げた引き出しを、しばし凝視。ごつい手で中身をぐしゃっと一回引っ掻きまわし、彼は銀色に光る鍵を抓み上げた。俺達が普段使う、錠前用のそれとは形が違う。細長いのは一緒だが、薄べったく、出っ張った部分のところはずっと複雑だ。

 これも『遺物』。遥か昔、食物連鎖の頂点に立っていた種――人間が残した技術の欠片。貴重なものであるはずのそれは、ロレンゾの身辺には造作もなく転がっていた。


「エド」


 名前を呼ばれて我に返る。

 何だ、と手短に問い返せば、金貨の色の目が、見たこともないほど鋭い光を湛えて俺を見ていた。その鋭さの中に、往時の彼を一瞬見た気がして、自然と身が竦む。

 半ば呆然として立ち尽くしていると、ロレンゾはふっと表情を緩めた。ニッと口の端を楽しそうに釣り上げて、俺の方に鍵を放り投げてくる。貴重品だって言うのに、全く扱いがぞんざいだ。

 投げ渡された鍵をしっかと受け止めて、じろりと睨んでやる。ロレンゾの表情は、変わらない。


「約束を果たすのはいつだって老境の役目だ。お前はジジイのお使いを果たすんだな」

「カッコつけやがって。何すりゃいいんだ?」

「ベルダンの所に行ってこい」

「ぅげ……」


 当たり前のような返答に、変な声しか出てこなかった。

 ベルダンの所に行く。そのお使い内容が、魔法使いと交わした約束より難易度高いってこと、分かってるんだろうか。


「中々スリリングなお使いだろ? さー行ってこい、青二才!」


 嗚呼、確信犯だこいつ。

 後で絶対蹴り上げてやると、心の底で固く誓った。


***


 ロレンゾは俺を書斎からほっぽり出した後で部屋中のあれやこれをばったんばったんひっくり返し始めたし、ローザ夫人はアラアラウフフと言った感じでただの一回も止めてくれなかった。俺はどうやら、世界一難しいお使いを遂行するしかないらしい。

 これもあの魔法使いとの約束だ。託された鍵を鞄の中に仕舞いこんで、泥沼にハマったみたいに重たい足で街路を進む。

 ――甲高い金槌の音、刀匠の怒号に丁稚(でっち)の悲鳴。金物を売る商人たちの軽やかな口上、財布の紐を握りしめた主婦や旅人たちの値切り合戦。炭の焼ける焦げ臭さ。煙突から立ち上る白い煙が青空に溶け、注ぐ陽光に真新しい金物の輝きが眩しい。

 ネフラ山麓駅は宿場町である以前に、金物の聖地だ。

 それもそのはず。ネフラ山系、それもこのネフラ山麓駅の付近は、世界中で類を見ないほど良質な鉱脈が広がっている。最上級の金属と鉱石が山のように採れるこの場所に、鍛冶と細工の職人が集まるのは当然と言えるだろう。

 ロレンゾが俺を使いに出した、ベルダンと言う男もその一人。ネフラ山麓駅どころか、世界で一番腕の良い鍛冶屋だ。


「ガーネットパス十五番地の、六……と」


 一番太い大通りから一本入り込んだ、閑静な脇道。うら寂しい雰囲気の漂う裏路地の隅に、ベルダンの工房はひっそりと看板を掲げている。

 良く言えば趣のある、悪く言えば老朽化した、煉瓦造りの二階建て。堅牢な印象はそれなりに強いが、表通りの工房に比べると規模は遥かに小さいし、何より客の出入りが全くない。随分と寂しい佇まいだった。

 それでも、此処で打たれる金物はどれも、素晴らしいなんて言葉では表現できないほどの出来らしい。一度だけ調整前のものを触らせてもらったことがあるが、並の木材などそれこそ切った感覚もなく切れてしまう。出来上がった作品に至っては、俺が全財産を絞り出しても変えないほどの高級品だ。

 試し切りには付き合えても、店に並んだものを手に取る機会はないんだろうなぁ。なんてしみじみ考えながら、出入り口の戸を叩いた。


「おーい、ベルダーン」


 返答なし。もう一度扉を叩いて、声も投げる。

 やっぱり返答はない。留守なのかと思って耳をそばだててみると、かーんかーんと甲高い金槌の音が中から聞こえてきた。一応ベルダン本人は在宅のようだ。けれども、難易度がこれまで以上に跳ね上がってしまった。

 仕事中のベルダンほど声の掛けにくい相手は居ない。普通に声を掛けて気付くことなんて百回に一回あるかないかくらいだし、無理やりこっちに意識を向けさせたなら、集中を乱したと言って金槌をブン投げてくるような恐ろしい男なのだ。実際それで俺も何度かドア越しに殺されそうになった。

 出来れば近寄らずにそのまま引き返したいところだが、多分、そうもいくまい。会えませんでしたゴメンナサイ、と言ってロレンゾが納得するとはとても思えない。

 意を決して、工房の扉を蹴り上げた。


「ベルダン、客!」


 半ば怒鳴り散らす勢いで声を張る。直後漂う静寂。

 かーん、かーん、と、規則的に響いていた金槌の音が、止まって――

 ――ばごぉ!

