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短編集

ワンナイトから始まる子爵令嬢の格差結婚

作者: 宮前葵

 えー、よくある話なのです。


 侍女がですね、ご主人様のお部屋に用事で呼ばれて入って、ついでにベッドに引き摺り込まれるなんて事は。


 あ、あるある。良く聞くわよねぇ。なんて侍女仲間の間で軽い話題になるくらいよくある話なのです。


 問題は、当事者になってしまうとあるあると笑っているだけでは済まないという事ですね。まして、一夜の事で妊娠してしまったともなれば。


  ◇◇◇


 私、エリーセン・ホイスナーはハルナッセン侯爵家で侍女をしていました。


 生まれは子爵家の三女です。下位貴族の娘は行儀見習いを兼ねて、上位の家で侍女を務める事がよくあります。私もそうしてハルナッセン侯爵家に預けられました。ハルナッセン侯爵家はホイスナー子爵家の本家に当たります。


 行儀見習いと言っても、やる事は普通に侍女のお仕事です。特に入ったばかりの侍女は下級侍女として、掃除洗濯等の重労働に従事させられます。


 下級侍女を務めてその働きぶりが認められると、侯爵様のご家族の身辺のお世話が仕事になる上級侍女になります。そうなると格段に仕事は楽になりますね。


 私は言われるままに一生懸命働きましたよ。私は貧乏子爵家の三女でしたから、このままではお嫁に行けそうもありません。ですからここで頑張って、侯爵家の上級侍女という箔を付けたかったのです。そうなれば嫁入りは兎も角、他の家に侍女長として採用される可能性が高くなるからです。女が一人で生きて行くには就職口が大事ですからね。


 ハルナッセン侯爵家のご家族は侯爵様と奥様、そしてご長男のベルゼン様でした。


 侯爵ご夫妻は厳しいところはございますが粗暴なところも気まぐれな所もございませんで、仕え易いご主人様でした。休みも賞与も頻繁に下さりましたから、侍女仲間は良い職場だと口々に言っていましたよ。


 ただ、問題が一つあるとすれば、ベルゼン様でした。


 おん歳二十二歳になられるこのお方は、もう三年ほどお部屋に引きこもって生活なさっていたのです。


 なんでも、成人して最初にお勤めになった所が大変厳しい職場で、そもそも気が弱かったベルゼン様は気持ちが塞いでしまい、お外に出られなくなってしまったという事ですね。


 以来お部屋の中でひたすら本を読んでいるか、ご趣味だという油絵を描いているか、寝ているかという生活を送っていらっしゃるのでした。


 侯爵様や奥様は厳しい方ですので、ベルゼン様の有様に怒り、お嘆きになり、お叱りになったそうですけど、それが逆にベルゼン様を萎縮させてしまったようですね。今ではベルゼン様はご家族の朝食の席にも出られない有様だそうです。


 侯爵様はすっかり匙を投げられて、廃嫡はほぼ確定。侯爵家は親戚のどなたかが継がれることになるだろうとの噂でした。そしてベルゼン様は放置されたのをいい事に、仕事もせずひたすら引きこもっていらっしゃる、という事なのでした。


 私は下級侍女でしたので、ベルゼン様との縁は極めて薄いものでした。侯爵家の方々の身の回りの世話をするのは上級侍女の仕事ですし、そもそもベルゼン様は男性ですので侍女はあまり関わりません。


 ですから「あの事」が起きたのは色んな偶然が重なった結果だったのです。


  ◇◇◇


 それは嵐の夜でした。


 ビュービューと強風が吹き荒れてはお屋敷の窓をビリビリと震わせ、大粒の雨が外壁を叩き稲妻が空を輝かせます。小さなランプの灯りより強い雷光が窓から飛び込んで数秒後、辺りにドーンと落雷の音が響き渡ります。


 私は首を竦めて廊下を歩いていました。どうかお屋敷に雷が落ちませんように。私は神に祈りました。落雷で火事になった貴族屋敷は少なくないのです。


 私の役目は嵐でお屋敷に異常が起きていないかどうかの見回りでした。風で窓が破れたり、雨漏りを起こしていないかの確認ですね。窓の外でだんだん激しくなる風雨に怯えながら、私はおっかなびっくり侯爵邸の長い廊下を進んでおりました。


 すると、どこからかか細い声が聞こえたのです。


「誰か! だれかいないか! 誰か!」


 助けを求める声でした。小さいですが男性のお声です。誰でしょう? 従僕か執事の誰かが閉じ込められでもしたのでしょうか?


