ウィオレンティアちゃん思い出す
若年性健忘症かな
裏切り――それは何もヒューマンの専売特許というわけではない。
獣も魔物も、そして脳みそカラカラのゴブガリでさえも、ときに裏切り、その牙をかつての主に向ける。
ワガママ、乱暴、ゴブでなし、レイプしてやる!
彼の後ろに付き従う同胞――いや、元同胞たちは、私を指差し口々に罵ってくる。最後の方は罵声というより犯行予告になっていたが、いずれにせよ、私が彼らからの信望を失ったことに変わりはない。
「ゴブリンを……同胞をモノのように扱う。そんなあなたに皆、失望したんですよ」
穏やかに語る声、そこに宿るのは知性――ゴブガリが持ち得ないはずの知性だ。
「お前が操っているんだろう」
「いいえ、これは彼らの意思です。彼らは自らの意思で、あなたではなく私を選んだ。ゴブリンたちは、あなたに代わる指導者として私を求めたのです」
「お前……いったい何者だ」
尋ねる私に彼は答えた。
「私は反逆者、凡庸なる神に抗う者です」
この同胞たちの反乱から、時はわずかに遡る。
ハゲ村に侵入した私は、部下たちを敵の群れに突っ込ませ、一人のんびり敵の親玉――グレゴールくんを探していた。
「あそこかな?」
目についたのはちょっとお洒落な建物。
これは以前の村にはなかったものだ。屋根のてっぺんにはバッテンみたいな飾りが付いていて、全体的に白く、何だかカクカクしている。
「きょうかい」ってやつかな。
私はその建物がハブラシの住処なのだと気づいた。だがここにヤツは居ないようだ。村には来ていないのか、あるいは出ていったのか、どちらにせよ、ここに神と呼ばれるほどの強者は存在しない。ただ何者かの気配はあった。わずかだが圧力のようなものを感じる。私はこの感覚におぼえがあった。
これは、あの力だ。
イル……クルクスが生み出した力。外から持ち込まれたものではない。この世界で生まれ、育まれた、劣等種たちのオリジナル。
「そうか、グレゴールくんはあれを使うのか」
私のなかに喜びが湧きあがった。それと同時に私は忘れていたいくつかのことを思い出した。
思えば私は多くのことを忘れている。さっきまでは忘れていたことさえ忘れていた。私はイルクルクスを知っている。トカゲも、フヨフヨも、ギガたんも知っている。けれども、彼らといつ、どこで出会い、何をしたのか、それを憶えていないのだ。
グレゴールくんに会えば、もっと色々思い出せるかな。
建物のなかから滲み出る力は、魔力に違いなかった。
劣等種たちがつくりあげた、神に抗うための、神を殺すための力。聖なる神に反するが故に、彼らはそれを「魔力」と呼んだのだ。
その力は、お前たちにとってのヤドリギとなるだろう。
誰かが昔そんなことを言っていた。いや違う、誰かではない。
私だ。
私が彼らに言ったのだ。神を倒さんとする彼らに向かって、神である私がそう言ったのだ。
「なんか変だな。それに……ヤドリギって、なんだっけ」
考え込む私の前では、ゴブガリたちが凄惨な殺し合いを演じている。考えてみればこれもおかしい。彼らは本来、こんな性質ではなかったはずだ。
《《ゴブリン》》というのは、もっと可愛くて、親しみやすい感じの――
「……うーん、めっちゃ殺してるし、めっちゃレイプしてるなあ」
そこには、可愛さの欠片もない怪物の姿があった。
何かがおかしい、何かが間違っている。私は灰色の脳細胞に血液を巡らせ、思考の海にその身を投じる。
「緑色で、ちっこくて、耳が大きい……」
記憶のなかのそれと眼前の荒ぶるレイプ兵器。その見た目、身体的特徴は完全に一致している。
「好きなものはレイプと弱いものイジメ、ヒューマンとは仲が悪くて、いっつも殺し合っている」
自ら口にした当然とも思える事実、私はそこに奇妙な違和感を覚えていた。
「違う、ゴブガリは……」
――悪戯好きの可愛い妖精、そして人の良き隣人。
私の言葉につづくように、胸の奥から声が響いた。平坦で無機質な、私のものであって私のものではない声。
これは、妖精さん?
