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桐生可憐は大嘘つき

 人は、あまりに美しいものを見ると、逆に近寄りがたいと感じるらしい。


 たとえば――クラスの隅で一人、本を読む彼女のように。


 月の光を閉じ込めたような青白い肌、夜の闇より深い黒髪が制服の肩にしなやかに流れる。


 俺は彼女を一瞥して、そっと伊達メガネを押し上げる。このメガネは「優等生キャラ」を作るための演出――それも、周囲に無用な突っ込みをさせないための防壁みたいなものだ。


そんな俺に、担任が唐突にこう言ったとき、耳を疑った。


「頼む、彼女と一緒にクラス委員をやってくれ」


「……彼女、って誰です?」


桐生可憐きりゅうかれんだ」


 180センチ以上の身長に、目鼻立ちが整った小顔。雑誌モデルのような存在感は、異世界から来たような圧倒的なオーラを放つ、校内では有名な女子高生。それが桐生可憐。


「お前ならうまくやれるだろう? みんなから頼りにされているし、な」


 他人の期待に応えるのは、面倒を回避する最善策だ。だから俺は断らない。今日も「穏やかな優等生」として、教師のお願いにこう答える。


「……わかりました」



☆ ☆ ☆



 放課後。教室には俺と、桐生可憐だけが残っていた。


 彼女は窓際の席に座り、無言で本を開いている。机の上にはいつもと同じ牛乳。完璧に孤立していて、誰も近づかないことが日常になっている。


 「桐生さん、ちょっといいですか?」


……無反応。


「えっと、委員長の仕事、分担を決めたいんだけど」


 やっぱり無反応。こいつは本当は人形なんじゃないか?


「聞いてますか――」


 さすがにカチンときて、軽くメガネを押し直しながらもう一度声をかけた。


「無視するなよ。俺だって好きで話しかけてるわけじゃないんだ」


 その言葉に、彼女の指が止まった。


 ゆっくりと顔が上がり、大きなグレーの瞳が、初めて俺を見た。


――冷たい視線だ。そして唐突に、心の底から気怠そうに、彼女が言った。


「キミは、私のことに興味がなくなり、話しかけなくなる」


……何だそれは。予言か?


「いや、ならないけど?」


「なるわ」


「ならない」


「なる」


 まるで子供の口喧嘩だが、彼女は真顔だ。


 それから無言で教室を出て行った。呆気にとられながら「……委員長の仕事、どうすんだよ」と無能な教師を恨む。



☆ ☆ ☆



 翌朝、いつものように教室に入ると、あいつがそこにいた。AIのような感情の見えない顔で、窓の外を眺めている。俺は自然に彼女の隣を通り、口を開いた。


「おはよう、桐生さん」


 その瞬間、彼女は飛び上がる勢いでこちらを向いた。


――目が丸い。口もぽかんと開いている。


 無表情がデフォルトの彼女が、感情を浮かべる姿を、俺は初めて見た。


「……なんで」


「何が『なんで』なんだ?」


「どうして……まだ話しかけるの?」


 俺は肩をすくめる。


「挨拶だろ。普通のクラスメイトにな」


 彼女はしばらく黙った後、小声で囁くように言う。


「……キミは……、普通じゃない」


――何が普通じゃないんだ?


 挨拶が? それとも、俺自身が?


 その日から、桐生可憐の様子がおかしくなった。ふとした瞬間に、視線を感じる。授業中も、廊下でも、図書室でも。


 観察されているのか? いや、気のせいだろう。そう思おうとした矢先、彼女と目が合った。が、すぐに目を逸らす。


「……まったく、面倒なことになったな」



☆ ☆ ☆



 音楽室に向かっているときだった。


 桐生可憐は唐突に、俺の前に立ちふさがった。その高い身長から見下ろしながら、無機質な声色で、謎の言葉を告げる。


「キミはバナナの皮を踏んで、滑って転んで、お尻を打つ」


 ――は?


