第23章 父親視点から⑨ 疑惑の真相
私はピアットの前のローテーブルの上に、一枚の紙を置いた。
それを見た彼はブルッと体を震わせた。そして私の顔を真っ直ぐ見て言った。
「私はフォルティナ……嬢との婚約を解消するつもりはありません。
もちろん、彼女に婚約破棄されて仕方ない行為をしてきた自覚はあります。
蔑ろにするつもりはありませんでしたが、彼女に寄り添うことができず、辛い思いをさせてしまったことは事実で、慚愧の念に堪えません。
本来ならこのまま可能な限りの償いをした上で、素直に身を引くべきだということは百も承知しています。
しかし、私はそうするつもりはありません。いえ、できません。私は幼い頃からずっとフォルティナ嬢を思ってきました。私の未来は彼女とともにあり、それ以外の未来など思い描けないからです。
それほど大切に思っていたというのに、幼い頃の私は彼女に横柄な態度をとって、ずっと嫌な思いをさせ続けてきたことを申し訳なく思っています。
その後もこれまた思春期の過ちで、自分の素直な気持ちを彼女に打ち明けられませんでした。
特に学院に入ってからは、言い訳をしたくはないのですがどうしても時間が取れず……フォルティナ嬢に寂しい思いをさせてしまいました」
痛い、痛いよ、ピアット。若かりし頃の自分を見るようでむず痒い。女性には理解できないだろうが、男の私には君の気持ちが痛いほどよくわかる。
しかし、娘の父親の立場からすると、娘を散々苦しめてきた君をそう簡単には許せないんだよ。
「でも兄に殴られて目が覚めて、その後は思いを告げる努力をしてきたつもりでしたが、所詮それはつもりに過ぎず、彼女には伝わっていませんでした。本当に申し訳ありませんでした。
すぐに彼女や伯爵に許してもらえるとは思ってはいません。でも許してもらえるまで頑張るつもりです。
そしてフォルティナ嬢やヴァード伯爵家の役に立てる人間になれるように必死に励みます。どうかやり直す機会を与えてください。お願いします」
「そう言われてもねぇ。あの子はもう君に見切りをつけたんだよ。たしかに娘はずっと君を思ってきたよ。見ているこちらが切なくなるほど一途にね。
でもね、女性は一度冷めたらもう二度と元には戻らないものなんだよ。
あの子はデビュタントとなるパーティーで君と踊ることだけを夢見て、虐めや嫌がらせ、寂しさ、嫉妬の苦しさから堪えていたんだよ。
だから、その約束が守られないとわかった時、それまで張りつめていた何かが、あの子の中で切れてしまったんだ。
もう、君達は元に戻れないんだよ。あの子は君を忘れて前に向かって歩み始めたんだからね。
もし、君が本当にあの子の幸せを願うなら、婚約を解消して、ただの幼なじみとして陰から見守って欲しい」
私がこう言うと、ピアットは唇を血が滲むほど噛み締めた。そして徐ろにこう言った。
「それはできません。でも、も、もしフォルティナ嬢に誰か好きな相手が見つかって伴侶にしたいと望んだ場合は、もちろん面倒な騒ぎは起こさずに身を引きます。だからせめてそれまででいいので、私にチャンスをください」
あんなにプライドの高かった子が頭をこんなに深々と下げるなんて。と正直驚いた。
まさか彼がこんなにも娘に執着しているとは思っていなかった。
いや、彼の作ったバラードが全て娘を思って作ったものだとしたなら、昔から娘を深く思っていたのだろうが。
学院に入学する以前のピアットの態度は思春期だったこともあり、あまり褒められた態度ではなかった。
しかし、昨日下の娘が隠していたピアットからの手紙や贈り物を見た時、それが誤りだということに気が付いた。
娘宛の手紙の中を見るのは罪悪感と居た堪れなさを感じたが、彼の真意を知るためには必要不可欠な行為だった。
何故なら、婚約者に対する思いを娘が完全に断ち切れた、というわけではないことがわかっていたからだ。たとえそれがもう最終段階にまで来ていたとしても。
彼との関係をすっぱりと断ち切らせた方が娘にとって本当に幸せになる道だというのなら、私だって彼の事など何も知らないままにしてしまっても構わなかった。
しかし、実際には彼と別れた方が幸せになるとは限らないのだ。