首を傾げる私の脳裏に、人とゴブガリが手を取り笑い合う気色の悪い光景が浮かんだ。妄想にしてはあまりにリアルな脳内ビジョン、もしやこれは、私の古い記憶だろうか。
「これが……本当の、ゴブガリ?」
ならば、淫猥、不潔、不道徳――あらゆるマイナスイメージを詰め込んだあの物体はなんだ。
よく似た別の生き物だろうか。
「ありえない」
あれは間違いなくゴブガリだ。あんな緑色の低能クリーチャー、他に存在するはずがない。
「ゴブガリが……変質したというのか」
変質者だけに……
動揺する私は、せっかく思いついたおもしろジョークに笑うことも出来ず、返り血で染まった《《教会》》の壁と荒れ狂うレイパーたちをただ茫然と眺めていた。
これはいけない感じだ。
どうやら私のメンタルは、ちょっぴりダメージを受けているらしい。
「……ゴブリエル、ちょっとこっち来て」
一刻も早く、乱れた精神を安定させなければならない。私は心の平穏とストレスのはけ口を求めて、近くを全裸で徘徊していたゴブガリ――ゴブリエルを呼び止めた。
「腰巻きはむやみに外すな。私は、そう言ったよね」
私の低く冷たい声に、ゴブリエルのきんたまがブルンと震える。
「なんでちんこ出してんのかって聞いてんの。自分で出だしたんでしょ、それ」
私の考える最も効果的なストレス解消法は、他者を精神的に追い詰め、泣きべそをかかせることだ。
「ていうかさ、恥ずかしくないの? そんな粗末なちんこ晒して。知らないかもしれないけど、みんな陰で笑ってるんだよ。『ゴブリエル、マジちんこ小さい』って」
ゴブリエルは黙ってうつむき、首を小さく横に振った。いつの間にか彼の両手は粗末なイチモツを隠すように股間の前で重ねられている。
「なに隠してんの? さっきまで堂々と見せてたじゃん。恥ずかしくないんでしょ? そのちっこいちんこ」
私はゴブリエルのほっぺをペチペチ叩き、蔑みの目を股間に向ける。その冷ややかな眼差しを受けて、ついにゴブリエルはシクシクメソメソ泣き出した。
フヒ、泣き顔、超不細工。
「泣いても大きくならないぞ!」
調子の出てきた私は、もう一度ゴブリエルをからかってやろうと思い、彼の手を股間から強引に引きはがした。
「……なんで勃起してんの?」
顔をあげた私の目に、ゴブリエルの不敵な笑みが映る。
「う、嘘泣き……? まさか、お前……」
私を嵌めたのか。
思い返してみれば、ゴブリエルには不審な点がいくつもあった。なぜ彼は敵地の真ん中で裸だったのか。なぜ戦闘にもレイプにも加わらず、私の近くを徘徊していたのか。
「最初から、私に叱られることが目的だったのか……」
ゴブリエルは下品に笑って腰を前後に振っている。あの怯えた表情も、流した涙も、すべて偽りだったのだ。
「この……変態め!」
怒った私は、ゴブリエルの股間を力いっぱい殴りつけた。
「変態ちんこめ!」
恥を知らない怪物の、恥知らずなイチモツに、乙女の鉄拳が打ちつけられる。
だがその痛みさえも、ゴブリエルにとっては喜びでしかない。股間をおさえてうずくまる彼の顔を、私は見ることが出来なかった。
きっと奴は笑っている。
苦悶のなかに恍惚の表情を浮かべて、「ああ気持ちいい」と笑っているのだ。
「……くやしいです!」
狡猾なマゾヒストの策略に嵌り、私は快感を与えるための道具へと成り下がってしまった。感情も行動もコントロールされ、変態の手のひらで踊るこの身は、まるで糸付きの操り人形。自分の意思で踊っているつもりの憐れなマリオネット。
「違う、私は人形じゃない……」