 私は小走りに声がする方へと向かってみました。するとあるドアの前に、白いぼんやりした何者かが立っているのが見えたのです。


「ひっ!」


 私は最初、完全にお化けだと思いました。しかしよく見ると、それは白いシーツを頭から被った男性だったのです。な、何者ですか?


 シーツの隙間から覗く髪の色は金。ランプに光る瞳は青。身長はかなり高いです。


 ん〜? 記憶にあるお屋敷の執事や従僕の誰とも違う感じです。一生懸命記憶を辿り、私はその男性が、侯爵家のご長男ベルゼン様だということにようやく気が付きました。


「ベルゼン様? どうしたのですか?」


 下級侍女である私がベルゼン様のお姿を見るのは、ベルゼン様のお部屋にお掃除に入った時だけです。ベルゼン様はそういう時は不機嫌そうな顔で別室に行かれます。その時チラッとお顔を見るだけなのですから、なかなか思い出せなくても無理はなかったと思って下さいませ。


 私がお側に寄ってもベルゼン様は何も仰いません。シーツの中にお顔が見えますが、なんだか凄く不安そうな表情をしています。私が更に問い掛けようとした、その時。


 ドーン! とまた近くに落雷がありました。私も驚いて首を竦めましたが、ベルゼン様の驚きようはそれどころではありませんでした。


「わー!」


 ベルゼン様は叫んで私を引き寄せると、その大きなお身体でガッシリと抱き締めたのです。私は驚きで身体が硬くなってしまいましたが、ベルゼン様はそれどころではなさそうです。私に抱き付いたまま、ベルゼン様はブルブルと震えています。


 どうやら雷が大の苦手なようですね。こんなに大きいお身体の男性が、子供のように雷を怖がるなんて。私はちょっと面白くて、笑って、彼の頭を撫でました。


「大丈夫でございますよ。もう遠ざかりつつありますから」


 ベルゼン様はブルブル震えながら仰いました。


「な、情けないであろう? 男が雷を怖がるなど……。だが、分かっていてもどうにもならぬのだ」


 おやまぁ。私はベルゼン様の頭を撫でながら言いました。


「誰にでも苦手はあるもの。気にしないで良いのではありませんか? 私のお父様だってピーマンが苦手で残しては、母に『子供ですか!』と怒られていましたよ」


 その瞬間、ベルゼン様は顔を上げ、マジマジと私の事をご覧になりました。青い瞳に真剣な輝きを宿しています。なんでしょう?


 私とベルゼン様は抱き合ったままお部屋に入りました。私としては子供をあやすような感覚でいたものですから、うっかり無警戒に若い男性のお部屋に入ってしまったのです。


 しかしそのままベルゼン様はベッドに向かい、私をベッドに押し倒しました。あれ? あれれれ? 私は流石に動揺しましたけど、私を見下ろすベルゼン様の青い瞳は真剣で、余裕がなく、必死でした。


 その真摯な表情を見てしまうと、私も嫌とは言い出しかねたのと、先ほどちょっと彼の可愛いところを見て気が緩んでいた事もあり……。


 それと初めてまともに見たベルゼン様のお顔立ちがその、意外と美男子だったのにちょっとときめいてしまったのもあり……。


 私とベルゼン様はそのまま一夜を共にしたのでした。


  ◇◇◇


 ……そのまま朝チュンですよ。嵐も過ぎ去り気持ちの良い朝。むっちゃ寝坊です。下級侍女は夜明け前の水汲みからお仕事が始まるんですからね。


 ですけど、誰も私とベルゼン様を起こしに来ませんでした。事情を察せられたからでしょうね。二人とも裸で抱き合ってぐっすりでしたから。つまりこの時点で、私とベルゼン様の間に何が起きたかはお屋敷の皆様にはバレバレだったという事です。


