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戦の前夜

前線に出るといっても単純に前線に入ればいいだけではない。


 食料、武器、陣形、奇襲時の各自の役割等々、決めておかなければならないことは山ほどある。 どれか一つでも準備ができておらず、敵に衝かれてしまったのならばそのまま味方が総崩れになってしまうことだってある。

 

 夕日が西の大地に半分ほど沈みこんだ頃にガルム将軍が部下や兵士を引き連れて前線にやってきた。 


「ようこそいらっしゃいましたガルム様」


 恭しくムランがガルム達を出迎える。


「ふん……副官殿はなかなか主を転がすのが上手いようだな」


 強烈な嫌味を言いながらガルムが馬を降りる。 ムランは表情を崩さずに待っている。


「それで……?準備はどれほど整っている?」


 辺りを見ながら将軍がムランに質問をする。


「はい……食料、武器、物資の準備は整って下ります」


「ほう……全てか?」


「はい……全てであります」


 ニコリとムランが将軍に笑いかける。


「案内しろ、私自ら監査をしてやる」


 そう言うとムランは予想していたかのように『こちらにどうぞ』と言って案内を始める。


 何故前線にガルム将軍がやってきたのか?


それには理由があった。 おそらく本人達にしてみれば実にくだらない理由が……。

 

 前線を任せられたのはオルドたちであったが、オルド自身には兵士が少ない。


 もともとはオルドの父親が息子に功を立てさせようと強引に従軍をさせたせいか、兵士集めが遅れてしまったのだ。


 しかしオルドの父親は息子に功を立てさせようと従軍させたが、それは別に華々しく前線に出ろという意味ではない。 


 せいぜい反乱軍を駆逐しおわったところで最後の突撃に参加する。


それで反乱軍駆逐の功としてもらいたいだけなのだ、よって兵が少なくても問題はないと判断して、少数の兵だけを息子に持たせた。


 他の将軍達も同じで本気でオルドに前線を任せようとは思っている者はいなかった。


 本人はそんなことは思っていなかったのだが、グランスカル家の威光を笠に来て自分達に生意気に意見する成り上がりの平民副官をへこませたかっただけなのである。


 だが予想に反し、オルドが啖呵を切って前線勤務を引き受けてしまったので、会議後に将軍達は集まり、どうするかを話し合った。


 グランスカル家の跡取りであるオルドを戦死させてしまったら、自分達の出世は閉ざされてしまう。


 いや、出世どころか身の破滅にもつながるかもしれない。 しかし前線勤務には就きたくない……と完全に議論は堂々巡りをしていた。 


 そんな中、ある将軍が手を上げて『自分が前線に赴こう』と言った。


 ガルム将軍である。他の将軍達は諸手を上げてそれに賛成し、その決定を前線の準備を始めているオルドに伝えた。


しかしその決定を聞くと彼は『前線勤務を引き受けたのは私です。なぜガルム将軍に代わらなければならないのか』と使者に食って掛かった。


 使者が兵数が少ないことと実戦の経験がないことを上げるとオルドはさらに熱っぽく抗議をする。


 使者が困り果てていると、それを横で見ていたムランが取り成した。


 『まず兵数が足りないことは事実であり、いかな名将であろうと兵がいないのでは功を立てることはできません。それに実戦の経験がないというのも、それも申し訳ないことですが事実であります。それを考えるとガルム将軍が前線に出てきてくれるのはありがたいことです……しかしながら一度引き受けた任務を他者に任せるのは貴族としても軍人としても遺憾ではありますので、ここは間を取ってガルム将軍とオルド将軍が合同で前線勤務にあたるというのはいかがでしょうか?』


 オルドもムランの提案にしばし考え込みはしたが、すぐに『そうしましょう』と賛意を表した。


 使者もほっと胸をなでおろし司令部に報告をした。


 司令部としてもグランスカル家の跡取りであるオルドに悪い印象は与えたくはないのでしぶしぶ了解をした。


 使者から報告を聞いたガルムが、口を歪ませて一言つぶやく。


『……不愉快な奴だ……』




「なるほど、確かに準備はできているようだな……」


 無言で監査をし続けていたガルムがポツリと言う。 それを聞いたムランもホッとしたように息を吐く。


 その仕草を見ながら、ガルムは複雑な表情を浮かべる。

 

戦場を体験したことのない者達の準備など危なっかしくてしょうがないのと、貴族の息子であるオルドに取り入っている若造をへこます為にわざわざ私自身が出張ってきたのだが……。


 言葉どおり準備は問題なく終えていた。 

  