 なんだそれは。ついに頭がどうかしたのか。


「いや、転ばないけど?」


「……そう」


 彼女は呟くと、今度は廊下の角を曲がる俺の目の前に――置いた。


 バナナの皮を。


「おまえ、これ何だよ?」


「バナナの皮」


「見れば分かるわ」


「転ぶ、はず」


「転ばねえよ!」


 彼女はじっと俺の足元を凝視している。相変わらず何を考えているか表情からは読めない。


 もちろん俺は、冷静にまたいで進んだ。


「ほら、な?」


「……」


 バナナの皮の横で、桐生は凍り付いたように立ち尽くしていた。



☆ ☆ ☆



 それからも彼女の「奇行」は続いた。


「キミの頭は鈍器でヘコむの」


 そう言い残し、放課後の教室。


 ドアを開けると、タライが降ってきた。


「おい、やめろ!」


 俺はとっさに身を引いて、間一髪で避ける。タライは鈍い音を立てて足元に転がった。


「おまえはいったい何がしたいんだ?」


 彼女は幽霊を見るような青ざめた顔で、こう言った。


「キミこそ、いったい何者なの? どうして私のウソが平気なの?」


 俺が問い返す間もなく、彼女は長いスカートを翻し、教室から逃げるように去っていった。



☆ ☆ ☆



 そして、事件が起こった。


 体育館の用具室――俺はひとり、委員長の仕事としてボールやマットを整理していた。


「ねえ、君。ちょっといい?」


 振り向くと、そこには三つ編みのポニーテールが揺れ、無邪気な笑顔が浮かんでいた。


 明るい茶色の髪に、くりっとした瞳。同じクラスの――篠宮凪沙しのみや なぎさ


「……何の用だ?」


「ちょっとお話したかっただけ♪」


 ノリは軽いが、その笑顔は妙にぴったりと張り付いている。俺は反射的に、後ずさった。


「悪いが、遠慮しておく。用事があるから……」


「えー、そんなこと言わないでさ!」


 一瞬で俺との間合いを詰め、顔を近づけてきた。こいつの距離感はバグってるのか?


