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襲撃

 山の麓の関所を無事に通ってからは、格段に旅が楽になった。

 整備された綺麗な石畳の街道は、帝国の栄華の証だ。商人たちとすれ違うことも多く、所々の宿場町も見慣れぬ衣を着た人々で賑わっていた。

 盗賊に襲われることもなく、二人の旅はおおむね順調だ。だから四つ目の宿場町を出てしばらく、その馬車をみつけた時に、すぐには何が起こっているのかぴんとこなかった。


「襲われているな……」


 そこはさすが元騎士というべきか、手慣れた動作でエルが剣を抜いた。


「俺は助けようと思うんだけど、いい?」

「え、え……!?」


 ノアの肯定とも否定ともつかない返事を待たず、エルが駆け出す。


(い、行っちゃった)


 面倒ごとには首を突っ込むな!と口を酸っぱくしていた協会長の顔がちらりと脳裏に浮かんだが、ノアは忘れたことにした。


(こ、怖いけど。でも、あのまま放っておいたら襲われている人が死んじゃう)


 剣など握ったこともないノアは、せめて足を引っ張らないように大人しく遠巻きに見守る。

 馬車のまわりでは物騒な金属の照り返しがきらきらと煌めき、男たちが喚いていた。誰か一人、黒っぽい長い髪の男が剣で抵抗しているようだが、多勢に無勢。周りを囲んだ人の輪がどんどん小さくなる。

 そこへ剣を振りかざしたエルが隼のように切り込んでいった。

 不意をつかれた男たちは面白いくらいに崩れた。エルは身体が剣を覚えているのか、鮮やかな身のこなしで次々男たちを切り倒す。農村育ちの荒くれ男たちとは違った、舞いのような美しい剣筋だった。

 やがて分が悪いと悟ったのか、男たちが散り散りになっていく。頃合いをみてノアが馬車までやってきた時には、動かぬ死体が転がっているのみだった。

 あたりに漂う血のなまぐさい匂いに、思わず吐きそうになる。

 でも。


(ここで吐いたりして、迷惑をかけたくない)


 ノアはふらつきながらも、必死に拳を口元にあてて平静な顔を装った。幸い、エルはそんなノアの様子に気づいていないようだ。


「助けていただき、ありがとうございます」


 遠目に黒っぽくみえた男は、実際目を見張るような黒髪の持ち主だった。一つに結ばれた滝のように流れる髪を払って、こちらへ向けられたのは冷然とした蒼い瞳。

 片手にさげているのはありふれた護身用の剣。ずるずると裾の長い服といい、洒落た片眼鏡といい、商人というより学者といった雰囲気だ。


「いえ。誰か他に人は?」

「私の従者が馬車の中に」


 その言葉が合図だったかのように、馬車から人が転がり出てくる。


「ご無事ですか、ザード様」


 必死に男に縋り付いたのは、ふわふわした金髪にまるい碧の瞳が印象的な、ノアと同じ年頃か年下くらいの少年だった。潤んだ瞳で主人を見上げる姿は、まるっきり怯えた子犬みたいだ。


「大丈夫です、アーシュ。ちゃんと隠れていたのは偉いですね」

「はい!」


 そこで少年がやっとノアとエルに気づき、慌てて頭を下げて礼を言った。

 黒髪の男──ザードはノアの予想どおり、帝都の学院の研究者で、辺境まで地質の調査をしにきていたらしい。

 最高学府である学院の研究者はそれほど数が多くないらしく、ザードがみせてくれた身分証にエルが感嘆の声をあげていた。帝都に帰る途中、宿場町からつけていたらしい盗賊たちに襲われたのだという。


「このあたりの街道では滅多に盗賊がでないと聞いていたのですが。どうやら運が悪かったようです」

「手慣れた連中でしたねえ。村の不良崩れっていうより、もっと組織的な連中みたいだ。引き際が早い」

「そうですね。近頃噂になっている、犯罪者集団かもしれません」

「犯罪者集団……」


 ノアは恐ろしい響きに、ぶるりと身震いした。

 どんな国にも影はあるということか。目に見える綺麗な石畳だけが帝国の顔ではないようだ。


「ところで、お二人も帝都に向かうのでしょう? 幸い、馬は無事でしたので、助けて貰ったお礼に馬車でお送りします」

「あ。いえ」


 もちろんノアは断るつもりだった。ただでさえ他人と一緒の旅は気を張るのに、これ以上連れが増えたら気疲れだけで死んでしまいそうだ。


(だいたい、協会長にも今回のことは秘密にするように言われているし……)


 なるべく人とは関わりたくない。


「ありがとうございます。ぜひ、お願いしますよ」


 しかし、ノアがぐずぐずしているうちに、あっさりエルが答えてしまった。びっくりしてエルを見上げると、時間が短縮できてよかったね、とばかりに爽やかな笑顔をむけてくる。


「で、でも、迷惑じゃ」

「いいえ、多少人数が増えたってかまいませんよ。幸い、帝都はすぐそこだ。日が落ちる前には着くでしょう」

「僕も旅の仲間が増えて嬉しいです!」


 少年──アーシュまで尻尾を振る勢いでノアたちを歓迎してくれている。ここまで言われて、今更断る勇気などノアにはない。


(ど、どうしよう……)


