親友
店は青年の言った通り、大通りから少し入った路地に看板を出していた。近寄ると、陽気なざわめきが扉から漏れてくる。
(うう。当たり前だけど、人がいっぱいいる……)
ノアが今までに関わったこともないような、体格の良い、悪く言えば威圧感抜群な男たちばかりだ。
(どうか、話しかけられませんように。変な目でみられませんように)
意を決して店の中に入ると、荒々しい酒場の独特の喧噪に取り巻かれた。煙草の匂いに咳き込みつつ、大柄な男たちで狭苦しい店内を、縫うように進む。
皆それぞれに盛り上がっていて、小さいノアのことなど気にもとめない。ノアはぶつかりそうになる腕や足を避けて、なんとかカウンターの隅の席に辿り着いた。
物珍しそうにノアをじろじろ見てくる店員に、飲み物を頼む。
「おいダッド、おまえいい加減元気だせよ!」
「ああ……」
「親友があんなことになって落ち込むこともわかるけどなあ」
隣では、赤い顔をした男が、隣で項垂れる男の肩を叩いて慰めていた。
ノアは少し俯きながら、自然と耳をそばだてる。
話を聞いていれば、二人ともどうやらこの帝国の騎士団の騎士たちのようだった。
慰められている方の男の親友が、その男に何も告げずに、突然騎士団を去ったらしい。
(最近、いなくなった人の話だ……)
まさかの巡り合わせに、心臓の鼓動が自然と早くなった。
「ね、ねえ。お、お兄さんたち……!」
なんとか話に割り込もうと喧噪の中で声を張り上げると、がたいの良い男が振り返った。
「なんだあ? 坊主」
ぎろりと睨みつけられ、ひっと内心で悲鳴をあげる。
「と、突然ごめんなさい。でも、そのい、いなくなった人の話、聞かせて欲しいんです」
「いきなり人の話に割り込みやがって、おまえなんなんだ? だいたい、ここはおまえのような奴がくるとこじゃねえぞ。騎士団御用達の店だぜ?」
「あ、あの」
(どうしようどうしよう)
どちらかというとお高く止まった召喚士協会ではありえない、割れてがらがらした大声と遠慮のない乱暴な物言いに、ノアは固まって次の言葉が出てこなかった。
「まあまあ、ガゼル。その子もなんか事情があるんじゃないかな」
ダッドと呼ばれていた男が、苦笑しながら男──ガゼルを宥める。ち、とガゼルは舌打ちして酒を煽った。
最早ノアは尻尾を巻いてそこから一目散に逃去りたかった。実際、足が恐怖でぶるぶる震えていた。
でも、逃げようとする足を、自分の両手でぎゅっと押さえつける。
「ぼ、ぼぼ僕! 田舎から兄さんを探しに出てきたんです!」
緊張のあまり、声が裏返ってますます情けない声になる。
ガゼルが眉を顰めて追い払うように手を振ったので、ノアは再び縮み上がった。けれど、温厚そうなダッドの方は、その言葉に興味を惹かれたようだった。
「兄さん?」
「そ、そうです! 僕の兄さんが、騎士団に入っているはずで……」
「ああ、そういや最近、騎士団見習いを補充したってきいたなあ。なんだ坊主、連れ戻しにきたのか?」
「は、はい。兄さんは両親と喧嘩して、家を飛び出していったんですが、父の具合が悪くなってしまって」
「知らせにきたのか」
こころなしか、ガゼルの視線が少し柔らかくなった。
「で、でも。騎士団に行ったらそんな奴いないって言われて。だ、だから、お兄さんたちの話を聞いて、もしかしたら兄さんじゃないかって……」
「残念だけどね、それは違うと思うよ」
ダッドは寂しそうに少し視線を落として言った。
「ど、どうして、ですか……?」
「いなくなった奴は、俺の親友なんだけど。あいつは、末端とはいえ貴族だったからな」
「き、貴族……」
まずい、とノアは焦った。咄嗟に田舎から出てきたと言ったが、エルがどんな出生なのかも、ノアは知らないのだ。
「そ、そうなんですか。その……親友って人は一体どうされたんですか?」
「ああ。あいつ──エルンストな。どうも騎士団の金を横領して、やばい奴とかかわってたみたいなんだ」
「え?」
ノアは突然出てきた名前と、「横領」の単語に言葉を失う。
「それがバレかけて、騒動になって逃げた。本当に信じられないよ」
深い溜め息をついてダッドが酒に口をつけた。
(エルンスト……あの名簿に書いてあった名前と同じだ……)
呆然としていたノアは、ガゼルがぼそりと呟いた言葉にはっと意識を戻した。
「でもなあ。俺は、あの王女様命のエルンストがそんなことするとは信じられねーんだよな」
かなり酒が回ってきたのか。ガゼルがカウンターにだらしなく腕をのせて半分沈没しかかっている。
ノアは先ほどまで怯えていたことも忘れて、思わずその腕を掴んで揺すった。
「お、王女様です、か?」
「ああ……そうだよ。第一王女のエリカ様って、いるだろ? エルンストはエリカ様が小さい頃からお付きをやっててなあ。その敬愛っぷりは惚れてるんじゃないかってほどだったぜ」
「そ、そうなんですか?」
「そうなんだよ。全く、女にしょっちゅう刺されるような屑野郎でも、エリカ様に捧げる忠誠だけは本物だって、思ってたのによお」
「さ、刺される……?」
何か奇妙な言葉を聞いた気がしたが、ガゼルはそのままぼやき続ける。
「王女様も年の近いエルンストを何かと信頼してたらしいがなあ。エルンストがああなって、さぞお心を痛めていらっしゃるだろう」
王女様は帝国の騎士たちに人気があるのだろう。強面の男の目には真実同情の色があった。
(エルが王女様の……お付きだったなんて)
帝国の王女様なんて、ノアにとっては雲の上のそのまた上の人だ。そんなに偉い人に仕えていたとは。
「す、凄い人だったんですね」
「おうよ。なのに、王女様の信頼を裏切るようなことしやがって。まったく許せねえ!」
がん、とガゼルが空になった酒瓶を叩き付けて怒鳴り散らし始め、ダッドが慌ててそれを取り押さえている。ノアはどこか上の空でそれを眺めながら、突然転がりこんできた情報を噛み締めていた。