 目を覚ましたベルゼン様は私に平伏しました。土下座です。「と、とんでもないことをした! 許してくれ!」と叫び、泣きながら謝罪して下さいましたね。


 私の方はちょっと展開が早くて何が起こったのか、どういうことなのか、実感が持てずにいました。正直、なんとも感情が動かなかったと言ってよいでしょう。怒りも悲しみも喜びもない。呆然としていましたね。私はベルゼン様の謝罪をぼんやりと受け入れて、服を着てそのままお部屋を出ました。


 侍女部屋に帰ると、下級侍女長が「今日は休んでよろしい」と言って下さいました。私の身に何が起こったのか、もう把握していたのでしょう。私はお言葉に甘えてその日はゆっくりと休みましたよ。


 なんというか、夢でも見ていたか、嵐の妖精に化かされたか、そんな気分でしたね。現実感はさっぱりなく、あの夜の事を考えてもほとんど何も思い出せません。ただ、ベルゼン様のお声は優しかったな、くらいしか。


 ところが、その次の日に私は上級侍女に任命されました。


 突然の昇進に首を傾げる私でしたけど配属がベルゼン様のお世話係になった事で察しました。おそらくベルゼン様のご希望なのだろうと。彼が私を側に置きたがったのです。


 私はここで初めてベルゼン様に嫌悪感を抱きました。手を付けた侍女をお側に侍らせて、ナニをしようというのでしょうね。何を期待しているのでしょうか。每夜毎晩私をベッドに引き込もうとお考えなのでしょうか。そうされても断れませんけど、女としては都合のいいおもちゃにされるような感じがして、あまりいい気分ではありません。


 そう思っていたのですが、上級侍女としてお会いしたベルゼン様は、ご機嫌こそ良さそうでしたが「この間は本当にすまぬ事をした」とまた謝罪を下さって、それからは私を普通の侍女として扱って特別な事は何も求めず何もなさいませんでした。


 元々ベルゼン様は上級侍女(三人が付いていましたが)にはあまり用を言い付けないタイプであるという事で、ご用聞きのためにお部屋の中に侍っている時にもほとんど何もお命じになる事はありません。せいぜいお茶を頼まれるくらいでしたね。着替えやお風呂のお世話はしないで良いとの仰せでした。


 見ていると本当に朝からズーッと本を読んでいるか、絵を描いているかという日が多かったですね。後は従僕とチェスやカードをなさる事もありました。お庭に出てお散歩をなさったり、体操をなさる事もあって、お食事もお酒も普通でした。正直な話、見た感じ思ったより普通の人だなと思いましたよ。


 ただ、どうも大きな音がお嫌いのようでした。何かを従僕が倒してしまい、大きな音が発せられた時には大袈裟なほど飛び上がって驚いていらしゃいましたね。ご自分が大きな声を出すのもお好きではないようで、いつもボソボソとした喋り方をなさいます。


 一ヶ月もするとベルゼン様のご性格や行動はかなり分かってきました。上級侍女には私のような痩せっぽちではなく、グラマーな美女もいましたけど、ベルゼン様が彼女を女として見ている様子はございませんでした。


 上級侍女の集まりで遠回しに聞いたところによると、ベルゼン様が手を付けた侍女は今の所私一人との事でした。ベルセン様は基本的には性には潔癖な方だとの事で、内気な方だから恋人もいらっしゃらないそう。それならあの晩は、雷への恐怖で少しおかしくなっていたのかも知れませんね。


 恐らく私への罪悪感で私を出世させて下さっただけの事で、それ以上の意図はないのでしょう。私はそう考え、それならあの晩の事はなるべく忘れて、ベルゼン様の上級侍女として誠実に仕える事だけを考えよう。それがベルゼン様のお気持ちに報いる道だ、と思っていました。