「……悪い、ちょっと片付けが残って――」


 逃げようとする俺の腕を、凪沙の手が掴んだ。


 そして――


「えいっ!」


 俺を奥へと押しやり、ドアを勢いよく閉めた。


 ガチャリ――。


 おもむろに彼女は、何故か少しずつ制服のボタンを外していく。


「ストップ! そこで止まれ! 何がしたいんだ、おまえ!」


「ねえ、私のこと……ちゃんと見てよ」


 笑顔が消えた凪沙は、瞳が潤み、唇がわずかに震えていた。


「お願い……私はあなたを知らなくちゃいけないの」


「……何を言ってるんだ?」


「でないと――私は、可憐ちゃんに消されるの!」


 その名前が出た瞬間、空気が凍った。俺の頭は混乱したまま、凪沙を見つめる。


「……どういうことだ、それ」


 凪沙の服を掴む手は揺れて、シャツの隙間から、白い肌と鎖骨がゆっくりと露わになる。


「待て、待て、待て! 俺を犯罪者にする気か!」


 全力で用具室のドアに突進して外に飛び出し、俺は逃げるように走り去った。



☆ ☆ ☆



 その日から、篠宮凪沙が消えた。誰も、三つ編みの彼女のことを覚えていなかった。


「桐生可憐に消される」――その言葉が、何度も頭の中で反響する。


 自慢じゃないが、この俺に分からないことはほとんど無い。かつては神童と呼ばれていた時もあった。問題はいつも、解くべきものだ。


――それが俺の、変えようのない性分だ。


 俺は手がかりを求めて担任を訪ねた。彼女はあっさりと凪沙の住所を教えてくれた。あまりにも簡単に住んでいる場所のメモを渡してきたその対応が、かえって不気味に思えた。



☆ ☆ ☆



 翌日、俺は隣町に住むその住所を訪ねた。住宅地にある古びたアパート。錆びた階段を上がり、指定された部屋のドアをノックする。


「……はい」


 ドアの向こうから、小さな声がした。


 やがて現れたのは、間違いなく篠宮凪沙だった。


 以前は明るく人懐っこかった彼女が、今はどこか怯えたようにうつむき、影を背負っている。茶色の髪はやや乱れ、三つ編みは結び目がゆるんで崩れかけている。


「あなたは、誰……?」


 彼女が弱々しい声で問いかける。


「俺だ。クラスメイトだった、覚えてないのか?」


 俺は手に持っていたスマホの桐生可憐の写真を見せる。


「この子を覚えてるだろう? 桐生可憐――おまえと何か関係があるはずだ」


 その瞬間、彼女の顔が青ざめた。


「知らない……分からないの……」


 写真を見るのを拒むように、視線を逸らした。


 だが、俺は諦めない。


「篠宮、何か知っていることがあったら教えてくれ。可憐は――おまえに何をしたんだ?」


「お願い……もう帰って……」


 泣きそうな声で彼女は続ける。


「私は、私が分からないの……」


 ぽつぽつと涙が溢れ、全身が小刻みに震えていた。


 俺の問いかけに答えるどころか、彼女自身、自分の存在が揺らいでいるようだった。


「おまえたちは……いったい何なんだ?」


 俺は答えの見えないまま、桐生可憐の闇に引き寄せられていくのを感じた――。



☆ ☆ ☆



 俺は桐生可憐に会う必要があった。


 これ以上考えても堂々巡りになる。だから俺は正面から、彼女と対峙すると決めた。


「桐生可憐さんへ。伝えたいことがあり、話をしたいので、放課後に屋上に来てください」


 可愛い妹にもらった便箋に書き、彼女の下駄箱に入れた。



☆ ☆ ☆



 そして翌日――。


 俺が屋上に着くと、すでに彼女はそこにいた。


「よお、元気みたいだな」


 そう声をかけると、桐生可憐はくるりと振り向き、相変わらず無表情のまま言った。


「……まさか、こんなベタな告白をされるとは思わなかったわ」


「――は? ちょっと待て、なんでそんなことになっている?」


「ハート模様のピンクの紙に、わざわざ『屋上で話しをしたい』なんて書いてあったわ。恋文以外に考えられない」


「断じて違う! そんな色恋沙汰じゃない! おまえに聞きたいことがあるんだよ!」


「……それなら最初からそう言えばいいじゃない」


 淡々とした口調。彼女の細く長い指が、髪を耳にかける。


「おまえ、凪沙のことをどうした? あいつが消えたんだ。おまえが関わっているんだろ?」


「……知らない」


 嘘だ。今の一瞬の間――何かを隠している。


「あいつの言った『消される』って、どういう意味だ?」


 俺が詰め寄ると、彼女は目を伏せ、苛立ちを隠せない声で言う。


「……キミには、関係ない」


「関係なくないだろう! あいつは――」


 その瞬間、彼女が俺を睨んだ。淡いグレーの瞳には、怒りの色が浮かんでいる。


「もう、うるさい!」


 風が止んだ。空気が、ピリッと張り詰める。


「わかったわ。あなたに私の、力を見せてあげる」


 その言葉に不安が走る。


 彼女は俺に背を向け、屋上のフェンスの向こう、広い空を指さす。


「今から、地球を侵略しに来たUFOがやってくるわ」


「――は?」


 俺は耳を疑った。こいつ、一体何を言い出すつもりなんだ?