 食料は前線部隊の後方に置き、敵からもわかりづらいように、兵士の寝所のテントのようにカモフラージュされている。


 武器等を入れた木箱も陣地のはじから、等間隔で置かれており、どの小隊がどの武器を使うかわかるように○○小隊と表示がされている。 そしてその木箱の隣に一回り小さい箱が置かれており、その中にはその他の物資が入っていて、兵士達にも小隊単位でどの隊がどの箱を使うかも周知徹底させている。


 その他にもかゆいところに手が届くような細かい配慮や工夫がされていた。


「ますます不愉快な奴だ」


 その言葉は誰に言うでもなく自然に出た言葉だった。 準備は良く出来ている。 


 まるで戦場を熟知したかのような細かい配慮がされている。


 大きな戦を体験したはずのない若造には不自然なほどよく行き届いた準備である。


「副官殿はなかなか準備が上手いようだが、どこで方法を学んだのですかな?」


 感心したようにかつ値踏みするかのような表情でガルムが尋ねると、ムランは何ともないように答えた。


「父から教わりました。 正確に言うと父の戦話からですが……」


「ほう……お父上からですか」


 ガルムが胡散臭そうに聞き返す。


 この辺りのような田舎領主が今回のような大掛かりな戦の準備を経験したことがあるとは思えない。 それをガルムが聞き返すとムランはニコリとした顔でさらに答える。


「父はかつて一兵士でした。 その時に現場での効率的な物資の準備や配置を学んだそうです。その時の話を私は子供の頃から聞かされてきたので今回それを応用しました」


 なるほど、指揮する者ではなく一兵士としての視点からだったのか、これは……。


 しかしいくら子供の頃から聞かされていたとはいえ、このような完璧に近い準備ができるのだろうか? そう考えると目の前で歳相応な照れた笑顔を見せている若造になんとなく背筋が寒くなる。


 「まあ……なんにしても準備が出来ているなら我々のテントの割り振りは決まっているのか?」


 薄気味悪い感覚を誤魔化すために当たり前のことを聞く。


「はい……こちらになります」


そういって自分を誘導する若造の背中にもう一度『不愉快な奴だ……』と呟いた。



「これはガルム様、私のような若造の元によくぞおいでくださいました!」


 オルドのテントに入ると、開口一番オルドが嫌味を言ってくる。


「ははは……お気になさらず、お父上のためですからな……」


 オルドの嫌味を軽く受け流し、さらりと毒を吐くガルムにムランとオルドの警護をしていた従者二人は驚いてしまう。


 さすがに将軍クラスのテントは兵士のそれと比べると四倍は超える大きさで、その中にそれぞれ部屋を仕切って作っている。


 ムランたちがいるのはその中の入り口から入ってすぐの部屋である。


「これで……全員そろいましたか?」


 ムランが確認すると、ガルムとオルドの二人が特に何も言わないので、スアピとイヨンに目配せをしてテーブルを持ってこさせる。


 そして自らは部屋のはじに置かれていた椅子を持ってきて、それをテーブルにセットする。 


その間、将軍二人は無言であった。


 やがて席が出来ると二人は向かい合うように座る。 依然黙ったままだったが……。 


 スアピとイヨンは居心地悪そうにしていたが、二人の間にいるムランは苦笑をして、しかし慣れた様子で二人の間の席に着く。


 スアピとイヨンはこの異様な雰囲気にあてられたくないのか、テーブルから少し離れたところに立っているが、やがて耐え切れなくなったようでスアピが『俺、見張りをしてくる』といって出て行き、その後を慌てた様子でイヨンも出て行った。


