(2)落ち着く
「よお、スティー。すごい格好だね。それに・・・いつの間にそんな大きな隠し子つくったんだよ。おれは悲しいね」
荒物屋のぼんくら馬鹿旦那こと若旦那が、肩をすくめてみせた。この若旦那、一時期は取り替え子と噂されたぐらい、生真面目な両親と気質も見た目も違っている。しかし、ぼんくらのまま成長し、ぼんくらのまま後を継いだこの店は、スティーレアにはうらやましいぐらいに流行っている。
「あんたに用はないの。荒物屋ご自慢の若奥様はどこよ?」
ちなみにこの若旦那は新婚で、気立てがよくてしっかり者と評判の若奥様は、スティーレアの幼馴染だった。この夫婦はこれまたうらやましいほど仲が良い。
「スティー! 久しぶりじゃないの・・・って、どしたのよ、そんなにやつれちゃって。産後疲れか何か?」
「ったくどいつもこいつも。違うってば。迷子を保護したの。実はね・・・」
スティーレアは小声になって、子どもを見つけた状況を話しだした。
「ふうん。でも何で、スティーがそんなに必死になるのよ。子どもの方は、ずいぶん元気でぴんぴんしてるじゃないの」
「何でって、かわいかっ・・・じゃなくて、助けを呼んでも誰も来なかったし、私がどうにかしないことには、どうにもならないじゃない。この子はね、自分のおかれた状況がよく分かってないんだと思う」
「スティーは分かるの?」
「たとえば、さ。隣国の内乱で親を亡くして、困り果てた親戚がこのあたりまで捨てに来たとか・・・」
「ぶっ。すごい想像力。まあ確かに、このあたりでは見ない顔よね」
スティーレアは吹きだした幼馴染を非難の目で見てから、いっそう声をひそめる。
「それにね。元気そうに見えて、繊細なところもあるんだから。口がきけないみたいなんだけど、ショックのせいじゃないかな」
「繊細ねぇ」
「ここの店ってさ、流行ってるし、人が集まるでしょ? しばらくはうちで預かろうと思うから、こういう子どもを保護してるけどって、みんなに心当たりを聞いてもらえる? もちろん他でも頼んでみるけど」
「それはいいけど。ねえ、大丈夫なの? どういう子なのかも分からないのに・・・」
「ああ、それは大丈夫。けっこうやさしい子みたいだし」
子どもがスティーレアのスカートにしがみつく。
「そっか。スティーがそう言うなら、ま、いいか」
スティーレアと子どもは、しばらく荒物屋で休ませてもらってから、野菜などのお土産をもらって帰途についた。
家に着くと、子どもの打ち身に効きそうな薬草茶は・・・と考えてみたが、結局は心を落ち着かせる作用のあるお茶を二人分、淹れた。子どものためというより、スティーレア自身のために。
「あのね。さっき、私たちの話を聞いていたかもしれないけど、私の名前はスティーレア。スティーって呼ばれてる。仲良くしてね」
子どもは、にこにこしながら力強く頷いている。
「あなたの名前は・・・字なんて書けないよね? ん? 名前ぐらいは書ける? じゃあ、ちょっとテーブルに指で書いてみてくれるかな」
スティーレアがそう言うと、子どもはテーブルの上でにゅるにゅると指を動かした。
「ええと、ふ、る、ぐ、る? フルグルっていうの?」
子どもはうんうんと頷いた。とても変わった名前だし、適当に書いて頷いたのではないかという気がしないでもなかったが、呼び名がないよりはいいだろう。
次に荒物屋に寄ったら、様子を聴きがてら、名前を言い置いてこよう、とスティーレアは思った。しかし、なんとなく、何の情報も得られないのではないか・・・という予感のようなものがあった。
スティーレア一人なら、こんなに疲れた日は夕食を抜いてしまう。しかし、フルグルがいるので、そうするわけにもいかなかった。
ありあわせのもので適当に料理をはじめると、興味しんしんといった様子でフルグルがのぞきこむ。だいたいできあがると、タイミングよく、皿を用意してくれていた。
と、ガシャン、と派手な音がする。フルグルが皿をとり落としたのだった。
「大丈夫? 怪我しなかった?」
スティーレアが聞くと、しゅんとした様子で頷いた。
「ほらほら、気にしないの。私なんて、こんなのしょっちゅうだから」
