どうかその隣で
『さようなら、旦那様。さようなら、婚約者様。』https://ncode.syosetu.com/n4575ke/の続編になります。
「俺にしとくといい。初期投資はでかいが、その分の働きはする」
いささか窶れてはっきりはしないが、おそらくはまだ三十にもなっていないだろう男が目の前で不敵に笑っていた。自信とその裏に見え隠れする不安を隠すように。
「いいわ。あなたにしましょう」
表情を変えずに彼に応える。自分の方が余裕がないのだと、悟られぬように。
私、キャロライン・グリーンヒルが、侯爵家のエリック・グレートリーを婿に迎えて女伯爵となってから一年が過ぎた。未だ子供を授かった兆候はない。
身体の相性というものもあるだろうし、夫と私のどちらかに欠陥があるのかもしれない。それを確かめるには、他の相手を見繕う必要がある。だが夫に愛人を与える意味はない。重要なのは伯爵である私が子を産むことなのだから。そして今ならまだ、他の男の種で孕んだとしても、夫との間にできた子という処理も可能だ。だがそうするには、夫とかけ離れた特徴を持つ男を選ぶわけにはいかず、彼の髪と目の色が同じ、もしくは近い色合いの男を探すことにした。
それが難航したのは、エリックがいかにも貴族的な色彩の持ち主であったからだ。銀髪に青―――鮮やかなサファイア・ブルーの瞳の持ち主ともなれば、彼の親族か、そうでなければ他家の貴族となる。そんな相手はごめんだ。仕方なくある男を呼び寄せて命じた。この色彩を持った貴族ではない男を探すようにと。
そう命じて二月と経たぬうちに連絡が入ったために、私はお忍びでその場所を訪れていた。王都に店を構える男の元に。その人物の扱う商材は、奴隷である。
「ようこそお越しくださいました、グリ」
「名は出さぬように」
「かしこまりました。ではジェーン様とお呼びいたしましょう。どうぞこちらでご検分を」
奴隷商はある意味、必要悪である。犯罪奴隷、借財奴隷を取り扱うのは需要があるからこそだ。
案内された客室には既に二人の男が待っていた。一人は逃げ出さぬようにするための護衛だろう。鎖をしっかりと持って、商品の後ろに控えていた。
「後ろにおりますのは、私の個人的な奴隷でございます。声を出せぬため、秘密も漏れません。ご安心ください」
すすめられたソファーに腰を下ろし、用意された男を見た。さすがに一流の奴隷商が扱うだけあって、簡素ではあるが身ぎれいにされている。窶れて見えるのは己の境遇への精神的な苦痛によるものだろうか。肩まで伸びた髪は青みのかかった銀色で、夫のものとよく似ていた。
「ジェーン様の出された条件に合う者ですが、王都中心に探しましたが該当する者がおらず、港町でようやくこの者を確保いたしました」
「目の色を確認したいわ。顔をあげて」
私の前で首を垂れていた男がゆっくりと顔をあげ、膝を着かされているために、座っている私からはその顔がよく見えた。
開かれた瞳の色は青みのあるタンザナイト。これはこれで美しい。そしてサファイア・ブルーとは違うものの、そう遠い色でもない。端正な顔立ちに、よく日焼けした肌。細身だが鍛えられた体型。一言で印象を語るならば、色男である。
「よくこんな男を見つけたわね? この容姿であればとっくに買い手はついたでしょうに」
裕福な貴族婦人が喜んで愛玩用として囲いそうだ。色彩と容姿は貴族的でさえあるのに、野性味が滲むのだ。秘められた遊び相手として恰好の存在に見える。
「ついている値段がいささか。貴族のご婦人であっても、ご夫君に内緒で購入するには無理がございまして」
「いくらか聞いてもいいかしら」
告げられた金額は相当のもので、下位貴族の家ならば傾くほどのものだ。これはこの男の借財が上乗せされたからであろう。だが、私ならば払えない金額ではない。
「おまえ、一体何をしたの? 直答を許します。言葉遣いも気にせず話しなさい」
貴族相手に慣れているわけではないだろうに、臆した様子は見られなかった。
「持ち船で他国と貿易をしていたが、嵐にあって荷と船と人のすべてを失ったんだ」
納得の理由だった。海を越えての貿易は成功すれば大きいが、失敗すればこのように我が身すら売り払っても足りない借金を背負うことになる。それでも海へと乗り出して行く者は絶えない。