「ほら、見てなさい。すぐにわかるわ」


 風が再び吹き抜ける中、俺は彼女の背中をじっと見つめていた――。


 しかし、何も起こらない…。


「おまえ、なにを言っているんだ…?」


「え? あれ、ちょっと、これじゃ私がバカみたいじゃない!」


 クールな彼女はどこにいったのか、顔を真っ赤に染めて、地団駄を踏んでいる。


「キミがいると、調子が狂う! ちょっと待ってて!」


 言うなり、彼女は制服のスカートを揺らしながら屋上の階段に走り出した。


――そして三分後。


 桐生可憐は汗だくになって戻ってきた。


「――地球を侵略しに来たUFOが、今からやってくるから!」


 なんだこの茶番は…。


 呆れを通り越して、半笑いになった――次の瞬間、空が暗くなった。


「え?」


 俺は反射的にメガネを押さえ、空を見上げた。目に飛び込んできたのは、信じられない光景。


 空一面を覆い尽くすほど巨大なUFOが、本当に出現していたのだ。


「嘘だろ……」


 遠くで悲鳴が聞こえた。校庭にいた生徒たちが逃げ惑っている。


「おまえ、何をしたんだ!」


「だから言ったでしょう? 私の力を見せるって」


 汗で乱れた前髪をかき上げ、彼女は得意げに言う。


「これはおまえの仕業なのか? 地球を滅ぼすつもりなのか!」


「うるさいわね。今、戻すから待ってて」


 そう言いながら、彼女は再び空に向かって呟いた。


「さっきのUFOは――」


 なにかゴニョゴニョと言った後、動きを止めた。


「……なんで?」


 彼女の顔に動揺が走る。


 しばらく考えたあと、真っ青な表情で、俺を見つめた。


「そうだ…。たぶん、キミがいるからだ…。力が……使えない」


――その瞬間、UFOが地上に向けて光線を放ち、校庭が爆発した。


「うわああああ!」


 煙と炎が上がり、生徒たちの悲鳴が辺りに響く。


 桐生可憐が、俺の胸倉を掴んで叫んだ。


「お願い、そこをどいて! あなたがいると、私の力が使えない!」


「そんなこと言われても――!」


 さらに、UFOから再び光線が、校舎に向けて放たれた。


 爆発音が俺の耳を揺らし、視界が揺れる。


――その瞬間、俺は反射的に桐生可憐を突き飛ばし、彼女の前に立った。


「危ない!」


 視界が白く染まる。


 全身が衝撃に包まれ――意識が途切れた。


……薄れゆく意識の中、彼女の声だけが聞こえた。


「どうして……私なんかを、かばうのよ」


 泣いてるような、声だった。そして、世界は静寂に包まれた――。



☆ ☆ ☆



 気がついた時、俺は屋上で倒れていた。頭がズキズキと痛む。


「……なんだ、これは……」


 仰向けのまま空を見つめて呟いた。あの巨大なUFOは、影も形もなく消えていた。


 あたりを見渡すと、炎も煙もない。最初から何もなかったかのように元通りだ。


「……どういうことだ」


 そのとき、隣に座る人影に気づいた。桐生可憐だ。


 「おまえ……本当に消したのか? どうやって?」


「ウソを取り消しただけよ」


 彼女はポツリと呟く。


「私のウソは、現実になる。でも、私が本気で望めば、なかったことにすることもできる」


「……意味がわからない」


「私もよ」


 長いまつげが伏せられ、顔には影が落ちる。


「……キミ、なんで私をかばったの?」


 唐突な問いに、俺は目を丸くした。


 彼女はふいに顔を上げ、じっと俺を見つめる。


「私なんか、どうでもいいはずでしょう?」


 どうでもいい――確かにそうかもしれない。


「そんなこと、俺にも分かねーよ…」


「……馬鹿ね」


 疲れ切っている彼女から、普段の凍てつくようなオーラは消えていた。


俺はそこで問い詰めた。


「おまえは一体、何者なんだ……?」


 しばらく沈黙した後、ぽつりぽつりと話し始めた。


「私は――貧乏で、惨めな家で育ったの」


 桐生可憐の語る過去は、思い描いていた彼女のイメージとは正反対だった。


 喧嘩ばかりする両親。泣き叫ぶ日々。掃除もされず、荒れ果てた家。幼い彼女の目には、世界がどれほど恐ろしく、絶望的に映っていたのだろうか。


 そうして彼女は、どうにかしてその世界を変えたくて、ある日、嘘をつき始めた。


「『お父さんとお母さんは仲良しよ』って言ったら、二人が本当に笑ってくれたの」


 その瞬間から、彼女の「ウソ」は現実になった。


「ウソをつけば、全部が私の思い通りになった。家は豪華な一軒家になって、服も綺麗になって、私はみんなの人気者になったの」


 だが、幸せだったのは最初だけ。


「……気持ち悪かったわ。全部が偽物で、誰も本当の私を見てくれない。あれだけ仲の良かった凪沙も、私の言いなりで、ロボットみたいになって……」


 そして彼女は心を閉ざした。


「だから誰とも関わりたくなかった。だって――」


 彼女の声がかすれ、俯いたその顔を、長い黒髪が覆い隠した。


「ウソをつくたびに、自分が消えていく気がする」


 細い指が髪を掴み、乱雑にかきむしる。


「偽物ばかりの世界で、どうやって生きればいいの?」


 今にも泣きそうな顔で、彼女は俺を見つめた。


「どこまでが私で、どこまでが作られた私なのか……もう、何も分からない」


 彼女は震える肩を抱え込むようにして背中を丸めた。


 その姿は俺の知る、あの「桐生可憐」とはまるで別人だった。


「……ねえ、どうして。私は、どうして、こんなことになったの?」


 まるで懺悔のようだと俺は思った。


「……おまえの言う『ウソ』ってのは、全部現実になるわけか」


「そうよ。……でも、あなたには通じないみたいね」


 桐生可憐は俺をじっと見つめる。


「どうして? どうして、あなたには私のウソが効かないの?」


――どうしてか。俺は少し黙り込み、答えを探す。


 そして、ふと気づいた。


「……多分な。俺は――誰も信用していないからだ」


「誰も、信用を、しない……?」


 彼女の目が驚き、呆気にとられた口がパクパクと動く。


 誰だこいつを人形だなんて言ったやつ。そういえば最初らへんから感情表現が豊かだったな。


「俺は誰の言葉も、心の底から信じたことがない。……人の話なんて、聞いているようで聞いてないんだよ。IQ300の俺にとって、人との会話なんて意味をなさないからな」


 こんなことを人に話したのは初めてで、無意識に笑ってしまった。


 昔のことを思い出し、俺は話した。幼い頃から、知能が高すぎたこと。


――俺は、他の人間と会話がかみ合わない。


 興味の方向が違う。話の速度が違う。相手が何を言いたいのか、何を考えているのか――わかりすぎてしまう。周囲が俺を天才だと持ち上げるが、俺は狂いそうなほど息苦しかった。


