第19章 ピアット視点⑤
王城の中庭でフォルティナに突然婚約破棄を言い渡され、茫然自失しているうちに、僕は近衛騎士達に王城の貴賓室に連れて行かれた。
そして、パーティーが開始された頃に今度は会場へと引き摺られて行った。
王城のパーティーなど参加するのは初めてだったので、普段の状態はわからないが、ホールの中はまるで芋洗い状態だった。
フォルティナは半月前にデビューしているのだから、このパーティーにも参加しているはずだと必死に目を凝らした。
しかし、あまりの人の多さに見つけ出すことはできなかった。彼女だけでなくヴァード伯爵や父や兄のことも。
こんなに人で溢れ返っているのに、一体どうやってダンスを踊るのだろうかと、そんなどうでもいいことが頭に浮かんだ。
本来なら半月前にフォルティナと共にここでファーストダンスを踊っていたはずだった。
その日のために六年も一緒にレッスンを受けてきたのに。
悔しくて情けなくて申し訳なくて涙が出そうになった。
何故こんなことになったのか。自分の至らなさだとわかっていながらも、カールス卿を恨みたくなった。
卒業してすぐに音楽活動をやめていたらこんなことにならなかったのにと。
子供の頃からフォルティナと一緒に厳しいダンスレッスンを受けてきた。
最初の頃は体力不足で辛かったダンスも、徐々に体力が付いてくると、全く息が上がらなくなり、踊るのも楽しくなっていった。
フォルティナは体力があるのに、とにかく運動神経が鈍いというか、リズム感が悪くて一向に上達しなかった。そう。それはピアノと一緒だった。
それでもサボったりせずに一生懸命にレッスンをする姿がいじらしくて愛しかった。
物心付いた頃から元気で明るくて優しいフォルティナが大好きだった。
ダンス教師に
「夫となる君が彼女の分まで上達してちゃんとフォローしてやれば、彼女が恥をかくことはない。だから頑張りなさい。
領地経営は彼女が君をフォローするだろう。夫婦は完璧である必要はない。苦手なことを助け合うことが大事なんだよ。そしてそれが円満の秘訣だよ」
そう言われて、僕はピアノと同じくらいダンスのレッスンに励んだのだ。もちろんその他の勉強だって頑張った。
それはフォルティナも同じで、十三歳になる頃にはようやくダンスも一応形にはなってきて、僕の足を踏むこともなくなっていた。
二人でダンスするのはとても楽しかった。
「ピアノ教師だけでなくダンス教師にだってなれそうだ。
たとえフォルティナ嬢に婚約破棄されたとしても、食いっぱぐれにはならずにすみそうだね」
いつものように憎まれ口をきく恩師に
「僕以外の人間に彼女のパートナーは務まりませんよ。足を踏まれまくって歩行困難になってしまったら、その後のエスコートができなくなりますからね」
笑いながらそう言ったら、横にいた彼女は真っ赤になって
「わ、私はもう足を踏んだりしないわ」
と言った。だから僕が
「それは僕が危機を察知して素早く逃げているからだろう?」
と言ってやった。すると彼女は
「意地悪!」
そう呟いて恥ずかしそうに僕の肩に顔を乗せたのだ。
その時、突然胸が激しくドキドキし出して驚いて目を見開いた。
そしてそれと同時に、いつか肩ではなく僕の胸にその可愛い顔を埋めて欲しい、なんてかなり恥ずかしいことを思ったのだった。
そしてそれから間もなくして、僕は王都にある王立の音楽学院の難関試験に合格した。
王都にあったタウンハウスは既に人手に渡っていたため、僕は学生寮に入ることになった。
フォルティナは二年後に十五歳で王立学院に入る予定だったので、当然領地に残った。
僕達は領地が隣同士だったので、物心がつく前からずっと一緒にいた。
それゆえな彼女と離れ離れになるのはそれが初めてのことで寂しさを感じていた。
しかし、彼女が泣きそうな顔をして
「体には気を付けてね、ちゃんと食事をして睡眠も取ってね。貴方は夢中になると周りが見えなくなるから心配だわ」
と言ったから、僕は大人ぶって、君と違って有能だからちゃんとやれるよと胸を張った。
ピアノを弾いていて新しいメロディーや詩が浮かぶと、食事や他の勉強を忘れてしまうことが度々あって、いつもフォルティナに面倒をかけていたというのに、偉そうに。
でも、結局見栄を張り続けることはできなくて
「寮は相部屋だから、もし時間を忘れても教えてもらえると思うから大丈夫だよ」
僕は無理に元気な振りをして彼女に手を振って別れた。
見知らぬ世界への不安と寂しさを感じながらも僕は希望に燃えていた。
