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 大家のネブラは、恰幅の良い体を二つ折りにするようにして、けほっ、けほっ、とわざとらしい咳をする。


「はぁ。あたしもねぇ、もっと滋養のあるものを食べなきゃとは思うんだけど、何せ先立つものがねぇ・・・。そりゃもう、良心的な店子だけが頼りってもんだよ。ねえ、スティー。あんたも大変だろうけど、ここの先月分の家賃、明後日までに頼むよ」


 顔に薄い笑みを張り付けたスティーレアは、手はとめず、顔だけネブラの方に振り向ける。なるべく忙しそうに見えることを祈りながら。


「それはもちろん、ツケを回収すればすぐにでも払えるんだけど。もう商売繁盛で忙しくって、回収に行く暇がないくらいで」

「ふうん。とてもそんな風には見えないけどねぇ。言いづらいけど、ここは人気物件だからさ、滞納するようだと出て行」

「ああはいはい、ここはひどく雨漏りするけど、ちゃんと屋根っぽいのもついているし。お客には大きな犬小屋ねなんて言われちゃうけど、こうやって人間も住めてるしね。ほんと、ありがたいわぁ」

「ちっ。あんた、それだけ口がまわるなら、こんなシケた店やめたらいいのに。あたしがもっと、手玉に取る系の仕事を見つくろってきてやるよ。とにかく、明後日までだからね」


 ネブラはそんな捨て台詞を残すと、どたどたと出ていった。

 それを見送ったスティーレアは、とすっと椅子にこしかける。


「しゃあない。行ってくるか、大口のツケの回収」


 その前に一息つこう、と商売道具でもある薬草茶を、自分のためにゆっくり淹れた。



 スティーレアは、住居兼店舗のこの狭い家で、薬草茶をつくって売っている。薬草茶とはいっても効能は微妙で、味のよさがウリだった。

 儲かっているとは言い難かったが、自分一人が食べる分くらいはまかなえたし、なんといっても実母から引き継いだ商売だったので、やめて別の仕事に手を出す気にはなれなかった。


 スティーレアの住む街は国境に近く、五年前の隣国との大きな戦の際に、徴兵された石工の父と、家を守っていた母の両方を亡くした。母がまさに亡くなるとき、自分と弟はその傍にいたはずだが、そのときの記憶はほとんどない。弟は現在、石工見習いとして北方の地で築城に参加しており、彼のたまの帰省は、スティーレアの大きな楽しみだった。

 戦禍を被ったこの街も、最近になって、だいぶ活気を取り戻しつつあった。スティーレア姉弟のような境遇に陥った者が少なくないためか、街の人々の結束はわりと固く、スティーレアにとっては住みやすい場所といえた。


 とはいえ、スティーレアにも苦手な人がいないわけではない。ツケの回収先、牛のしっぽ亭のイムベルもその一人だった。

 牛のしっぽ亭は居酒屋兼宿屋だが、何やらいかがわしい商売にも手を染めていると噂で、えらく羽振りがいい。

 そこの経営者であるイムベルは、年は四十かそこら、だいぶ前に奥さんを亡くして、子どもはいない。羽振りのよさを腹肉や顔の脂で体現しているような男で、このあたりの顔役の一人でもあった。人使いも荒いらしく、しょっちゅう使用人が募集されている。


 牛のしっぽ亭に卸す薬草茶は、業務用だから量も多い。ツケ払いながら、踏み倒されることも無いから、スティーレアにとっては上客である。

 ところがこれが、注文は必ず小分けに出されるし、うなるほど金があるのに、支払いは常にツケ。いきおい、調合、接客、配達、出納関係を一人でこなすスティーレアは、しょっちゅう牛のしっぽ亭に呼びつけられることになる。

 で、行けば毎回のようにねちねちと言い寄られる。イムベルがもう少し尊敬できるような男なら、スティーレアはもうちょっといい気分になれるはずなのだが、現実は厳しい。牛のしっぽ亭と聞くだけでげっそりしてしまうのが、実際のところだった。


「あーあ。もっとばんばん稼げていれば、牛のしっぽ亭の注文なんて、こっちからお断りできるのに」


 少なくともスティーレアは、稼ぎも少ないのに、気に入らないという理由だけで上客を断るほどの純朴な人間ではいられないのだった。


「よいしょっと。さっさと済ませてこよう」


 一人暮らしですっかり板についた独り言を吐き出して立ち上がり、スティーレアはツケを回収しに牛のしっぽ亭へと向かった。




「うあっちゃー。急がないと、ひと雨きそう」


 外に出るなりどんよりとした空模様に目がいって、スティーレアはいっそう憂鬱になる。

 急ぎ足で歩き始めたが、案の定、途中で雨粒が落ち始めた。

 川沿いの道を走るように足を進めていると、雨の勢いはどんどん強くなり、切れ目のない雨音が耳を打つ。

 道の先に葉を茂らせた大きな木があるのを認めて、そこで雨宿りしようと駆け出した。


 あと一息だというあたりで、はやくも疲れて足取りが少し鈍くなった。

 直後。

 まばゆい光と衝撃、続いて大音響に背骨を揺さぶられ、スティーレアはその場にへたりこんだ。あたりの空気が焦げ臭い。


 一瞬の差で、自分が今まさに駆け寄ろうとした木に雷が落ちたのだ――そう悟ってバクバクする胸に手をやったとき、木の下に何かが立っているのが見えた。影になっているが、人間らしい。

