第18章 ピアット視点④
カールス卿はすくっと一旦立ち上がると、なんと今度は両手両膝を床に付いて頭を下げた。私は驚いて声を張上げた。
「何をしているんですか!」
「すみません、すみません、すみません!
僕は長らく貴方の側にいたのに勘違い、思い違いをしていました。
てっきりフォルティナ様とは仮の婚約をなさっているだけで、卒業後は婚約を解消して本格的に音楽活動をなさるのだと思い込んでいました。ですから、卒業後のスケジュールを既に埋めてしまいました」
「えっ?」
私は絶句した。何でそんな勘違いをされたのかがわからなかった。
「貴方は僕がフォルティナ嬢を思ってあの歌を作ったことを知っていたでしょう? それなのになぜ仮の婚約だなんて思ったのですか?」
「えっ? あれってフォルティナ様を思って作られたのですか? 全く気付きませんでした。誠に申し訳ありませんでした」
カールス卿があまりにも動揺していたので、それ以上叱責することができなかった。
しかし、あの時何故彼がそんな勘違いをしていたのかをもっと突き詰めていればよかった。
そうすればその一年半後、フォルティナから婚約破棄をされることになる前に、何か対策がとれていたかもしれない。
情けないことに、我がムューラント侯爵家の人間は社交界に疎かった。
社交を担っていた母がベッドから出られなくなってから、元々社交的でなかった父はなおさら社交場から遠ざかってしまっていた。
その影響で兄もまた最低限の社交場にしか顔を出さなかったので、僕が世間からどう思われているか、噂をされているのかを指摘してくれる者がいなかったのだ。
僕が多忙過ぎて、個人的に女性と付き合う姿を一切見せなかったことで、僕に婚約者がいるという話は偽装だと周囲からは思われていたらしい。
そしてフォルティナは、名前も明かせないような婚約者にすら蔑ろにされている情けない令嬢だと、学院の中や世間から思われていたようだ。
そのために彼女は侮蔑されたり虐めなどに遇い、ずっと辛い立場に立たされていたのだ。
もしそれらのことに気付いていたら、仕事の契約を解除することが難しいので、結婚式を一年延期して欲しいだなんて願い出なかった。
情けなくても伯爵に頭を下げて、契約解除ができないかを相談していたと思う。
あの時、伯爵にすんなりと受け入れられたことに、何故もっと疑問を持たなかったのだろう。本来ならば
「たとえやむを得ない事情があったとしても、本気でフォルティナとヴァード伯爵家を守る気があるのか」
と、伯爵から厳しく追及されていたはずである。
それがなかったということは、つまり、あの時点ですでに僕は見切りを付けられていたのではないだろうか。
あの時伯爵が僕に確認してきたことといえば、来年の建国記念のパーティーだけは必ず娘のエスコートをしてくれ、ということだけだった。
もちろんですと僕は答えた。次の建国記念のパーティーが、フォルティナにとって社交界デビューの場になることくらいわかっていたからだ。
「建国記念日の前後にスケジュールは入れておりません。ですからご心配なさらないでください。
この度は僕の手違い(勘違い)で、大切なお嬢様の結婚式を遅らせてしまったことを、心から申し訳なく主っております。
どんな罰でも受ける所存です」
カールス卿は深々と頭を下げてこう言ったが、ヴァード伯爵は叱ることもなく、
「このままこれからも彼を支えてやって欲しい。今後ますます人気が出て忙しくなることだろうからね。彼をよろしく頼むよ」
そう言っただけだった。あれは
「娘の夢だけは叶えてやってくれ。それが済めば婚約なんていつでも解消するよ」
そういう意図が含まれていたのだろう。
それなのに僕は、彼が唯一僕に対して求めていた約束さえ守れなかったのだ。
僕は音楽が好きだった。音楽が唯一の趣味で、自ら生み出した作品は僕の誇りだった。
しかし、音楽の聖人に選ばれた瞬間、友人に依頼されたからといって宗教音楽など作らなければよかったと、死ぬほど後悔した。
僕は音楽の聖人なんてものになりたいだなんて望んだことはなかった。
聖堂は僕の母とフォルティナの母親を平気で見殺しにした。そんな聖堂から聖人に選ばれて、嬉しいとか名誉だとか思うわけがないだろう。
僕は聖人になるつもりはないからとはっきりと断った。
それなのに、隣国ガリグルット帝国との国境に近い都市でコンサートをしていた時に、聖騎士と呼ばれる聖堂を守る騎士達に誘拐されてしまった。
そしてガリグルット帝国内にある大聖堂に連行されて脅された。
この話を受けなければ、ガリグルット帝国のアクジット商会から薬を買えなくしてやるぞと。
やっぱり大聖堂はアクジット商会と繋がっていたのだ。それなのに、父がどれほど聖堂に懇願しても、司教達は商会に口利きをしてくれなかった。
恐らくは奴らは陰で手を組んで、互いに美味い汁を吸っているのだろう。どちらも悪魔のような連中だ。
なぜそんな真似をするようになったのか。それは、聖堂の勢力が昔と比べてかなり弱くなっているからだと思う。寄付や献金する人が大幅に減少していると聞いているから。
伝統や威厳ばかりを重んじて、庶民の心に寄り添うという本来の役割を忘れてしまったのだから当然の成り行きだろう。
特に若者の聖堂離れは著しく、それを食い止めるために、若者に人気があるとい言われる僕を広告塔にしたいと考えたに違いなかった。
ふざけるな! そんなものに利用されてたまるか!
怒りで頭が沸騰しそうになった。
しかし、どんなに腹立たしくても、あの「死の商人」から薬を買えなくなったら、母は命をながらえることができない。それゆえに、僕はそれを受けるしかなかった。
それでも、自国の建国祭にだけは国に戻りたいと強く主張したのだが、聖人認定のための儀式の変更は不可能だと言われてしまった。
その上、このことは各国に通達するまでは他言無用だと厳命され、大聖堂の中で半ば監禁状態になってしまった。
フォルティナのエスコートをするために、元々建国記念日のある黄金月には仕事を入れていなかったことが裏目に出た。
僕が突然ツアーをドタキャンしていたら、大騒ぎになって強力なファンの皆様達が救い出してくれたかもしれないのに。
僕に唯一できたことは、建国記念日のパーティーにフォルティナのエスコートができなくなったという簡潔な詫び状を送ることだけだった。
その後十日間に渡る聖人就任のための様々な儀式が済んだ頃、ソフーリアン王国から迎えの馬車が着き、僕はカールス卿と共にようやく大聖堂から脱出することができたのだ。
しかし、大聖堂から僕が聖人に選出されたと知らされた王家は、それこそ狂喜乱舞していた。
久方ぶりに我が国から聖人が出たからだろう。
ようやく解放されたというのに僕は実家にさえ戻れず、国王夫妻の結婚記念パーティーで独演会をすることになってしまった。
その頃になると精神的にかなり参っていた僕は、半ばやけくそ気味になっていた。
とにかくさっさと王城での独演会を終わらせて、早く家へと帰り、家族と共にフォルティナとヴァード伯爵家に謝罪に行きたいと、そればかり考えていた。
だから思いがけずフォルティナから呼び出された時も、迂闊にも説明よりも独奏会へと関心が向かっていた。
その結果が彼女からの婚約破棄だった……
明日からは、19:00に1回の投稿となります。