せっかく彼女が与えてくれたチャンスなのだから、彼女のためにも思い切り音楽に向かい合おうと。
そして優秀な成績を出して、フォルティナの婚約者として恥ずかしくない人間になってみせると意気込んでいた。
そもそもそのために五年前、僕は侯爵家の令息というプライドをかなぐり捨てて、フォルティナに願い事をしたのだから。
君のピアノレッスンに私を見学させて欲しいと言った。それはつまりただでレッスンを受けさせて欲しいという意味だった。
当然彼女は喫驚して言葉も出ない様子だった。
いつも上から目線だった僕が突然何を言い出すのだと思ったことだろう。
侯爵家の人間が何故伯爵家の自分にそんなことを頼むのかと。
だから恥も外聞もなく正直に話した。ピアノ教師を雇う余裕が無くなり、解雇することになったのだと。
母親の唯一の生き甲斐であるピアノの練習だけは続けたい。しかし、自己流では上達が期待できない。
だから、部屋の片隅でいいから、君のレッスンの様子を覗かせて欲しいと。
同情を買うような卑怯な作戦だとは思ったが、なりふりはかまっていられなかった。
フォルティナは僕の母のことを第二の母のように慕ってくれていた。だから、案の定彼女は戸惑いながらも父親に聞いてみると言ってくれたのだ。
そして実際にその望みは叶てもらわけだが、それがそう簡単なことではなかったということくらい想像ができた。
彼女は父親を必死に説得し、お願いしてくれたのだろう。
母親のためだと僕はフォルティナに言った。たしかにそれは嘘ではなかった。しかし、あんな願い事をした理由はそれだけじゃなかった。
我がムューラント侯爵家は財政状態は、世間が思っているより酷かったのだ。
王都のタウンハウスを手放しても、借金しなければならないほど逼迫していた。
だからピアノ教師どころか、将来貴族の義務である王都にある学院に通うことさえ難しかったのだ。兄はともかく弟である僕まで通わせるのは。
そこで父は私を親類の家の養子に出そうとしていたのだ。
それは次男だから不要だったというわけではなく、兄より容姿も頭も良い僕なら貰い手が付くと思ったかららしい。
そしてその方が僕のためになるだろうと、泣く泣く決めたようだ。
しかし、他所の家になんか行きたくなかった。貧しくても家族、特に母親の側を離れたくなかった。
そして心の奥底でこうも思っていたのだ。
十五になった時にたとえ王立学院へ入れなかったとしても、その場合は、親類の家で使用人として働かせてもらえばいい。
だからせめてそれまではフォルティナの側にいたいと。
そう。兄と仲がいいことに嫉妬をして、わざと無視したり馬鹿にしたりしていたが、自分とは正反対の明るくて元気で優しいフォルティナのことが、好きでたまらなかったのだ。
僕はダンス教師のユリウス先生を誰より尊敬している。しかし、フォルティナは苦手にしていたけれど、ピアノのマルトー先生にも感謝している。
彼が僕の能力を信じて伯爵に援助を願ってくれたおかげで、ヴァード伯爵は僕のパトロンになってくれたのだから。
結果的にそのおかげで僕は、ピアノだけでなくダンスのレッスンや一般教養の学問までフォルティナと共に学ぶことができたのだから。
それにしてもまさかヴァード伯爵が、僕の音楽の才を認めてパトロンになってくれるとは夢にも思っていなった。
ただでさえ、ピアノやダンスのレッスンを受けさせてくれていたのだ。
それなのにそれに加えて、王立音楽学院を受験するために必要な個人レッスンを受けさせてくれて、入学後の学院の生活の支援までしてくれたのだから。
いくら特待生とはいえ、衣食や本や学用品にはお金が必要だったのだ。
そして彼に対する最大に感謝していることと言えば、もちろんフォルティナと婚約させてくれたことだった。
伯爵は潰れかけた我が家の尊厳を守るためだけに、私を自分の大切な娘の婚約者にしてくれたのだ。
もちろんそれは仮のものだったが、僕はフォルティナとの婚約を仮になどするつもりは毛頭なかった。
だからこそ音楽で成功を修めた後でフォルティナと結婚し、ヴァード伯爵の恩に報いるためにも領地経営に励むつもりだったのだ。
世界的な名声や、音楽の聖人なんてこれっぽっちも望んでいなかった。それなのにまさかこんなことになるなんて。
母親の薬が買えて、フォルティナと平凡でも幸せに暮らせれば、それでよかったのだ。それなのに。
多くの招待客からの熱い視線を感じながらも、僕の心の中は冷えていく一方だった。