 次の瞬間、それは倒れて、額と思しきあたりを地面で強打、跳ねるように土手を滑って川に落ちていった。

 スティーレアは震える足を叱咤して、土手を降りる。足元にツタが絡まったのか、足首のあたりで何かがぷつっと切れる感覚と、けっこうな痛みを感じた。が、そんなことに構っていられず、目標物に走り寄る。


 浅い川に顔を突っ込んで、小さな体がうつ伏せで倒れていた。先ほど木の下にいたときはもっと大きいように見えたのだが、近寄ってみると、いかにも頼りなげな子どもだった。

 スティーレアは大声で助けを呼びつつ、子どもの体の下に腕を差し入れる。落雷の影響なのか、ビリっと強くしびれるような痛みを感じたが、夢中で抱き起こして土手の方に引っ張り、そこに静かに横たえた。


 子どもの口の上に自分の頬を持っていくと、ちゃんと呼気が感じられて、スティーレアはほっと息をついた。ふと気がつけば、雨は嘘のようにあがっていた。


 いつの間に、と空を見上げるスティーレアの袖を、何者かがおずおずと引っ張っている。

 横たわった子どもが、うるうるとした目でスティーレアを見つめながら、袖をつかんでいたのだった。


「えっ・・・。坊や、雷は大丈夫だったの?」


 その子ども――六、七才に見える男の子だった――は袖を握りしめたままで、コクコクと頷いた。


「痛いところはない? お母さんとか、おうちの人は?」


 子どもはぶんぶんと首を横に振ってから、すっと空を指差した。

 こ、これは・・・。親の居場所は天国だ、ということだろうか。改めて子どもの様子を観察してみると、赤毛に近いような髪の色も、ごく薄い茶色の瞳の色も、このあたりでは見かけないものだった。

 こちらのことばは理解しているようだが、隣国から流れてきたというのもあり得る、とスティーレアは思った。

 隣国で大規模な内乱があり、この国境の街にも、ちらほらと難民が流入していると聞いてはいた。内乱や戦があれば、必ずうみだされるのが戦災孤児である。


 こんなに小さいのに、昔の自分と似たような境遇なのかもしれない――スティーレアは鼻の奥がツンとするのを感じながら、子どもの髪をやさしくすいた。よく見ると、右目の下に小さなギザギザのあざがあって、それがまるで涙のあとのようだった。それと・・・


「あっ、こぶができてる。やっぱり、頭をぶつけたんだ・・・ 吐き気はしない?」


 子どもの額の真ん中が赤く腫れていた。慌てるスティーレアをよそに、子どもは特になんともない様子で立ち上がる。


「ええっ。もう動けるの?」


 子どもはにっこり笑って頷いた。くりっとした目でスティーレアをじっと見上げてくる。


 ――うっ。か、かわいい。かわいすぎる。 よぉし、お姉さんにまかせろ。


 そういえば、弟にもこんなかわいい時期があった・・・昔の記憶を思い起こしながら、手の平に滑り込んできた子どもの小さな手を握って、スティーレアはゆっくり歩き出した。




 まかせろ、とは思ったものの、あたりをぐるぐる歩き回った結果、まったく子どもの保護者らしき人を見つけることはできなかった。

 雨に降られたうえ、川の水や泥につかった二人の格好は、けっこう凄いことになっていた。子どもは不思議なほど元気だったが、スティーレアの体力はそろそろ限界だった。

 それに、これはいよいよ捨て子の線が濃厚かと思うにつけ、無邪気な子どもが不憫で気持ちも弱ってきていた。

 はぁ~、と小さくため息をつくと、子どもが心配そうに見上げてくる。その上、おぶされ、というように、自分の小さな背中を指し示す。

 ――ああもう、気をつかわれてどうする。辛いのはこの子の方なのに・・・


「ごめんね、心配ないから。そうだ、この近くにお姉さんの知り合いのお店があるから、そこ行ってみよう」


 おんぶの申し出を断ると、子どもは若干不満そうな様子を見せた。しかしすぐに目を輝かせると、スティーレアの後ろに回って、尻のあたりを小さな両手で押し始めた。


「ええっと、歩くのをてつだってくれるのね。それはどうも」


 戸惑いつつも、その気持ちが嬉しくて、妙な格好で押されながら知り合いの荒物屋に向かった。




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