 こうして部屋の中には三人だけになった。


 ムランはチラリと二人を見る。 


オルドは何かを言いたげな顔をしているが下唇を噛んで俯いている。 


ガルムの方はオルドのその様子を余裕の表情で見下ろしていて、それがますますオルドが黙り込んでいる原因になっていた。


 これだから貴族というのは……。


 心の中で呆れたように口ずさむ。 ようするに意地を張っているのだ。


オルドは若造扱いされたことにひどく誇りを傷つけられたのだろう。


 貴族というのは必要以上に誇りを大事にしている人種だからな……。


 またガルムの余裕の態度にますます熱くなった頭に血を昇らせているのか、意地でもこちらからは話を切りださないつもりのようだ。


 しかしこの人がここまで誇りが強いとは……。


 正直ムランは驚いていた。 


いくら貴族が誇りを重んじるとはいえ、オルドがここまで意地を張るとは短い期間しか付き合ってないが想像できなかったのである。


 もっとも上級貴族のご子息なのだから当然なのかもしれないが、それにしても……。


「そ、それでは……話し合いを始めたいと思います……」


 とにかく、ここで自分が動かないといつまでも話し合いが出来ないので口火を切る。 


 内心、先ほど出て行ったスアピたちが羨ましい。


 これからの話し合いは間違いなく胃痛を我慢しながらになるのは間違いなかったからだ。


 薄暗いランプの灯りの下で神経をすり減らす会議が始まった………。



 オルドのテントをムランが出たのは結局、月が夜空の真上にかかる頃だった。


 会議は予想通りに荒れた。


 何しろオルドがガルムに必要以上に張りあい、ガルムがそれを挑発するので、間に立たされたムランが双方をとりなしながら一つ一つの案件を時間をかけて決めていく。


 そのお陰で、夕日が地平線に沈む頃に始まった会議はこんな時間になってようやく終了したのだった。


 ふと月を見上げて溜息をつく。


「こんなところで何をしている?」


 自分の後から出てきたガルムが声をかける。


「いえ……月を見上げていました」


 疲れているため力なく答えると、ガルムも上を向いて月を見る。


「いい月だ……。お前のような若造に月を見上げる余裕があるとはな」


「私にだって多少の審美眼はありますよ」


 疲れていた為か、愛想笑いで誤魔化せずについ本音を出してしまう。


 一瞬、しまったと思ったがガルムはそれを気にする様子もなくじっと月を見ている。


「失礼します……」


 ガルムが月に見惚れている間に消えよう。


 このまま居れば、また何かしら機嫌をそこねるかもしれない。 もはや疲れきっていて上手く愛想が振りまけそうにないから……。


「お前はこの戦をどう思う?」


 月を見続けたままガルムがムランに問う。


「……どういう意味でございますか?」


 昨夜少年が自分に語った噂を思い出してしまい、訝しげに問い返す。


「ふん、お前に言ってもしょうがないことだったな、忘れろ……」


「は、はい……」


 ガルムに背中を向けて歩き出す。


 少し歩いてからそっと後ろを振り返ると、ガルムはまだ月を見上げていて、月光に照らし出されたその姿はまるで泣いているかのように見えた。


 その姿をしばらく何も言えず見つめて、ムランは自分達のテントに帰った。


 ムランがテントの中に入ると緊迫感で弾け飛びそうになった。


 一瞬テントを間違えたのかと思ったが、残念なことにテントの中にはよく見知った少年と少女がいて、互いにテントの両側に座り背中を向け合っている……。


 何かあったことは明白で、疲れているのでできれば聞きたくなかったが、溜息をつきながら尋ねた。


「どうした?」


 イヨンが背中を向けながらテントの中心を指差す。


 中心には見覚えのあるタライがある。 


 見ると中に水が張ってあり、さらに良く見ると赤く長い線のようなものが浮いている。


「これは……髪か?」


 水の中に指を入れて水面に浮かんでいるそれをすくい取る。 ランプの下で見るそれは濡れて瑞々しく輝いているように見えた。


「髪の毛……抜けた」


 いつも以上に抑揚のない声でイヨンが呟く。


「だから!悪かったって言ってるだろうが!」


 これまた背中を向けたままスアピが怒鳴りつける。 なるほど、これが喧嘩の原因か。


 ムランはそっとイヨンの背中の後ろに座り優しく髪を手に取る。


 彼が情熱を持って手入れをしているイヨンの髪はいつものように美しくランプの下で輝いている。


「大丈夫……。抜けたのはそんなに多くはないみたいだし、全然目立たないよ」


 そう言ってタライを引き寄せて髪をタライにつける。 そしていつの間にか出した専用のクシを丁寧に髪に通していく。


 イヨンの顔をチラリと確認すると、すでに嬉しそうに顔をほこばらしている。 


 機嫌は直ったようだ……。


 鼻歌を歌いながらさらにクシを髪に通していくと、最初の緊迫感は消えうせて、優しい空間になっていく。


 スアピも心なしか嬉しそうにも見える。


 世の争いごとがこれくらい簡単に収まれば楽なのにな……、およそ子供じみた馬鹿らしい考えをしてしまう。


 そんなことは無理だとわかっているのに……。

 

 ふと先ほどのガルムの声が頭に響く。


この戦をどう思う? だって……? およそほとんどの戦争は馬鹿らしいではないだろうか? 


 莫大な戦費を使い、多くの人々が死に、その何倍もの人間の人生を不幸にする。  


 馬鹿らしくない戦などあるだろうか……?


 楽しげに鼻歌を歌いながら優しくクシを通しながらも、そんなことを考えていた。


  スアピもイヨンもただ黙って、ムランの鼻歌をいつまでも聞いていた…………。





 














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