「そうね。私になら払うことはできるわ。おまえ、私の出した条件を聞いていて?」
「銀髪碧眼で生殖能力のある男なら年齢を問わないと」
「その通りよ。間違いはない?」
「昔の女が子を孕んだことがありますんで」
「その女と子供はどうしたの?」
「子供は流れました。女とは所帯を持つ気がないのを責められて別れました」
「私に買われるのは所帯を持つようなものだけれど、覚悟はあるのかしら?」
「俺は貿易商で船の持ち主でしたから、船乗りたちにも責任がありますんで、そいつらの家族に渡す分も支払ってもらえるんなら」
「問題ないわ。その条件ならば買われてもいい、ということね?」
「ここで買い取ってもらわないと、薹が立っていても男娼として売られるしかないとか。同じブツを持つ野郎にぶち込まれるのは勘弁してもらいたいところなんで」
港町出身で、自身も船に乗り込んだりもしていたらしいので、その発言はいささか下品ですらある。だがこちらの発言への返答も明白で、頭の回転も悪くない。何より、夫とちがって頭に花が咲いていないのを好ましく思ってしまう。
(エリックを基準にすると採点が甘くなるわね)
「ならば、私に自分を売り込んでごらんなさいな」
少し楽しくなってしまったのは否めない。非日常感に浮かれているのだろう。奴隷を買うとか、早々あることではない。
「俺にしとくといい。初期投資はでかいが、その分の働きはする。夜以外でも満足させる自信はある。何より、恩は受けたら返すものだ。俺の一生を掛けても、あんたにそれを返そう」
奴隷契約は双方に呪を刻む。持ち主を決して裏切らぬように。契約は死ぬまで継続するのが普通だが、ごくまれに解放されることだってある。時には死後にも有効な命令を残すこともできるという。
(もし私が先に死んでも、子を守るように命じることもできるということね)
自分を裏切らない相手というのは、これ程までに安心できるものなのか。もっと早くに手を打っておいても良かった気さえした。
托卵すると決めた後も、相手をどうするかは悩みどころだった。外部の干渉を避けたいために身内—――親族や側近から選ぶことも考えた。
夫の色は難しくとも、私の色である黒髪に緑の目は親族に多い。けれど既に妻帯している者がほとんどであったので、各家庭を壊したくはなかった。親族間の協力はどうしても必要だから、余計な火の粉は不要だ。
側近であれば、仕事を続けさせるのが優先である。代々我が家に仕えて来た家系の者が多く、そこには信頼があった。しかし関係を持つことで他の側近と差が出ることを避けたい上に、下手に増長させるわけにもいかない。あくまでも側近は使用人である。
では、私の命に逆らえぬ平民を召し上げる? 貴族に仕えることを知っている相手でないと厳しいだろう。ある程度教養もあり、粗野でない男でなければ、臥所を共にするなど考えたくもない。
それに何より、私や夫とは違う色を持つ子供が生まれるのは避けたかった。外聞が悪すぎる。かと言って、婿として貰い受けた夫の息の根を止めて、新たな夫を得るのも気が進まなかった。
ならばこそ、まったく縁もゆかりもない奴隷を囲う方が精神的な苦痛も少ないと判断したのだ。大手の奴隷商であれば、伝手も広い。夫と似た色彩の持ち主を探すとすれば彼らの方が慣れて優れているだろう。また貴族夫人の趣向を知る彼らであれば、それほど酷い相手は寄越さないはずという計算もある。多少の出費は経費と考えれば良い。何しろ、夫用に確保してある予算はほとんど使われていないのだから。
いくつも言い訳を並べてみたところで、かなり乗り気になっているのは、単純に差し出された男が魅力的であったからだろう。
家のためと自分に言い聞かせたところで、実際に、親子ほど年齢が離れているとか、妻帯者だとか、不器量な者を相手とするのは嫌悪しかない。絶対に嫌だ。どうせ飼うのであれば見目が良いに越したことはないと思うあたり、自分の甘さに苦笑するばかりだ。これでは本当に顔の良い男を侍らせて愛人にし、孤独を慰める貴族夫人と何ら変わりはない。
(いえ。彼女たちと私も同じなのかもしれないわね)