 ……ドアの向こうで、何かが粉砕された。


「――何の用だ」


 数分後。

 愕然としていた俺がようやく正気に戻り始めた頃になって、戸がガタガタと音を立てる。

 建てつけの悪い戸を半ば引きずり倒す勢いで開け広げ、不機嫌さを隠そうともしないしゃがれ声で呟くように問いかけてきたのは、見上げるほどに背の高い、真っ黒なトカゲだ。空の色を映したような、けれども空より遥かに鋭い光を湛えた目が、検分するように睨みつけてくる。

 この泣く子も黙る威容の持ち主こそは、この工房の主。ロレンゾが使いに行けと指名した、ネフラ山麓駅最高の大鍛冶師(グランドスミス)――ベルダンだ。


「何の用だと聞いている。貴様が客ではなさそうだが?」

「客だなんて騙したのは悪かった。ロレンゾからの頼み事で来たんだよ」


 仕事中に邪魔されたのが相当癪に障るらしい、低い声と威圧的な佇まいから放たれる雰囲気は露骨に苛立っている。取り乱すと余計神経を逆撫でしそうだったから、勤めて淡白に用件を答えた。

 そして彼が顔に浮かべたのは、強い疑問の色。


「ロレンゾが? 奴がどうした」

「本当の意図は俺もサッパリ。ただ、鍵を渡されたぜ」


 託された鍵を差し出す。

 受け取り、じっくりと検めたベルダンは、無表情。はぁ、と呆れたように小さな溜息を一つついて、前掛けのポケットに鍵を突っ込んだ。そのままくるりと踵を返し、とりあえず用は果たしたしと後ずさりかけた俺に、ギロリと視線だけを向けてくる。

 他意は無いんだろうがひたすら怖い。思わず凍りついた俺に、ベルダンは不気味なほどぶっきらぼうだ。


「貴様が発端だろう、ダチョウ野郎。見届けろ」

「ダチョウ野郎って、アンタな……俺にゃエドガーって立派な名前があるんだぜ」


 ダチョウなのも事実だし野郎なのも事実だが、くっつけてあだ名にされると結構屈辱的だ。呆れる他なかったが、ベルダンは相変わらず冷めた目をしている。語ってほしい事情も掛けてほしい言葉もない。そう目と背が語っていた。

 あんたには無くても俺には山ほどあるんだが、と言ってみたところで、多分聞きはしないだろう。それを証明するかのようにズカズカと工房の中へ入って行ってしまったベルダンの後を、俺は黙って追いかけた。


***


 高い天井、煤けた梁、熱気を孕んだ灰色の溶鉱炉。ガタガタの金床、真っ黒に錆びついた金槌に、練習台と思しき小物刃物がそこら中にズラリ。

 年季が入っている。そんな言葉がよく似合うであろう、何とも色あせた空間だった。

 表通りで一番人気を誇る鍛冶師の工房に比べると、道具も工房自体も薄汚れている。けれども、此処で名匠が名作を生み出しているのだと言われれば、すんなり信じられるだろう。表通りイチの気鋭の新人、その彼が持っている工房にはない、刃物のように鋭く、凪の海のような深さを帯びた静謐が、此処には確かにあった。

 そんな工房の奥、隣接する彼の家との出入り口にあたる縁側のところに、ベルダンはどっかりと腰を下ろした。工房は土間の延長みたいなものであって、自宅自体は高床らしい。

 木造高床、土足厳禁。こんな様式の建築物は、この近辺では見かけない。

 ベルダン自身、プレシャ大陸の出身ではないと聞いているが……今は置いとこう。


「しかしまあ、俺一人の為にわざわざ仕事中断させて悪いな。炉の火まで落とさせちまって」

「気にするな。丁度気が進まんと思っていた所だ」


 さっきまで腰に掛けていた革製の前掛けもその辺に放り出し、溜息。鼻面に乗せていた老眼鏡を外して、空色の目を少し細める。表情こそはほとんど変わらないし、彼自身どんなことがあっても滅多と口に出したりしないが、疲労が溜まっていることは何となく察せられた。

 抱えている事情はあまり詮索せずに、本題へ入る。


「でさ、ベルダン。あんた、何か知ってる風だったけど」

「……ロレンゾから概要は聞いているだろうが、俺とロレンゾは元々、同じ軍隊の同じ部隊に居た。貴様等が言う“空飛ぶ金属の船”――俺達が言う所の“飛空艇(ひくうてい)”を泉から引き揚げたのも軍隊に居た頃だ」


 投げた問いに、明確な答えではなく昔話で切り返された。

 そこから続く話が、きっと答えになるのだろう。知ってる、と簡単な相槌だけ打って、続きを促す。ベルダンは小さく頷いて、けれども次の言葉を声にするまで、たっぷりと時を使った。


「あれを飛ばしたのは、俺の知る限り十回しかない。前者五回は、猛禽共から制空権を強奪する為の攻勢」

「嗚呼、聞いてる。なら、後五回は?」


 たった五回の出撃で空の半分をブン奪ったって言うのも、それはそれで物凄い話ではあるが。その辺の武勇伝は、既に他の街やらロレンゾ本人やらから十分過ぎるほど聞いている。

 俺が今此処で、本当に知らなければならないのは、五回あったと言う出撃の内の、最後の一度だ。

 問えば、ベルダンは躊躇いもなく口にした。


「四十年前の戦争……ロレンゾが腕一本を落とす羽目になった時だ」


 バシン、と乾いた音。

 何か重苦しいものを振り千切るように、長い尻尾で木の床を叩く。遠慮も何もない打ち下ろしで痛くないのかと思ったが、トカゲの表情は相変わらず何も変わらない。瞳にも漣一つ立ってはいない。

