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不始末の後始末

「またおまえか、ノア=エデル」


 たっぷりある白い髭をしごきながら、目の前の老人が深い溜め息をついた。

 ノアは黙ったまま、床の深紅の絨毯をみつめる。そこにこびりついた微かな染みすら、お馴染みのものだ。

 まったく、どうしてこんなことになったのか。

 神様だか誰だかに一番問いただしてやりたいのはノア自身だ。予定では、今頃は晴れて自由の身で、砂漠の向こうへだって行けたはずなのに。


「おい、聞いておるのか?」

「はい」


 慌ててノアは頷いた。

 室内にはノアとこの顔見知りの老人の二人しかいない。その意味では、ノアの心は平穏だった。


(いつもこのくらいの人口密度だといいのに。協会は人が多すぎて……息が詰まりそう)


 ぼんやり考えるノアの意識を、老人の鋭い声が呼び戻す。


「黙ったらなんとかなると考えたら甘いぞ。精霊を呼び出すつもりが、人間呼び出しちゃいました──などとお茶目に誤摩化せる話ではない! まさしく言語道断、前代未聞! ええい、この不始末、どうするつもりじゃ?」

「どう、とは……」

「決まっておるじゃろう。あの青年じゃ! あの血だらけのいかにも訳ありだらけの青年を、どうするつもりじゃときいておる」


 苛立たし気に、老人は執務机を指先で叩いた。

 この気難しい老人こそ、召還士協会の最高位にして意思決定機関でもある現会長、エファノール=ゲデニシリ。

 豊かな白髪と見事な白髭。その態度とは裏腹に小さな身体は、革張りの椅子にすっかり埋もれていて可愛らしい。

 喋らなければ、上品な好々爺にみえる。喋らなければだが。

 ノアは自分が呼び寄せてしまった青年のことを思い出した。

 立派だったであろう立て襟の制服のようなものは、泥だらけで血にまみれていた。赤みがかった明るい茶色い髪にまで血がこびりつき、その瞼はしっかりと閉じられて、今もまだ意識が戻らない。

 医者のみたてでは、峠はこしたので、数日中に意識が戻るだろうとのことだった。ただ、腹の深い刺し傷以外にも、後頭部に強く殴られたような痕が残っていた。


(なんであんな怪我する目にあったんだろう?)


 犯罪に巻き込まれるような人にはみえなかった。どちらかというと、良家の子息という雰囲気だった。


「また、だんまりか? いいか、答えなど一つに決まっておろう。あの青年を元の場所に送り届けるのじゃ! 責任を持ってな」


 弾かれたようにノアは顔をあげた。


「元の」

「そうじゃ。青年の意識が戻り次第、身元を聞き出し、秘密裏に元の場所へ送り届けるのじゃよ。まったく、こんな不祥事が明るみに出たら、大変なことになるわい。ノア=エデル、いいな?」

「……はい」


 協会長の冷ややかな目には、はっきりと軽蔑の色が浮かんでいた。年中何かと問題を起こノアに、最初から口答えなど許されていない。ただ頷いて、すごすごと退室した。





 青年の意識が戻った、と連絡を受けたのは、翌日の昼過ぎだった。

 それから夕方になる今まで、ノアはずっと人気のない廊下をうろうろしていた。

 いや、正確には、一つの扉の前を、だ。

 扉の先には、自分の召還してしまった青年がいる。この扉を開けて青年に会い、謝罪とこれからの相談をするべきなのに、どうにも一歩が踏み出せない。


(怖い。部屋に入って、謝らなきゃって分かってるのに、怖い……)