 ところが、その内そういう訳にもいかなくなったのです。


 ◇◇◇


 ある時期から、私は朝、定時に起きる事が出来なくなりました。


 上級侍女は下級侍女よりは遅いとはいえ、夜明け前には起きて身支度をし、侯爵家の皆様の起床を待つのが当然です。


 しかし私は自分ではとても起きられず、同室の先輩に起こしてもらって、それでも二度寝をしてしまう有様でした。眠い。とにかく眠いのです。


 何度か侍女長に怒られましたが、自分ではどうにもなりません。挙句に熱を出してしまい、私は病人部屋に隔離されてコンコンと眠り続けました。


「エリーセン、どうしたのだ? 大丈夫か?」


 体調が少し良くなった時に御前に出た際には、ベルゼン様は心配して下さいました。私は軽い風邪だと誤魔化しましたけど、この頃から私の頭の中である疑惑が膨らんでいたのです。


 それは、私の母が末の妹を妊娠した時と症状が似ている、という疑惑でした。


 ……心当たりは、ありますね。


 あの日以来三ヶ月は経っております。もしもあの時に妊娠していたのであれば、そろそろ症状が出てきてもおかしくはありません。そういえばあの日以来、月の道が途絶えてもおりました。


 うーん、私は考え込みました。これは一大事です。


 何が一大事かといえばまず、私が未婚である事です。未婚で出産となるとこれは完全に私生児、不義の子を産むという事になります。


 これは一昔前なら神の定めに逆らったとして、死罪か良くても追放罪に問われたような行為です。昨今ではかなり緩くなったとはいえ、恥ずべき行為として糾弾される事は間違い無いでしょう。


 恐らく仕事はクビ。実家も私を守ってはくれますまい。追放されてしまうでしょうね。私は子供を抱えて放浪した挙句、野垂れ死ぬしかなくなるでしょう。


 ……ちょっと待って下さいませ。確かに婚前交渉はよろしくはありませんけども、子供は相手がいなければ出来ない訳ではございませんか。ベルゼン様にも責任がある筈ではございませんか。


 ですけど、ベルゼン様に「貴方の子供が出来たのですけど」と訴える事も慎重に考えなければいけません。


 なにしろ相手は侯爵家のお坊ちゃまです。そんなベルゼン様にとって子爵家の三女で侍女ごとき、どうにでも出来てしまう存在です。


「そんな事は知らぬ。記憶にない」


 と言われたらお終いですし、下手をすれば「事実無根の事デマを言い立てる女」と見做され、それこそ死罪か追放です。


 正直、ベルゼン様のご性格ならそれはないかも知れませんが、お父様である侯爵様や奥様がどう考えるかは分かりません。お二人とも厳しい方ですからね。


 そんな事を考えて私はまごまごしていたのですが、そうこうしている内に次第に悪阻が始まって来てしまいました。食事の席に着くと吐き気がするようになってしまったのです。私は慌てて席を立って部屋に逃げ戻りました。


 これでバレてしまったのでしょう。私は侍女長に呼び出されました。


 私は恐々、侍女長のお部屋に入りますと、侍女長は眼鏡を光らせて言いました。


「ベルゼン様以外と肉体関係を持った覚えはありますか?」


 ……私がベルゼン様と関係を持ったのは知ってるんかーい、とは思いましたけど、知らない訳がないですね。はい。もちろん、他に心当たりなどありません。私はフルフルと首を振りました。


「いいえ。その、あの時だけです。はい」


「まぁ、監視させていましたから、分かってはいましたけどね。確認しただけです」


 は? 私は驚いたのですが、もしも万が一あの時のアレで私が妊娠していた場合、その後に私が他の男と交わると、生まれる子供がベルゼン様のお子と証明出来なくなってしまうから監視していたという事だったのでした。