 ただただ、彼は何処か遠い所に焦点を合わせて、独り言のように続けるばかり。


「当時俺達が居たのは東側の戦場。今も犬猫が小競り合いをしているようだが、今のように生温いものではない。プレシャ大陸中の戦力を掻き集めたに等しい総力戦だった」

「だからあんた等も居たのか」

「そう言うことになる」


 即答。相変わらずベルダンの会話には味も素っ気もない。

 何を思っていても、彼は全て心の奥底に押し込んでしまう。本当はよく笑いよく怒る奴なのだとロレンゾは言っているが、少なくとも俺に対して感情的になったことは一度もない。多分、そうするに値しないのだろう。

 俺に出来るのは、呟くような彼の語りを受け止めることだけだ。


「俺達トカゲも、無論戦場に出ずっぱりだ。そして、猛禽以外で制空権を持っていたのは今も昔も俺達だけ。結果、碌な整備も無しに連日飛空艇を飛ばす羽目になった。詳しいことは伏せるが……」

「聞いてるよ、魔法使いから」

「なら良い。――事故が起きたのは戦争が一番激しい時だ。動力の炉が暴走し、舵も取れず塹壕に墜ちた」


 まるで本の中身を読むような、感情のないしゃがれ声。自分の身に起きたことだろうに、ベルダンは落ち着き払っている。

 俺がロレンゾへそうして話したように、彼もまた、本当は心の中であれこれと思索しているのだろうか。何処か遠くを見つめる横顔からは、何も読み取れなかった。

 けれど、そんな落ち着きは、次の声で揺らいだ。


「命の恩人なんだ、彼は」

「ベルダン?」

「あの時あの瞬間、彼が其処に居なければ、俺もロレンゾも確実に死んでいた。偶然の一致と言われたなら俺には言い返せない。だが、俺達にとって――俺にとって、彼は間違いなく掛け替えのない友人であり、恩人だったんだ……」


 ――そんな彼と交わした約束を、この俺が破れるものか。

 ――約束を果たすのは、いつだって遺された者の役目だ。


 掠れた声で、言い聞かせるように。

 ともすれば溢れそうになる何かを堪えて呟いたベルダンに、恐る恐る問いかける。


「その約束、聞いても良いかい」


 ――西側の山麓駅で、私の古い友人が雑貨屋と鍛冶屋をしているのだがね。あの馬鹿どもを、この戦場にもう一度連れ戻してはくれんか。

 ――約束したのだ。この戦を我等の代で終わらせよう、と。私で無理ならば彼等が、彼等で無理ならば私が。そして私では力不足だった。

 ――だが、彼等もこの約束を守れる状況にあるかは分からない。それでも私は、彼等以外の誰に頼めば良いのかも分からんのだ。

 ――荷の重い話を押し付けてしまってすまない。だが、此処にはもう、知己のお前以外に頼める者が居ない。皆死んでしまった。

 ――きっとだ。きっと果たしてくれ。約束だぞ、若いの。


 今際の魔導師が掛けた言葉が脳裏を掠める。

 彼の心配は、清々しいほどに杞憂だった。


「互いの危機は、互いに助け合う。……それで十分だ」


 かつての約束を果たすのは、老境の英雄を置いて他にない。

 バシッ、とまた板の間に尻尾を振り下ろし、何かを振り切るように一度強く拳を握って、解くと同時に立ち上がる。


「ロレンゾに伝えろ。確かに果たすと」


 何時ものしゃがれ声でそう言い切り、ロレンゾは背を向けた。

 戸の向こうへ消えていくその背を追うことは、出来なかった。


***



 街外れの雑貨屋に戻ってきて、いつものようにカウンターで頬杖をついているロレンゾが目に入った途端、今まで忘れていた疲労がどっと全身になだれ込んで来た。ベルダンと一緒に居るとどうも変な風に緊張してしまう。悪意があるわけじゃないと知ってはいても、あの風体はやっぱり怖い。

 そしてロレンゾは、そんな俺の様子を横目で一目見るなり、くつくつと楽しそうに笑声を零した。そこで、最前此処で誓ったことを思い出す。


「よー、ちゃんと帰ってきたか青二才! それで――痛ってェッ!?」

「うん、満足」


 敵意を悟られないようなるべく疲労困憊の体を装ってその場に立ち尽くし、彼がニヤニヤ笑いながら近づいてきたところで、向こう脛を思いっきり蹴り上げた。元々鍛え上げられている上に分厚い革の軍靴越し、細い木の一本も張り倒せるくらいの力で蹴ってもひたすら痛がるだけだが、とりあえず目標は達成だ。俺満足。

 脛を押さえてその辺をピョンピョン跳ねまわるトカゲのジジイに、頼まれた言伝も投げつけた。


「ベルダンから伝言だ。確かに果たす、って」

「ぁーぃって……くそっ、ベルダンめ。カッコつけよってからに、齢七十五で空飛ぶつもりか?」


 語尾を上げつつも、その矛先は何処にも向いてはいない。驚きと呆れと、それから少しの称賛を混ぜて独りごち、ロレンゾは古い樫のカウンターを楽しそうに数回指先で突いた。やや伏せがちの目の奥、何時もの軽薄な色と共に、計算と打算の光が見え隠れしている。

 ロレンゾはおちゃらけているが、馬鹿な男ではない。多方面に亘る鋭敏な思考力と膨大な知識を隠し持っている。ある種の分野に限定すれば、天才や神童と騒がれる奴等を言葉一つで叩き伏せ、百年の時を刻んだ老翁に知識の量で勝ってみせるのだ。むしろ、そうでなければ『遺物』で空を飛ぶなんて出来やしないだろう。