それでもまだ、申し訳なさそうに身を縮めている。一人きりで迷子になって、心細くてそれどころじゃないはずなのにと、スティーレアはかがんでフルグルをきゅっと抱きしめた。
ようやくフルグルが安心した顔をしたので、スティーレアは盛り付けをはじめた。
すると、またしても、ガシャン、と音がする。
割れた皿を前に肩を落とすフルグルを見て、あんまり要領はよくないんだね、と思ったのは内緒だった。
「それはそのままにして、さあ、冷めないうちに食べよう」
そう言うと、フルグルは不満そうな顔をした、ようにスティーレアには見えた。
身を縮めるようにしたフルグルは、そのまま器用ににじりよってくる。
少し怪訝に思いながらも、スティーレアはもう一度フルグルをきゅっと抱きしめてから、椅子に座らせた。
フルグルは思った以上の食欲で、明日以降の食費が心配になったのもまた内緒だった。
翌日は、朝からよい天気だった。スティーレアが弟用の簡易ベッドで寝ているフルグルの様子を見に行くと、ちょうど目を覚ますところだった。額の腫れは、もう目立たなくなっている。
ぷっくりしたほっぺたがかわいくて、指先でちょいちょいつつくと、またちょっと不満そうな顔をする。
不満のツボがよく分からないな、と思いながらも、おもしろかったので、知らんぷりしてそのまましばらく、つついていた。
ほっぺたつつきに満足すると、あれやこれやと現実に向き合う時間がやってくる。まずは、昨日ウヤムヤになったツケの回収。午前中なら、ここに薬草茶を買いに来る客があまりいない、早い時間に行くのがいい。
干しておいたフルグルの服を手に取りながら、外出ついでに子ども用の服のお下がりを手に入れる算段をする。
フルグルは一人で留守番できるだろうか・・・スティーレアが考えていると、まるでそれを読みとったかのように、フルグルがスカートにしがみつく。
やはり淋しいのか、スティーレアがさきほど着替えていたときも、フルグルは妙にまとわりついてきていた。
「まあ、一緒に行くのもいいか。あんまり環境のいい場所じゃないけど。フルグルを探している人と、途中で行きあうかもしれないしね」
この日は木製の皿を使って朝食を済ませると、二人一緒に家を出た。
牛のしっぽ亭に着くと使用人に応対され、主人が来るまで開店前の店内で待つように言われる。
店の壁には、牛の頭だの、南方のトラという生き物の毛皮だのが飾ってあった。黄色と黒の縞々という、ふざけた柄の毛皮は、目の玉が飛び出るほどの値段らしい。
ふと見ると、フルグルは目を見開いてトラの毛皮を凝視している。
「悪趣味だよね」
こそっと耳打ちすると、ぶんぶん頷く。
そうこうするうちに尊大な様子のイムベルが出てきたのだが・・・フルグルを見るなり目を血走らせた。
「スティーレア、おまえ! わしには指一本触れさせないのに、こんな子どもがいるのかっ」
イムベルはもう、憤怒の形相である。なんでイムベルまでそんな勘違いをするんだと思う一方で、スティーレアは直感的に、そう思わせておいた方がよさそうだと考えていた。理由はよくわからない。
フルグルと手をつないでいるのに励まされるようにして、要件を述べる。
「先月分の薬草茶の代金をいただきにあがりました。金額はお伝えし」
スティーレアがすべてを言い終わらぬうち、イムベルは金の入った袋を床にたたきつける。大きな音がして、スティーレアの心臓がはねあがった。
「おまえとの取引は今日限りだっ」
イムベルは足を踏みならして、奥へ戻っていく。スティーレアが茫然と立っていると、フルグルがたたっと金の袋を取りに行き、渡してくれた。スティーレアは足を機械的に動かして、ようやっと店の外に出る。
「あのねー、フルグル。あんな大人にならないようにね」
スティーレアは泣きたいような気がしていたが、辛い思いをしている子どもの前で泣くわけにもいかず、そんなことを言ってみた。
フルグルはまるで大丈夫だよ、というようにスティーレアをやさしくとんとんたたいた。
スティーレアはそれで奇妙に落ち着く。
とんとんされる場所が背中、には手が届かないらしく、尻、であったのは多少残念だったが。
店舗での売り上げも今ひとつだったその日、フルグルに関するはかばかしい情報は、一つも手に入らなかった。