 青年は理不尽に召還したノアのことを、なじるだろうか。助けを呼ぶ声がしたとはいえ、相手は狭間に落ちて困っている精霊ではない。複雑な事情を抱えた人間なのだ。

 ただでさえ人見知りのノアにとって、初対面の青年に謝罪をするというのはかなり勇気のいることだった。


 ──結論からいえば、ノアは部屋に入ることができた。

 診察を終えて部屋から出てきた医者がノアに気づいて、入らざるを得なくなったのだ。医者がいなければ、ノアはあのまま扉の前で夜を明かしていたかもしれない。

 部屋は人目を避けて目立たない廊下の隅にあったが、一応客室ということもあり、滑らかな木の家具が揃えられ、小綺麗に整えられていた。

 ベッドの脇には水差しも置いてあり、青年がそれなりの扱いを受けていることにほっと安堵する。

 そろそろとベッドに近づいていくと、青年は疲れてしまったのか、瞼を閉じて寝ていた。

 ノアはそれだけで少し気が軽くなり、そんな自分にうんざりした。

 窓から柔らかい春の陽射しが降り注ぎ、青年の睫毛が頬に影を落としている。血に汚れた肌は拭われ、滑らかな乳白色の肌が本来の姿を取り戻していた。

 綺麗だ、と思った。いつも人の視線を恐れ、縮こまっているノアには、彼が自分とは違って輝いてみえた。きっと、日の光があたる、明るいところを歩いてきた人だ。

 そんな人が、一体なぜ。

 ぼんやりとみつめているうちに、青年がう、とうめき声をあげた。傷が痛むのかと慌てて覗き込むと、眉間に深い皺がよる。


「……どう……し、て……うら……ぎ……」


 切れ切れに呟いた言葉は、あの召還の時に聞いた台詞と同じだった。救いを求めるように持ち上げられた手を、ノアは咄嗟に掴んでいた。


「きゃ……っ」


 腕をひかれたと思うと、ノアの世界は反転した。ぐるんと視界が一回転し、気づいた時には黒い影がノアを覆っている。背中には柔らかい布があたり、黒い影の後ろには天井がみえた。


「……は、はなして……」


 目の前の影は、先ほどまで寝ていたはずの青年だった。たれ気味の光り輝く金茶色の瞳には、微かに警戒の色が浮かんでいる。


「誰?」


 青年の吐息が鼻にかかった。それくらい近くで顔を付き合わせていることに今更気づき、ノアは顔を必死に背ける。


(嫌だ、みられたくない!!)


 絶望的なことに、フードはベッドに引きずられた拍子に外れて肩に落ちてしまっていた。地味な茶色の髪の毛がシーツの上にさらけ出される。


「君はいったい……?」 


 ベッドに両腕を押さえつけられ、身を捩ることもできない。

 ノアは気が動転して、捕らえられた哀れな草食動物のようにおろおろするだけ。


「このローブ、召喚士なの?」


気づくのが遅すぎるんじゃないだろうかと内心で叫びつつもノアは必死に首を縦にふる。その様子があまりに滑稽だったのか、青年の手が少し緩んだ。


「一体、君は誰? それにここは……」


 青年は依然として顔を近づけたまま、掠れた声で囁きかけてくる。

 男の子どころか同性の視線ですらフードで避けているノアの顔は、いまや恥ずかしさで火よりも熱くなっていた。


「わ、わたしはノア=エデル。ここは、しょ、召還士協会」


 早く手を離してほしくて、ノアがそれだけをなんとか口に出しても、返事はいっこうにかえってこない。

 恐る恐る青年の顔を見上げると、彼はまるで迷い子のような顔で茫然と呟いた。


「俺……俺は、だれ……だ?」






『ノア、ノア、どうしたの』

『今日は不機嫌、どうしたの』


 どんよりした気持ちでノアが家まで帰ってくると、月の光をまといながら庭で小さな生き物たちが飛び回っていた。霞のように朧げで、輪郭をもたないそれは、精霊の一種だ。月の光を食べて生きる月の精。


「あなたたち……」


 ノアは恨めしい気持ちで精霊たちを見回した。彼らは、世界の狭間に囚われることなく無事に人間界にやってきた自由な精霊だ。

 ノアはなぜか、そんな精霊たちにこうして声をかけられることが度々あった。狭間の精霊に呼びかけても、誰も応えてはくれないのに。


『なにかあったの、だんまりノア』

『どうかしたの、わたしたちのお姫様』


 ノアが視線を向けると、精霊たちはきゃらきゃらと笑いながらノアの周りに寄ってくる。


「私、召喚に失敗しちゃった…」


 面白がる精霊たちに怒る気力もなく、ノアはぼんやりと青年の顔を思い出していた。

 青年は、記憶を失っていた。頭を打ったことが原因か、ノアに召還されたことが原因なのかは、正確には解らない。

 けれども、自分がもしかしたら彼の記憶を奪ってしまったのかもしれないと思うと、罪悪感が胸をついた。


『ノア、精霊を呼ぼうとしたの』

「うん」

『おばかなノア』

『どうしてそんなことを』

「だって、私は……」


 ぎゅ、と掌を握りしめる。物心ついた時にはすでに孤児院にいたノアには、小さい頃から友達が一人もいなかった。周りの人間は、みんな彼女に剥き出しの悪意を向けた。

 夜になるとたまに現れる精霊たちだけが、ノアの話し相手。だからこそ、召喚士を目指したのに。

 練習では一度も精霊の声が聞こえず、本番でも案の定の大失敗だ。


『おばかなノア』

『あなたにはできない』


 できない、できない、と精霊たちが面白がって囃し立てる。


『あなたには無理よ』

『あなたには精霊は呼べないもの』

「どうして」


 精霊たちは何も答えずに、ふわふわと舞いながら笑いさざめくだけ。ノアは深い溜め息をついた。月の精の言うことはいつも気まぐれで、真剣に相手をするのは気力と時間の無駄。何もあてにはできない。


「私は……」


 どうすればいいの、と問いかけても、何の返事も返ってこなかった。



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