ウィオレンティアちゃん夢を見る
お昼寝中だよ
私はかつて神だった。しかし今は一匹のゴブリンである。緑色の体にボロ布を纏い、名もなき森の片隅で、血と暴力に塗れた日々を送っている。
なぜこんなことになったのだろう。
イルクルクスの神座から、世界を睥睨していたこの私が。
なぜこんなことになったのだろう。
カルタ山脈の頂にあり、四足の王と呼ばれたこの私が。
友よ、今の私を見て、君は何を思うだろうか。もしかしたら君は、私を蔑むのではないか。
だが友よ、忘れるな。ただ一匹の魔物となった今も、私は敗北を知らぬのだ。地に堕ち、獣に堕ち、魔に堕ちてもなお、力は世界の頂きにあるのだ。
だから友よ、また会うことがあったなら、もう一度あの言葉を聞かせてほしい。愚かで傲慢な、人間らしいあの言葉を――
ギィギィと、習いたての弦楽器のような音がする。耳障りなその音が、私を夢の世界から引き戻した。
「うるさいなあ、もう、交尾は外でやれって言ったでしょ」
寝ぼけ眼を擦ってみれば、緑色のお尻がいやらしく動いているのが見える。知的生命体の最底辺であるゴブガリ諸君は今日も変わらず下品で野蛮だ。
もし彼らが文字を覚えて辞書をつくったとしても、そこにはきっと品性なんて言葉は載らないのだろう。
道徳と倫理もないな、絶対。
生まれ持った性質を否定する気はないが、さすがにちょっと歪みすぎではないか。そんなだから、インモラルモンスターとかレイプの申し子とか呼ばれるのだ、お前たちは。
「まあ……そういう私もゴブガリなんだけどね」
喉の渇きを潤そうと覗き込んだ水瓶には、思春期満開の可愛いゴブガールが映っている。
他のゴブガリとは違う整ったお顔、頭には銀色のサラサラヘアーまで生えている。しかし、大きな耳と緑色の肌はやはりいかにもゴブガリである。
「可愛いすぎるゴブガリ、このキャッチフレーズ、流行んないかな」
強さと愛らしさ、そのうえ乙女の純潔を守りつづける私は極めて特殊なゴブガールといえるだろう。それでも私が知的生命体の最底辺、ゴブガリであることに変わりはない。それはいい、自分がそうであることはすでに受け入れている。
しかし、この服装はどうだろうか。私が着ているこれは、ふくではなく、ただの汚いふくろではないか。種族はともかく、身だしなみや環境は自分で変えることができるはず、私はそれを怠ってはいないか。
考え込む私の首には、小動物の頭蓋骨を連ねた首飾りがぶら下がっている。
「やっぱりこれ、おかしいよ!」
穴ぐらに、嘆きの声が響いた。
「というわけで諸君、ちょっと生活というか、環境を改善したいと思うのだけど、なんか良いアイデアはないかね?」
その日、穴ぐら暮らしにウンザリした私は、部下たちを集め緊急ミーティングを開いた。
ここに居並ぶ者たちは、私が率いるゴブガリの群れ――ウィオレンティアカンパニーの幹部たちである。皆一様に口を半開きにして股ぐらを弄っているが、これでも一応幹部なのだ。
「じゃあ、そこのちんこ出してる君、えーと、確かゴブ蔵、だったかな。何かないゴブ蔵、何かこう……画期的なやつ」
私は腰巻きに穴をあけ、そこからちんこを出しているクレイジーなゴブガリに意見を求めた。
「ウギャッ!」
「お、元気良いね。いいよ、そういうのすごくいい、ほかの皆も見習って」
このちんこを出してるゴブガリの名はゴブ蔵……いや、ゴブ平だったかな。でも、ゴブ平のちんこは……まあいい、ちんこはもう、うんざりだ。とりあえずこれはゴブ蔵、次に会うときはゴブ平になってるかもしれないが、今はとにかくゴブ蔵である。
「ウギャギャのギャルゲー……」
「ほうほう、それで?」
「ギャギャ、ギャラクシーエクスプレススリーナイン、ウィテキュオナジャーニー、ネバエンディンジャーニー……ジャニートゥザスタァァァーーズ!」
「ふーん、いいじゃん、うるさいけど。ていうかどうしたのゴブ蔵、ちゃんとしたこと言って、知恵の実でも食べたの?」
どうせレイプがどうのとか言うんだろうなと思っていたが、これは意外な展開、彼がもたらした情報は私の期待に沿うもの、というより私の期待を大きく越えるものだった。
「ゴブガリが砦、ねえ」
彼の話によると、森の外れにあるかつてヒューマンの村だった場所、そこに巨漢のゴブガリ「グレゴール」が住み着き、砦のようなものを築いているらしいのだ。
「そこ、ヒューマンはいないんだよね」
私の問いかけにゴブ蔵が頷く。
ヒューマンの住処なんてものは、攻めてもロクなことにはならない。住民を殺せば、次は軍隊が出てくるからだ。しかし、すでに廃棄され魔物の巣となった場所ならば、わざわざ兵を起こして取り返そうともすまい。
「よし、ゴブ蔵の案を採用する! その砦は、我ら『ウィオレンティアカンパニー』がいただくとしよう」
私が宣言すると、ゴブガリたちから大きな歓声があがった。
廃墟とはいえ、元はヒューマンの村だった場所、そこにはきっと文明も残っているはず。
「これでようやく、健康で文化的な最低限度の生活が送れそうだ」
来たるべき文明社会の訪れを思い、私もまた歓喜の叫びをあげるのだった。
「……これは、どういうことだ」
森の大樹の枝張りに腰掛けて、私は「ウィオレンティアカンパニー」が有する数少ない文明の利器――遠眼鏡を覗いている。
「……ハブラシは何やってたんだ」
悲憤まじりの呟きは、レンズのむこう、見覚えのある景色と見覚えのない異形たちに向けられている。
そこを私が離れてから三年、たった三年ぽっちである。
「魔に、飲まれたのか……」
グレゴールの砦と呼ばれるその場所は、私を追放したあの村だった。
私が二百年を過ごした穏やかな村落は、今や悪鬼蠢く魔境と化していたのだ。
「クソッタレめ、楽しい侵略のはずが奪還戦になっちまった」
かつての故郷には、ヒューマンはもう残っていない。私の心は、何とも言えない虚しさに包まれていた。
村がなくなったよ