 侍女長は頷きます。


「分かりました。私に任せておきなさい。悪いようにはしませんよ」


 ……という侍女長とのやり取りがあって三日後、私はハルナッセン侯爵ご夫妻の前に立っていました。


 急展開です。ハルナッセン侯爵は王国の重鎮です。そもそも侯爵とは王様、公爵様の次に偉いご身分なのです。何しろ広い王国に八人しかいらっしゃらないのですよ。


 王族とも強い繋がりがございまして、貴族の中でも別格中の別格な存在なのです。


 お屋敷にお仕えしていても、下級侍女だった頃はほとんどお会いした事すらございません。上級侍女になっても私は引きこもったベルゼン様の所にしかいませんでしたからね。


 侯爵様は畏まる私を無遠慮にジロジロ眺めてフーッとため息を吐きました。


「なんとも。垢抜けない娘ではないか。これにベルゼンが手を出したと? 本当なのかネリエーフ」


 ネリエーフは侍女長の名前です。侍女長は迷いなく頷きました。


「それは間違いありません。私を含め複数で確認致しました」


 私とベルゼン様があの翌朝に裸で寝こけているのを見た、という事でしょうね。


「ベルゼンがねぇ。そういうところはちゃんと男の子だった、という事なのかしら」


 侯爵夫人が呆れたように仰いました。


「で、妊娠は間違いないのかしら?」


「はい。医者もまず間違いなかろうと」


 昨日、医者に診てもらい、診断をもらったのでした。それ以前に明らかに体調不良が酷くて、自分でもこれはもう間違いないかな、と思っていたところです。


「ふむ。それで? ホイスナー子爵家の娘だったか?」


 侯爵様がテーブルの資料に目を落としながら私に尋ねました。どうやら私の事を既に調べさせてあるようです。


「そうです」


「子爵家か……。まぁ、丁度良かったかも知れぬな」


 私は首を傾げます。丁度良いとは?


「ベルゼンは、アレではとても侯爵家は継がせられぬ。どうしようかと思っていたのだが、こういう事情があれば、ベルゼンをホイスナー子爵家の婿にするのに丁度いい口実になるだろう」


 私は驚きます。


「我が家は兄が継ぐ予定ですが……」


「そのまま嫡男が継ぐよりも、本家の侯爵家長男が継ぐ方が、子爵家にとっても良かろう」


 つまりベルゼン様にホイスナー子爵家を継がせるために、お兄様を後継の地位から追おうというのです。


 無茶苦茶ですが、侯爵家の権力があればその程度の事は容易いですし、それに確かにベルゼン様がホイスナー子爵家を継げば、侯爵家との繋がりが強くなって、家にとっても大きな利益になる話なのです。


 いずれにしても私が決められる事ではありませんが……。


「ベルゼン様の廃嫡は決定なのですか?」


 私が言いますと、侯爵様も奥様も少し苦しそうな表情になりました。


「……出仕も出来ぬ有様では仕方がなかろう。どうしようもない」


 侯爵様のお声は苦いものでした。本音では実の息子であるベルゼン様に侯爵家を継がせたいのでしょう。


 私はベルゼン様のご様子を思い出しながら言いました。


「ベルゼン様は少し臆病な所はございますけど、御本をたくさん読んで博識ですし、精神的にも落ち着いていらっしゃるし、絵も上手くて手先も器用です。お仕事を選べば普通に働けると思うのですけど、以前はどのようなお仕事をなさっていたのですか?」