――だからだ。俺は「普通」を装おうと高校に上がったときに決めた。


 目立たない成績、誰にでも優しく接する真面目キャラ、無害な優等生――そうして今の俺が出来上がった。


 つまり、俺は、他人を信じない。


「……そんな」


「だから、おまえのウソとやらも、俺には通じないんだ」


 嘘まみれの彼女と、誰も信じない俺。


 奇妙なバランスだが、それが答えだった。


「なあ、桐生。おまえが今ついているウソって、どれくらいあるんだ?」


「……ほとんど全部」


 叱られている子どものように、唇をとがらせて答える。


「テストの点数、宿題、美術、家庭科、出席日数、凪沙……友達のこと――全部、ウソ」


 声が徐々に小さくなる。


「まさか、おまえの存在まで嘘じゃないよな?」


「自分自身に、ウソはつかないわ……」


 俺は溜息をついた。その後、辻褄を合わせるため、できるだけ詳細に彼女の嘘について確認をしたが、学校のこと全てじゃないか。


 きっとこいつは悪いやつじゃないが、バカなんだろう……と思う。


「なら、全部リセットしろ。もう一度やり直せ。それしかないだろ」


「そんなこと……できない! できるわけない!」


 唇を噛みしめ、拳を膝の上でぎゅっと握り込み、感情が露わになっていく。


「できるだろう、おまえなら」


 俺は真っ直ぐ彼女を見つめる。


「その代わり――俺と友達になれ。」


「……なんで?」


 目を大きく見開き、何度もまばたきを繰り返す。


 言ってる意味が分からない、と顔に書いてあるようだ。


「どうせ俺は誰も信じない。おまえがウソをつこうがつくまいが、俺には関係ない」


「……くだらない」


 その一言を放った後、彼女は目を伏せ、もう一度膝を抱え込んだ。長い指先が制服のスカートの裾を掴み、ぎゅっと引き寄せている。


「桐生可憐、おまえは、ずっと寂しかったんだろ? 話し相手が欲しかったんだろ?」


 一呼吸おいて、俺はとどめの言葉を言う。


「話したことが現実になることに怯えて、ずっと一人でいたんだろ?」


 彼女の潤んだ瞳孔が、まっすぐに俺を捉えた。


「……キミは、それで良いの?」


「おまえに世界を滅ぼされるよりマシだ。俺の世界の平穏のためだよ」


 しばらく彼女は黙っていたが、やがて諦めたように頷いた。


「……わかったわ」と言い、屋上の柵にもたれかかるように座り込んだ。


 夕陽に照らされて、黒い髪がオレンジ色に輝いている。その物憂げな表情は、映画のワンシーンのようで、いつか夢で見そうだと思った。


「……ねえ、これからも、普通の話……してくれる?」


「別に構わないさ」


 それを聞くと、彼女は屋上の階段へ向かった。


 夕陽に背を向ける彼女のシルエットが、やけに小さく見えたのは気のせいだろうか。



☆ ☆ ☆



 次の日、桐生可憐は学校に現れた――が。


 教室に入ると、いつものように窓際の席に座っていた。


 だが、何かが違う。椅子に座っているのに、やけに体が小さく見える。歩み寄って視線を合わせた瞬間、思わず言葉が漏れた。


「……おまえ、縮んでないか?」


 そこにいたのは、小学生ぐらいの大きさの彼女だった。


 以前はスラリとしたモデルのような長身で、180センチ以上ありそうな高さが自然と目を引いていたはずだ。


 それが今、どう見ても140センチ程度の背丈に縮んでいる。


 驚きのあまりまじまじと見つめると、桐生可憐は小さな体でこちらを見上げた。


 細い首を傾け、何か言いたげに眉間に皺を寄せる。


 その表情には微かな恥じらいと苛立ちが混ざり、不機嫌そうに口を開いた。


「これは……成長期の一時的なものよ!」


 無理にでも堂々としていたいという意地が感じられ、よけい幼く見える。


 俺はその場に立ち尽くしながら、あまりにも唐突な状況に頭を抱えた。


 だから牛乳ばかり飲んでいやがったのか。


「おまえ……、もう他にウソはないと言っていたのに、この大嘘つき!」


 突拍子もない現実を目の当たりにした俺の口から、そんな言葉が飛び出してしまった。


「これから大丈夫なんだろうな、おまえ」


「……それはどうかしら」


 その小さな唇の端が、かすかに上がる。


 ほんの一瞬だけ、彼女が笑ったように見えた――のは気のせいかもしれない。


 こうして俺と彼女の、嘘と現実の、奇妙な日常が始まったのだった。

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