 結局ノアはそれ以上彼らの親切を拒絶することもできず、なし崩しのように一緒に馬車に乗り込むはめになってしまった。







 御者が逃げてしまっていたので、そこからはアーシュが御者をつとめた。

 ザードは学者らしく、エルとノアという奇妙な取り合わせに好奇心を刺激されたらしい。馬車の中で二人はザードから質問攻めにあった。


「お二人は、何をしに帝国へ? 帝国の外からいらっしゃったのですか?」


 いきなり、つかれると痛い所に話が及ぶ。今回の件を他人に詳しく話すことは、協会から禁じられているのだ。


「ちょっと仕事で東に行っていて。それが終わったから、戻ってきたところなんですよ」


 どう言い繕えばいいのか解らず硬直しているノアに、エルが横から助け舟を出してくれる。


「そうなんですね。ちなみにお仕事は何を?」

「俺は騎士。この子はまだ新米の召喚士ですね」

「召喚士……」


 ふとザードの瞳が一瞬鋭くなった気がした。しかし確かめる間もなく、すぐに笑顔にかき消される。


「お二人とも、頼もしいですね。エルさんはどこの隊に所属されているんです?」

「……第二師団です」


 ひやりとした。エルは自分がどこの師団にいたかなど、覚えていないはずだ。


「なるほど、第二師団は色々な仕事を任されるそうですね。今回は辺境の応援ですか?」

「そんなところです」


 あまりにも余裕のある表情でエルが答えるので、何か思い出したのかと錯覚するほどだ。

 それからは、騎士団について色々質問されるという心臓に悪い状況が続き、ノアはいっこうに気が休まらなかった。


(早く馬車から降りたい……)


 ノアの心の叫びが天に通じたのか、車内の緊張をよそに馬車はのどかに進み、その日の夕方には無事に帝都に辿りついた。


「わあ……」


 思わず感嘆の溜め息が漏れる。

 窓の外に、華の都、と呼ばれるにふさわしい光景が広がっていた。

 白い壁と蒼い屋根に統一された建物は、夕暮れの茜がかった不思議な色合いに染まっている。赤茶色の石畳の大通りには夜会に出かける馬車が行き交い、両側には間口の広い瀟洒な店が夜の支度に洋灯を灯し始めていた。


(これが、帝都。話に聞くよりも、ずっと大きい)


 五本の放射状に伸びる大通りの根元には、不思議な銀色の尖塔が三つそびえ立つ。中心の尖塔の先に翻る深紅の旗は帝国の旗。

 この都の中心、宮殿だ。光があたると鈍い七色に揺らめく尖塔の壁面は、近寄れば見事な華の模様の螺鈿細工だとザードが教えてくれた。


「どうもお世話になりました」

「いえいえ、こちらこそ、無事に辿り着けたのはあなた方のおかげです」


 大通りで馬車から降ろしてもらうことになって、エルが愛想良くザードと別れの握手をして先に降りた。

 後に続こうとしたノアが、段差に躓き転げ落ちそうになったのを、ザードが咄嗟に支えてくれる。


(う、うわ……っ)


 学者の細腕とは思えないほど、しっかり筋肉のついた力強い腕に腰を掴まれる。その感触に、一気に顔に血が上った。


「あ、あ、ありがとうございます」


 慌ててなんとかお礼だけ言うと、ふっとザードが笑った。素早く身を引こうとしたところを、逆に強く腰をひかれて、ぶつかりそうなほど蒼い瞳が近くに迫る。


(ち、近い!!)


 吐息が首筋にかかって変な声が出そうになった。


「『白鷺亭』という居酒屋を訪ねなさい。彼には秘密で」

「え……っ!?」


 耳元でそっと囁かれた言葉。茫然としているうちに、ザードはノアを解放すると、素早く馬車に乗り込み、去ってしまった。


(今の言葉、どういう意味?)


 夏の生暖かい風が吹き付けているというのに、背筋がうそ寒い。


(それに、今の彼の瞳……)


 片眼鏡越しにみた、彼の蒼い瞳は、全く笑っていなかった。

 隣でエルが難しい顔をして首を捻っている。


「ど、どうしたんですか?」

「いやー、ずっと片眼鏡で分からなかったんだけど。あのザードの顔、見覚えがある気が」

「え!?」


 慌てて振り返るが、すでに馬車の姿はなく、巻き上げた砂埃も消えてなくなってしまっている。


「で、でも。エルのことを知っているなら、あ、あんな初対面のような、振る舞いはしなかったのでは」

「わかんない。俺が一方的に知っていただけの可能性もあるしね? だけど、学院の研究者なんて普通は象牙の塔にこもりきりで、騎士と顔を合わせる機会なんて殆どないはずなんだけどなあ」


 『白鷺亭』のことを言おうかどうか、ノアは迷った。もしかしたら重要な手がかりかもしれない。

 けれど、「彼に秘密で」、と言われたことが引っかかり、結局言葉を飲み込んだ。



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