 英雄を英雄たらしめたその頭で、彼は一体何を考えているのだろうか。


「……ま、二週間ってェとこかね。ベルダンもそれ以上仕事を休んじゃ居られんだろ」

「それ以上って――戦争を二週間で終わらせる気か!?」


 思わず大声が出た。

 だって当たり前だろう、犬猫の戦争は俺が生まれる前から蜿蜒(えんえん)と続いているものなのだ。それを二週間で終わらせるなど、いくらロレンゾが超ド級の船乗りだったとしても大言壮語に過ぎる。或いは無謀とも。

 けれども、彼の横顔はいやに自信満々だ。爛々と光る鋭い金の眼が、熟慮と計算の末に『二週間』と言う結論を弾き出した、その裏付けに等しい。


「約束は果たす。かつての英雄だの古強者(ふるつわもの)だのと好き勝手なことは言わせんぞ」

「言わせんって、老けたのは確かだろうが。六十にもなって何言ってやがる」

「黙んな、青二才。俺の今の力量は俺が一番良く知っている。考えた上での二週間だ」


 彼の言葉も、間違ってはいないのだろう。

 それでも腑に落ちたわけじゃない。


「ロレンゾ、本当に大丈夫なんだな?」

「くどい。ローザに何も言わないで死ぬほど不孝者にゃならん」


 こっぱずかしいこと言わせるな、と照れ隠しの悪態を吐き、がしがしと乱暴に白髪を引っ掻き回して、古い椅子に身を預け。またしばし考え込むように俯いていたかと思うと、突然立ち上がった。相変わらず何を考えているのかよく分からない男だ。

 何も言わず、誰にも意図を汲ませずに、トカゲはガラス玉の暖簾の向こうへ消えていく。ギィギィと木の軋る音は、恐らく階段を上っているのだろう。ぼんやりその音を聞きながらカウンターの前に突っ立っていたら、くいくいと尻尾を軽く引かれた。


「嗚呼、邪魔――」

「うりゃーっ!」


 ――ばっちぃん!!

 退こうとした俺の思考をぶった切って響く、聞き覚えのあるソプラノの声。

 何事、と言う驚きさえ叩き切るように、俺の横っ面が快音を立てた。


***


「……ごめん、すごくゴメン」

「……手前が悪いんじゃねぇ。気にするな」


 俺の体高の半分くらいしかない身長、ごく淡い水色のウェーブがかった長い髪、魚のヒレのような形の耳。上半身を覆うのは黒い布と金銀の胸当て、下半身は精緻な刺繍の施された腰巻二枚のみ。しゃらしゃらと音涼やかなのは、珊瑚と真珠を繋いだ銀鎖。

 上半身は大昔地上に栄えたヒトそのもので、下半身は今も尚海に栄える魚の姿をした、雰囲気だけは儚げなじゃじゃ馬人魚。

 ラミー。三年前から付き従う旅の従者。


「はい、どうぞ」

「わぁ、綺麗! ありがとーっ」


 ロレンゾと俺の呆れた視線も何処吹く風、彼女はローザ夫人にマロウティーなど作ってもらいながら、ほくほく顔だった。

 けれど、横っ面を引っ叩かれた俺はすごく微妙な気分だし、ロレンゾに至ってはさっきから苦虫を口一杯放り込んで噛み潰したみたいな顔になっている。チリチリと殺気めいた気配を出しているせいで、空気が軋んで重たい。


「あー、ラミー。とりあえず、此処に来た理由を言おうか」

「そんな顔しないでよエディ。ごたごたしてたの全部片付いたから早めに来ようって。お父様もお母様も良いって言ったもん」

「まァ、手前が居らんより居た方が何かと融通利くわな。……んで、だ。さっき見たら風呂場がメチャメチャになってて水が塩水になってたんだが、どーゆー訳か説明してくれねぇか」

「あ、あれ? あそこ玄関口にしてきたの!――ひゃぁっ!?」


 元気よく右手まで上げて返答したラミーに、ロレンゾは予備動作も前触れもなく右ストレートを放った。本当に当てる気はなかったか、あるいは激情に任せて適当に放ったからか、はたまたラミーの反射神経が神業だったのか、拳は鋭い音を立てて空を切る。

 だが、脅威なことには違いない。慌てたように俺の後ろに隠れながら、危ないよ何するの、と怯えながらも大声を上げたラミーに、ロレンゾの声は低く返された。


「無断侵入に飽き足らず器物損壊とか手前何考えてんだコラ。洗濯物と風呂釜どうしてくれんだ? ぁあ?」


 どこのヤクザだこれ。

 そしてラミーは不思議そうだ。気付けよ。


「だって、あそこが一番此処に近い水場だし――」

「黙らんかい! 人のプライベートな空間メタクソにしといてスカしてんじゃねぇやッ!」


 そんなこと言ったら海も湖もプライベートな空間なんだけど、と、物凄い剣幕を呆れるほど華麗に受け流しながら口を尖らせるラミーだが、論点と違えるなと叫んでロレンゾは古い樫の机をぶっ叩く。

 どどどっ、と不安定に積み上げられた本が雪崩れてしまっても、部屋の主はお構いなしだ。金色の眼を更に鋭く光らせて、まだ首を傾げるラミーを睨んだ。


「手前等人魚の常識なんぞは知らんが、少なくともこの地この街の家ってのは縁故の聖域だ。風呂場だろうが井戸だろうが、タライ一杯の水だろうが、家に有る以上は縁故のない奴が好き勝手に使っていいもんじゃねぇんだぞ。分かってんのか!」

