華寄せ
宿屋を探す道すがら、ノアは周りの光景にすっかり心を奪われていた。
日は完全に落ちて、通り沿いの街灯からは光の精の鱗粉が、星屑みたいにたくさん石畳へこぼれ落ちている。夜になっても明かりを失わない街は、人々の活気で息づいていた。これだけの精霊を毎日召喚し、使役できるのは帝国くらいだろう。
「なにー? 何か珍しいものでもあった?」
エルに覗き込まれて、ノアは自分が田舎者丸出しだったことに気づいて俯く。
「あ、お店が……」
「ああ、ノンちゃんは帝都の夜市は初めてか! 南の砂漠の向こうから隊商がやってくるし、西の都市国家からも商人たちが集まる。きっと珍しいものがいっぱいあるんじゃない?」
「凄いですね」
「お。向こうで華寄せやってるね」
エルが指差した先に、人だかりとぼんやりした桃色の光がみえた。
「華寄せ……?」
「華寄せっていうのは、帝都名物の若い女の子たちに人気の見せ物だよ」
「ど、どんな?」
「華の精霊たちが舞いながら祝福を授けてくれるんだ。そうだ! せっかくだからノンちゃんも授けてもらおっか」
連れて行こうとするエルに、ノアは必死に首を振った。華の精霊ということは、きっと恋のおまじないだ。
可愛らしい女の子がちやほやされるような見せ物に、フードを被った陰気な女が出て行ったら場がしらけてしまう。
「や、やめてください……わ、私はいいです……っ」
「なんで? ほらほら、早く行かないと終わっちゃうよ〜?」
ノアが本気で拒否しているにも関わらず、エルはぐいぐいと腕を引っ張る。人に腕を掴まれることなど滅多にないノアは、振り払うこともできない。
「おや、お嬢さんも祝福希望かな?」
エルに強引に押され、ノアは人の輪から一歩前によろめき出てしまった。出し物をやっている召喚士のおばあさんが、目尻の皺を深くしてノアに微笑んだ。
「い、いえ、あの……っ」
「それでは皆様、このお嬢さんに華の祝福を授けよう」
わあ、と歓声があがる。引くに引けなくなってしまい、泣きそうになりながらノアは人の輪の中心にまろびでた。
召喚士が薄い布を振り、詩を唱える。老婆の声とは思えない程、朗々とした美しい抑揚のついた調子で。
「人は華、華は恋。恋は咲き、華は舞い、人は愛する。人は囁き、華は歌い、恋は踊る。結ぶ縁も別れる縁も全て人の儚き定め。華のように恋し愛せよ」
輪郭の溶けた蝶が、淡い桃色の光の粒子をまき散らしながら舞う。華の精の祝福の舞いに、人々は心奪われる。
精霊を普段から見慣れるノアですら、その美しさにぼうっとなった。
『ノア』
『小さき子よ』
『貴方が再び心を割かれ』
『回る輪へと落ちませぬように』
『貴方が此度は過たず』
『繋ぐ縁に恵まれますよう』
いつもノアをからかうばかりの精霊たちが、少しばかり優しく、そして哀しい雰囲気でノアの髪を羽で撫でていく。その感触はくすぐったく、そしてどこか懐かしい気持ちになる。
不思議な祝福の言葉だった。
「お嬢さん。殻は傷もつかぬが情も通しませんよ」
祝福は、あっという間に終わった。夢から醒めやらぬノアに、召喚士のおばあさんは、全てを見透かすような口調でそう呟く。それ以上は何も言わず、次の祝福希望の娘の方へと行ってしまった。
「綺麗だったねえ」
「あ、はい」
ぽん、と肩に置かれた手で現実に引き戻される。エルだった。
「ん。どうしたの? 何か言われた?」
「いえ。なんでもないです」
「ならいいけど」
いい宿を教えてもらったから行こう、と促すエルに、ノアは慌ててついて行く。
「あ、あの。ありがとうございました」
忘れないうちにと、ノアはエルにお礼を言った。もしエルが強引に引っ張ってくれなければ、ノアはいつものように、人ごみの後ろでひっそり華寄せを見つめていただけだっただろう。
無理矢理連れてこられたけれど、華の精の祝福はとても綺麗だった。場違いな自分でも、誰も意地悪に笑ったりはしなかった。
「いえいえ。帝国にきたからには、楽しまなきゃ損だよ?」
なんでもないことのように、エルが軽く笑って受け流す。
そう、彼にとっては、なんでもないこと。
きっと、記憶を失う前も、こんな風に自然に人に優しくできる人だったのだろう。
(でも、私にとっては、初めてだった)
嫌がる自分を、無理矢理人の前に引き出してくれたのも。ありがとう、と、人の親切にお礼を言ったのも──。
今まで誰も、ノアにそんなことをしてくれる人はいなかったのだ。
帝国での初めての夜。エルは夕食時に、もうここまででいいよ、と言ってくれた。
元々、ノアの仕事はエルを帝国まで送り届けることなのだから、最後までエルに付き合うことはない、帰っていい、と。しかし、ノアはそれを断った。
エルを無理矢理に召喚してしまったのは、自分の失敗だ。せめて、エルが自分の場所に戻るまでは見届けたかった。
そう伝えると、エルはちょっと目を丸くしていたが、それは心強い、と言って微笑んだ。
次の日から、早速ノアたちは本格的にエルの身元を調査することになった。一番てっとり早いのは、騎士団で聞き込みをする方法だ。しかし。
「危険かもしれないなあ〜」
「です、ね」
二人は宿屋の一階で朝食を食べながら思考をめぐらせていた。エルがスプーンをくわえながらううん、と唸る。
「俺を怪我させたのがどんな奴かわかるまでは、不用意に騎士団に近づかない方がいいかも」
エルは騎士団の制服を着たまま襲われていたのだ。つまり、騎士団の仕事をしている時に襲われた可能性が高い。
「単に普通の任務で襲われただけならいいんだけどね」
机に肘をついたまま、はああ、とエルが溜め息をついた。
ああでもないこうでもないと考えを絞った末、騎士団に所属している者の名簿をみせて貰おうという話になった。近頃退団したか、行方不明になっている者の名前が解るはずだ。
「でも……どうやって、名簿をみせて、貰うんですか?」
「名簿は、たしか帝国図書館に写しが置いてあるはずだよ」
「図書館」
帝国内で作られる本という本は、最低でも二冊作られる。帝国では、帝国図書館に必ず写しを納めねばならないからだ。それだけに、帝国図書館の一部の区域は、貴重な本や機密情報を守るために警備が厳重なのだとか。
「厳重なのに……、だ、大丈夫なんですか?」
「大丈夫! 俺にはこれがあるからね」
エルが悪戯っぽく笑いながら鞄から取り出してみせた制服に、ノアは目をぱちくりさせた。エルが召喚された時に着ていたものだ。
「制服、ですね」
「ご名答!」
「それが……?」
「着ていくんだよ、これを。帝国内で騎士っていえば結構信用があるんだ。名簿が置いてあるのはそんなに警備が厳重な場所じゃない。この制服さえ着ていれば、まず咎められないはずだよ」
幸い、穴があいていた部分は協会を出発する前に綺麗に縫ってある。近づいてまじまじと見なければ解らないだろう。
(本当に、上手くいくのかなあ?)
ノアはエルの軽い調子に若干不安になりながらも、他に良い案も思いつかないので任せることにした。