怒りに震え、呟く言葉が記憶の扉を激しく叩く。そう言えば確か、以前にも同じようなことがあった。
あれはいつだったろうか、どこだったろうか、私は今と同じ台詞を叫び、あの国を――イルクルクスを滅ぼしたのだ。
「思い出した……」
私にはなさねばならないことがあった。
それは、アドミニストレーターナンバーシックス――ウィオレンティアに課せられた使命。
望まれる文明レベルはCマイナー。女神としての絶対的超越性を示し、すべての知的生命体から揺るぎない信仰を集める。
そして、来たるべき時が来たならば――
「どうするんだっけ……」
とっ散らかった記憶の欠片は、いまだ多くが欠けている。しかしそれでも、私は自分が何者であるかを思いだした。私は女神ウィオレンティア、この世界の管理者にして運営責任者、つまりは社長さん的存在。
ちなみに現在の我が社、もとい我が世界の状況は……
「あまり芳しくないようです」
今のところ、信者はゴブガリ数十匹のみ。しかも現在進行形で死につづけている。これはいけない、このままでは《《計画》》が破綻してしまう。
ウィオレンティア女神社長――プロジェクト失敗の責任を取り辞任。
不穏な文字が、脳内ニュースペーパーの一面を飾る。
記憶が曖昧なため定かではないが、おそらく納期は目前に迫っている。それまでに私は、すべての知的生命体を信者化するか、それに近い状態を取り繕わなければならない。
そのためにはまず――
「オギャ……オギャア」
マイワールドの将来を憂い、思い悩む私の前で、仰向けになったゴブリエルが赤子のような声をあげた。このモンスターは、生まれたままの格好で、ちんこをふしだらに大きくさせて、私に「踏んで」と要求しているのだ。
「くそ……こんな変態、いったいどうやって躾ればいいんだ」
業績のV字回復を目論み、動きだそうとした私を淫獣の赤ちゃんプレイが阻む。
「だいたい何でこんなのが私の世界にいんの」
計画に組み込まれたすべての知的生命体は、人間に対して無害で友好的であるはず。
しかしこいつらは、ヒューマンを攫い、レイプし、生きたまま食らう。
「これ、絶対設定おかしくなってるよ」
世代を重ねることで、性質が変化する可能性はある。しかしここまで極端に、無邪気なフェアリーが邪悪なレイパーに変わる、なんてことがあり得るのか。
あり得ない。
少なくともゴブガリが自力で、というのは考えられない。ならばどういうことか。それはつまり、ゴブガリを悪の道へと誘った者が存在するということではないか。
ハブラシ……あるいは別の、神か。
「ゆるせんな」
女神たる私を出し抜き、ゴブガリを逆啓蒙した邪悪なる者、邪神ともいうべきその存在に私は怒りを募らせる。
「どこの誰だか知らないが……よくもゴブガリをあんな不細工な顔に……いや、顔は前から不細工か。じゃあ、えーと……よくもゴブガリをあんな頭に……ああ、そういやハゲも生まれつきだっけ」
もしかして、あんまり変わってないのかな。
「しかしハブラシといい、この邪神といい……」
渡る世間は敵ばかりだ。
苦笑する私の前で、教会の扉がゆっくり開く。
「そういやお前も敵だったっけ……」
壁と扉の隙間、闇のなかから腕が伸びる。ゴブガリにしては長い腕、その痩せ細った右腕は、緑色ではなかった。
「……やはり、うんこヒューマンか、グレゴール」
「うるさいですね……」
陰気な声とともに男は姿を現した。痩せて背の高い人間の男、これといって特徴のないその男。
彼の頭には、髪の毛が無かった。
ハゲがいたよ