「ぅうー……」

「――なぁ、ラミー」


 まだ納得いかないらしい。頬を膨らませ、魚の尻尾ではたはたと空を掻くラミーに、ほんの少しだけロレンゾは声の厳しさを緩める。


「手前だって寝る時は扉閉めて誰も入れねぇようにするだろ。同じこった、扉を閉めて外と隔てたんだ、勝手にズカズカ上がり込まれたら困る場所なんだよ。それは俺ん家の風呂場だって一緒だ。自分が入られて困る場所には入るな。少なくとも、俺ン家の風呂場を玄関に使うんじゃねぇ。分かったか?」

「……はぁい」

「良しよし、分かりゃァ良い」


 ラミーの方はまだまだ完全に納得しきったワケではなさそうだが、とりあえず肯定の返事を貰ってロレンゾは満足したようだ。先程天板を叩いたせいで崩れた本を面倒くさそうに拾い上げながら、話は本題へと入っていく。

 即ち、戦争の終わらせ方について。


「俺ァ隣国へは海経由で行くが、エド。手前はどうするつもりだ? 手前も人魚ッコも翠龍線を超えるような口ぶりだったが」

「嗚呼……あ? 海? 翠龍線を越えた方が早いだろ、あんた」

「最速だが、最善じゃねぇな。此処から直近の空路つったら『鳥落としの渓』を通るが、ありゃダメだ。四十年前なら余裕だろうし俺一人だったならそれでも何とかしたろうが、ジジイ乗っけてあんな魔所飛ぶ訳にゃいかん」


 ばさばさと本を適当に積み上げ、天板の空いた所に腰掛けて、行き場のない手は顎に蓄えた白髯を弄り。往時の英雄はまたしても思案を巡らせる。爛々と子供のように光り輝く目は、まるで戦場に向かうのが楽しくて仕方ないとでも言いたげだ。

 奥方としてはどんな心境なのだろうか。ちら、とローザ夫人の方を見てみると、彼女はそこに居なかった。暖簾の向こう、何時もは主人が座ってそろばんを弾いている所で、ただ黙々とその仕事を代行している。

 思索は汲み取れなかった。


「んー……この時期は定期巡回船が出るし、それに乗ってもいいけどな。翠龍線を超えるより早いんじゃないか?」

「生憎だが、ダイヤが変わった。今この辺りから船出すのはエシラの『天秤座商船(リブラベッサー)』くらいだ」


 そう告げられて、思わず顔が引きつった。

 リブラベッサーは、デカい商人集団を率いている老商――その名もエシラが持っている蒸気船だ。その詳細はともかくとして、名前だけなら、海の近いこの辺りで知らない奴は居ないと言って過言ではない。

 何が有名と言えば、多分その異常な航行速度だろう。一体何を使ってどう動かしているのかはさっぱり分からないが、とにかく物凄い速さで海を突っ切っていくのだ。その上大時化だろうが津波だろうが関係なく、いつでも同じ速さを保って進み、オマケに事故らしい事故は今までにゼロ。

 その速さとただの一秒も予定を狂わせない確実性こそは、リブラベッサーの船長たるエシラと言う男のステータスであり、ある種の財産でもある。

 確かにアレなら、外から見ているだけでもめちゃくちゃ早いのは明白だ。多分、ロレンゾより先に翠龍線を超えてしまうだろう。

 けれども。


「ヤだよあんなの。話に聞いただけでも寒気がする。俺まだ死にたくないぞ」

「へっ! 戦場にまで足踏み入れた奴が何言ってやがる」

「精神的にだよ」


 早いの度合いが、常軌を逸しているのだ。

 俺自身がそれを体感したわけではないのだが、知り合いの話を聞く限り、大時化に巻き込まれた難破船以上に揺れて揉みくちゃにされるらしい。まさかそんな、とは俺も思うが、「頼むから自分と同じ轍を踏むな」と縋りつかれて懇願されたら、誰だってうそ寒いものくらいは覚えるだろう。

 翠龍線を超える手段は他にいくらでもある。早さのためにわざわざ砲弾みたいな船に乗って、水恐怖症の腰砕けになるのは御免だ。


「ま、旧ネフラ隧道(ずいどう)経由の『龍の頸』越え、かなぁ……最初に予定してたルートだし」

「ほー、禿泣きの隧道か。ま、良いと思うぞ!」


 いやに大笑するのは、乗ればよかったのに、とでも言うことなのだろうか。

 ……断じて御免だ。


***


 ベルト、コンパス、革の鞍。枠の凹んだランタン、雑巾同然の風呂敷、貨幣の零れそうなサイフ。縫い目のほつれたヘルメット、今にも千切れそうな古いゴーグルに、柄のないなまくらナイフ。

 「禿泣き隧道を超えるなら装備はちゃんとしろ」と言われ、半ば追剥同然に引っぺがされて、山積みになった俺の装備品。あんまり気にしてなかったのだが、よく見てみれば、なるほど確かにもう買い換えるか修理した方が良いものばかりだ。だからと言って、いきなり飛び掛かって身ぐるみ剥がなくても良かったんじゃないのかとつくづく思う。

 しかしながら、此処はやっぱり性なのか。先程までのヘラヘラしていたジジイの姿は何処へやら、至って真剣に状態をチェックしているロレンゾへ、そんな本音は何だか言いにくかった。


