プロローグ
「これより、ノア=エデルの精霊召還を行う」
高らかな宣言がなされ、ノアは深く被ったフードの影で、ごくりとつばを飲み込んだ。
無機質な箱のような部屋の壁際に、ずらりと正装の白いローブ姿の召喚士が並ぶ。
俯き、石の床に描かれた五芒星をみつめていても、彼らの視線の棘がノアの神経をちくちく刺激した。
(大丈夫)
自分に言い聞かせる。この儀式が終わるまでの辛抱だ。
もうすぐ、大勢の視線に怯え、笑い声を背にそそくさと人のいない場所へと逃げる生活は終わる。
最初の精霊さえ呼び出せれば、この協会から出て行くことができる。
長かった修行は終わりを告げ、一人前の召喚士として、独り立ちすることができるのだ。
大物などと、贅沢なことはいわない。どんな小物の精霊でもいいから、上手く狭間でもがく精霊を助けてあげられれば、それでいい。
ノアは息を整えると、そっと目をつぶって耳をすます。
この世界と、あちらの世界。その間の狭間に落ちてしまった、哀れな精霊たちの、声なき声を探す。
──ドウシテ。ドウシテ……
すぐに聞こえたのは、遠くからの微かな声だった。ノアは初めて捉えた気配に、必要以上に慎重に、気配を逃さないように意識を集中させていく。
「もう、大丈夫。きっと私が、助ける」
小さなつぶやきは、普段の彼女からは想像もつかないほどに、力強く響いた。
「遙か昔より結ばれし縁により、我が善き隣人を助けることを望む。ノア=エデルと、助けを乞いし彼の者に、いまひとたびの絆を」
彼女が宣誓と同時に差し出した手が、指先から溶けるように消えていく。まるで見えない魔物に食われるように。
けれど恐れることはない。世界を突き破った指先は、狭間に届いた。
そしてやっと、「何か」を掴む。
「捉えた」
その瞬間、ノアは勢いよく手を引いた。あまりぐずぐずしていると、精霊と結んだ絆が逆にたぐられ、狭間へと落ちてしまうのだ。
絆につられて、何か大きな、重たい存在がノアの前に引きずり出される。
(やった、成功した……!!!)
ノアの胸は期待で高鳴り、この時ばかりは周りの視線も忘れた。
ついに、初めての精霊を召喚したのだ。
最初の精霊。召還士にとって思い入れの深い、特別な精霊だ。
しかし、どさりと重い音をたてて落ちたそれは。
「なんということだ……」
「なぜ、こんな……」
召喚士たちが、動揺して声を漏らす。目をいっぱいに見開き、茫然と立ち尽くすノアを取り囲むざわめきは、だんだんと大きくなっていく。
(どうして………!?)
──それは、精霊などではなかった。
床に倒れているのは、どうみても血だらけの人間の青年、だったのだ。