 私が質問した事自体に侯爵様は驚いていらっしゃいましたけど、お答えは下さいました。


「軍務省だ」


 つまり軍隊です。多分いかつい軍人さんが怒鳴り合うような職場なのでしょう。私は呆れて言いました。


「まったくベルゼン様に合うとは思えぬお仕事ではありませんか」


「む……、しかしハルナッセン侯爵家は代々将軍職を輩出する家柄で……」


 私は腹を立てました。


「家の伝統と息子のどちらが大事なのですか。王国のお役に立てる方法は一つではございませんでしょうに」


 侯爵様はうむむ、っと唸って沈黙しましたが、奥様の方は逆に目付きを厳しくしました。


「分かったような事を言うのではありません。貴女があの子の何を知っているというのですか! 控えなさい!」


 そりゃ私はワンナイトしただけの関係で、後は侍女として横から見ていただけですけど。私は無意識にお腹をさすりました。


「一応、あの方はこの子の父親ですから。この子のためにも私だけでもベルゼン様を信じてあげようと思うのです」


 奥様はハッとしたような表情をなさいました。


「母親である奥様も、本当はベルゼン様の事を信じたいと、思っているのではありませんか?」


「わ、私は……」


 奥様が呻くように仰った、その時です。


「エリーセン! 無事か!」


 お部屋のドアを突き破るように開けて、金髪の長身の男性、ベルゼン様が飛び込んで来ました。


 そして私を見るなり、私を抱き寄せると、彼とは思えぬ大きなお声で叫んだのです。


「子供が出来たそうではないか! なぜ私にすぐ言わぬのだ!」


 そういえばまだ彼には何にも言ってませんでしたね。


「私の子であろう? そうであろう? 大丈夫だ! 私が責任を取って君と結婚するからな!」


 結婚? 私はこの瞬間まで、自分がベルゼン様と結婚する可能性なんて考えてもいませんでしたからそれは驚きましたよ。


 ただ、そう言われて、ずいぶんホッとしたのは確かです。私生児を抱えてどうやって生きていこうか悩んでいたのは確かですからね。そういえばさっき、侯爵様が私とベルゼン様を結婚させてホイスナー子爵家を継がせる、と言っていたような……。


「その事だがな、ベルゼン」


 侯爵様がベルゼン様が結婚の事を言い出したのを幸いに、おそらくは先ほどのホイスナー子爵家への婿入り話を始めようとなさいました。


 ですけど、ベルゼン様はそれより早く、侯爵様の鼻に噛みつく勢いで侯爵様に向けて叫びました。


「父上!」


「な、なんだ」


「どこか、職場を紹介してください! なんでもやりますぞ!」


 侯爵様も奥様も目を丸くします。


「し、しかし、お前……。外に出たくないと……」


 ベルゼン様は私を抱き寄せたまま目を輝かせます。


「何を言っているのです。このベルゼン! 夫に! 父親になるのですぞ! そのような事を言っている場合ではございません! 死ぬ気で働きますとも!」


 そしてベルゼン様は私の頭に頬擦りをしながら言いました。


「エリーセン! 君のおかげで目が覚めた! 大丈夫だ! しっかり働いて、私が侯爵家を継いで、君を侯爵夫人にしてみせるからな!」


 えー! とんでもない事を言い出しましたよこの人。侯爵様も奥様も驚愕に口が開いてしまっています。そりゃそうですよね。私が侯爵夫人なんて無理に決まってますでしょう。


 しかしベルゼン様は普段の大人しさをかなぐり捨てて何度も何度も「やるぞ!」と叫んでは私の頬や髪に何度もキスをなさったのでした。


  ◇◇◇


 ……人間、やる気次第でなんとでもなるものなのですね。


 ベルゼン様はすぐに新しい職場に出仕なさるようになりました。文化省です。博物館や美術館を管理し、芸術家を支援したり、芸術学校を運営したりするお役所です。


 侯爵様がベルゼン様の適性を考慮して下さったのでしょうね。おかげでベルゼン様は職場での人間関係も問題ないそうで、楽しそうに仕事をなさっています。家柄的に、将来は文化大臣の地位まで見込まれているそうです。


 立派に王国の為にお仕事をなさっているのですから、廃嫡の話はなしになりました。侯爵様も奥様もこれを大変お喜びになりました。やはり我が子にお家を継がせたいとお考えだったのです。


「エリーセンのおかげだ」


 と何かというと仰って下さいました。私は我が子を想うお二人のお気持ちはベルゼン様に伝わっていたと思うので、何かきっかけが必要だっただけだと思うのですけどね。


 ベルゼン様の廃嫡が無しになったので、私とベルゼン様の結婚も無くなる、筈でした。子爵家の三女と侯爵家長男のベルゼン様が結婚するには、ベルゼン様が廃嫡されてホイスナー子爵家に婿入りするしか方法がない筈でしたからね。


 子爵家三女がハルナッセン侯爵家に嫁入りするなんて無理なのです。私はベルゼン様がバリバリお仕事をするのを見て喜ばしく思いながら、これは私は精々ベルゼン様の愛人が関の山だな、と諦めていたのでした。


 ところが、ベルゼン様は最初から私を侯爵夫人にすることしか考えていませんでした。彼は侯爵様や奥様に「自分が頑張るのはエリーセンと子供のためだ」と何度も強調しました。