「柄がないだけかと思ったら刃も潰れてんじゃねぇか。ベルダンの鍛えたナイフの刃がこんなに潰れるもんかね」

「え、それベルダンが元なのか? 露店市で二束三文だったぜ」

「ははァ……練習台のナイフが手違いで流れたんだな、じゃあ。銘が無けりゃどんな所でどう売ろうが誰も文句言わんからな。だが結構良い品だったはずだ」

「嗚呼、まあ、うん?」


 ロレンゾの言葉に思わず声が高くなる。

 買った時から妙に使いやすいとは思っていたし、何だかんだ言って半年は使っていたナイフだ。一か月サイクルで買い換えていたことを考慮すれば、結構性能のいいナイフだったのだろう。だが、使っていた当時は特別凄いとは思わなかったし、ましてやベルダンの作品だとは予想もしていなかった。

 でも頑丈だったなあ、とか、そう言えばこれで野良狼と格闘したこともあるなぁ、なんてぼんやり考えていたら、ロレンゾが手にしていたナイフの刃をぽいと投げた。

 明後日の方向に飛んでいったナマクラは、磨き上げられた木の床に跳ね返されて、虚しく転がる。刺さるほどの鋭さも最早ないらしい。


「総とっかえだな、こりゃ。結構金が掛かるぞ」

「おう。支払いなら任せろ」


 冗談抜きで金はある。

 この街に入った時、表通りの宝飾店に一年間溜め込んでいた宝石を半分ばかり売り払ってきたのだ。鉱石類の需要が引く手数多のこの街なら、家一軒に庭を付けても買えるくらいの値段で引き取ってもらえる。今回は店主の気前が良くて倍に膨れた。

 財布の中には金貨が六百枚。目の前に積み上げられた装備を全部新品にして、それを全部ロレンゾの言い値で買ったとしても、おつりが出るだろう。

 自信満々に言ってやったら、ロレンゾはちょっと気圧されたようだった。


「自信満々に言いやがって……手前、何時からそんな金持ちになった?」

「旧隧道の方でエメラルド鉱床を見つけたんだ」

「!――馬鹿、声がでけぇ」


 ロレンゾは落ち着かない表情。ちょっと後ろを見ると、客が数人、信じられないと言いたげな顔で書斎に居る俺達の方を覗き込んでいる。それ本当か、と尋ねてくる奴も居たので、でも屑石ばっかだし枯れかかってるよ、と嘘を吹き込んでおいた。

 本当は最上級品が両手一杯に拾えるのだけど、それを言ったらあっという間に採り尽されるだろう。ネフラ山麓駅の宝石商と採掘屋の貪欲さに掛かれば、どんな良鉱床も一か月でパァだ。

 なんだぁ、と少し残念そうに呟いて離れていった灰色の犬を見送り、ロレンゾの方に向き直ると、彼は机の影で小さく親指を立てた。


「今度原石よろしく! 約束だぞ!」

「断る!」


 全力で突っぱねておいた。


***


 ――あっという間に、七回陽が昇って落ちた。

 これから一週間は快晴が続くであろう、そんなことを予感させる肌寒い秋の朝が、出立の日になった。


 プレシャ大陸の南、蕩々と蒼い水を湛える海の上。

 眩しいほど真っ白な、俺の何倍もありそうな金属の“鳥”が、時折打ち寄せる波に微か揺れる。二対四枚の翼を持つそれは、今はまだ沈黙を保っているが、動きだせばそれはそれは大きな咆え声を立てるのだろう。俺達の背後、遠巻きに見物している者どものヒソヒソ声など、跡形もなく掻き消してしまえる程度には。

 四枚の翼の間に渡された太い鉄の棒、それに引っ掛けられた金具と紐が、波に機体の揺れる度にギィギィと怪しい音を立てて軋る。見るに牛を括れるほど太い紐なのだが、それを軋ませる程度には重たいらしい。

 始動の合図を待つ白い巨鳥をぼんやり眺めながら、零れた声は掠れた。


「……これが」


 “疾風”アエロー。

 十万を超す猛禽の群れをたった一機で圧倒し、全面勝利を成し遂げた、伝説の撃墜者。「隼より尚早く、鷹より尚優雅に舞う」とさえ猛禽達に言わしめた、竜巻の守神の名を冠する冷たい鳥。ほんの少し触れることさえ躊躇してしまうほどの皓皓たる様は、成程守神の名前が付けられるだけある。

 話では何度も聞いてきたし、猛禽の老師からアエローの写真を見せられたことはあるけど、実物を見るのは本当に初めてだ。その姿にぼけっと見惚れていたら、ぐいっと頭を鷲掴みにされた。


「ぼーっとすんな、ぶっ飛ばされんぞ」

「誰に」

「コレにさ。動力炉動かす時に竜巻起こしやがるのよ、このお転婆ちゃんは」


 ロレンゾだ。今から長旅をするからだろうか、いつも雑貨屋の店主としてブイブイ言わせている時のような袖なしの服ではなく、長袖のしっかりしたつなぎをガッチリ着込んでいる。何の為か革製の分厚い手袋までしていて、軽装の姿ばかり見てきた俺にはちょっと不思議な気分だ。

 四十年前はこんな格好してたのか、とまじまじ見ていたら、またぐいと頭を掴まれる。そのままヘルメット越しにわしわし撫でてくる手を引っぺがすと、彼は困ったような笑みを浮かべた。


