『動物ゾンビ』の噂の正体
天草教授は『郷土研究室』に戻った。死者と遭遇した女学生を、その場に置き去りにして。
巷を騒がせる『動物ゾンビ』騒動……飼い主に捨てられた動物が蘇り、復讐を目論む話とばかり思い込んでいた。事実、教授がこれまで接触した二つのケースは、その側面が強く出ていた。
が、今回教授が遭遇したのは……学園内でたむろしていた放し飼いに近い野良ネコが、よく世話をしていた女学生に会いに行き、顔を見せて立ち去る……そんな話。たったそれだけの、話にもならないような話。
この差は何だったのか? そもそも同じ事件だったのか? 事変を繋ぐ鍵は、以前の『亀のゾンビ』に張りつけられていた呪符にある。すぐさま教授が『猫の腹に張り付いていたお札』をデータ化し、すぐに電子的に照合を試みた。
「……やはりか」
亀についていた札は、汚れてしまっている。辛うじて漢字らしき文字が見える程度だが――その画像に、スキャンした『猫に貼られていたお札』の画像を重ねる。
完全に縮尺は合致し、文字も合一。まさしく『完全に一致』と言い切れるだろう。教授はすぐに、協力者のシギックに連絡を入れた。気を抜いていた教授だけれど、電話越しに聞こえたのは迫真の声だった。
『教授! よかったぁ……無事だった!?』
「あぁ。正直、取り越し苦労だったよ。ピンピンしてる」
『いきなり遺言状みたいなメッセージ来たから、びっくりしたんだよ⁉ 何があったか話して』
強すぎる語気で詰められる教授。万が一に備えて残したメッセージだが、大袈裟に書きすぎたな……と後悔した。とはいえ、未来の展開が読めなかった以上、仕方あるまい。教授は一言詫びを入れていれてから、学園内に現れた『動物ゾンビ』の経緯を説明した。
ゾンビ化した大学内の猫が、夕暮れ時の校舎に現れた。教授は『自分たちの調査を目障りに思った誰かが差し向けた刺客』と判断し、シギックにメッセージを送信した。
だが実際は『郷土研究室』を素通りし、目的は別と理解した教授は、ゾンビ猫の行方の追跡に切り替え。その最中、猫を可愛がっていた女学生が呼びかけていると、どこか嬉しそうに近寄った。
危険な事態に発展するリスクもあったが、実際の例を見れば今回の事件の真相に近づけると静観に徹する。猫と女学生、両者は争う事なく、けれど触れ合おうとして……最後まで距離を保ったままだった。まるで最後の別れを告げるような態度の後、茂みの中へ消えていった。
「これ、本当に同じ事件なの? 内容違いすぎる気が……」
「私も最初はそう思ったが……亀に張りつけられた呪符と、猫に張り付いていた呪符を照合した所、ほぼほぼ合致した。データを送るから確認してくれ」
教授が二枚のデジタル画像を転送すると、シギックの意見も肯定的に変わった。この辺りは流石、死霊術の専門家だろう。
『あの呪符が『死体を動かす』鍵なのは、間違いない、よ。刻印された文字は、やっぱり漢字、だよね? 意味は――』
「ざっくり説明すると『位の高い私が、お前に命令する』と言った所だ」
『ふぅん……王族が命令するような感じ、かな。日本だと天皇?』
「いいや……この場合は、皇帝の方が近いかもしれん」
『? 日本に皇帝っていなかった……よね? 英語だと、便宜上『エンペラー』って呼ばれていたけど……』
シギックは日本について、しっかり勉強しているらしい。海外では天皇=エンペラーと訳される。指摘を嬉しく思いつつも、教授は一つの誤解を解いた。
「よく知っているな? 確かに日本に皇帝はいない。今回の『皇帝』は、中国の皇帝だよ」
『中国……? 中国……あっ!』
「気づいたか。そう――漢字を使うのは日本だけじゃない。元々漢字は中国由来の言語だ。御札に漢字と来て、日本式と誤解していた訳だ。私も君も」
恥じるような声色だが……日本に住んでいて、漢字らしきモノの書かれたお札を見て、日本由来と思わない方が難しい。だからこそ推理が迷走していたが、シギックは電話越しに唸っている。
『中国の魔術かぁ……ゴメン。ボクはちょっと分からない、かな。教授にも分かんないよね?』
「いいや。むしろ確信を持てたよ。この魔術は覚えがある。動物でやるのは見たこと無いが……今も、映画や創作物でたまに見る」
『ボクにも分かる?』
「聞けばピンと来るだろう。今回使われている呪術の正体は――『キョンシー』だ」
ずっと『動物ゾンビ』騒動と考えていた、天草教授と協力者。死者を操る呪術の専門家、ネクロマンサーのシギックは、すぐに理解を示したようだ。
『漢字のおふだを、人間の額に貼って操るのが特徴の死霊術……死霊術? だよね?』
「『死者を操る魔術』という括りからは外れていない。死霊術に含めていいだろう。多分」
教授が語尾に付け加えた一言に、シギックは反応を見せた。
『珍しい、ね? 教授が自信無さげなの……』
「中国の民俗学や魔術は、範囲が広すぎてな……一般に知名度のある魔術系統でさえ、種類が多い上に秘匿されている物、アレンジが加えられた物、民族に根付いている風習まで含めたら追い切れない。今回の『動物キョンシー』も、秘匿された技術が用いられているのか、アレンジが入っているのか、それとも改良型か……何にせよ、オリジナルとは異なる。いや、あそこの文化圏の変容と広さを考えたら、オリジナルが何かを論じる事自体虚しいと言うか……」
『教授! 教授! いっぺんに言われても分かんないよ!』
「あー……すまん。少し興奮していた。考察の甲斐のある物が出てくると、研究者はみんなこうなっちまう」
『気持ちは分かるよ。すごい分かる』
途中から説明が独り言に変わってしまい、珍しく己を恥じる姿を見せた教授。今も『死霊術』を扱うシギックも、近い資質を持っているのだろう。一言二言交わした後で――教授は、今回の事件のまとめに入った。