 侯爵様にもベルゼン様が突然豹変した理由が私とお腹の子にある事は分かっていて、私と結婚させなければまた元の引き込もりに戻りかねないと危惧していらっしゃいました。侯爵様は息子の社会復帰を喜ぶと同時に、貴賤結婚実現の難しさに頭を抱える事になったのです。


 しかし、侯爵様がご一族や国王陛下、有力貴族に根回しをした結果、なんと私とベルゼン様の結婚が特別に認められてしまったのでした。


 これには廃嫡寸前まで行ったベルゼン様の評価がまだまだ低く、嫁入りしたいと強く希望する高位貴族のご令嬢がいなかった事が幸いしたようでした。


 ちなみに私はベルゼン様にプロポーズされて以降、侯爵邸にお部屋を頂いてお嬢様のように扱われました。まぁ、ぶっちゃけご愛人様扱いでございますね。貴族がお屋敷に愛人を囲うなんてよくある話ですので。


 ベルゼン様はお屋敷にいる時は私のところに入り浸り、私に甘え、妊娠中の私の事を細々気遣って下さいましたよ。基本的に彼はお優しくてマメな人なのです。


 子供が生まれるのを非常に楽しみにしていらして、うっかり出来てしまった子だというのに、全然後悔とか反省した様子はありません。


 私にも愛情を溢れんばかりに示して下さいます。そんなに愛されれば私だって彼への愛情は自然に持つようになったのですが、それにしても始まりが行きずりのワンナイトであるにしては、彼の私への愛情は異常ではありませんか?


 私はその辺の事を彼に聞いた事があります。すると彼は言いました。


「私が雷を怖がった時、他の者は『軟弱だ』と私を叱ったのに、君は叱らなかったであろう? それで私は君に安らぎを覚えたのだ」


 ……将軍になれ、強くなれと言われ続けた反動だったのでしょうかね。実際ベルゼン様は見た目は大柄でがっしりして強そうなのです。でも実は内面は臆病で繊細。皆様にはそれが分からなかったのでしょうね。


 なので彼的には、あの晩に私に好意を持った、惚れたのであって、けしていい加減な気持ちで私を抱いたのではなく、上級侍女に引き上げたのも、その内私に告白するための準備だったのだ、という事でした。


 彼の誠意は分かりましたし、ベルゼン様と侯爵様の尽力で正式に結婚が出来るようになって、私も覚悟を決めました。


 奥様、侯爵夫人、お義母様は言いました。


「まぁ、あのように上位の者にもズケズケと発言出来る度胸は侯爵夫人向きですよ」


 度胸は兎も角子爵家三女では色々足りないところがありましたので、私はお義母様の厳しいお作法その他の教育を受ける羽目になったのでした。


 侯爵家の結婚式は準備に丸一年掛かります。婚礼用具を整えるのにそれくらい掛かってしまうのですね。


 そうすると私とベルゼン様の子供は結婚前に生まれてしまうことになります。しかしそれは如何にも倫理的にまずいですので、子供が生まれても直ぐには公表せず、結婚後半年ぐらい空けてから貴族界に発表するのだそうです。もう私の妊娠は貴族界にバレバレですし、半年でも計算が合わないと思うのですが、いいのでしょうかね。


 それはともかく、月満ちて私は無事に男の子を出産しました。


 見事に未婚の母になってしまった訳ですけど、結婚式をこの四ヶ月後にする予定ですからね。気にしないことに致しましょう。


 この出産、特に男の子が生まれた事を誰より喜んだのは侯爵様、お義父様でしたね。「でかした! この子は私が鍛えて立派な将軍にしてみせる!」と叫んでいました。ベルゼン様の仇を孫で取るつもりなのでしょうか? 長生きしそうですね。


 でも、我が子を抱いて顔をくしゃくしゃにして、涙を流して喜んでいるベルゼン様の体格と、私の度胸が伝われば将軍閣下かもしれませんけど、私の痩せっぽちとベルゼン様のお優しい性格を継いだら芸術家になっちゃうかもしれませんよ、と私は大喜びする侯爵一家を見て思ったのでした。

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