「もっかい会おうぜ、ちゃんと生きてさ」

「奥さんに言ってやれよ、同じこと」

「そう言われると困っちまうな」


 更に困り顔。もう喧嘩しまくって疲れたよ、と続けて、ロレンゾはそれ以上何も言わずに、主を待つアエローの傍へ歩み寄っていく。

 その後ろ姿へ、何か言いたくても言葉が見つからない。もやっとした気分を抱えて立ち尽くす俺のすぐ後ろから、玲瓏としたソプラノの声が投げつけられた。


「待って、ロレンゾさん。振り向かなくっていいから」

「ラミー? 手前一体――」

「はいはーい振り向かなーい!」


 俺には一切視線も向けず、彼方此方を飾る銀鎖からしゃらしゃらと涼やかな音を立てながら、まるで当たり前のように悠然と空を泳ぐ小さな人魚――ラミー。

 「やりたいことがある」と言って数日姿を消したまま、今の今まで俺すら所在を知らなかったのだが、一体何処へ行っていたのだろう。同じ疑問を抱いて振り向きかけたロレンゾは、思いの外強い語調で言い掛けた言葉を遮られ、慌てたように向き直った。

 ちらと横目に見れば、彼女は手にトネリコとクルミの小枝を一本ずつ握りしめている。よく見れば枝と葉は水でびちょびちょだ。

 何をするのだろうか。じっと見ていると、ラミーは静々と水に濡れた枝を掲げた。続けて、澄んだソプラノの声が、いつもとその調子を変えて言葉を紡ぐ。

 歌うような言葉は、まるで夜の闇に立つ先達のように、不思議と意識を引き付けた。


<<奇跡を導く世界樹の末裔と、水辺に佇める頑強な者の力を借りて、深層の守神『泡沫の歌うたいメロウ』の姫より、貴方達に水のほがいと幸いの力を手向けます>>


 しゃん、とまた音は涼やかに。

 振られた瞬間に枝から離れた水滴が、きらきらと朝の日に光る。


≪歌いましょう、貴方達の旅とその御身に、凪にも似た平穏あれと。願いましょう、貴方の見る景色の全てに、夜の珊瑚に見る鮮やかさがあらんことを≫


 もう一度、同じ音。

 空に飛んだ雫が地面に落ち、波が一度打ち寄せる音を一度聞いた所で、少しだけぼうっとしていた意識が現実に引き戻される。

 ハッとして、隣に佇む人魚姫を見る。彼女は実に楽しそうな笑声を上げて尻尾を虚空に打ち付けた。しゃん、と尾を飾る銀鎖が冷たい空を揺らす。


「お母様とお父様からの受け売りだけど、水難除けのおまじない。お母様がよく歌ってたの」

「人魚姫の水難除けか。さぞかし凄いおまじないだろうな」

「勿論っ、守神様直々だよー!」


 ほんの少し、近くで見てやっと分かる程度の苦さを含ませて笑うロレンゾに、ラミーは自信満々に親指を立てる。かと思うと、彼女はそっと目を伏せ、それでも気を付けて、と小さな声で呟いた。

 老いた鳥が若鳥のように長くは飛べない。ロレンゾとて、英雄と騒がれ讃えられていても、老いと衰えが来ていることには変わりない。ましてや彼が挑むのは、彼等以外の陸生者は夢見るしかない空なのだ。万が一をいくら心配しても足りないことはないだろう。

 だが、ロレンゾは笑った。いつものように。


「俺の軍役時代のあだ名、何か知ってるか?」

「?」


 英雄だとか撃墜王だとか、そう言う風にあだ名されているのは知っているが、口ぶりからするにそうじゃないのだろう。首を傾げて答えを促すと、彼はぐいっと顔をこっちに向けて、にやっとばかり歯を見せて笑った。


「“フラグブレイカー”ってな」

「ふ、ふら……」

「俺が一緒の部隊にいると全然キマらんのよ、玉砕って奴が。カッコ悪いったらねぇな!」


 引きつり笑い。俺が。

 正直フラグとやらの隠喩的な意味は良く分からないのだが、要するにロレンゾがいると“物語のお決まり”が成就しないと言うことだろうか。吟遊詩人やロマンス好きが聞いたら「そこは潔く散れよ! 男らしく!」とか言って激怒しそうだ。

 けれど、そうしたお決まりを破ってこその英雄なのだろう。


「安心しろ。白旗なんぞヘシ折ってやるから」

「――それは大層頼もしいな?」


 旗を折るジェスチャーなのだろうか、棒を引き倒すように拳を動かし、何処かしたり気にぐつぐつと喉の奥で笑い声を押しつぶしたロレンゾへ、やや皮肉なものが籠ったしゃがれ声が突き刺さった。

 低く重く、あくまで冷静な老爺の声。振り向けば、視線がかち合う。狼ですら視線で殺せるのではないか、と錯覚するほどに鋭い光を讃えた空色の双眸を、俺は一瞬以上直視できなかった。


「待たせたな。弾の調達に手間取った」

「何、面倒な注文付けちまったかんな。おあいこだ」


 思わず明後日の方に顔を向けた俺達には一瞥もくれず、がっちりした軍靴の踵で柔らかい海岸の砂を踏み付けながら、一直線に金属の白鳥に向かってゆく黒いトカゲ。ロレンゾと同じような長袖の作業着を着込み、操縦手より大量の荷物を抱えてはいるが、それでも彼が誰かは分かる。

 そうだ。大鍛冶師ベルダン以外に誰が居るものか。


「動力炉は普通のエンジンに積み替えてある。力も持久力も、昔のようにはいかんぞ」

「構うものかよ。老いたなら老いたなりに飛ぶさ」


 だが今の彼は、かの戦争が生み出した二人目の英雄、それ以外にあり得ない。

 愛娘にでも触れるかのような手つきと、鍛冶師にはない鋭利で憂えた横顔が、誰よりも、何よりも雄弁だった。


***


 水平線から顔を出し切った太陽が、階海きざはしのうみを眩く照らす。

 まだ本調子でない、橙がかった色の光の中で、いよいよ巨鳥が空を飛ばんとしていた。


「見渡す限り障害無し。敵影無し。機体良好」


 真っ白な翼の上に臆面もなく両足を載せて立ち、あの時ロレンゾが俺に渡した鍵を動力炉の鍵穴に差し込んで、ベルダンは平生と何も変わらない、落ち着き払った声で何やらロレンゾに告げている。アエローの操り手は、彼一人がようやく入るくらいの狭い座席に身を押し込め、席の縁のところで頬杖をついていた。

