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記憶たぐる星の夜


「おはよー、ノンちゃん!」

「……へ?」


 翌日。重い足を叱咤して扉をあけると、いきなり朗らかな声が降ってきた。


「ノ、ノンちゃ…?」


 目の前に、昨日茫然としていたはずの青年が立っている。ノアがきょろきょろとあたりを見回すと、がしっ、と頭を鷲掴みにされた。フードが落ちそうになって、慌てて布を押さえる。


「君のことだよ。医者から聞いたけど、もう16なんだって? ちゃんと食べてるの?」


 そのまま、がしがしと乱暴に頭を撫でられた。余計なお世話だ、とノアが言い返せるはずもなく。

 どうやって謝ろうかとそればかり考えていたノアは、昨日の暗さなど微塵も感じさせない青年の様子に拍子抜けしてしまった。


「あの、あなた、は」

「あ、俺の名前? それがまだ思い出せないんだよねー。呼ぶのに困るだろうから、なんか適当に呼び名考えてよ」


 呼び名。唐突な難題に、ノアは目を白黒させる。


「なんでもいーよ」


 なんでもといわれても。変な名前では困るだろう。ノアは昨日見た彼の服に、刺繍があったことを思い出した。


「エル」

「エル?」

「はい。服に刺繍が……」

「刺繍? 頭文字かなんかかな? じゃあそれで」


 文句を言われたらどうしよう、と不安だったノアに、あっさりと青年は頷き、呼び名がきまった。


「あ、あの……」

「ん、何?」

「起きて……いいんですか」


 あれだけの大怪我を負って、昨日まで寝ていた身である。不審に思ってノアが問うと、青年──エルはやべ、と舌を出した。


「いや、あんまベッドに寝てるのは性に合わないんだよね。やっぱほら、身体が鈍るっていうかその」


 無言でじっとみつめると、エルはうっと言葉に詰まった。


「お医者さん……」

「いや、医者を呼ぶのはやめて! わかった、ベッドに戻る。戻るから!」


 どうやら医者には安静にしろと厳命されていたようである。

 エルが大人しくベッドに戻ったのを見届けて、ノアは話をしなければと腹を決めた。昨日は、記憶を失い混乱するエルに、簡単な話しかできなかったのだ。


「き、昨日も言いましたが、私はノア=エデル。召喚士見習いで………、は、初めての召喚で貴方を召喚してしまった者です」


 続けてこの場所や経過について、つっかえつっかえ説明するが、エルは苛立って急かす様子もない。

 ちらりと顔をあげると、少したれた愛嬌のある金茶色の瞳が、雛の巣立ちを見守る親鳥のような穏やかさをたたえていた。それになぜだかほっとして、言葉も段々滑らかになる。


「召喚については……、なんでこんなことがおこってしまったのか……わかりません。い、いきなり呼んでしまって申し訳ありません」


 勢いよく頭を下げた。そのまましばらく沈黙が落ちる。


「顔をあげて」


 返ってきたのは怒声でも詰る声でもなく、静かな声だった。


「は、はい」

「いいよ、俺は別に怒ってない。何があったか解らないけど、この全身の傷をみれば、かなりヤバいことに巻き込まれてたってことだよね。むしろ助けて貰って感謝してる。ありがとう」

「あ、……」


 差し出された手に、ノアは戸惑った。


「握手」

「あ、あの……?」

「あれ、挨拶でこういうのしないの?ここでは」

「はい」


 ノアは頷いた。ここは帝国の東に位置する小国である。もう長いことここから出ていないノアは、世界の習慣には疎かった。


「こうやって、手と手を握り合うんだよ。これが帝国では、君を信頼するって印」

「帝国?」


 エルがはっとしてノアを見た。


「そうだ、俺はいつもこうやって握手をしてた。俺は帝国の人間だったんだ」

「記憶が……?」

「ああ。医者にも一時的なものだって言われた。帝国に行けば、もっと思い出すかもしれないね」


 なるほど、とノアは頷いた。


「あのこれ、制服……」


 腕に抱えていた上下揃いの服を差し出す。エルが最初に着ていた服だ。破れて濃紺の生地はボロボロになってしまったとはいえ、所々の金の刺繍、特に左胸の帝国を表す獅子と星の紋章は立派なものだった。


「洗濯してくれたんだね。ありがとう」

「……協会の会長が、騎士の制服だと」

「確かにこれは帝国の騎士の制服だ。じゃあ、俺は、騎士だったってことか?」


 エルは、剣を扱うにふさわしい自分の固い指先をみて、納得したようだった。


「あの……動けるようになったら、私が、元の所まで送ります」

「それはありがたいな。正直、記憶のないまま一人旅は不安だからね」


 再び差し出された手を、今度はノアも戸惑わずに握った。


(手、大きいな……)


 いくら長く綺麗な指でも、やはりノアとは違う、固く骨ばった男性の手だった。男の人の手を握るなど、生まれて初めてかもしれない。

 その慣れない感触に、頬に熱が集まってくる。


「じゃあ、帝国に帰るまでの間、よろしくね、ノンちゃん!」

「そ、それと!」

「ん?」

「その、ノンちゃんていうの、やめてくれませんか……」


 頬が熱いのごまかすのに、ノアはそっぽを向いて言うのが精一杯だった。






「おーい、ノンちゃん! 道こっちであってるー?」

「ま、待って……」


 ノアは額から流れ落ちる汗を拭い、恨みがましく燦々と輝く太陽をみつめた。エルの完全な回復を待つこと一ヵ月、季節は初夏を迎えようとしていた。


(なんであんなに元気なんだろう……信じられない)


