水溶性彼女
雨の匂いがした。
ぽた、ぽた、ぽたり。
落ちる雫は少しずつ、確実に私を侵していく。
「今日はね、雨が降っているよ。」
軽く首を傾げて男が言った。
白く無機質な部屋の中央には、大きな水槽が置かれていた。
男はゆっくりと近づき、そっとガラスに触れる。
「ねぇ、雨は嫌いかい?」
あぁ、そうか。雨に似ているのだ。
ひっそりと、ガラス越しにたたずむ男はまるで雨のようだ。
しとしと降る、六月の静かな雨。
音もなく、気づかぬうちに肩を湿らせてゆくのだろう。
男は「シイナ」と名乗った。
私が彼について知っているのはそれだけ。
他に何を聞いても、シイナは黙って笑うだけだ。
私は何も知らない。
此処にいる理由も、殺されていく理由も、知らない。
「僕は境界を確かめたいんだ。」
水槽を眺めながら、男が呟いた。
「どこまでが、君なのだろう。生と死の境目は?」
「僕は、どこまでを愛せばいい?」
…あと少し。迫る水面はもう見飽きてしまった。
シイナは飽きもせずに此方を眺めているけれど、何が面白いのだろう。
ふと、自分の左手が目に入る。
薬指に光る指輪を、シイナは「約束」だと言っていた。
「ヤクソク・・・」
透き通る水の中で、左手だけが重く沈んでいくように思えた。
シイナは水面に手を浸した。
ぱしゃ、水がはねる。頬を濡らす。
「広がっていく気分はどう?きっと最高に気持ちが良いだろうね。」
そのまま、水槽に体を沈めていく。
「あぁ、これは全部君だ。僕は君の中にいるんだ。」
濁った水の中で男が笑う。溢れた水が白い床を滑る。
「これで君との境界は消えたね、姉さん。」
水槽の底に、銀色の指輪が鈍く光っていた。
「水溶性彼女」を読んで頂き、ありがとうございました。
拙い文章ですが、雰囲気だけでも伝われば幸いでございます。
ご意見、ご感想等ありましたら是非!