 言葉はない。後ろからでは、彼がどんな顔をしているのかも伺えなかった。ベルダンなら横顔が此方から見えるが、穏やかとすら思えるほどの無表情のままだ。

 怖いとか、不安だとか、そう言った陸生者の感じるような感情は最早、この二人にはないのかもしれない。空を飛ぶこと自体も、空を飛ぶための冷たい巨鳥も、彼等の恐怖や不安を煽る要素にはならないのだろう。


「此処から先、俺の声は届かん。健闘を祈る」

「任せな、相棒」

「戯れ言を」


 ぼそぼそとした会話が微かに此方まで届く。最終確認と言うことだろうか。

 ベルダンの手が、ほんの一瞬だけ躊躇うように宙を彷徨って、鍵を回した――途端。


「……!!」

「わ、わっ、ひぇええ……!」


 全身を浮き上がらせるほどの、颶風。

 隣人の声すら吹き飛ぶほどの、爆音。


 強烈な辻風つじかぜに思いっきり顎をカチ上げられ、一瞬視界が逆さまになったかと思えば、俺は柔らかい砂に頭から落ちていた。首が痛いとか、何事かとか一瞬色々脳裏に過ぎったが、続けて到来した砂嵐でまたそれどころじゃなくなった。

 全身に猛スピードの砂がぶち当たってジガジガと痛い。オマケに体勢が逆さまなせいで頭に血が上る。何とかして身体を起こそうともがいてみるものの、翼が風を変に掴んでしまって余計地面に押し付けられる始末だ。


「ぃって……! こンの、野郎ッ!」


 血が上り切る前に、翼を無理やりトカゲの腕みたいな角度に捩じって、身体を横転させた。翼の付け根の辺りからちょっとしちゃいけない音がした気がするけど、全部風音のせいにする。

 立ち上がらずその場に伏せたまま、首だけを巡らせ、掛けたゴーグルをもう一度しっかり掛けなおして、風の主の方を見た。


 ――鳥が、飛ぼうとしている。

 杭と紐の戒めは全て外され、動力炉から上がるけたたましい咆哮はますますその音量と音階高らかに、動力炉から繋がる三枚の羽は最早その形が追えないほどの速さで回転し、今にも飛べると全力で主張していた。

 今まで立っていた右の翼から、ロレンゾの真後ろに取られた小さな座席に身を滑らせながら、ベルダンが何某かロレンゾに向かって叫んでいる。だが、これほどの咆え声を前にして、その声は通じない。

 代わりにベルダンは、操り手の顔の真横に手を出し、進め、とでも言うかのように、人差し指を立てた。


「――!――!」


 ロレンゾが少しだけ首を後ろに捻って、何か叫び返している。後ろでベルダンがしきりに首を振っているのは、聞こえないと言うことだろうか。

 やけになったように何やらわあわあとロレンゾが叫んでいる内に、動力炉から響く咆哮の音が更に高くなり、ごん、と何か重たいものが揺れる音が、金属の舟全体から響いた。

 それがどう言うことなのかは分からない。ただ、動きがあったことだけは確かだ。それを証明するかのように、操り手が慌てて首を前に戻し、それでもちらちらと後ろを向いて、それが何度か続いた所で、意を決したように右だけしかない手でサインを送った。


「!」


 ぴっ、と勢いよく立てたのは、親指。


 ――何もかも大丈夫だ。

 ――全部任せろ。


 そう言っているようだった。


「…………」


 鳥が、遂に波間を動き出した。

 動力炉から立てられる叫び声の音階はもう上がらない。同じ高さと大きさを維持したまま、水上を滑るその速さだけが次第に上がるだけだ。そして、鳥のすぐ後ろでは、その足――曰く、水に浮いた状態を保つ為の降着装置フロート――が水を蹴立てて波を作っている。

 白鳥が飛び立つときみたいだ。風に煽られながらそんなことをチラと思ったその瞬間、俺の何倍もある金属の巨体が、海面を大きく跳ねた。

 着水した、と言うか、岩か何かを投げ込んだような音が一つ。一旦は低空に放り出された機体がもう一度、斜めに水面へ突っ込んで、大きく張り出した翼が波を切る。が、すぐにまた低空へ身を投げ出し、今度は、フロートが青い海を一瞬蹴り上げた。


「進め進めーっ!」


 楽しそうな声に目をやれば、いつの間に戻ってきたのだろう、何処かに吹っ飛ばされていたはずのラミーが、俺の横でトネリコとクルミの枝をぶん回しながら声を張り上げている。

 そして、そんな声に後押しされるかのように、アエローは遂に水からその身を離した。


「ぉおおっ」


 どよめきが辺りから巻き起こる。だが、俺はそんな声さえ失っていた。

 ――迅い。

 俺の目の前で、あれほど大きかった鳥は見る間に小さくなってゆく。飛び立った海鳥と同じように、アエローの疾駆もまた恐ろしく速い。夢か奇跡か、あるいはもう冗談のように。


 “疾風”アエロー。そして、その操り手。

 かつて空を支配した、その才が衰えたなどと、今の姿を見た誰が言えるものか。

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