 元々鍛えていたからか、エルの回復力は驚くほどで、今も先へ先へと山道を登る彼を追うのに精一杯という有り様だ。


「そんな暑苦しいフードなんか被ってるから暑いんじゃない? 脱いじゃえば?」


 どうやらエルはノアのフードが気になるらしい。ちらちらと伺うような視線に、ノアは更にフードを深く被った。


「いいんです」


 このフードが暑さを倍増させていることは確かだが、他人の視線が何より怖いノアにとっては、精神衛生上かかせないものなのだ。きっと誰も、解ってはくれないことだろうが。


「そろそろ日が傾いてきたね。ここらで野宿しようか」


 待っていたエルにようやく追いつくと、苦笑気味に彼が言った。確かに影は長くなっていたものの、足下がみえないというほどではない。疲れ切っているノアへの気遣いであるということはさすがに解った。


(私って、本当に何をやっても役立たずだ)


 道案内役のはずの自分が逆に足を引っぱっていることに、ノアはひそかに落ち込んだ。

 野宿慣れしているのか、てきぱきと準備を始めたエルに慌てて手伝いを申し出る。結局何の知識もないノアには薪を集めてくるくらいがせいぜいだった。

 薪を集めるとエルがそれを寄せて、火打石で手早く火を起こした。協会から支給されているパンと、小さな鉄の鍋を火にかけて、その中にエルが採取してきた野草を入れる。すぐに腹の虫を刺激するような匂いが漂いだした。


「な、慣れてるんですね……」

「そうだね。騎士だったみたいだし、訓練でもしてたんじゃないかな?」


 記憶がないので、他人事のような言い草だ。


「なんだか不思議な気分だ。自分が知っているかどうか覚えてないのに、実際にやってみると身体が動くんだからさ」

「記憶の……」

「ん?」

「き、記憶には、意識している部分以外に無意識の部分があるそうです。頭の奥にしまってある、無意識の記憶の箱。思い出せない、のは、その箱の鍵をなくしてるだけなんだ、と」

「ふうん。ノンちゃんは物知りなんだね」

「ノンちゃんはやめてください……」


 エルがまたフードを払い落とす勢いで頭をぐしゃぐしゃと撫でてきたので、ノアは言わなければ良かったとちょっと後悔した。

 夕飯を食べてお腹がいっぱいになると、当然のように眠気の波がやってくる。欠伸をかみ殺していると、エルが笑いながら毛布を放ってよこした。


「早く寝なよ。子どもは寝る時間だよ」

「……」


 ノアは16なので、20歳くらいにみえるエルとは年齢的に大差ないはずだ。少し釈然としないが、足を引っ張っているのは確かなので、大人しく寝ることにした。

 毛布にくるまって地面に寝ていると、風にざわめく草の音や、たき火の薪がはぜる音、獣の遠吠えがせまってくる。

 自然の中に、放り出されているのだと感じると、心細い気持ちになった。あれだけ眠たかったはずなのに、目がさえてしまう。


「眠れないの?」


 ごそごそしていると、少し笑いを含んだ声がした。


「は、はい……」


 怖いのだと言ったら、やはり子どもだと笑われるだろうか。

 そんなノアの心中を汲み取ったかのように、エルが毛布を持って近くによってきた。そのままノアの近くに横に寝転がってしまう。

 身近に人の温もりを感じて、ノアは知らずほっと安堵した。いつもは人が近くにいればいるほど緊張するのに、不思議なものだ。


「今日は晴れているから、星がよくみえる」

「あ……」


 エルの言葉が、ノアの目を覆っていた緊張のベールを取りはらい、どっさりぶちまけられた星たちの輝きを示した。

 樹々に取り囲まれた夜の闇が、まるで水盤のように揺らめく。


「あの十字星が、帝国の守護星だよ。この星は常に北を指し示してくれる、旅人の味方だ」


 エルに指差された十字星が、返事をするかのように瞬いた。


「もうすぐ……ですね」


 この山さえ越えてしまえば、そこはもう帝国領だ。


「あの、怖く、ないんですか?」

「怖い?」

「だって……」


 それ以上なんといったらいいか解らず、ノアはもごもごと口ごもった。

 自分だったらどうだろうか。起きたら全く記憶がなくて、大怪我をしている。誰かに傷つけられたのは明白だ。

 なのに、自分の過去を探りにいくなんて。自分は怖くて、とてもできない。


「……そんなこと、言わせちゃう?」

「あっ……すみません」


 慌ててノアは謝った。酷く無神経な質問だったかもしれない。


「怖いよ、そりゃあね」


 ちらりと横目でみると、エルは真剣な顔でじっと星空をみつめていた。まるで、空の向こうにみえない記憶を透かそうとしているみたいに。


「こうやって傷があるってことは、俺を傷つけた誰かがいるってことだからね」


 それでも、と。


「その痛みすら忘れていることが、何より哀しいことだと思わない?」


 エルは笑顔を作ろうとして失敗したような顔で言った。

 なんと返せばいいか分からず、ノアは黙り込む。 


(傷つくような過去なんて、忘れたままでいた方がいいんじゃないの?)


 忘れたままでいれば、辛くない。ノアは孤児院での記憶なんて、忘れてしまった方がきっと幸せだろうと思う。


(痛いことでも覚えていたいだなんて……変な人)


 ノアは密かにそう思ったけれど、口に出すことはしなかった。



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