政略で結ばれた愛のない結婚。互いに関心はなく、義務を果たした後に許される偽りの愛に縋る。そんな彼女たちを軽蔑していたはずなのに、結局のところ私もまた同じところに行き着くのだろう。
「いいわ。あなたにしましょう」
気に入らなければまた新たに贖えばよいだけのことだ。そう、彼女たちのように。きっと罪悪感などそのうちにすり減ってしまうのだから。
自虐的な思考に陥りながらも、その男を買い上げ、伯爵領に連れ帰った。
磨き上げ衣服を整えてやれば、随分と見栄えもする。年齢も予想よりも若く、まだ二十七歳だと言う。窶れた雰囲気が払拭されれば、成程、年齢相応の姿だ。
彼にとって私は借財を肩代わりして高額で買い取った主人でしかない。きっと偽りの甘い言葉を囁かれるのだろうと予想していた最初の夜。閨では対等でありたいと言うのでそれを許した。天蓋に遮られて世界に二人だけになったかのように錯覚する場所で。気付けば逞しい胸元に抱きしめられていた。
「キャロライン、あんたの事情は聞いた。旦那の様子も見させてもらった。
正直、俺には貴族の生き方は分からないが、あんたが必死に伯爵家を守ろうとしていることは分かる。ずっと肩肘張って、弱みを見せないように生きて来たんだろう。それは俺が商売相手にしてきたのと、そう変わらないはずだ。俺はすべてを失ったが、あんたは今も守り続けている。この細い肩で。誰にも頼らないで。
俺はあんたを尊敬する。だから、遊びで女を口説くような薄くて軽い言葉なんて使わない。その代わり、全力であんたを受け止める。クソな夫への文句をぶつけたっていい。誰にも言えない泣き言だって聞いてやる。俺はあんたの所有物なんだから、素直になっていいんだ。
奔放な港町の女と違って、貞淑であれ、とか育って。普通に夫婦にもなれずに無理やり身体だけ繋げて。傷つかなかったはず、ないよな? 怖かっただろう? 嫌だったろう? 泣きわめいて逃げ出したかっただろう? そんなんはさ、寝たうちに入らねーんだよ。
だから、こうやってお互いの体温を感じるとこから始めよう。言っとくが、俺は不能じゃないし、あんたはこれまで俺が見て来た中で一番きれいだから、その気になるのは簡単だ。でもそれが傷ついてる女にしていいことじゃないって事は分かるから。あんたが俺を受け入れてもいいと思うまで、ゆっくり時間かけていこう。子供なんて焦ったらできるってもんでもない。今日でなくとも明日でなくとも構わないんだ。さすがに何か月も何年も、てなると俺に厳しいけどな」
宥めるように背を叩かれ、髪を撫でられて。薄い夜衣越しに伝わる人肌のぬくもりが沁みて、沁みて。声にもならない涙が次から次へと溢れて。そうして泣きつかれて眠ってしまうまで、彼は私を放さずにいてくれた。
結局のところ、私は数年のうちに彼を奴隷から解放していた。
宥められ、触れて、溶け合って。ゆるやかに交じり合ううちに互いに抱く感情が変化していく。その感情が、隷属の呪によるものだと欠片も思いたくなくて。
解呪の後も、変わらず彼は私の側にいる。子を授かったから自由にしていいと告げても、彼は去らずにいてくれた。
名を捨てたという彼を私はエリックと呼ぶ。細々と邸の奥で命だけ繋いでいる夫の名前で。そうして記憶と感情を上書きすることも彼は許してくれた。
海上の激しい日差しに晒されることがなくなったせいか、彼の肌は次第に白くなり、周囲に感化されてその挙動も言動も少しずつ洗練されたものへとなっていく。堂々と私に、子供たちに寄り添う彼のことを、いつしか誰もが私の夫だと疑わなくなった。伯爵領の内にある限り、自由に振る舞う彼こそが夫だと、私すらもう、そうとしか思えなくなって。
そこには偽りもない。彼の名はエリック。如何なる姓も語ることがないのだから。
前作で私の中では終わった話だったのですが、頂いた感想を読んで返信しているうちに、なんか書けてしまったので。
自分でも最初は側近あたりとくっついて……とか思っていたのですが、お互い仕事を続けるならば良い選択ではないなと思いまして。気が付いたら奴隷商にいたという。そして「え、これ、買うの!?」って思った相手がお買い得だったというお話。容姿から分かるように何代か前に貴族の血が入ってはいるようです。