娘はピアットが初めてレコード化したあのバラードを聴くのが辛いと言っていた。
しかしあの歌は名曲だ。一時の流行り歌では終わらないだろう。
だとすれば、娘はあの歌を聴く度にずっと辛い思いをするのだ。たとえ別の男性と幸せな関係を築いたとしてもだ。
しかし、あの歌はピアットが娘のフォルティナを思って作ったのだということはもう疑いようがない。
彼があの歌の歌詞になった詩をフォルティナ宛に送ってきたのは、レコード化される三か月以上前の日付だったのだから。
それに、昨日ピアットのマネージメントをしているカールス卿と共にやって来た、レードル卿もそう断言していた。
あの歌は婚約者を思って作った詩だったと。
レードル卿は王立歌劇団のオペラ歌手で、音楽学院時代、五年間同部屋だったというピアットの友人だ。
彼は先日の国王夫妻の結婚記念パーティーで、友人が婚約破棄されたことを知り、居ても立ってもいられなくなって、私の領地へ向かう駅馬車に飛び乗ったのだという。
そして、そこで顔見知りだったカールス卿と偶然にも隣同士になったようだ。
目的地が同じで、しかも訪問先も同じだったことに最初は驚いたが、やがてピンと来るものがあった。思い切って話しかけてみると、正しく目的が同じだったことが判明したという。
昨日のまだ朝早くに、二人は先触れなしにここへやって来た。失礼は承知だったが返事を待っている余裕がなかったからと。
レードル卿は王都で今一番人気のオペラの準主役を務めていて、舞台に穴を開けられないからだという。
そんな大変な思いをまでして友人を助けたいと思う心に、捻くれた中年の私でもすっかり絆されてしまい、彼らを屋敷に招き入れて話を聞くことにしたのだ。
「ピアット君があの悪徳商会の娘と恋仲だったという噂は、全く根も葉もないデタラメだったことは既にご存知だと思います。
ですが、そもそも彼は彼女だけでなく、他の女性に対しても一度たりともよそ見をしたことなどありませんでした。
彼はあの通り素晴らしい才能があり、容姿も飛び抜けているので、女性のみならず男性からも狙われていました。
しかし、彼は鉄壁な対策で彼らを排除していました。護身術を習っていたのです。体格差がある相手から身を守るという、東の国の技を。
ただでさえピアノのレッスンに一般教養の勉強、そして僕達友人の面倒をみるのに大変だったというのに、その合間を見つけて」
「君達の面倒?」
「あまり知られてはいないと思うのですが、あの学院は死ぬほどきついんです。自分の専門分野で一度でも赤点を取ると即留年で、しかも二度目はないんです。
でも、あそこに入る学生はほとんどが次男や三男で、家の後を継げない連中ばかりです。ですから、何か一つ秀でたものを身に付けなければ生きてはいけません。
役人になれる人間ならまだ道がありますが、それに向かない個性的で協調性のない芸術家タイプの人間は、あの学院に居られなくなったら、将来まともな暮らしは望めません。
仕事には就けないし、婿養子も無理でしょうし。
そんな僕らを助けてくれたのがピアット君だったのです。
彼はピアノ科でしたが、音楽の天才だったので、ピアノ以外の楽器も大体演奏することができたし、歌も上手い。その上音楽理論にも優れていました。
だから彼は、普段から落ちこぼれの僕を含めた数人の友人のために、いつも指導をしたり試験の対策をしてくれていたのです。
そのために彼は、いつも寝る間もないくらい多忙の日々を過ごしていたのです。
そして音楽学院の二年に進級した頃、彼の兄上が王都の王立学院に入学したので、ピアット君に会いにこられたのです。
兄上は彼が一年間一度も帰省しなかった事、婚約者に手紙や贈り物をしなかったことをひどく怒っていました。
しかし、彼は本当に忙しくてそれができなかったんです。
フォルティナ嬢に辛く寂しい思いをさせてしまったのは、全て私達のせいなのです。誠に申し訳ありませんでした。
ピアット君はフォルティナ嬢を心から愛していました。私は同室になったその日から、彼から惚気話を毎日のように聞かされてきたのですから、それは間違いありません」
レードル卿は真剣な目で私を凝視しながらそう言ったのだった。




